晴れた休日は自転車に乗って! (akio)

古希も過ぎた爺の「気楽な自転車散歩」やチョット頑張った「サイクリング」の備忘録(ボケ防止かな?)

「東海道53次自転車旅」その5(関宿~三条大橋)

2013-09-27 20:44:09 | 東海道五十三次自転車旅

四日目はココをクリック 

 

5日目 9月26日(金)

 

夕べからゴー・ゴーと車がうるさいな~と思っていた。いやいや風の音であった。

こんな強風の中、走っていて何かあったら大変と心を過ぎったが、決行する。

さて、今日は鈴鹿峠越えだ、早く出発しなければ、朝食はキャンセル、薄明るくなり始めた頃の5時半に出発する。

途中、コンビニで飲み物といつものおにぎりを買う。

しかし台風の余波であろうか、強風、それも向かい風だ。ペダルを回しても進まないし、時折の凄さまじい横風で倒れそうになる。(こんなの初めての経験。)

車はダンプが多いし焦るし、断念しようかと心が折れそうになる。(絶対に車の運転手さんは、あいつ「馬鹿だ」と思ったに違いない。)

しばらく走っていて山間に入ると風の影響は先ほどより多少は受けない。

昨日、坂下からは大変だと聞いていたので、覚悟を決めていた、坂下1、2、3・・・と続くが一向に激坂にならない、坂下宿(48番)に寄らねばと思ったがパスする、そのうちここから6.1%だったかな?そんな標識が目につくが苦にならない中、上って行くとトンネルが見える。

えっ、「もう上ったの」という感じであった。

自分は「健脚なのだろうか」と勘違いするほど余裕で上れた。(と、言うことで、自転車から降りることがなかったので、途中の景色は撮れませんでした。)

トンネルを通過し写真を撮る。(滋賀県だ)   出発してから1時間もかかっていない。風が無かったら、どれくらいの時間で上れるのだろうと思った。

 

ここから下ると土山宿(49番)                             途中に松並木が  ここから暫く行くと水口宿(50番) 野洲川 を通る。  この宿場も風情漂う街並みである。

また、ここから14km先が石部宿(51番)。               

さて次は12km先となる草津宿(52番)ここは草津駅の繁華街の奥に少しばかり面影が残っている。      建部大社 から瀬田の唐橋    近江大橋へ  大津宿(53番) ここから逢坂の石碑    山科追分から山科駅前 に出る。

ここまでくればゴールはすぐそこだ。

京都三条大橋通りを真っ直ぐ進む、坂を上って、下だり、さらに進むと三条大橋だ。

13時49分に三条大橋に到着。疲れや達成感を味わうことなく、ごく自然に写真を撮る。

           通る人々にも目をくれずに。

どうも達成感や満足感が湧いてこない、不思議な感覚である。

 

その後、四条にある息子の嫁の実家 (京都に行ったらお店によってね!)に突然のご挨拶、何とビックリ(当たり前だ、突然行くなんて)非常識だと思われる覚悟であったが、歓迎された。

(お店の宣伝しておきますね・・)しばし会談。

その後大阪まで走ろうと思ったが、何となく多少お疲れモード。市内をふらふら、時間はまだ15時である。

帰り支度しても、新幹線に乗れば19時頃には自宅に戻れるだろうが、お風呂にも入りたいし、ホテルにチェックイン。

明日帰ることにする。  自転車の点検をする。  

やはり、疲れていたようだ21時過ぎには、うとうとし就寝となる。

本日の走行距離 106.54km

 

6日目 9月27日(金)

 

午前中観光して、帰ろうとしていたが、やはり今日は早めに帰ることにしよう。

ホテルで8時過ぎに朝食後、 帰宅準備に入る。

京都駅から新幹線に乗り、  

東京駅へ、 往路に4日と半日かかった旅の復路は、たったの2時間20分でした。(笑)

文明・文化の発達、特に交通機関の発達は凄まじいですね、家康公もビックリでしょう!

東京駅→池袋→最寄駅と乗り継ぎ15時前に自宅着、やはりホットする。

 走行距離 1日目 162.63km、 2日目 148.88km、 3日目 141.23km、 4日目 97.39km、 5日目 106.52km、 6日目 2.04km

        計 658.69kmでした。

 

今回の旅で感じたこと

先ずは、自分自身に事故なく、無事に達成できたこと、相棒(自転車)のトラブルがなかったこと。(ただし、京都で、ホテルへ向かう途中にリム打ちパンクあり。何で京都でという感じ?)

大袈裟ですが、江戸時代の人々の旅の様子がいかに大変であったか、少しだけ理解し実感できたこと。(徒歩ならばもっと体感できただろう。)

① やはり天候に恵まれたこと(雨に降られれかった。(ただし、残暑や最終日は強風)

② 事前準備がある程度できており、道には殆ど迷わなかった。(ただし、資料が多く、A4用紙100枚位、アナログ人間です。)

③ 年齢や体力に関係なく普通に健康であれば、無理をしなければ、自転車で長旅ができることを実感。(今回は先を急いでしまった部分もあった。そのため、ゆっくり観光できなかった。)

   (62歳、身長164.8cm、58㎏ 至って普通体型、いや小さいです。)

④ 偉そうに、こんなことはあまり言いたくはありませんが、気力・実行力が必要なこと。

⑤ もう少し緻密な計画をしなければならないこと。(宿泊先、見学場所等:見学場所はある程度的を絞り込むこと、今回は思いつくままであった。)

⑥ 私は日本史が得意ではない。、歴史や訪れる地の事を、事前にもっと調べる必要があったこと。(もっと楽しい旅になるはず。当たり前です。)

反省点は沢山あり、書ききれません。 

今回の旅での苦楽

  一番苦しかったのは、何と言っても旧箱根峠越え、ここまで140km位は走ってきていること、上り始めたのが15時半と遅かった事もあり、焦っていたので最初に飛ばしてしまったことで、途中で息切れ状態、右足裏痛と左ひざに痛みを覚えた。七曲りの坂では休憩ばかりとなってしまった。結局芦ノ湖に到着したのは17時半、2時間を要してしまった。次回挑戦するときは早い時間、そしてペース配分を考え、落ち着いて上って行くこと。(単なる実力不足なだけである。)

② 鈴鹿峠は東海道第2の難所であるが、箱根峠に比べれば比較にならないほど楽である。実際、私の実力でも何の問題もなくスイスイと上っていけた。上りの距離は7km程度である。

③ 怖かった下り、何といっても箱根峠から三島までの下り坂、昼間では楽しいのだろうが、日没後だったので、非常に危険な状態であった。(私みたいな事をする人はいないでしょうね。)

④ 一人旅だったので、それこそ苦楽を同時に共有出来なかったこと。

⑤ 食事がおろそかになること。(食にこだわりがないせいか、一人だと地に特化した美味しいものも、どうでもよいと思い、食せないこと。)どうしても一人だとコンビニに寄ってしまう。

⑥ 一人旅の自由さ、そしてわくわく感、冒険心はたまらない楽しみであった。

⑦ 気に入った宿場は数知れぬ、景色の良さは、原宿~由比宿、風情漂う関宿や土山宿、さらには御油宿~藤川宿が良かった。もちろん舞坂宿~白須賀宿も良い。

以上、まだだま沢山ありますが、これから自転車で「東海道53次」の旅を検討している方の、少しでも参考になれば幸いです。

参考1日目はこちらをクリック 

 

コメント (6)
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「東海道53次自転車旅」その4(宮宿~関宿)

2013-09-25 23:15:01 | 東海道五十三次自転車旅

三日目はココをクリック

 

4日目 9月25日(水)

 

朝5時半起床、6時半にホテルで朝食後出発する。

今日も良い天気、いや厳しい残暑である。

東京方面は雨で寒いとの情報である。

まず、熱田神宮へお参りに行く。      

続いて、七里の渡し跡を見に行く。             ここで休憩、8時である。

昔の人は、ここからは桑名までは7里の船旅である。

 

さて、桑名までは、ひたすら国道1号を走る。それにしても名古屋は車が多いし、皆さんスピードが凄いのにビックリである。

 

桑名までは概ね28km、尾張大橋 や伊勢大橋  を通り(この2つの橋も景色が良かった。)

 

9時20分に桑名宿(42番)に到着する。               

桑名宿も渡船場として栄えた町である。今は昔の面影は残っていないものの、町は東海道の宿場であったことを大切にし、旧東海道の姿を守っていることが伺えた。

桑名宿の見学を終え、9時52分に出発。

さて、次は四日市宿(43番)約13km、このあたりはもう「かんかん照り」さすがにスピードも出ない。寝不足と暑さのせいもあり、頭がもうろうとし、眠気を誘う。四日市宿も規模は大きいが、全く当時の面影は感じられない。  四日市駅近くのコンビニで休憩とする。11時10分頃(ここで1回目?の昼食、またしても、おにぎりやパン、そして飲料水の補充をする。)(食べなければ体力持ちません。)

そして、眠気も去り気合を入れて、石薬師宿(44番)・庄野宿(45番)に向う、ここは鈴鹿市である。多少の上りが続いているが、苦にはならない。

この2つの宿場はほど近い。石薬師宿見学、            そして庄野宿            を見学、この辺りは結構、面影も残っていて風情漂う街並みとなっていた。気に入った宿場である。

さて、ここから、亀山宿(46番)までは約8km、13時過ぎに到着する。

亀山宿は古い街並みと、           新しい街並み     が見られたが、町は商店街も綺麗に整備されていた。亀山城跡     では写生する人々の多さに驚く。

亀山宿ではゆっくりと見学し、13時53分、関宿(47番)に向け出発、関宿までは約6kmと近い。  まずは見学前に、2回目の昼食、いや、おやつかな?  

今日はここに宿泊予定とする、実は以前から関宿に宿泊したかったのである。

ほとんどの宿場が昔の面影を失っている中、ほとんどがそのまま残っている町並みであり、ゆっくりと見学をしたかったからである。

 

道の駅で一応、宿泊先場所情報を尋ねてみた、親切に教えていただきました。実は「関ロッジ」しかないことを知っていた。(小さい旅館はあるのかな?)

また、鈴鹿峠を越えるとホテルはあるか聞いてみたが無いと一言、それより今からだと、暗くなるし坂下から先は特にキツイ上りになるから峠は無理と言われる。

そういう事と思い、まだ時間も早いし、見学後               「関ロッジ」に向った、急坂を上って着く。

本日は満室とのことである。「(えっ!(泣)」 平日なので余裕で泊まれると勝手に思い込んだのが間違いの様だ。(反省) 確かに観光客で溢れてはいたが・・・。

ここで少しだけ焦ることになる。ロッジの人に尋ねると亀山にはホテルがあるという。それは十分承知の事である。

こんなこともあるでしょう、戻ることとなる。3km程度戻り、ホテルあり、17時半頃にチェックイン、  夕飯は?さっき道の駅で食べたばかりだし、おにぎりも2つ残っているし、おつまみも持っているのでビールのみ購入する。

そして、いつものストレッチ、東海道第2の難所である鈴鹿峠に備え十分に行う。

本日の走行距離 97.39km(おや、100km超えていない)

 続き(5日目)はこちら 

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「東海道53次自転車旅」その3(袋井宿~宮宿)

2013-09-24 23:59:07 | 東海道五十三次自転車旅

二日目はココをクリック

 

3日目 9月24日(火)

3日目の朝を迎えた。今日も天気は晴れそうだ。 残暑も厳しそう、すでに顔も手も足も真っ黒に日焼けしている。

今日は静岡県を脱出できるかどうか?何と言っても静岡県には22宿場がある、後5宿場が残っている。

ホテルで朝食後 7時前に出発する。道路は渋滞気味である。この辺りの人は浜松に出勤するのだろう。

見附宿(28番)までは6kmだ、この町(磐田市)はサッカーの「ジュビロ」一色の町だ、いたる所に看板が 着くと高校生たちの通学ラッシュだ。町は車と人で溢れている。(写真ではわからないけれど)予想以上に大きな町である。    を見学する。

さて、天竜川に出て渡ろうとすると歩道がない、   車はラッシュ、1号線に出て、川を渡ることとなる。 

天竜川は「暴れ天竜」で有名です、かつては氾濫が多かったからですね。

天竜川を渡り   旧東海道に入ると本当に静かである。    安間一里塚前でしばし休憩、8時である。  水分補給後走ると松並木が続く。  しばし走ること、次は浜松宿(29番)だ。 ここも特に興味がなく(家康公に怒られるかも)、  すり抜けることとする。

舞阪宿(30番)に着く、 松並木が出迎えてくれた、     松並木を通り過ぎると   浜名湖、弁天島である、美しい風景に見とれ休憩。  ここで首にかけていたサングラスのレンズがないことに気付く、まあいいか、時間は9時40分だ。少し走ると新居宿(31番)関所跡          

暫く行くと本陣跡などがあり宿場の中心地点   本陣   、しばらく走り、塩見坂 を上って行くと白須賀宿(32番)、       二川宿(33番)       いよいよ、ここから愛知県だ。

ここを見学後、案内図を見間違えたことに気付く、今回の旅で初めてのことである。高札場跡を見た後、真直ぐに行かなければならない所を右に折れたらしい、ここの矢印は右方向に見えたのである。しばし田園風景の中をさまようこととなる。間違ったと思うと気も動転します。スマホで位置確認をするが、おや大した間違いはないようだ、この近辺をうろうろしたらしい。工事の方に聞くと1号線に出てはというので出てみると二川駅の手前であった。 ここで休憩12時(コンビニで昼食) パンやメンチカツなどを食べる。(普通は鰻など食べるんでしょうが、食にはこだわりがないので。)     

ここからしばらく行くと吉田宿(34番)である、昔の面影は感じられない、ここでは吉田城を見学する。        

次の宿場は御油宿(35番)吉田宿から10km程度、吉田大橋でパチリ、  御油宿に着く          ここの街並みは昔の面影が実によく残っている、お気に入りの宿場だ、    しばらく行くと赤坂宿(36番)。  

       

暫く走ると藤川宿(37番)ここも松並木だ           (歌川豊広の句) 大平を通り         岡崎宿 (38番)へここは岡崎城を見る、    ここで暫し休憩15時過ぎだ。まだ先に行けそうなので15km先の池鯉鮒宿(知立宿)(39番)に向う、知立城跡等を見学後       ホテルを物色、ある、ある、しかしこの時点でまだ16時半、日没まで1時間はある。

鳴海宿(40番)まで頑張ろう!鳴海までは10km強、30分もあれば17時には着くはず、途中で桶狭間古戦場を見学し、 このまま国道1号を走る。道路は混み始めてきた。

ここでもうじき日没だ、宮宿(41番)まで行ってしまおう、熱田神宮に着く、もう暗くなってきた。  日が沈むと一気に真っ暗になる。

早速ホテルを探しチェックイン、 ここでは自転車はロビーの端にある階段下のオブジェの奥に止めるよう指示される。

階段下なので目につかない場所だったので良かった。

夕食を食べようと神宮商店街の方に写真をとりながら歩いていると、どうもカメラの調子がおかしい、昼間カメラを落とした時なんだろうか?レンズのズームが突然反応しなくなった、良く今まで正常に働いてくれた。しかし今は完全に壊れたのだ。

予備のカメラを持ってきて良かった、明日からも支障はない。

取りあえず食事だ、しかし商店街は殆ど閉店している、 仕方なくコンビニでカツカレーやビール等を購入しホテルに戻る。

付いてない日だ。

本日の走行距離 141.23km

 続き(4日目)はこちら

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「東海道53次自転車旅」その2(三島宿~袋井宿)

2013-09-23 23:59:35 | 東海道五十三次自転車旅

1日目はココをクリック

 

2日目 9月23日(月)

夕べの雨もすっかり上がり、静岡地方は今日も残暑が厳しくなる予報だ。

ストレッチ効果?昨日は箱根峠を越えたにも関わらず前日の疲れは出ていない、明日からが思いやられそうである。(この年齢になると、翌日には筋肉疲労が出ないのである。)

さて今日はどこまで行けるやら?

 

三島のホテルで朝食を済ませ、7時に出発。しかし三島宿の写真は撮っていない、何せ昨日の到着が19時だったから・・・・

三島宿の街並みも昔の面影は少ない、ただし良く整備されている。三島大社、本陣等跡碑、時の鐘などを見て回る。        

さて次は沼津宿(12番)だ、沼津宿も繁華街となっており面影はない、ここでは沼津城本丸跡    などを見学する。

千本松原を通り抜けると、次は原宿(13番)だ、ここからの富士山の眺めは実に美しい、思わず見とれてしまうほどであった。      東田子の浦駅で写真を撮る、そして小休止。

10数キロ走ると吉原宿(14番)ここも昔の面影は感じられないが、やはり富士山の眺めは素晴らしい。    さらに10数キロ走ると、蒲原宿(15番)である。   古い家並みの中に洋館がある。(旧五十嵐歯科医院だ) 

 ここから4km先は由比宿(16番)小さい宿場であるが昔の面影を残している感があり、気に入った宿場だ。      馬の水飲み場にはカメがいた。 

ここで早めの昼食、由比と言えば桜エビとシラス、早速両方いただく。     

 由比駅の先が薩た峠だ。     峠の始まりは細い急坂、 歩きました。そのあとは大した坂ではない。  この峠からの富士山が素晴らしいということで、楽しみにしていたが残念ながら雲に隠れていた。  峠を越え10km弱走ると興津宿(17番)だが国道1号線を走ってしまいパス、しばらく走って江尻宿(18番)ここも見たいものは特になく、府中宿(19番)、駿府城跡も見ず静岡駅に出て家康像を見学 ここで13時過ぎだ、しばし休憩とする。

少し走ると、丸子宿(20番)(マリコ、と読む)    ここから峠を越え   岡部宿(21番) だ、通り過ぎてしまった、しかし戻らずパス。

しばらく行くと藤枝宿(22番)ここも申し訳ないが見るものはないので藤枝駅に出てみた。  

次は嶋田宿(23番)ここもかつての面影は少ないが、大井川川越遺跡を見学、大井川は東海道屈指の難所とされ、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠まれた。

もちろん、これは難所・大井川を渡る苦労を表現した言葉である。             

さて、その大井川を渡り    金谷宿(24番)は通り過ぎ、日坂宿(25番)へ。       

 掛川宿(26番)ここで17時、あたりは暗くなってくる。城等を外から見学   掛川はホテルも沢山あると思ったが、袋井宿(27番)までは概ね10kmだ、17時30分には着くだろうと判断し、向う17時25分に「東海道ど真ん中茶屋」到着する。                 

今日はここまででおしまい。まる一日静岡県を走り通した、広いな~静岡!

ホテルを探しチェックイン。   このホテルは自転車持ち込みOKでした。  明日も晴れそうだ! 

駅から少し離れているので、近くは焼肉屋があるだけ、ホテルの案内に「食事はスーパーで」といったような案内、そのスーパーは大型店舗(生協系)そこで手巻き寿司やビールを買い込む。

  ちょっぴり情けないような気がする。

 

 これまで2日続けて100km超は1回あるだけ。明日からはまた未知の世界に挑戦だ、ストレッチも入念に行う。

本日の走行距離 148.88km

続き(3日目)はこちら 

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「東海道53次自転車旅」その1(日本橋~三島宿)

2013-09-22 23:31:15 | 東海道五十三次自転車旅

東海道は五街道の1つであり、江戸時代に徳川家康の指示で作られ、当時の首都であった江戸と京都を結んでいた。最も重要でよく使われる街道として、本州の東海岸近くを通っていたことから「東海道」の名がついた。この道に沿って、53の宿場が置かれ、旅行者のための厩舎、食事処、宿泊所が営まれていた。

 遡ること3~4年前から漠然とこの「東海道53次」を自転車で走破する計画をしていたが勇気と、まとまった休暇も取れずに今日に至っていた。

前から各宿場の情報や近辺地図を揃え、程々の準備はできている。

更には、先に東海道を走破したHさんからお借りした「東海道の旅の本」が役に立つことであろう。

予定では9月24日(火)に出発する予定でいたが、台風20号が発生し、天候の影響を受けないうちにと思い切って、9月22日(日)予定を繰り上げて「日本橋」から「京都三条大橋」を目指し自転車で走破することにする。

 東海道を昔の人は12泊13日の行程で歩いている。

走りに徹するのであれば4日を見れば十分なところであるが、そこは年齢(還暦過ぎ)・体力・実力を考慮し、また全宿場の観光も兼ねているので、最短でも5日間が必要となるが、取りあえずは、16時(日没間際かな?)になったらホテルを探す予定とするので、何日かかるか?

観光に時間をかければ、かけるほど日数が嵩んでしまうので、ほどほどとしよう。

荷物は最低限の着替え(ジャージ・レーパン・下着各3着、靴下4足、その他)、自転車用の消耗品・帰り用の輪行袋・簡易雨具・カメラ・現金等々である。これ等をリュック・サイクルフロントバック・サドルバックに入れた。

 さて、この珍道中どうなることやら・・・・・

 

1日目  9月22日(日)

 自宅を4時出発と考えていたが、5時半になってしまう(ここで1時間半の遅れ)早速、自転車で日本橋を目指す。途中のコンビニで朝食日本橋に6時40分着。

しばし休憩後、日本橋で写真を撮る。(今は高速道路の下である)  

7時丁度、「東海道53次自転車旅」の出発です。

この辺りは当然当時の面影はない。

京橋(擬宝珠)江戸時代初期に大川(隅田川)から八丁堀(堀川)に続く船入堀として開削された京橋川に架かる橋でした。

田町「(西郷・勝海舟会見の地)碑)江戸城無血開城舞台となったのは田町である。」 

高輪大木戸跡(東海道から江戸府内の入口として、また南の出入口として設けられた大木戸の跡である)  

さて、品川宿(1番)である北品川へ到着、八ツ山橋から旧東海道に入る。    

北品川から鈴ケ森までの3.8キロメートルにわたって、江戸時代と変わらぬ道幅が「旧東海道」として残っており、昔の道が、今は商店街となっています。 

    

品川本陣跡(現在は聖跡公園)   

 品川寺、 涙橋、  鈴ヶ森刑務所跡(涙橋の由来:慶安四年(1651)、 品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、 裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。)   

六郷橋を渡ると神奈川県川崎宿だ。

川崎宿(2番)へ、六郷の渡し 、旧街道に入ると これがある。川崎宿はかつての面影は感じられない。    おっと、田中本陣跡を撮り忘れた。品川宿や川崎宿と時間をかけすぎたため先を急ぐこととする。鶴見川橋を渡り 神奈川宿(3番)ここは通り過ぎただけ、保土ヶ谷宿(4番)上方見附跡や一里塚  を見て権太坂(箱根駅伝でもよく耳にしますが、旧道を上ります。)結構堪えますね。 坂を上りきると、武相国境の木(武蔵国と相模国の境に、大きな木があったそうだ。) ここでもうすぐ11時になってしまった。

先を急ぐことに、 戸塚宿(5番)、藤沢宿(6番)を通過 茅ヶ崎の松並木 一里塚、鶴嶺八幡宮、を見ながら平塚宿(7番)へ       またここでゆっくりしすぎたようだ。大磯宿(8番)    此処の松並木も素晴らしい。  小田原宿(9番)に着くともう14時42分だ、箱根峠を越えられなくなるかも、しかし、小休止、おにぎりで体力維持する。(本日2回目のおにぎりタイム)   先を急がねば、しかしまた箱根湯本近くのコンビニで休憩をする。(峠越えの為です。)この辺りは連休で車が渋滞している。

15時25分、旧箱根峠入口の三枚橋に到着、 よいしょ、よいしょと上っていく、途中は平らになったりするがやはりキツイ。           

こんなに写真が撮れるほどのゆっくりペースの休憩ばかりだ。やっと畑宿に到着だ。1時間近くかかっている。しかし休憩せざるを得ない。

   だって、こんな坂が続いている(七曲り) これを見た瞬間、日没を覚悟する。上って、休んでの繰り返し。     峠の茶屋があったので一息入れようとしたら、  16時で閉店ですと言われた。仕方ないので上っていくことになる。(旧箱根峠を上るには早い時間に上りましょう!)  しばらく行くと「お玉ヶ池」があった。(どうやら心霊スポットらしい。薄暗くなってきたし、怖いので直ぐに立ち去る。)  17時30分頃、芦ノ湖だ。   あっという間に暗くなってくる、三島まで行くか迷ったが、後は下りだから行ってしまえと思い、走り出す、峠のてっぺんに着いても写真すら撮れません(シャッターを切っても写りませんでした。)ここから三島宿までの10数キロを下ります。(真っ暗の中) 助かったのは連休で車が多かったことです。(ヘッドライトのおかげです)しかし車が途切れると、また真っ暗に、非常に危険でした。(夜のダウンヒルは決してしてはいけないです。)なんだかんだ言いながら19時に三島宿に到着、ホテルを探しチェックイン、 自転車はフロント預かりとのことでした。

夕食を食べなければ、無性にラーメンが食べたくなる、あったぞ、  ごちそう様でした。(食べ過ぎ?)

暫くすると雨が勢いよく降り出した、明日は雨か?・・・・

本日の走行距離 162.63km

続き(2日目)はこちら

 

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