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「三輪山平等寺」(みわさんびょうどうじ)

2012年03月09日 07時29分10秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 敏達天皇(びだつてんのう)581年、聖徳太子が賊徒を平定するため三輪明神に祈願して賊平
定後十一面観音を刻んで寺を建立し、大三輪寺と称したのがはじまりと伝わるが、史料上明確な記述はない。

 当寺が史料上、明確に現れてくるのは鎌倉時代以降で、鎌倉時代初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人1140~1223年)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有したとある。

 当寺は三輪別所とも呼ばれ、仏法の奥義をきわめんとする行学一如の根本道場として栄え、鎌倉時代には、仏法、学問の奥義を求めて多くの人々が参詣したという。また、室町、江戸時代には醍醐寺三宝院、南部興福寺とも深く関係し、80石の朱印地を持ち修験道の霊地となっていた。慶長5年(1600)9月15日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み難を逃れたという。

 明治元年(1868)神仏分離の太政官布告が出され、同3年(1870)には、平等寺は三輪社の社人が管理するにいたり、堂舎は取り払われ、平等寺は廃止となり、宇堂は存在せず、一切の建物も残っていない状態となっていた。曹洞宗の寺院、「三輪山平等寺」として再興した。

 廃仏毀釈より100年目を迎えた昭和52年(1977)6月4日付で曹洞宗の寺院、「三輪山平等寺」の寺号が復興され、多くの人の喜捨により本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)をはじめ前立本尊十一面観世音菩薩の造立をみた。

 所在地:奈良県桜井市三輪38。
 交通:JR三輪駅より東へ徒歩10分、JR・近鉄桜井駅より徒歩30分。
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