「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「長尾神社」(ながおじんじゃ)

2012年06月24日 07時08分16秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 社伝によると、延喜式神名帳に「葛下郡長尾神社、大、月次、新嘗」と載る古社とあり、竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝に鎮座し、交通安全祈願の神として信仰を集めている。

寛平9年(897)より弘安4年(1281)までの間に9階進昇し、弘安4年(1281)には正二位、江戸時代には正一位にまで進んだという由緒ある神社だったようだ。

 祭神は水光姫命(みひかりひめのみこと)で、豊かな吉野川の水を守られる水神で、井戸の神様として祀られている。
社伝によると「水光姫命が、応神天皇の代に当麻町竹内の三角岩に降臨し、子孫の加彌比加尼(かみひかね)に命じて長尾に祀らされたもので姿は白蛇であった。神社の東北に藤をもって覆われている御陰井の藤の花はそれである」とある。

 嘉吉3年(1443)の王寺町放光寺縁起に「長尾神社は放光寺の鎮守神で・・・。」とあり、長尾神社の名称の由来は、「城上郡(今の桜井市)の美女を嫁にされた神様があったが、一向 に姿を現されないので、嫁の父が、神様の着物のすそに、長い赤糸を取り付けて、その後をつけていった所、長尾宮には入った」という話がある。

 言い伝えでは、昔、大和に大きな蛇が住み、三輪山を三重にとりまき、その尾は長尾までとどいた。三輪明神(桜井市)が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われている。また、竜が住んでいたともされ、竜王社(大和高田市)が竜の頭であり、長尾神社は竜の尾にあたるとされている。

 所在地:葛城市長尾471。
 交通:近鉄南大阪線「磐城」駅下車、徒歩7分。
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 「石園座多久虫玉神社」(いそのにますたくむしたまじんじゃ)

2012年06月15日 07時26分05秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 創建年代は不明であるが、第三代安寧天皇の時代の都である片塩浮穴宮跡に鎮座している。崇神天皇の時代に勅祭が行われたと伝えられる。古くは「射園神」(いそのかみ」と呼ばれ、地元では「竜王宮」として篤い信仰を集めている。
延喜式神名帳では「大和国葛下郡 石園坐多久虫玉神社 二座」と記載され大社に列し、神護元年神戸を領している。貞観元年(859)に神階従五位、享保2年(1717)正一位に叙せられた。

 明治24年(1891)政府より古社保存資金を受け、昭和4年(1929)には大礼建造物の一部を下賜、次いで同5年8月伊勢内宮正殿の御梁・御桁、其の他古殿舎材の御下賜があり、また同7年天皇陛下より幣帛料の奉納があるなど、往昔より皇室との関わりが深い。

 北殿に建玉依比古命(相)として豊玉比古命、南殿に建玉比古命(相)として豊玉比売命を祀る。いずれも海神に関する神。以前は、社頭の前(西)に砂子川(高田川)が流れ、堤防の北端より南は磯野東、三倉堂の西北端に至る下街道があって、当社の馬場先となっていたという。馬場先は、およそ200間(約400m)以上もあつて、松、楓、桜が両岸に植えられていた。

 社頭の砂子川には石橋があつて、巾二間、渡り五間五尺、両端に高さ四尺の二重欄干がついていた。川の氾濫の度に架け替えられていた木橋であつたが、明治36年(1903)に石橋となり、祓戸橋と称していた。

 戦後、昭和26年に、高田川を西方に移転するとともに、廃川敷を大和高田市の中央道路に改修され、祓戸橋は
取り壊され、繁華街の中に位置する神社となった。

 所在地:大和高田市片塩町302。
 交通:近鉄道南大阪線高田市駅下車すぐ。
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「丹生川上神社」(にうかわかみじんじゃ)

2012年06月08日 07時30分03秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 以前、氷の神様を訪ねたが、今回、氷の元である水の神を祀る神社が東吉野村にあると知り訪ねた。
 「丹生川上神社」は、天武天皇の白鳳3年(675)の創建とされた歴史ある神社で、東吉野村にあるものは「中社」と呼ばれており、川上村に「上社」、下市町に「下社」とあり、とともに以前は同じ神社だったという。

 山間の深いところにあるだけではなく、目の前には高見川が流れており、その祟りを鎮めるために水神を祀ったのであろうことは想像に難くない。祭神は「罔象女神」(みずはのめのかみ)で、それほど大きな規模でない社だが、22社の一つで近代も官幣大社に選ばれている。

 拝殿・本殿などは、それほど大きなものではなく、シンプルで質実剛健的な美しさがある。
歴史のある奈良の神社にしては文化財などは少なく、本殿と拝殿前の「石灯籠」(弘長4年(1264)作)は重要文化財に指定されている。本殿は立ち入りができない。

 境内には、千年杉の別名がある巨木の「叶え大杉」と、そこに住み着いたフクロウをモチーフにした木彫りの「なでフクロウ」などもある。幹に両手を当てて心願し口唱すると願いが叶うという。さらに、水の神社らしく「丹生のご神水」が湧き出る井戸があり、この日も数人が水を汲みにきており、私も飲んでみたが、とてもスッキリしたおいしい水だった。

 神社の近所には、他の見どころも色々とあり、少し奥まで車を走らせれば「平成の名水百選」にも選ばれている「七滝八壷」という美しい滝や「東の滝」などが点在する。この辺りは「ツルマンリョウ」自生地として、天然記念物に指定されている。

 所在地:奈良県吉野郡東吉野村小968。
 交通:近鉄大阪線「榛原駅」から、奈良交通バス「大又行き」で1時間、「蟻通橋」下車すぐ。
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