続きまして・・・
日程的には前後が逆のご紹介になりますが、岡山県倉敷市真備町に入ったのは7/13~7/16でした。
まだ被災して1週間ほどで、これからボランティアさんも沢山押しかけて支援活動が本格化していくであろう
大事な段階でした。
被害に遭われたお宅のニーズ対応も大事ですが、まずはボランティアを受け入れるサテライトの設置や
諸々の準備も並行して行いました。
隣り合わせたところに我々の拠点とボランティアサテライトが良い感じに設置されました。
途中で収まりきらずにブルーシートで即席屋根を設営、アンカーにうちの豆ユンボってことになったりしましたが。。
町内は停電。ほぼ1階の天井付近まで水没が殆どで、2階の中窓まで浸水したお宅も多々ある状況です。
店舗などもたくさんありましたが、淡々と駐車場に被災した商品が野積みされてました。
作業ニーズとしては、被災した家財の運び出しがメインになるんですが、とにかく道路が封鎖されていたり
流れてきた車などで家に近づけないなどの障害の撤去が主な作業でした。まだニーズが拾い切れていないので
今後どのようになっていくのか、若干の不安も感じながらの作業でした。
僕が一番馴染み深い立場の方です。
翌日の朝、新築工事現場に届ける予定の建材を積んで帰宅して、その日の晩に
被災したそうです。ユニックもまだ1年ほどの新車。お隣さんとの塀に車が乗り上がっています。
今回、結構困ったのがこの手の流れてきた車輌の移動。
持ち主が分からないので手が付けられないんですよね。勝手にやってしまうのも
ありなんでしょうけど、やはりご本人のご意向も伺いたいので。
おそらく、ご本人もご自身の車がどこに流れていったかわからない状況なので、困っておられるだろうと思うんですが、
こちらがナンバーなどから照会するも、どこに避難しているのかがわからないので、
作業が遅れてしまいます。
写真で分かるかと思いますが、このお家は2階の中窓まで水が来たことがわかります。
今回多かったのが屋根の上に打ち上げられた物などを降ろす作業ですね。
これ、中身満タンのプレハブ物置。中身も水を吸った状態で重いです。
中身を取り出したいですが危険ですので近づけません。クレーンで吊るにも距離もあるし、空中線あるし
お互いの屋根に引っ掛かってるし、この向こう側には右側のおたくの出窓が出ていて
まさに八方塞がり。
ユニックの荷台の荷物を丁寧に降ろして、ユニックとユンボの2台吊りで平面に降ろしました。
こちらも何とか玉掛けをして、ユニックとユンボ補助でどうにか吊り上げました。
底が抜けて中身が散らばらない様に気をつけながら。
結構手前まで持ってきてやっとこさブームが起きたってことは1トンは軽く越えてるってことになります。1トンくらいならこの車は
3段くらい伸ばしててもそこそこ動くんですが、これはそんな簡単に動いてくれませんでした。
ほんと、水害は難しいです。
あと多かったのがこれ。
工事現場などから流れてきた仮設トイレ。下敷きになっている車などの被害を最小限にするには
そのまま真上に持ち上げるしかないんですが、元々吊り上げる設計でない物なので玉掛けが難しいんです。
しかも中身が爆弾ですし(^_^;)なのでここでも重機との相吊り。
クレーンがラジコンで操作できるから出来る技です。
「災害ゴミ」と悲しい名前を付けられた家財は仮置き場に運び込まれますが、渋滞が凄く自然と
出来てしまう仮置き場がどこの水害でも見受けられます。
そこの管理は自衛隊さんがやってましたが
やっぱり重機やダンプの扱いに関しては申し訳ないですが見ていられない物があります。
装備は凄いんですが、技術が全く足りていません。
でも日に日に色々と調整や段取り替えを行いながら必死でやってくれている現場の皆さんに尊敬の気持ちは変わりません。
その現場の皆さんの努力が報われるようになって欲しい気持ちも変わりません。
ただその現場のことをホントに考えているのかな?と上層部に対しての疑問が毎回募ります。
今回、そんな自衛隊の方から仮置き場の片付けのお手伝いも依頼を受けたのでちょっとだけやってました。
重機の大きさでは完敗ですが、そこは技術で十分立ち向かいます。伊達にプロを名乗ってないので。
とにかく吊って運び出しは多かったです。
これ、「なんでそんなに傾いてるの?」って事なんですが、
通常ここでバランスが取れるって場所に玉掛けをしたんですが、水害の水が入っていてそれが
後方へ流れ始めたら重心が変わってしまいまして、こんな形に。。。こう言うのも経験ですね。
このサテライトが設置されている横はテレビでも報道されたまび記念病院なんですが、
この室内の掃除も急ピッチで行われてました。でも病院内は危険なので一般のボランティアが入れず
僕らがお手伝いさせていただきました。
あと、日に日に見えてくる道路障害。
とにかく運び出しにとって道路は絶対不可欠。こんな感じの啓開作業も多々ありました。
道路啓開作業(倉敷真備)
今回の真備町は決壊箇所がたくさんあって、どこに行っても堤防の復旧作業が行われ
そこは水で溢れてました。
こういった激甚災害になると国土交通省がTEC-FORCEと言う名前で協定業者を使って復旧作業にあたってますが、
何ともお役所仕事なので住民とのトラブルも絶えません。
もはや人力では手に負えない、ましてや地元の業者の重機だけでも手に負えない。役割分担や棲み分けをきちんと行いその隙間を埋めるべく
僕らのようなプロボノがいるとしても、それでも間に合わない。。。どうなっていくんでしょうか、これからの災害・・・。
年々被害は増すばかりで。
災害地の渋滞はこんな感じになります。
信号も消えているので交差点はぐっちゃぐちゃ。出て行ったダンプが帰ってこないと運び出しも終わらない。
悪循環ばかりです。
トラック仲間の西脇さんが立ち寄ってくれて物資を支援してくださいました。
現地に来て直接声を聞かせてくれることが何より励みになります。ありがとうございました。
このあとまた違う被災地へと向かわれました。お疲れ様です。
ベースでのひととき。
ボランティアセンターでの会議の様子。
今回、手配してくれた宿は真備からは車で1時間掛かりますが、瀬戸大橋を一望できるステキなホテルで
料金も相談に乗ってくれてありがたかったです。1人で寝るのは勿体ないお部屋で。
帰りはお土産一杯買って。これも被災地応援。
倉敷はこれから住宅の再建に向けて必死で歯車を回していきます。
その惨状や非情にも過ぎ去る時間、周りの環境などが手伝って、解体一択の空気が流れがちです。
確かに災害救助法が適用され、公費による解体をすれば撤去に関する住民の金銭的負担は軽くなります。
でも、その後新しい住まいを作るお金はどうなりますか?ずっとベニヤ板の仮設住宅ですか?
新たに家賃を積み重ねて賃貸に?
決して焦らず、今建っている住宅を丁寧に修繕して住むことが本当に出来ないのか?そこに仮に多大なお金がかかるとしても
それは選択肢として価値がない物なのか?仮にベニヤ板を張って住むなら、プレハブの仮設住宅よりも
今まで住み慣れた地の住み慣れた家にベニヤ板を張って住まうことも選択肢ではないのか?
被害に遭われた方に1つでも多くの選択肢を提供し、最終的には解体と言う決断になるとしても
そこまでの時間稼ぎが出来るようにお手伝いをし、考える時間を少しでも提供できるように
いまプロボノが頑張っています。仲間が必死に動いています。