縁結びとして知られた神社に、嵯峨野の「野宮神社」と清水境内にある「地主神社」が全国的にも有名である。野宮神社は竹林に囲まれ牧歌的景観すら感じるが、地主神社は都会的な華やぎを持った社で、ユネスコの世界文化遺産にも登録されているが、商的傾向をかいま見る社だ。
社伝によれば、地主神社の創建年代は、神代つまり日本の建国以前とされ、あまりの古さにその歴史は明らかになっていない。 しかし近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明され、「神代」の頃と推定される。
「神代」は『日本書紀』によると、紀元前660年以前を指し、考古学的視野に立つと縄文時代晩期といえる。
また地主神社の鎮座する辺りは、古来「名勝蓬来山」と呼ばれ、 不老長寿の霊山として信仰を集めてきた。 京都盆地が湖であった古代から、この蓬来山は陸地であり、信仰の場となっていた。
春になると、境内に咲く見事な桜は「車返しの桜」といわれ、弘仁2年(811)嵯峨天皇が行幸した折、その桜の美しさに3度車を返したという伝説が由来となった。
現在の社殿は寛永10年(1633)、徳川3代将軍家光の再建により、入母屋造りと権現造りの様式を兼ね備えた桧皮葺極彩色の華麗優美な建築は、双堂という奈良時代の様式をも今に伝え、わが国の神社建築史上、貴重な存在であるとして、国の重要文化財に指定されている。特に、社殿内部の華麗な極彩色模様は、平安朝の優雅さと桃山文化の雄大さを巧みに取り入れた彩色で、比類のない見事さである。
本殿は、一般には格天井(ごうてんじょう)か折上格天井であるところが、ここでは外陣、内陣ともに山形天井になっており、神社本殿の天井としては実に珍しい。本殿内外の極彩色や金箔を施した装飾金具は、目の覚めるばかりに鮮やかで、円柱のひとつひとつに描かれた金蘭巻文様(きんらんまきもんよう)が、柱によってそれぞれに異なり、図柄は「のし」模様や、「宝づくし」の模様に特色がある。
拝殿は、南側正面が崖になっているため、いわゆる舞台造りになっており、ここの天井も一般の拝殿とは異なって、平板を並べて張った『鏡天井』で、そこに狩野元信の筆による丸竜が描かれていまる。音羽の滝の水を飲むために、夜ごと天井を抜け出したという伝説で知られているこの竜は、いずれの方角から眺めても自分の方をにらんでいるように見えるところから、俗に『八方にらみの竜』とも呼ばれ、清水七不思議のひとつにも数えられている。
一方、総門は、横から見ると、个の形をした簡単な門ではあるが、正面は柱が鳥居の形となっており、丈夫に並んだ瓦の菊の文様が、古い時代の天皇との関わりを物語っている。
縁結びとして信仰のある当社は、大国主命を主祭神として、その父母神、素戔嗚命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめ)、さらに奇稲田姫命の父母神、足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)を正殿に祭祀。三代続きの神々を祀ることから、子授け安産の信仰も集めている。芸能と長寿の神さま大田大神、旅行安全・交通安全の神さま乙羽竜神、知恵と才能の神さま思兼大神を相殿に祭祀。末社には商売繁盛にご利益のある栗光稲荷社のほか、祓戸社、おかげ明神、撫で大国、水かけ地蔵、良縁大国を祭祀し、華やいだ境内の様相は、東京の原宿に見るような若者達賑わいを見る。
交通:JR京都駅、近鉄京都駅から市バス206番で12分。
阪急河原町、京阪四条駅から市バス207番で12分。
社伝によれば、地主神社の創建年代は、神代つまり日本の建国以前とされ、あまりの古さにその歴史は明らかになっていない。 しかし近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明され、「神代」の頃と推定される。
「神代」は『日本書紀』によると、紀元前660年以前を指し、考古学的視野に立つと縄文時代晩期といえる。
また地主神社の鎮座する辺りは、古来「名勝蓬来山」と呼ばれ、 不老長寿の霊山として信仰を集めてきた。 京都盆地が湖であった古代から、この蓬来山は陸地であり、信仰の場となっていた。
春になると、境内に咲く見事な桜は「車返しの桜」といわれ、弘仁2年(811)嵯峨天皇が行幸した折、その桜の美しさに3度車を返したという伝説が由来となった。
現在の社殿は寛永10年(1633)、徳川3代将軍家光の再建により、入母屋造りと権現造りの様式を兼ね備えた桧皮葺極彩色の華麗優美な建築は、双堂という奈良時代の様式をも今に伝え、わが国の神社建築史上、貴重な存在であるとして、国の重要文化財に指定されている。特に、社殿内部の華麗な極彩色模様は、平安朝の優雅さと桃山文化の雄大さを巧みに取り入れた彩色で、比類のない見事さである。
本殿は、一般には格天井(ごうてんじょう)か折上格天井であるところが、ここでは外陣、内陣ともに山形天井になっており、神社本殿の天井としては実に珍しい。本殿内外の極彩色や金箔を施した装飾金具は、目の覚めるばかりに鮮やかで、円柱のひとつひとつに描かれた金蘭巻文様(きんらんまきもんよう)が、柱によってそれぞれに異なり、図柄は「のし」模様や、「宝づくし」の模様に特色がある。
拝殿は、南側正面が崖になっているため、いわゆる舞台造りになっており、ここの天井も一般の拝殿とは異なって、平板を並べて張った『鏡天井』で、そこに狩野元信の筆による丸竜が描かれていまる。音羽の滝の水を飲むために、夜ごと天井を抜け出したという伝説で知られているこの竜は、いずれの方角から眺めても自分の方をにらんでいるように見えるところから、俗に『八方にらみの竜』とも呼ばれ、清水七不思議のひとつにも数えられている。
一方、総門は、横から見ると、个の形をした簡単な門ではあるが、正面は柱が鳥居の形となっており、丈夫に並んだ瓦の菊の文様が、古い時代の天皇との関わりを物語っている。
縁結びとして信仰のある当社は、大国主命を主祭神として、その父母神、素戔嗚命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめ)、さらに奇稲田姫命の父母神、足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)を正殿に祭祀。三代続きの神々を祀ることから、子授け安産の信仰も集めている。芸能と長寿の神さま大田大神、旅行安全・交通安全の神さま乙羽竜神、知恵と才能の神さま思兼大神を相殿に祭祀。末社には商売繁盛にご利益のある栗光稲荷社のほか、祓戸社、おかげ明神、撫で大国、水かけ地蔵、良縁大国を祭祀し、華やいだ境内の様相は、東京の原宿に見るような若者達賑わいを見る。
交通:JR京都駅、近鉄京都駅から市バス206番で12分。
阪急河原町、京阪四条駅から市バス207番で12分。