浮世風呂

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官害

2011-12-14 11:36:05 | 資料

村民たちと対峙する警察隊(村民提供写真・大紀元)

広東省での大規模抗議への武力弾圧、現地農民は海外メディアにSOS

【大紀元日本12月14日】農民の大規模抗議が続いている広東省陸豊市烏坎村では11日の朝方4時半頃から、村民を襲撃しようとする500人余りの警察が、それに気づいた村民5千人と激しく対峙する一幕があった。

 村民たちは棒や農具などで自衛し、警察は大量の催涙弾やその他の弾薬を発射し、一時は草木に引火して小火騒ぎになった。朝9時頃に双方が退散した。この前に逮捕された村民5人のうち、1人は拷問により死亡。いまでは村に通じる各道路には警察の検問所が配置され、水や電力が止められ、食糧の運び込みも禁止されているため、村民らは出入りが出来なくなっている。村民らは、海外メディアに向けて事態の緊迫性を訴え、助けを呼びかけている。

大規模抗議事件の経緯

同村では、数千ムー(1ムーは約666平米)の畑と約1万ムーの土地が村の幹部に無断で売却されたとして、村民らは政府機関への直訴を続けてきた。

 ラジオ・フリー・アジア(RFA)の報道によると、村民らは政府に2つの訴求を出している。一つは無断売却された土地の回収。もう一つは村民たちの選挙で村の幹部を決めることだ。しかし、上級政府は一切この要求に対応しなかった。

 このような状況下で9月21日、数千人の村民は市政府の前で抗議デモを行い、村役場や複数のビルの窓ガラスを割るなどした。

 翌22日、抗議を続ける村民には特殊警官隊は武力で弾圧しはじめた。村民らは複数のパトカーを引っくり返したり、壊したりするなどの激しい双方の衝突があり、数十人の村民が負傷して入院した。

 

9月24日、村民は自発的に「村民臨時代表理事会9月24日、村民は自発的に「村民臨時代表理事会」「村婦女代表連合会」などの組織を結成、当局との対話を要求した。しかし、その後の3カ月間、当局の解決策が出されていない。

 11月21日、数千人の村民は「独裁を反対」「人権を返して」などのプラカードや幕を掲げて、同市政府前までデモ行進し、座り込み抗議を行った。現地政府は表向きで問題を調査して対応すると約束したが、その一方で、村の主要道路で警察の検問所を設置するなど監視を強化し、そして相次ぎ5人の村民を逮捕した。

 海外の中国情報サイト「看中国」の報道が引用した現地村民の証言によると、現地政府は最初、13人の村民代表を選出して、政府と対話するよう提案した。実際には、この13人は身柄拘束の対象にされた。

 12月5日、村民たちは抗議を続けた。同月9日から、大量の警察が村を包囲した。現在村では水と電力供給が止められ、食糧の運び込みも禁止されている。数百人の警察が主要な道路に検問所を設置、村民は村に出入りできなくなった。

 10日夜、村民・薛錦波さんは逮捕3日後に急死した。現地政府は、死因は心臓疾患と説明したが、遺族は拷問による死亡を主張している。「アジア週刊」の取材に答えた遺族は、薛さんには心臓疾病はないという。指の爪は何本も剥がれ、複数カ所の骨折があるなど薛さんの遺体は酷く損傷しており、明らかに拷問を受けていたと主張する。

 薛さんの死を知った村民たちは、怒りをさらに募らせ、更なる大規模な抗議を遂行しようとした。11日朝
方、500人余りの特殊警官隊が村民らを襲撃しようとしたため、双方が激しく衝突した。

 またRFAの報道によると、インターネットでの情報では、もう1人の逮捕者も死亡したという。もし事実であれば、逮捕された5人の村民のうち、2人が死亡したことになる。

 12日から、村民たちは海外メディアの取材を避けるようになった。

警察隊が発射した爆発物(村民提供写真・大紀元)

 村民の陳さんが大紀元に寄せた情報によると、現在、村のインターネット接続が遮断されているという。彼は「もし、陸豊市、ひいては土地が強制収用された全国の農民が一致団結して抗議を行えば、中共当局はこのように恣意的に弾圧できなくなる」と語った。

 一方、現地政府はこのほど特別通告を発表、「国外の敵対勢力がこの抗議事件を煽いでいる。そのためすでに沈静化した情勢が再び悪化した。事件の性質は村内部の対立ではなくなった」と定論した。

 同市の邱晋雄・副市長は、これから逃走中の村民代表を指名手配するとし、村民たちが自発的に結成した組織を取締ると明言した。

 1人の村民は香港紙・蘋果日報の電話取材に対して、現地の状況は「非常に緊迫している」とし、いつ流血事件が発生してもおかしくないと証言した。彼は「メディアには事の真相を最高指導部に早く知らせてほしい。この1万人余りの命を救ってほしい」とSOSを出した。

(記者・唐明、翻訳編集・叶子)

http://www.epochtimes.jp/jp/2011/12/html/d97670.html

 

中国の戸籍制度と農民移住制限

 中国の戸籍(戸口)制度の最大の特徴は住民の管理と、都市と農村の人口移動、とくに農村から都市への流入を厳しく制限することにある。戸口には「城市戸口」(都市戸籍)と「農村戸口」(農村戸籍)があるが、「農村戸口」を持つ農民が都市に移転することは基本的に禁止されているのである。戸口登記条例第一〇条二は「公民が農村から都市に移転するときは、必ず都市労働部門の採用証明、学校の合格証明または都市戸籍登録機関の転入許可証明を持参し、常住地の戸籍登記機関に転出手続きを申請しなければならない」と定めているから、農民による都市部への移住は、都市での就職・大学入学や軍への入隊など以外に原則的に不可能である。

こうした戸籍制度による統制によって、中国では農村と都市という二つの異なった世界が人為的に作り出されている。経済的格差はもとより、福祉や公共サービスなどの面においても都市と農村のあいだに大きな格差が設けられてきた。とくに計画経済時代においては、国有企業労働者・幹部・知識人などを主体とする都市住民は給与や定年後の年金を保障され、医療・教育・育児などの手厚い杜会保障を与えられてきたのに対し、農民にはそれらの保障がわずかしかなかった。戸籍制度の実施によって中国国民は特権を享受する都市住民と犠牲を強いられる農村住民という二大階層に分けられてきたといえる。胡鞍鋼博士が本書の「序文」において指摘している「一つの中国に二つの社会制度」とは、まさにこのような状況を的確に表す国情分析である。

現在では、改革・開放政策のもとで人口の移動が激しくなるのにしたがって、戸籍制度による管理が徐々に困難となってきた。とくに急速な産業化によって、都市や経済特別区などでの労働力需要に応じて数千万人の農村剰余労働力が集団的に都市部に流入しはじめた。都市部も大量の安い労働力を必要としているから、その流入を認めざるをえない。彼らの一部に都市戸籍を与えたり、就労のための臨時戸籍を設けたりする場合もあるが、戸籍を与えられぬまま都市に定住して働く者が圧倒的に多い。

しかしながら、戸籍を持たないまま都市に定住していると、彼らは医療や子供の教育などの面で、都市住民の享受できる公共サービスから排除されるだけでなく、就職・賃金・労働条件などの面でも差別を受けやすい弱い立場に立たされる。このような排除と差別がまた、農村住民の都市移転と都市部での就業を妨げる大きな阻害要因となっているのはいうまでもないことである。

中国政府はこれまで「共産党の指導」と台湾問題・少数民族問題に関する異論を固く禁じてきたのに加えて、今後は「国家の安全に対し危険な言説」の範囲を拡充し、たとえば農村・農民問題や環境問題など民生に深く関わる問題についても、政府や国営新華社通信の立場=大本営発表ではない独自の取材や言論を封殺するという。このことはまさに、メディアが伝えるべき内容、あるいは一般の中国国民が知りたいと願う内容のほとんどを奪うに等しいものであり、中国13億人の「奴隷」化を加速させるだろう。

 それでも、さまざまな国内外の情報や財を元手に、党・国家とは距離を置いて独自の活動の空間を持ちうる都市の中間層はまだ良い。むしろ、彼らが混乱を嫌い「安定」を求めるあまり中国共産党と一蓮托生となっているという現実がある。中間層と彼らの独自の活動空間が増えれば民主化は進むという政治学的知見は今のところ中国の実情を説明できていない。

 むしろ問題は、声を上げるだけの知識もなければ、自らの出自にとらわれて衣食住にすらしばしば事欠く人々である。中国にはそもそも、国家が意図的につくった奴隷が数億人いる。すなわち、農民戸籍にさせられた膨大な数の人々である。都市戸籍と農民戸籍の違いについては、最近日本のメディアでもしばしば伝えられるところであるが、そもそも「労働者と農民の国として建国されたはずの中華人民共和国で、何故農民が苦しむのか」という疑問を拭えない方も多いだろう。

 しかし、市場経済化の中国は今や労働者と農民の国とは到底言えない。中国のマンパワーの中核として先進的な科学技術や商業活動を担うのは、今やあくまで洗練されたテクノクラートである。そこで中国共産党は、彼らを取り込むために「三つの代表」論を掲げて党規約を変更し、中国共産党は労働者・農民の代表というよりも、中国の先進性を代表する政党であるとはっきりと規定した。実際、教育水準が低い革命世代の老幹部が退場するのに代わり大卒ホワイトカラーの入党工作を展開するなど、中国共産党はここ十数年のあいだに開発独裁政党に変わった。それは分かりやすく言えば「巨大なシンガポール人民行動党」である。このような集団からみれば、低い教育水準や開発の遅れにあえぐ広大な農村部の人々は、あくまで恩恵的に「発展」の果実を与える対象でしかない。

 

 そもそも、肝心の毛沢東時代においても、農村戸籍所持者の位置づけは極めて低いものであった。いや、今日の農村戸籍所持者をめぐる問題は、計画経済の時代に生み出された社会構造をそのまま継承した結果であるとすら言える。毛沢東が蒋介石と国民党を追い払い中華人民共和国を建国した当時、長年の混乱に陥っていた中国は「一窮二白(貧乏で何もない)」な状態であった。しかも、朝鮮戦争に義勇軍を出兵して多大な犠牲を払ったにもかかわらず、ソ連から十分な援助を得られたわけでもなかった。こうした中で米国との(そして50年代末以降はソ連とも)核戦争の危機に備えて国力を蓄えるならば、結局のところ農民を徹底的に管理することで、彼らが生み出した農作物の価値のほとんどを国家に留保し、それを元手に工業を興すしかない(マルクス主義経済学で原始的蓄積という)。しかしそれだけでは、農民は働いても報われず窮乏して反乱を起こすしか行き場がなく、それではゼロから興す計画経済は成り立たない。そこで必要とされたのは、喜んで窮乏生活に甘んじつつ生産への意欲を持続するという「都合の良い農民」であり、それは一般的な人間的欲求を捨てるようマインドコントロールされた農奴と同義である。

 そのために毛沢東が用意したものこそ、農村社会における階級闘争という名の劇薬である。贅沢は悪であり、毛主席の教えに従って貧しさに甘んじ、生産を党と国家のために捧げ奮闘することこそ革命的で善である。このような論理を、もともと共同体が脆弱で個別の農家のフリーハンドが大きい中国の農村社会(小農社会)に持ち込まれた結果、ある倒錯した事態が生じた。すなわち、自ら汗水流して得た富を地道に蓄え拡大再生産に励む自作農は「反動」な「富農」であり、経営能力が低く借財を重ねて転落してきた貧農・小作農・ごろつきは「革命的」だということになる。そこで毛沢東の支配のもとでは、優秀な自作農がことごとく「階級の敵」として殺害された。そして国家による計画=厳格な収奪のもと、配給は微々たるものにとどまり、しかも「平等」の名の下ではどれだけ働いてもみな同じ配給である以上、真面目に働くことは無意味になり、あらゆる創意工夫の契機が失われていった。その代わりに、階級闘争において大胆に敵を打倒することで「革命性」や「刻苦奮闘」が表現され、さらには「革命的」に振る舞わなければ即座に「反動」扱いされるというヒステリー的な社会構造が蔓延した。これが合作社・人民公社制度に象徴される毛沢東時代の集団化の真相であり、国家農奴制がたどった悲劇である。

 さらに文革中、都市のエリートは「農民に再教育を受ける」という大義名分のもと農村に追放され(下放)、「階級的に上位な」農民からの陰惨な攻撃に遭遇した。これはある意味で、「毛沢東の農奴」に陥れられた人間たちによる都市戸籍所持者への報復であった。そして、悲惨な農村体験をした都市戸籍所持者が、改革開放以後今度は農民や出稼ぎ労働者に対して極めて冷たい態度をとりつづけている。

 こうして、毛沢東の国家農奴制は中国社会に救いがたい溝を生み出した。今日も農村戸籍所持者は、単に「都市戸籍でない」というだけの理由で、賃金・福利厚生・居住・子弟の教育面で劣悪な条件しか与えられず、彼らが生み出した利益のほとんどは都市戸籍所持者が享受していることに変わりはない。国家が土地と人民を厳格に管理することで成り立つ毛沢東の錬金術は、市場経済とかたちを変えても未だに生きているのである。

小平「先富論」以来の中国は、先に沿海部の大都市が発展し、その利益や経験を中西部の農村地域に波及させ、内陸部が労働力を出して沿海部が援助をするという関係において「中国の特色ある社会主義の優越性」を発揮させ、農村・農民・農業を取りまく「三農問題」を解決することを掲げてきた。また、そのための重要な結節点を整備するべく、農村部における都市化と行政区画の整理統合を図った(重慶市が名義上「世界最大の市」でありながら、実際にはひとにぎりの重慶市街地と巨大な農村地域の和であるのは、四川省東部の複数の地区を重慶市に従属させたからに過ぎない)。こうして農村地域が地方大都市の牽引力とともに動き出せば、「三農問題」は自ずと解決して農民は救われ、共産党の正当性を保てるだろう……。それが90年代末以来の「西部大開発」の一大目的である。リーマン・ショック後の中国経済回復策における重要な柱のひとつである「家電下郷」(農村部での電化製品普及)政策も、農村部の都市産業育成を軸とした経済発展と余剰人口の吸収のために掲げられている。

しかし、それで農民が救われるとは思えない。農民はあくまで農村戸籍所持者である。内陸の都市に住む住民や、そこに商機を求めて外からやって来る大都市出身のエリートとは、戸籍の面において越えられない壁がある。

 どれだけ苦労しても報われなければどうすれば良いか? 上述の通り、毛沢東時代には、真面目に働かなくともどのみち誰もが同じ分配であるという現実が杜撰な社会を生み出した。現在も同じことであり、真面目に働いているように見せかけて手を抜けば良い。中国各地の建築現場で頻発する「おから建築」(鉄筋を満足に使わず、コンクリートも不純物が多いなど、極めて脆い建造物のたとえ)の倒壊や、開通したばかりの道路の陥没、そして耐久力の低い製品など、全てにおいて努力しても報われないがゆえに「創意工夫による良き仕事」を欠いた結果である。それは言い換えれば、やむを得ず労働する「農奴」=農民工たちの「自己防衛」ないし都市戸籍所持者への「反逆」なのかも知れない。

農村出自であるがゆえに正当に報われない農民労働者が中国全土にひしめいていることを考えれば、今後類似の事件がいつ繰り返されてもおかしくないし、彼らの不満の表明が突如過激なかたちをとって増加することも予想される。