山紀建設な日々

その日の作業の内容からプライベートに至まですべてお見せします

西日本豪雨災害救援 岡山・倉敷真備

2018年08月19日 20時00分00秒 | 仕事

続きまして・・・

 

日程的には前後が逆のご紹介になりますが、岡山県倉敷市真備町に入ったのは7/13~7/16でした。

 

まだ被災して1週間ほどで、これからボランティアさんも沢山押しかけて支援活動が本格化していくであろう
大事な段階でした。

 

被害に遭われたお宅のニーズ対応も大事ですが、まずはボランティアを受け入れるサテライトの設置や
諸々の準備も並行して行いました。

 

 

隣り合わせたところに我々の拠点とボランティアサテライトが良い感じに設置されました。

 

途中で収まりきらずにブルーシートで即席屋根を設営、アンカーにうちの豆ユンボってことになったりしましたが。。

 

町内は停電。ほぼ1階の天井付近まで水没が殆どで、2階の中窓まで浸水したお宅も多々ある状況です。
店舗などもたくさんありましたが、淡々と駐車場に被災した商品が野積みされてました。

 

 

 

作業ニーズとしては、被災した家財の運び出しがメインになるんですが、とにかく道路が封鎖されていたり
流れてきた車などで家に近づけないなどの障害の撤去が主な作業でした。まだニーズが拾い切れていないので
今後どのようになっていくのか、若干の不安も感じながらの作業でした。

 

僕が一番馴染み深い立場の方です。
翌日の朝、新築工事現場に届ける予定の建材を積んで帰宅して、その日の晩に
被災したそうです。ユニックもまだ1年ほどの新車。お隣さんとの塀に車が乗り上がっています。

 

今回、結構困ったのがこの手の流れてきた車輌の移動。
持ち主が分からないので手が付けられないんですよね。勝手にやってしまうのも
ありなんでしょうけど、やはりご本人のご意向も伺いたいので。

 

おそらく、ご本人もご自身の車がどこに流れていったかわからない状況なので、困っておられるだろうと思うんですが、
こちらがナンバーなどから照会するも、どこに避難しているのかがわからないので、
作業が遅れてしまいます。

 

写真で分かるかと思いますが、このお家は2階の中窓まで水が来たことがわかります。
今回多かったのが屋根の上に打ち上げられた物などを降ろす作業ですね。
これ、中身満タンのプレハブ物置。中身も水を吸った状態で重いです。
中身を取り出したいですが危険ですので近づけません。クレーンで吊るにも距離もあるし、空中線あるし
お互いの屋根に引っ掛かってるし、この向こう側には右側のおたくの出窓が出ていて
まさに八方塞がり。

 

ユニックの荷台の荷物を丁寧に降ろして、ユニックとユンボの2台吊りで平面に降ろしました。

 

こちらも何とか玉掛けをして、ユニックとユンボ補助でどうにか吊り上げました。
底が抜けて中身が散らばらない様に気をつけながら。

結構手前まで持ってきてやっとこさブームが起きたってことは1トンは軽く越えてるってことになります。1トンくらいならこの車は
3段くらい伸ばしててもそこそこ動くんですが、これはそんな簡単に動いてくれませんでした。

ほんと、水害は難しいです。

あと多かったのがこれ。

工事現場などから流れてきた仮設トイレ。下敷きになっている車などの被害を最小限にするには
そのまま真上に持ち上げるしかないんですが、元々吊り上げる設計でない物なので玉掛けが難しいんです。
しかも中身が爆弾ですし(^_^;)なのでここでも重機との相吊り。
クレーンがラジコンで操作できるから出来る技です。

 

 

「災害ゴミ」と悲しい名前を付けられた家財は仮置き場に運び込まれますが、渋滞が凄く自然と
出来てしまう仮置き場がどこの水害でも見受けられます。

そこの管理は自衛隊さんがやってましたが
やっぱり重機やダンプの扱いに関しては申し訳ないですが見ていられない物があります。
装備は凄いんですが、技術が全く足りていません。

でも日に日に色々と調整や段取り替えを行いながら必死でやってくれている現場の皆さんに尊敬の気持ちは変わりません。
その現場の皆さんの努力が報われるようになって欲しい気持ちも変わりません。

ただその現場のことをホントに考えているのかな?と上層部に対しての疑問が毎回募ります。

 

今回、そんな自衛隊の方から仮置き場の片付けのお手伝いも依頼を受けたのでちょっとだけやってました。

重機の大きさでは完敗ですが、そこは技術で十分立ち向かいます。伊達にプロを名乗ってないので。

 

とにかく吊って運び出しは多かったです。

 

これ、「なんでそんなに傾いてるの?」って事なんですが、
通常ここでバランスが取れるって場所に玉掛けをしたんですが、水害の水が入っていてそれが
後方へ流れ始めたら重心が変わってしまいまして、こんな形に。。。こう言うのも経験ですね。

 

このサテライトが設置されている横はテレビでも報道されたまび記念病院なんですが、
この室内の掃除も急ピッチで行われてました。でも病院内は危険なので一般のボランティアが入れず
僕らがお手伝いさせていただきました。

 

あと、日に日に見えてくる道路障害。
とにかく運び出しにとって道路は絶対不可欠。こんな感じの啓開作業も多々ありました。

 

道路啓開作業(倉敷真備)



今回の真備町は決壊箇所がたくさんあって、どこに行っても堤防の復旧作業が行われ
そこは水で溢れてました。

 

こういった激甚災害になると国土交通省がTEC-FORCEと言う名前で協定業者を使って復旧作業にあたってますが、
何ともお役所仕事なので住民とのトラブルも絶えません。

 

もはや人力では手に負えない、ましてや地元の業者の重機だけでも手に負えない。役割分担や棲み分けをきちんと行いその隙間を埋めるべく
僕らのようなプロボノがいるとしても、それでも間に合わない。。。どうなっていくんでしょうか、これからの災害・・・。

年々被害は増すばかりで。

 

災害地の渋滞はこんな感じになります。

信号も消えているので交差点はぐっちゃぐちゃ。出て行ったダンプが帰ってこないと運び出しも終わらない。
悪循環ばかりです。

 

 

トラック仲間の西脇さんが立ち寄ってくれて物資を支援してくださいました。
現地に来て直接声を聞かせてくれることが何より励みになります。ありがとうございました。
このあとまた違う被災地へと向かわれました。お疲れ様です。

 

ベースでのひととき。

 

ボランティアセンターでの会議の様子。


 

今回、手配してくれた宿は真備からは車で1時間掛かりますが、瀬戸大橋を一望できるステキなホテルで
料金も相談に乗ってくれてありがたかったです。1人で寝るのは勿体ないお部屋で。

帰りはお土産一杯買って。これも被災地応援。

 

倉敷はこれから住宅の再建に向けて必死で歯車を回していきます。
その惨状や非情にも過ぎ去る時間、周りの環境などが手伝って、解体一択の空気が流れがちです。

確かに災害救助法が適用され、公費による解体をすれば撤去に関する住民の金銭的負担は軽くなります。

でも、その後新しい住まいを作るお金はどうなりますか?ずっとベニヤ板の仮設住宅ですか?
新たに家賃を積み重ねて賃貸に?

 

決して焦らず、今建っている住宅を丁寧に修繕して住むことが本当に出来ないのか?そこに仮に多大なお金がかかるとしても
それは選択肢として価値がない物なのか?仮にベニヤ板を張って住むなら、プレハブの仮設住宅よりも
今まで住み慣れた地の住み慣れた家にベニヤ板を張って住まうことも選択肢ではないのか?

 

被害に遭われた方に1つでも多くの選択肢を提供し、最終的には解体と言う決断になるとしても
そこまでの時間稼ぎが出来るようにお手伝いをし、考える時間を少しでも提供できるように
いまプロボノが頑張っています。仲間が必死に動いています。

 

 

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西日本豪雨災害救援 広島坂町

2018年08月19日 09時00分00秒 | 仕事

大阪北部地震に於いて、茨木市での活動をしている最中、ちょうど茨木におけるロジスティクス強化のために
その仮設設備を準備して設置している日、とんでもない豪雨に見舞われました。


幸いに滞在していた茨木市は大雨による被害は見受けられませんでしたが、まさかその雨が
西日本をこれほどまでに壊滅に追いやるとはそのときは思いもしませんでした。

 

茨木で活動を展開していた各団体はそれぞれ、岡山、広島、愛媛へと移動して救援活動を直ちに開始しました。

僕が所属するDRT-JAPANはまず岡山県倉敷市真備町での活動に入りましたが、その後広島・坂町へ移動して
現在救援活動を展開しています。

ここではまず広島・坂町での活動の報告をさせていただきます。

後日、岡山県倉敷市での活動の報告をさせていただきます。

 

 

広島には2014年の水害でもお邪魔してますが、今回は坂町小屋浦地区にお邪魔しました。
期間は8/7~8/12でした。

当初は前半を広島で、後半を倉敷での活動の予定となってましたが、広島の事態があまりにも深刻で
僕は広島に残ることになりました。

 

ベースは坂町のB&G海洋センターに設置されており、そこにキャンプを張ってました。
僕は当初はユニックの寝台で寝泊まりでしたが、市内でホテルが確保できたのでホテルに移動しました。
シャワーはB&Gプールのシャワーをお借りしてました。

 

まずは小屋浦地区の被災した保育所での土砂の撤去作業からでした。

 

乾くと埃が舞い上がり呼吸がしづらく、濡れれば足を取られ、水害独特の腐った強い臭い、連日の猛暑などなど
作業は過酷としか言いようがありません。これをボランティアさんが人力で撤去しようと
各現場で苦労されてましたが、プロボノとしては機械を有効活用して作業を進めることになります。

 

今回、大王町船越のお友達企業「やまもと石材」さんでいつも借りるキャリアダンプ「運ん太郎」をお借りしました。
ちょうどうちの現場で使いたいことがありお借りしてた所で不調になり、メンテをして預かっているところでしたが
今回改めてお願いして快諾を頂き現地で活躍してもらいました。

リフトアップも出来るので土山を高くすることも出来ますし、軽ダンプなら直接積み込みが出来ます。狭所での操作性も
良く、本当に助かりました。

 

キャリアダンプ稼働状況

 

土砂撤去作業状況

初日はこんな感じで頑張っていたのですが、頼れるこの男が翌日は来てくれました!!

まず横向きに無理やり積んできた(本人は余裕と言ってましたが)ユンボを吊って降ろして

 

前日にちょっとした段取りを相談しただけで全てを把握したかのように
準備してきっちり仕事を決めて帰ってくれました。てか、来てくれたっていうかここは広島なので
来てるのは僕で新井さんが地元県ですが(^^ゞ

おかげで保育所の室内の泥出しはすべて完了してくれました。助かりましたー!!

 

保育所の2階から前を見ると、まだまだ行方不明者の捜索が行われている状況です。

 

 

後半は小屋浦地区の3丁目での活動になりました。

ここではIVUSA(国際ボランティア学生協会)との連携(と言うか、使われ(笑))の活動となるため
前日に打ち合わせ等を行い、活動に入りました。IVUSAの威力は言わずもがな。

 

同じ雨による水害なんですが、地区が変わると全く被害の様相が変わります。
3丁目はすでに災害ゴミの回収がテキパキと委託業者によって行われてました。

 

そんな折り、持っていた無線で呼ばれた先へ行ってみると・・・

1ヶ月経つのにまだこんな状況の現場が手つかずで残っていることに愕然。。。

聞けば行政に相談するも全くの放置状態だったそうで、流れてきた山や家屋、車輌によって自宅に入れていないと言うことで
急いでこのお宅へアクセスできるように対応しました。

 

啓開作業状況

 

山滑りによって車も流され、撤去した家屋の中から車が出てくる始末。作業最中にこの車輌の持ち主の方からも
車輌の移動を依頼されたので、そのニーズも対応しました。

 

 

倒壊した家屋の部材が刺さっていたり泥で埋まっていたりなので、引き抜きにも相当な力が要りますし、
水害に遭った車輌、特にこの真砂土の被害にあってる車輌は、水とシルト分が車内の隙間という隙間に入り込んで
重量が一気に重くなるので、吊り上げはホント苦労します。あと、ここは空中線が多数あり、クレーン作業の障害にもなっていて
クレーンが支障なく動けるところまでは重機で牽引して、の繰り返しでした。

牽引するにも、最近のスマートキータイプはハンドルロックが外れないし、パーキングブレーキも
泥がドラムに入り込んで外れない、ペダルを踏むにも車内が泥で埋まっている、シフトロックも外れず
ニュートラルに出来ないなど、ホントに苦労します。

何とかユンボで吊りながらユニックをラジコンで操作して2台吊りで対応したりと工夫をして乗り切りました。
常総水害の時の車輌救出時に、ユンボのクレーンフックが簡単に曲がってしまった苦い経験があるので、今回は
バケットフックで作業しました。本来の現場では用途外作業となり禁止行為です。

ちなみにこの軽自動車で1800kgありました。

そんなこんなで何とか次の日にはトラックが入ることが出来まして、1ヶ月経ってようやく、家財の運び出しが出来るようになりました。

 

この日は新井さんの後輩で前回の広島でもお世話になった健太くんがこの2トンダンプで応援に来てくれました(てか、来てるのは僕の方だけど②)

仕事も忙しいでしょうに、1日フルに、また差し入れも持って頑張ってくれました。特にダンプもありがたかったですが、車輌の移動の際は
本業が車屋さんだけに、本当に助かりました。おかげで夕方には枯れ果てたような姿になってましたが(^_^;)

 

この地区では、既に床下の泥出しも本格化してて、道路は土嚢や土山で埋め尽くされてました。
空いてる時間はそちらを対応してました。
土嚢は処理に困るので極力使わないようにしてますが、出てくる泥が液状の場合も多く、その場合は土嚢でプールを造り
その中に泥を貯める方式を取っています。またコレの搬出でも、ダンプの荷台の底角に土嚢を並べて泥が
漏れ出さないように水密性を確保するためにも土嚢が活用されます。

泥だし状況

 

IVUSAが搬出した土(土嚢も含む)はこの地区のこの日だけで20tほどに達しました。
恐るべしIVUSAの威力です。

 

岡山から帰ってきた親方・黒さんに現場の報告と今後の打ち合わせ。

 

この被害をもたらした、山滑りの場所。

 

「マクリのトオル」の異名を持つ、岐阜のトオルさん。相変わらずのまくりっぷりです!


 

有名な城南交通さん。代替輸送で頑張っておられました。

 

 

 

さて、ベースキャンプに帰り夕食はテントでみんなと。
このタープやスタッフの寝泊まりで使っているテントはスノーピークさんやコールマンさんからの
支援物資です。いつもお世話になってます。

 

この日は麻婆丼とその他おかず色々。

 

あと、KEENさんが今回も我が団体を支援してくださってます。
「西日本豪雨災害支援」

僕らが履いてる作業靴やスタッフ・IVUSAが着ているTシャツなど全て支給されました。
KEENの安全靴はさすがの造りです。買うと3万くらいします・・・。


 

こういう後方支援をしてくれるので作業に集中できるので本当にありがたいです。

 

現地は凄い渋滞なのでユニックは現場留め置きで、日頃は軽ダンプで。

 

 

広島はまだまだ先が長いです。継続しての支援を予定しています。

 

 

以上が今回の広島での活動の内容です。


後日、岡山での活動の内容をご紹介します。

 

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