「花の詩」(新規)&「古都逍遥 京都・奈良編」

 京都・奈良を中心に古刹・名刹を紹介。「花の詩」は花にかかわる詩や短歌、エピソードなどを紹介。

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【花の詩】「つつじ」

2016年06月21日 16時41分34秒 | 古都逍遥「奈良篇」

花言葉は、「自制心」「節制」
*(赤)「恋の喜び」
*(白)「初恋」
*(ヤマツツジ)「燃える思い」
 ツツジ科の植物ですが、ドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものもある。春先にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができた。子供の頃は戦争・戦後の混乱期、甘いものが無かったこともあり花が咲くのを待ち構えていた記憶がある。
 現在の自宅近くにある京都宇治市の名刹「三室戸寺」の躑躅は世に知られており、バスツアーで大勢の人たちが訪れる。
毎年、その風景を写真に収めるのが楽しみでドライブ方々出かけている。また、長岡京市にある「長岡天満宮」の霧島躑躅も見事なもので、こちらにもツアー観光でたくさんの人々が愛でに来る。
◇[俳句]
 正岡子規が詠んだものを列挙してみよう
「妹が門つつじをむしる別れ哉」
「餅くふやよしずに見すく山つつじ」
「馬引てつつじの小道帰り行く」
「紫の夕山つつじ家もなし」
「つつじ咲く厳の上に橋かけたり」
「大磯や庭砂にして松つつじ」
「燃ゆる如きつつじが中の白つつじ」
「つつじ野やあらぬ所に麦畑」(与謝蕪村)
{ひとり尼わが家すげなし白つつじ}(松尾芭蕉)
『万葉集』柿本人麻呂
「つつじ花にほへ娘子桜花栄え娘子」
◇[和歌]
『新続古今集』建仁元年影供歌合に水辺躑躅の一句が 
{竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ}(藤原定家)
『古今集』題しらず、よみ人しらずの句
「思ひ出づるときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しきものを」
『後拾遺集』和泉式部の句
「岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば」
『夫木和歌抄』 西行の句
「神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ」
◇[詩集]
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)より
{つつじ}
小山のうへに
ひとりゐて
赤いつつじの
蜜を吸ふ

どこまで青い
春のそら
私は小さな
蟻かしら

甘いつつじの
蜜を吸ふ
私は黒い
蟻か知ら
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【花の詩】「サクラソウ」(桜草)

2016年03月25日 11時25分03秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉[編集]「青春のはじまりと悲しみ」、「早熟と非哀」、「運命を拓く」
春の訪れを告げるかのように白い水仙が可憐な花を開く、風が温み始めると梅が咲き杏子が咲き、そして染井吉野が咲く前に花開く野の桜、そうそれが「サクラソウ」(桜草)である。

 「桜草」は、日本の原野の湿地に自生するサクラソウの園芸品種で、江戸時代より広まり始めた。冬から早春にかけて園芸店に並ぶプリムラと同じ分類だが、家庭では栽培されることが少ない春の花「日本さくらそう」である。江戸時代中期頃、荒川の原野に野生するサクラソウから本格的な栽培が始まり、種子まきを繰り返すうちに、白、桃、紅、紫、絞りなどの色変わりや、大小さまざまな花形の変わり品が生まれ、名称が付けられたようだ。やがて江戸時代後半になると品種数も非常に増え、文化元年(1804)から新花を持ち寄り品評することが始まったと伝わる。愛好者は旗本など上級武士が多く、「連(れん)」と呼ばれる2~3のグループが成立し、新品種の作出を競い合ったという。文化から天保年代にかけて最も盛んなだったようだ。

 自生地では林間の湿性地や原野の草間に生え、ときに群生する。地中に根茎があり、春に発芽して5~6葉を根生し、高さ15~40cmの花茎を直立させ、5~10個の花をつける。葉柄は長く、葉は楕円形でしわが多く、縁に浅い切れ込みがあり、葉や茎に白い軟毛が生える。花は直径2~3cmほどで、花弁が5個に深く裂け、さらに各弁が半分近く裂ける。
淡紅色でまれに白花もある。花後、球形の果を結ぶ。新しい根茎は地際にでき、梅雨明けの頃、葉が枯れて休眠する。夏の暑さと乾燥には弱いが、日本の気候風土に合っており花は美しく清楚。

 埼玉県さいたま市桜区の「田島ヶ原サクラソウ自生地」は国の特別天然記念物に指定されている貴重な群落である(桜区の区名も桜ではなく桜草にちなんで命名されたと言われる)。荒川流域のこの一帯は、下流の戸田ヶ原、浮間ヶ原などとともに、江戸時代から桜草の名勝地として人々に親しまれてきた。しかし、治水工事や工場の開発などによって群生も範囲を狭められていったが、この群生を守るため、
大正9年(1920)に天然記念物に、昭和25年(1950)に特別天然記念物に指定された。
 一方、桜草に関する風習では、魔女や妖精の害を防ぐ役を果たすといわれている土地もあり、古くイギリスでは復活祭の協会の装飾に桜草が使われ、スッコトランドではその日に桜草を球形に束ね、その真ん中に6弁の白いアネモネを挿した花束を作る習慣がある。

【俳句】
「我が国は 草もさくらを 咲きにけり」小林一茶
「葡萄酒の 色にさきけり 桜草」永井荷風
「アルプスの 雪痕窓に 桜草」山口青邨
「咲きみちて 庭盛り上がる 桜草」山口青邨
「目離せば消ぬべき雲やさくら草」千代田葛彦
「夜の部屋に日向の色の桜草」片山由美子

【川柳】
「桜草きみはまだ見ぬ雲がある」神谷三八朗
「桜草陽は燦々とくるくると」川上三太郎
「姉の手にうなだれてよし桜草」山本磯駒
「わが胸に春がくるくるさくら草」松尾文代
「知り初めた恋恥じらうか桜草」船本ヒデ子
「あなたもですか私も好きな桜草」松田京美

【詩】小林ケン氏(福岡県)ブログ(http://ameblo.jp/ken1a4/entry-11501965239.html)
[桜草](2013-3-31)
 サクラの花が咲く丘に
 あなたは
 ひっそり咲いていた
 誰も名前を知らないけれど
 小さい花が桜草

 サクラの花が舞う丘で
 あなたは
 健気に揺れていた
 誰も気づいてくれないけれど
 紅紫色した桜草
 
 サクラの花が散った丘
 あなたも
 静かに散っていた
 誰も泣いてはくれないけれど
 春を夢見て桜草
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京都吉峰寺の秋明菊(貴船菊)

2015年10月18日 22時16分15秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 心地良い日差しの中、京都洛西の「吉峰寺」へ行ってみた。その道すがらにコスモスが群生していたのを記憶していた。だが、残念、すっかり取り払われていた。
 寺に入るといきなり「秋明菊」(別名「貴船菊」)が出迎えた。ところがそれだけではなく、山内いたるところに秋明菊が咲いている。石段沿いに植えられていた程度だったが、そこかしこに咲き乱れている。これは嬉しい。もう夢中になり3時間も山内を歩き回りやたらと撮りまくった。結局、大したものは撮れず、じっくり撮影すべきだったと後悔しきりだ。10時30分に撮影を始め14時頃山を下りた。こんなに秋明菊が咲いていなかったら、亀岡のデカンショ街道まで行き、その沿線に休耕田を利用したコスモス畑がある。それを撮る計画だったが、吉峰寺だけで十分楽しめたし気分も爽快だった。

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淀の河川敷の葦の穂が煌めいて

2015年10月17日 00時36分47秒 | 古都逍遥「奈良篇」
今日というよりもう昨日となったが、夕焼けに映える「葦の穂」が煌めいていて美しい景色を醸し出していた。すぐにカメラを取り出しベランダから三川合流地点の淀川越しに焦点を合わせ撮影。レンズは200mmに。  夕焼けの頃はいつも河川敷あたりからモヤが発生し帯状になって覆う。夕焼けとモヤとのマッチングが最高。毎日のようにカメラを向けるがその日によって夕焼けの光景に変化がある。昨日のは程よい光線で、ここ数日の中でも一番絵になった。

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花の詩「アザミ(薊)」

2014年10月17日 10時02分12秒 | 花の詩

[花言葉]:独立、厳格、復讐、満足、触れないで、安心。

『薊の花も一盛り』(あざみのはなも ひとさかり)という言葉がある。
 これは、「器量のよくない女性であっても、年頃になるとそれなりの魅力や色気が出るものだ」という喩えとして使われた言葉のようだ。
こんな言葉はもう死語となっているだろうし、現代ではもはやセクハラの疑いを受ける言葉でもあろう。
 アザミはその喩えのごとく愛される美しい花として受け止められていなかったということなのだろうが、数年前、乗鞍岳へ写真撮影旅行に出向いたとき、白樺林を背にした一輪のアザミが目に留まった。それは楚々としてまた凛とした姿が鮮烈に目に焼き付いた。その魅力、魔力に魅せられ引き寄せられるかのように私はカメラのシャッターを切った。

 こんな切ない歌がある。読者の方々もよくご存じだろう。
「山には山の愁いあり
海には海のかなしみや
ましてこころの花園に
咲きしあざみの花ならば
高嶺(たかね)の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
くれない燃ゆるその姿
あざみに深きわが想い
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は果てなくも
香れよ せめてわが胸に」
 そう、「あざみの歌」である。この歌、私は大好きで若かりし頃の十八番の歌で、歌手気取りで朗々と歌っていたものだ。

 あざみを直接挿入した詩ではないが、建築家・立原道造氏がうたったものがある。
『薊の花のすきな子に』
「風は 或るとき流れて行った 
絵のやうな うすい緑のなかを
ひとつのたつたひとつの人の言葉を
はこんで行くと 人は誰でもうけとつた
ありがたうと ほほゑみながら
開きかけた花のあひだに
色をかへない青い空に
鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた
気づかはしげな恥らひが
そのまはりを かろい翼で
にほひながら 羽ばたいてゐた… 
何もかも あやまちはなかつた
みな 猟人も盗人もゐなかつた
ひろい風と光の万物の世界であつた」

 薊は葉や総苞にトゲが多く、頭状花序は管状花のみで作られていて、花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出し、これも針山のような状態となる。花色は赤紫色や紫色をしている。
 芽吹き育ちはじめたころは根出葉があり、次第に背が高くなり、茎葉を持つが、最後まで根出葉の残る種もある。草原や乾燥地、海岸などに出るが、森林内ではあまり見かけない。別名刺草。名前の由来は、アザム(傷つける、驚きあきれる意)がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説がある。
 それ裏付けとなる一説が、沖縄の八重山地方で、とげを「あざ」と呼ぶことから「あざぎ」(とげの多い木)と呼ばれ、それが転じて「あざみ」になったとか。

[俳句]
「富士に在る花と思えばあざみかな」(高浜虚子)
「花は賎のめにもみえけり鬼薊 芭蕉(詞林金玉集)
「石原やくねりしまゝの花あざみ」(白雄「白雄句集)

[和歌]
「口をもて 霧吹くよりも こまかなる 雨に薊の 花はぬれけり」(長塚 節)
「あざみ草 その身の針を 知らずして 花とおもいし 今日の今まで」(作者未詳/続鳩翁道話)
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花の詩「石楠花」

2014年08月14日 10時13分16秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉は「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」

若いころは夏になると登山も楽しんだ。男体山や白根山を経て奥日光(鬼怒川上流)へと通じるルートが特に好きだった。そして鬼怒川の上流の鄙びた温泉宿(登山者が多い)に宿泊し翌朝川治へと向かい鬼怒川を経て東武鉄道で帰路についたものだった。
 そんな夏になると思い出すのがこんな歌だ。

「夏の思い出」
江間章子作詞、中田喜直作曲

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

 新婚時代、勤務先の任務で東北の秋田で5年暮らした。その頃、親しくなった得意先の社長から「白山石楠花」の盆栽を頂戴したことがあり、以来、石楠花という花が好きになり、写真を趣味にするようになってから季節になると撮影したものだ。

 石楠花は、ツツジ科ツツジ属で、いずれも派手で大きな花に特徴がある。花の色は白あるいは赤系統が多いが、黄色の場合もある。
 葉はロードトキシンという痙攣毒を含む有毒植物で、摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがある。葉に利尿・強壮の
効果があるとして茶の代わりに飲む習慣を持つ人が多く存在するが、これはシャクナゲに「石南花」という字が当てられているため、これを漢方薬の「石南(オオカナメモチ)」と勘違いしたためであり、シャクナゲにこのような薬効は存在しないとある。
 その昔、神に捧げる木、忌み木とされ、庭木や植栽にする類の花木ではなかったようで、西欧で品種改良が行われ、明治の末に「西洋シャクナゲ」が渡来し一般的になっていった。
 漢字の「石南花」は中国産の別種だが、誤ってこれを用いて「しゃくなんげ」となり次第に「しゃくなげ」になったという説や、背丈がやや低い姿から、「尺なし(しゃくなし)」から転じ「しゃくなげ」になったとの説もある。

 京都の奥山、雲ケ畑にひっそりと佇む古刹・志明院(しみょういん)がある。
 ここに天女の衣を覆い尽くしたように光輝く花、石楠花が自生している。
 市の天然記念物に指定されている境内の石楠花林は4月下旬から5月上旬が見頃。
 司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれたといわれている。

 「賀茂川をひたすら上流へとさかのぼってゆく。バスの車窓からはリズミカルに並ぶ杉の美林や、しだいにその川幅をせばめところどころに瀬をつくっている賀茂川の清流が見え、大自然の景色を楽しむことができる。そんな景色にもやがて飽きてきたころ、左右の山がひらけ民家が点在するようになる。そこが雲ヶ畑、中には茅葺きの家もありのどかな趣をもつが、かつて平安京造営の際、この地の材木を使ったといわれ、また皇室とのゆかりも深かったところである。志明院は雲ヶ畑にそびえる岩屋山の山腹にあり、終点の岩屋橋でバスを降りそこからさらに奥へと歩く。たどりついた志明院の境内はさすがに山の中だけあってひっそりとし、鳥のさえずりやせせらぎの音のみ聞こえていた。」(古都逍遥より)

【石楠花を詠んだ歌】
「石楠の谷ありいまだ雪をしき」青邨
「石楠花や谷をゆるがす朝の鐘」秋櫻子
「石楠花に三千院の筧水」蛇笏
「石楠花の紅ほのかなる微雨の中」蛇笏
「石楠花に馬酔木の蜂のつく日かな」石鼎
「石楠花に手を触れしめず霧通ふ」亞浪
「石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな」赤彦
「ひかり染むやまふかくして咲きにけり石楠の花いはかがみのはな」茂吉
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花の詩「すみれ」

2014年05月28日 11時54分10秒 | 古都逍遥「奈良篇」


 [花言葉]は小さな愛。温順・謙虚・謙譲・謙遜・・控え目・無邪気な恋・愛・思い・純潔・誠実・小さな幸せ・つつましい幸福・貞節、慎み深さ・ひかえめなど多岐にわたる。
◇紫:「貞節」「誠実」
◇白:「誠実」「謙遜」「あどけない恋」「無邪気な恋」
◇黄:「牧歌的な喜び」「慎ましい喜び」

 すみれと言えば、自然とこんな歌が口からこぼれ出す。

 「春 すみれ咲き春を告げる
  春 何ゆえ人は汝を待つ
  たのし悩ましき
  春の夢甘き恋
  人の心酔わす
  それは汝すみれの咲く春
  
  すみれの花咲くころ
  はじめて君を知りぬ
  君を想い日ごと夜ごと
  悩みしあの日のころ
  すみれの花咲くころ
  今も心ふるう
  忘れな君われらの恋
  すみれの花咲くころ
  忘れな君われらの恋
  すみれの花咲くころ」
  (作詞 Fritz Rotter 白井鐵造
   作曲 Franz Doelle)

 宝塚歌劇団のシンボル曲というかテーマソングとなっているこの曲、甘く切ない歌である。
 “すみれ”ってそんな抒情的な香りを醸し出す可憐な花。野に群生するすみれも良いが、
 小さな花鉢に一輪という“すみれ”も愛おしい。
 宝塚歌劇団創立100周年を迎えた今年、いろんな記念行事が繰り広げられているが、そこに流れるこの「すみれの花」の歌は人々の心を虜にしまた癒しているている。

「菫(すみれ)」
 開花時期は、3月初旬から5月上旬で、花の形が大工道具の「墨入れ」に似ていることに由来する説があり、「すみいれ」が「すみれ」へと変化したという。

 すみれは古来から愛されていた花で、万葉集にもみられる。
 「春の野に菫つみにと来(こ)し我そ
   野をなつかしみ 一夜寝にける」(山部赤人)


花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きい。花茎は根際から出て立ち上がり、上からうつむき加減に下を向いて花を開いている。
 昔から山菜としても重宝され、葉は天ぷらにしたり、茹でておひたしや和え物になり、花の部分は酢の物や吸い物に。しかしパンジーやニオイスミレなど有毒なものがある。

こんな話がギリシャ神話にみられる。
「美しい娘イオには羊飼いのアティスという許婚がいた。しかし、太陽神アポロンがイオに恋し追いかけまわしていた。すると、女神ディアナがアポロンから守るためイオの姿をスミレに変えた」。
 また、有名な話に、ゲーテの詩にモーツァルトが曲をつけた歌曲「すみれ」が知られている。
 
 和歌や俳句にもすみれは多く登場している。
 「しばしとて出こし處もあれにけり 蓬のかれ葉董まじりに」(藤原定家)
 「古郷の昔の庭を思出でて すみれつみにとくる人もがな」(西行)
 「こよひ寝て摘みて帰らむ菫さく小野の芝生は露しげくとも」(中納言国信)
 「故郷の志賀の都のすみれ草 つむ人なしに花やさくらん」(綱吉)
 「春の野にさけるすみれをてに摘みて わがふるさとをおもほゆるかな」(良寛)

 「山路(やまじ)きて なにやらゆかし 菫草(すみれぐさ)」(松尾芭蕉)
 「玉透のガラスうつはの水清み 香ひ菫の花よみがえる」(正岡子規) 
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花の詩「土筆(つくし)」

2014年04月28日 10時10分43秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 花言葉は「向上心」「意外」「驚き」「努力」

 「くれなゐの 梅ちるなべに 故郷(ふるさと)に 
    つくしつみにし 春し思ほゆ」(正岡子規)

 東北に住んでいたとき、春の訪れが待ち遠しく思う気持ちが強いということを初めて知った。
 九州で生まれ育った私には数か月もの間、鼠色の厚い雲に覆われ、来る日も来る日も降りしきる雪、そして絶え間なく積る雪の雪かきをしなければならない、冬の暮らしの厳しさを体感した。
 そして弥生の半ば過ぎ、凍りついた雪をスコップでかき出したとき、雪の下に埋もれていた雑草の緑がまぶしく目に差し込む。春、春が来た。春をこれほど感動的に感じたことがなかった、と思った。
 梅が咲き、根雪が溶け、野草の中にまじって土筆が芽をだし、袴をつけてすくと青空に伸びていく。そんな風景は不思議と故郷と結びつく。

 「土筆」は木賊(とくさ)科の仲間で、学名を「杉菜(すぎな)」という。
 呼び名の由来を調べてみると、ラテン語の「馬」と「刺毛」に源を発し、輪生するスギナの細い枝の形を馬のしっぽに喩えたとある。そして土から出てきた胞子茎は、伸びきる前は先端まで「袴」に覆われ、その形状が「筆」に似ていることから「土筆」という字を当てられるようになったそうだ。また一説では、「澪標(みおつくし)」(船が港へ入る通路を示した杭)のつくし」で、突き立った杭のように見えるからともある。

 春の七草は、冬場の栄養不足を補うために「七草粥」にして食する習慣があるが、私は七草より土筆料理の方が好きだった。袴を取って茹でて灰汁を抜き、「玉子とじ」「茶碗蒸し」「吸い物」などにして味じあう。また、「天ぷら」は水洗いして、よく水を切ってから衣を付けて油で揚げるとよい。
 生薬栄養茎の全草を乾燥させたものは生薬名を問荊(もんけい)といい利尿作用がある。生薬としてのスギナの効用は古くから伝承されていたが、近年、花粉症対策としての効能があるとも聞く。

[俳句]
「まゝごとの 飯もおさいも つくしかな」(星野立子)
「つくつくし ここらに寺の 跡もあり」(千代女)
「古草に うす日たゆたふ つくしかな」(芥川竜之介)
 
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花の詩「仏の座」

2014年03月21日 11時07分29秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 

 花言葉:「調和」

 暑さ寒さも彼岸まで。春の陽ざしが燦燦と輝き始めるころ、先人たちは冬の栄養不足を補う生活の知恵として、田畑に生える草、「七草」を摘み「お粥」にして食べて滋養をつけた。その風習は現代にも脈々と受け継がれ、今ではスーパーなどで七草をパックして売っている。私は毎年食べることはないが、ふと思い立ったように「七草粥」を食べたくなることがある。

 凍てつく寒さもゆるみはじめたころ、咲きはじめる紫紅色の筒状の唇形の花をつけるのが「仏の座」、何とも優しく可愛い花だ。
 
 『君がため 春の野に出でて 若菜摘む
   我が衣手に 雪は降りつつ 』(古今集 光孝天皇)
 
 春の七草は平安時代に四辻善成左大臣が詠んだと言われる『芹なずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草』という和歌があまりにも有名で、緑の少ない初春、土筆と共にこれらの草花が春風にささやかれるように芽をふく。この和歌は左大臣の作と言われる一方で「詠み人しらず」とされている。

 仏の座はシソ科とキク科の2種類がある。
 一般的に知られているのがシソ科のようで、高さ10~30cm。畑地に多い二年草で花は紫色をしている。茎を取り囲んでつくようすを蓮華座(れんげざ)に見立てこの名が付いたという。子供のころは花びらを抜き取り、蜜を吸ったことがある。また、ギリシャ語の「laipos(のど)」が語源で、葉の筒が長くてのど状(喉仏)に見えることに由来するとの説もある。が私は前者を支持したい。
 この草は見つけることが容易でみんなこれが春の七草と思っているようだが、実のところ七草として食用にしている仏の座は、高さ10~20cmほどで、田畑に多くなる二年草で花の色は黄色。呼び名は「コオニタビラコ」(小鬼田平子)といいキク科で、これが春の七草で言う「仏の座」である。若い葉を食用としている。ロゼット状の葉が地面にへばりつくように生えていることからなかなか見つけられない。花が終わると果実は丸く膨らみ下を向く。
《俳句》
◇「犀川のほとりに沿へば仏の座」(鷹羽狩行)
◇「七草のひとつ足らぬは仏の座」(小林輝子)
◇「夜は海が近づくといふ仏の座」(中尾寿美子)
◇「日のひかりひとときとどき仏の座」(山口 速)
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花の詩「サンシュウ(山茱萸)」

2014年02月27日 21時42分51秒 | 古都逍遥「奈良篇」
花言葉:「持続」「耐久」「強健」

 うららかな陽ざしになると、九州生まれのせいだろうか、ふとこんな歌が口をついて出てくる。
『庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ ヨーオー ホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨ…』
(宮崎県椎葉村民謡「稗つき節)

 早春の花木として、庭や生け花などに重宝されるサンシュユ、小粒の黄色い花が
ほんのりと可憐で綺麗だ。花の色のためか別名は「ハルコガネバナ(春黄金花)」とも呼ばれている。
 秋になると赤い実が成り食べられる。もともとは薬用として渡来したもので、漢方薬としては
干したものは強壮薬になると言われている。また、果実酒にもなり初めは赤色だが時間がたつに
つれ飴色になる。
 
 民謡「稗つき節」に唄われたサンシュウの木は実は、椎葉村に沢山生えていた「山椒」の木だと
もいう。サンショが訛ってサンシュウになったという説がある。
 この唄は、壇ノ浦の戦いで宮崎に逃げた平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎との禁じられた恋で、
人目を忍ぶ愛を歌ったものと言われ、サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」という
合図だった。
 唄の4節、5節、6節にその物語がつづられている。
『おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーオー ホイ おどま追討(ついと)の 那須
(なす)の末ヨ
 那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて ヨーオー ホイ 椎葉(しいば)立つと
きゃ 目に涙ヨ
 泣いて待つより 野に出て見やれ ヨーオー ホイ 野には野菊の 花盛りヨ』。

 サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮といわれ、日本に伝わって来たのが、享保年間(江戸
時代k1720年)と伝わっている

《俳句》
 「三椏の花雪片の飛べる中」(山口青邨)
 「三椏の花のうす黄のなかも雪」(大野林火)
 「三椏の花の光陰流れ出す」(森 澄雄)
 「雨やさし三椏三つに咲くことも」(安住 敦)

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