大木昌の雑記帳

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ベースボールと「野球」:違うスポーツのよう?

2023-03-07 14:47:41 | スポーツ
ベースボールと「野球」:違うスポーツのよう?

2023年3月6日に大阪で行われたWBC日本代表チームの強化試合(対戦相手は
阪神)で、アメリカのロスアンジェルス・エンゼルス所属の大谷翔平選手が3番
指名打者で出場しました。

大谷の出場は大きな関心を集め、球場でもテレビの前でも多くの日本人が期待と
興奮に胸を膨らませて大谷の一挙手一投足をじっと見守っていましたのではない
でしょうか。

普段は野球中継をみることがほとんどない私も、この時はテレビの前に釘付けで
した。

第一打席では、思い切り大振りしましたが、バットは空しく空を切り、三振を喫
してしまいました。

やはり、強化試合とは言え、日本での初戦で、しかも時差ボケの影響もあり、ま
だ気持ちと体のバランスが整っていないのかな、と私は勝手に想像していました。

ところが、ランナーを二人おいた第二打席では、片膝を地面に着きながら、つま
り完全に体勢を崩されながらも、最後は右腕1本で、バックスクリーン横にホー
ムランを打ち込みました。

これには、現地で見ていた観客はいうまでもなく、テレビ観戦をしていた私や多
くの日本人は“度肝を抜かれた”のではないでしょうか。

大谷の前に2人のランナーがいたこと自体、なんとなく大谷の3ランホームラン
をお膳立てしたようで、昔のイチローに対する表現を借りると、大谷は“持ってる”
(運を持っている)選手だと感じました。

さらに第二打席でもふたたびランナーが2人出ていたので、ここでホームランを
打てば、二打席連続ホームランということになります。

しかし、いくら“持ってる”男でも、ここで再び3ランホームランはないだろう、と
内心思っていました。この時ピチャーが投げた球は体に近いインコース寄りでした。

テレビで見る限り、大谷は腕をたたんで、一見、詰まらされたようなバットの振り
でした。

私は直観的に、最後は失速してセンターフライに打ち取られたかな、と思っていた
のですが、何と、これもホームラン、しかも3ランホームランになったのです。

大谷自身も後で、この時のバッティングは完全ではなかったけれど、力でなんとか
ホームランにした、とインタビューに答えていました。

確かに、大谷の2打席連続3ランホームランは、文句の付けようがない素晴らしい
バッティングで、日本人として誇りたくなります。

しかし考えてみれば大谷は、アメリカプロ野球(NLB)でもホームラン王を競うほ
どのホームランバッターなのです。

もちろん、これには大谷のたゆまない努力があるとはいえ、やはり持って生まれた
才能(これだけは鍛えようがありません)と運が大きいと思われます。

ところで、今回の大阪での阪神戦では3打席2ホームラン、1三振、という結果で
した。偶然かもしれませんが、いかにもアメリカの「ベースボール」に合ったバッ
ティングだなあ、との感想を持ちました。

とにかく、来たボールに向かって思い切りバットを振る、当たればホームラン、当
たらなければ空振り三振、というダイナミックなバッティングがアメリカのベース
ボールにおける主流といってもいいプレイスタイルです。

この点を、昨年からシカゴ・カブスに移籍して、この春で1年プレーした鈴木誠也
選手にとってこの1年はどちらかと言えば不振の1年でした(打率0.262 ホームラ
ン14本)。

スポーツ記者のインタビューで、鈴木選手が日米の野球の違いについて聞かれて、
「日米の野球は、まったく違うスポーツだと感じている」と答えています。

彼は、アメリカのベースボールでは、送りバント(犠打)とか盗塁のような、細か
なプレーは重要視されていないとこを挙げています。

ちなみにアメリカでは、日本のような小技を駆使したきめの細かなプレイスタイル
を「スモール・ベースボール」と表現しています。

これを端的に表すのが、何本ホームランを打ったか、がバッターとしての優劣の基
準となります。反対に、「何回送りバントを成功させたか」、は評価の対象になり
ません。

犠打が上手い選手はこれは日本では大いに評価され「犠打の職人」と呼ばれます。

これらの細かなプレーも重視する日本の「野球」(日本で育ったベースボールを、
ここではあえて「野球」と表記します)からみるとアメリカの「ベースボール」は
いかにも大味で雑な感じがします。

これには、アメリカにおけるベースボールの歴史的背景があるのだと思います。ア
メリカのベースボールの特徴は、子供たちが楽しんだ「草野球」がそのまま大人の
世界に発展した、と要約できます。

つまり、アメリカのベースボールの原点は、投げて、打って、走ってというとても
シンプルな遊びが発展したスポーツなのです。

鈴木選手ははっきりとは言いませんでしたが、バッターとしてホームランを打つこ
とが期待されている、というプレッシャーがあったのかもしれません。

もちろん、アメリカの球界もファンも、ホームランだけを、あるいはピッチャーな
ら球の速さや三振数だけを優れた選手を評価するわけではありません。

このブログでも、以前、イチローがアメリカでなぜ高い評価を得たのかを4回ほど
詳しく紹介しました(注1)。

同じバントでもイチローが大リーグに移って初めて行ったバントは、相手の守備陣
形を見て三塁線ぎりぎりのコースを転がり、相手はファールになるかもしれずに球
の転がる様をじっとみているしかなく、結局安打となりました。

この絶妙のバントを当時のアメリカの解説者も絶賛しました。

また、シアトルの野球担当記者は、「誰もイチローのホームランを期待して観に来
るわけではない。イチローの何でもない内野ゴロが、彼の俊足でセーフになるかも
知れない、というそのスリルを味わいたいのだ」とも言っています。

彼が塁に出れば、まんまと投手のスキを突いて一塁から二塁へ、さらに二塁から三
塁へ盗塁を決めてしまうかもしれない、と観客はワクワクとスリルを味わった。

守りでいえば、2001年4月にライトの一番深いところから、三塁に地面すれすれの
レーザービームと言われた球を投げて走者をアウトにしてしまったこともありまし
た。当時、この送球は「全米を驚愕させた」、とまで言われました。

このほかイチローが2004年に打ち立てた、シーズン安打数262という記録は、
アメリカのベースボール史上70数年ぶりに記録を塗り替えています。

要するに、イチローは、バッター、走者、守備の全てにおいて、人々のスリルと感
動を与えたために、アメリアで高く評価されたのです。

上記のスポーツ記者は、イチローはアメリカのファンに、ベースボールがもってい
る新たな魅力と感動を改めて気づかせた、とも語っています。

私の研究テーマの一つである「文化交渉史」の観点からすると、イチローは、アメ
リカ生まれのベースボールに、日本の「スモール・ベ―スボール」の良さと楽しさ
を持ち込み、ベースボールを変えてしまったのです。

ただ、イチローは大谷と同様、天賦の才能と努力と運があったからこそ実現できた、
類まれな存在であることは確かです。

いずれにしても、今回のWBCには、これまで野球にあまり関心がなかった日本人
も大きな関心を寄せており、その関心の中心の一人は、大谷選手であることは間違
いありません。

ただ、私が個人的に注目しているのは大谷の他、実績のあるダルビッシュ投手と新
鮮な若侍といった感じの佐々木郎希投手です。

世界を見ればウクライナ戦争、トルコ・シリアの大地震、国内では物価の高騰など、
ますます軍事化を進める政府など、暗いニュースばかりです。

こんな世情の中で、嘘・偽りのないWBCというスポーツ・イベントは、私たちに無
条件の興奮と感動を与えてくれます。

これこそがスポーツという文化がもつ力なのでしょう。

(注)イチローの評価については、このブログの 2013年8月27日、9月1日、9月6日(以上、「イチロー
   とアメリカ社会」)、2019年3月31日(「イチロー引退の衝撃:アメリカ社会はイチローの何を見て
   何を評価したのか」)の記事を参照されたい。
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近くの「千本桜」(河津桜)は満開でした。                                 公園の梅も、今が盛りです。
    


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佐々木朗希(2)―完全試合の背景に何が?―

2022-04-20 19:48:35 | スポーツ
佐々木朗希(2)―完全試合の背景に何が?―

前回書いたように、佐々木朗希は、4月10日に完全試合を達成するまで、全て
が順風満帆できたわけではなかった。

とりわけ、東日本大震災(3.11)で父親と祖父母、そして家を失ったことは、
少年期の朗希に大きな心の傷を残したはずである。

そして、高校3年生で、夢の甲子園出場まで、あと一歩のところで監督が出場を回
避した時も、彼は挫折を味わったに違いない。

しかし、こうした不幸と挫折は、悪いことばかりではありませんでした。むしろ、
その後の朗希の野球人生において、プラスに働いたと面もあったと思われます。

何よりも、人格形成における成長です。言い換えると、“肚が据わっている”、物事
に動じない胆力が備わったと言えます。

4月10日の完全試合を達成した日の投球をみても、あれだけの緊張状況の中で、
彼は冷静に投げ続けました。

試合後に彼は「脱力しながらストライク先行で投げることができた」と語っていま
す『東京新聞』(2022年4月12日)。

20才の若者が、あの歴史的な試合で、あれほど「脱力」して冷静沈着に投げるこ
とができたというのは、普通ではとうてい考えられません。

この「脱力」こそが、朗希の投球を支えているキーワードです。

さて、朗希を迎えたロッテの首脳陣が彼をチームの宝、いや球界の至宝として大事
に育てたことも彼にとって非常に幸いでした。

入団が決まった初年度、現場を預かる井口監督は、「しっかりプランを立てながら
育成をやっていく」と浮かれた様子はなかったという。

そのために、朗希の指導者として、吉井理人投手コーチ(54)が付いたことは、
朗希にとって非常に幸運でした。

吉井氏は、近鉄に入団後、現役時代に日米7球団を渡り歩き、引退後は日本ハム、
ソフトバンクでのコーチを経て現在ロッテで指導を続けている。培った投球論と指
導力には定評があり、その信条は「まず選手の意見を聞き、その後選手に合った指
導法を提示する」というものです。

スポーツライターの広瀬真徳氏は、「佐々木はロッテで大正解 その根拠は吉井コ
ーチの存在」という記事を書いています(注1)。

高卒の新人でも、超高卒級の「令和の怪物」とまで言われた朗希の場合、即戦力と
して入団1年目からローテーション入りさせても不思議ではありません。

しかし球団は、入団1年目の一昨年は朗希を体力づくりに専念させ実践登板はなく、
2年目の昨年の5月にようやく1軍にデビューさせました。

その際にも、コンディションを配慮して中10日以上空けての登板でした。結局、
球団は最初の2年間を、体力作りに専念させたことになります。

この2年間の最も重視されたのは「下半身強化」でした。朗希は、入団1年目はお
世辞にも「プロの体」とは言えませんでした。

特に体力面では他の新人にも劣り、新人合同自主トレの12分間走では中盤から後
退し、最終的に7人中3位でゴール。練習終了後には疲労困ぱいの様子で声も出せ
ないほどだったという。

この姿を見た球団関係者らは口々に「この体力と走り方ではプロで通用しない。せ
っかくいいボールを持っているのだから、下半身を徹底的に強化しないといけない」
と漏らしていました。

以降、当時の吉井投手コーチやトレーナーらとともに時間をかけて下半身の強化に取
り組みました。

そのおかげか、昨季終盤から走力が飛躍的に向上し、「朗希はプロ1年目から一軍に
帯同して体力強化を行っていましたが、当時は一軍の投手との軽いランニングでもつ
いていくのがやっと」、という感じだった。

しかし、コーチやスタッフによれば朗希について、
    昨年の終盤ごろからでしょうか。走力のある一軍投手と一緒にダッシュをし
    ても引けを取らないどころか他を引き離すことも珍しくなくなった。明らか
    に下半身が強くなり馬力がついた証拠。このところ試合終盤まで160キロ
    台の球速を維持できるのも下半身強化のたまものでしょう。今季の好投連発
    はそんな努力が一気に開花したのだと思います(注2)。

とコメントしています。このような背景を考えると、今回の佐々木朗希による完全試
合の物語は、すでに入団時から始まっていたと言っても言い過ぎではありません。

しかし、体力があっても、完全試合というのは、そう簡単にできることではありません。
一人もランナーを出さず一人で投げ切ったのは、相手に打たせなかったからです。

科学的な見地から野球の動作解析やコーチング論などを研究している筑波大の川村卓准
教授は、相手チームが朗希の球をなぜ打てないかについて、次のように分析しています。

朗希は高校時代から誰にもできない投球フォームで投げていた。それは肩甲骨の柔軟性
に加え、背中の筋肉と腕の動きを巧みに連動させたボールへの力の伝え方だという。

川村准教授は「バレーボールのスパイクを打つように、体を動かしていく。ボールを加
速させる絶妙なタイミングの取り方は天性のもの」と分析する(注3)。

天才棋士の藤井聡太氏も、囲碁界の天才少女の仲邑董さんの場合もそうですが、プロなら
だれでも最大限の努力はしますが、そこで飛び抜けた成績や能力を発揮できるのは、やは
り努力だけでは超えることができない「天性」がものを言うのだろうか。

再び、完全試合の快挙について考えてみよう。

当日、朗希をリードしたキャッチャーは、18才の新人、松川虎生捕手でした。試合後、
彼は、「最後は何とかパスボールだけはやめようと思っていた。そこだけです」と、た
んたんと語っています。

160キロ以上のスピードで投げ込まれるボールを受ける事、完全試合を達成するために
は、捕り損ねてパスボールを後ろにそらせてしまうことは絶対に許されません。さららに
フォアボールを出してはいけない事、もちろんヒットを打たれてはいけない事、要するに
一人もランナーを出せない事、などを考えると、さぞ緊張したのでは、と思われます。

しかし彼は、恐怖や緊張より「ワクワクの方が大きかった」と言ってのけたのです。

怖さを知らない若さの特権、と言ってしまえばそれまでですが、18才という若い松川の
怖さに負けない強心臓のたまもの、とみるべきでしょう。

20才の天才投手と18才の怖さを知らない豪胆な捕手の組み合わせについて『日経新聞』
の編集委員の編集委員 篠山正幸氏は、「10年、20年に1人の才能といわれる2人。100年
に一度あるかどうかの出会いが生んだ快進撃。恐るべし、というほかない」と、最上級の
賞賛と驚きを語っています(注4)。

ところで、佐々木朗希の完全試合に関連してあまり話題にはなりませんが、私は、対戦相手
のオリックスも立派だったと思います。

もし、完全試合を防ごうとすれば、セイフティー・バンドとかさまざまな揺さぶりをかける
こともできたはずです。

しかし、オリックスの選手の誰一人、そのような素振りさえ見せず、正々堂々、真正面から
立ち向かってゆきました。

私は、オリックスの監督にも選手にも、武士道的なすがすがしさを感じました。

これからも佐々木朗希と松川捕手の息の合ったプレーが楽しみです。

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長い脚が方の方まで跳ね上げて投げる佐々木朗希                             捕手の松川が、完全試合のウイニング・ボールを佐々木に渡す。
(『東京新聞』2022年4月18日)                                   (注4)のweb 記事から  

(注1)『東京スポーツ』( 2019年10月28日 16時30分)
   https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1600374/
(注2)『東スポ Web』(2022年4/13日 5:15 配信)
   https://news.yahoo.co.jp/articles/169ae5f0f75b9a368ae8bdab60e7a0d75e94e1ad
(注3)『毎日新聞』デジタル版(2022/4/18 17:00(最終更新 4/18 18:43)
   https://mainichi.jp/articles/20220418/k00/00m/050/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220419
(注4)『日経新聞』デジタル(2022年4月19日) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD173XZ0X10C22A4000000/?n_cid=NMAIL007_20220419_Y&unlock=1

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佐々木朗希投手の「物語」(1)―悲劇と悲運を背負うヒーロー―

2022-04-15 05:41:14 | スポーツ
佐々木朗希投手の「物語」(1)―悲劇と悲運を背負うヒーロー―


佐々木朗希 2001年11月3日 生まれ 岩手県陸前高田市出身20才
千葉ロッテマリーンズ所属。身長190センチ。右投げ右打ち。プロ入り前の高校生
で160キロ台の球を投げ「令和の怪物」とも呼ばれた。

4月10日という日は、日本のプロ野球界にとって、特別な日となることは間違いあ
りません。

なぜなら、ロッテの佐々木朗希投手が、
①プロ野球史上16人目、28年振りとなる完全試合を達成し、
②13人連続三振記録(これまでの記録は65年前の9奪三振)、
③1試合19奪三振(27年ぶりの対記録)
という、信じがたい大記録を20才5カ月という若さで、打ち立てたからです。

これらの記録、一つ一つは、すでにほかの選手が過去に達成していますが、3つの記
録を一人が一試合で達成した例はありません。まさに前人未到の記録です。

おそらく、これらの記録は破られることはないでしょう。

普段は冷静な『東京新聞』(2022年4月12日)も“105球 常識ぶっ壊した”
と、いう見出しでこの驚くべき大記録を報じています。

最近、こうした常人では考えられないような記録を達成してしまう才能を発揮する
若者が他の分野でも見られます。

将棋界では、19才で5冠を達成して将棋界の頂点に立った藤井聡太さん、囲碁界
では10才で初段プロ入り(「英才枠」第一号)した天才少女の仲邑菫さん(とい
うより“董ちゃん”という表現の方がぴったりくる)などの“とんでもない”逸材が出現
しています。

藤井さんに対しては、畏敬の念をこめて“宇宙人”、つまり地球人では考えられないす
ごい手を打つ、という表現がしばしば使われます。

プロの解説者もしばしば、“ここは「地球人なら」こう打つでしょう”と言います。し
かしいその裏には、“しかし藤井さんは宇宙人だから、どんな手を打ってくるから分
からない”という意味が込められています。

ところで、佐々木朗希も、藤井聡太や仲邑董(以下、敬称略)と同様に、”宇宙人“の
ような並外れた才能をもっていますが、彼らにはない、特別な要素があります。

まず、将棋や囲碁における“天才”は、何よりも頭脳的な能力、とくに先を読む力と、
決断力、冷静さを保つメンタルの強さが並外れています。

これに対して佐々木朗希の場合は、身体能力が問われるアスリートで、たとえ天賦
の才能があったにしても、日々鍛えてゆかなければ、その能力を発揮することはで
きません。

しかも、個人が、いくら超人的な能力をもっていても、野球はチームプレーであり、
その選手の置かれたチームの環境や他の選手との兼ね合い、球団の選手起用の方針な
ど、自分自身ではどうにもならない問題がいくつもあります。

もう一つ、私が佐々木朗希という一人のスポーツ選手に惹かれるのは、たんに彼が
前人未到の記録を打ち立てたヒーロー、というだけではありません。

藤井聡太や仲邑董は、登場してから今日まで、ずっとスポットライトを浴びてきてお
り、その過程には悲劇や悲運といった影はまったく感じられません。

これに対して佐々木朗希には“悲劇”“悲運”という暗い過去の物語があり、そのことが今
回の活躍に一層強烈な輝きを与えてのだと思います。

まず、最初の”悲劇“は、2011年の東日本大地震、いわゆる「3・11」で、当時9歳だ
った朗希少年は、父功太さん(享年37)と祖父母を亡くし、住んでいた家も流されて
しまいました。

朗希は子どものころから父親に練習の相手をしてもらうほど、仲の良い関係でした。

もし父親が生きていたら、今回の記録達成をどれほど喜び誇らしく思っただろうか、
また朗希自身も、どれほど父と喜びを分かち合っただろうか、など、個人的な感傷を
抱いてしまいました。

スポーツ紙の記者とのインタビューで震災のことを聞かれて、彼は次のように答えてい
います。

    悲しいことではあったんですけれど、すごく今に生きているなと。当たり前が
    当たり前じゃないとか、今あるものがいつまでもあるわけじゃないとか、そう
    いうのを思い知らされました。

静かに語った朗希の言葉には、胸の奥に秘められた、大切な人や物を失った深い悲しみと、
それでも悲しみを乗り越え、今を大切に生きようと立ち上がった、若者の“けなげ”さがに
じみ出ています。

朗希が答えた言葉に、インタビューをした記者はつぎのようにコメントしています。
    そう思えるまで、どれほどの時間がかかったことだろう。大津波は、朗希少年か
    ら多くを奪った。父、祖父母、仲良く過ごした家や街。大人であっても、簡単に
    気持ちを切り変えられる出来事ではない。それでも「今あるものがいつまでもあ
    るわけじゃない」と後悔しないよう、一生懸命生きてきた(注1)。

二つ目の”悲劇“は、大船渡高校三年生の岩手県の代表を決める準決勝で完封勝ちを収め、い
よいよ甲子園への切符をかけた花巻東高と決勝戦で、國保洋平監督が「故障予防のため」
という理由で、佐々木朗希の出場を回避したことです。

この時の監督の采配にたいして大船渡高校への抗議の電話が殺到し、テレビやSNSで野
球関係者などの間で議論が起こりました。

この時、國保監督は、当時の朝の練習を見て、佐々木朗希の身体は、高校三年間で最も壊
れやすい、と感じたからと説明していました。

この時の朗希の苦渋と悔しさに満ちた顔は、未だに私の脳裏に焼き付いています。

もしこの時監督が連投を指示していたら、朗希は間違いなく精一杯投げたでしょう。しか
し、その結果、朗希は本当に体を壊してしまっていたかも知れません。

実は、中学最後の夏の大会で朗希はこれと似たような経験をしています。この時は主力選手
で、彼が投げていれば勝ち進んでゆくことが想定されたのに、当時彼が抱えていた成長痛の
ため、医者と監督に出場を止められてしまいました。

この時の、悔しさで顔をくしゃくしゃにして泣く彼の映像がyoutubeに残っています(注2)。

今から思えば、中学生と高校生の時に監督が出場回避させたことは、今日の朗希の活躍にと
って非常に重要な決断であったといえるかもしれません。

朗希は高校3年生でU-18代表に選出され、2019年8月、研修合宿の紅白戦で、非公式ではあ
りますが、高校生史上最速の163キロを記録しました。

朗希は高校2年生の時に157キロを記録しており、当時から注目されていましたが、この
紅白戦でのスピードは彼にたいする注目を一気に高めました。

こうして、佐々木朗希は高校卒業と同時にロッテに入団し、今年4月10日の快挙となるの
ですが
入団から現在までの軌跡については次回に書きたいと思います。


(注1)『日刊スポーツ』デジタル版 https://www.nikkansports.com/baseball/news/202003100000642.html (2020年3月11日6時1分])
(注2)https://www.youtube.com/watch?v=VjF5YGGGXhk



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オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021-08-01 11:51:05 | スポーツ
オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021年7月31日、ついに東京都だけで新型コロナウイルスの新規感染者が4000人
を超え、日本全体では1万人を超えました。

この惨状を前にして、改めてオリンピック開会式を考えると、そこに、絶望的なギャップ
と違和感を感じます。

一方で、IOC、日本政府、組織委員会はあの手この手でお祭りムードを盛り上げようと
必死でした。その陰で、ウイルスは着々と広がり、ついに7月31日の驚愕すべき数字と
なって、その正体を現したのです。

こんなことを考えながら、オリンピック開会式を振り返ってみたいと思います。

ところで、開会式が無観客であることは予め分かっていたので、歓声がないことは当然で
す。それにしても、本来、オリンピックの開会式というのは、全日程の中でも、ひときわ
感動を呼ぶはずのイベントです。

思えば、コロナ禍のため開催都市東京は緊急事態宣言下にあり、開会式を無観客で行わな
ければならないということ自体、本来この状況下でオリンピックを開催すべきではない、
ということの何よりの証拠で。

それでは、テレビの前で観ていた多くの人は、今回の開会式に感動したのでしょうか?私は
録画で観ましたが、残念ながら、全く感動しませんでした。その理由は後に述べるとして、
まず、吉見俊哉・東大大学院教授の開会式に関するコメントと紹介しておきます。
    2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。
    借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセ
    ージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開
    会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ(注1)。

総合的な評価はこのコメントに尽きますが、少し補足しておきたい点があります。まず、当
初は振付師のMIKIKO(3人組テクノポップユニット)がネオ東京とパンデミック下の東京の
今を重ねるものであったらしい。それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治
や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせること
ができたであろう、吉見氏は述べっています(注1と同じ)。

しかも、当時は野村萬斎と椎名林檎という才気に満ちた面々が演出チームに加わっていまし
た。ところが、理由もなくのチームは3月には解散させられました。

代わって、電通出身の佐々木宏氏が責任者となるのですが、佐々木氏のプランがあるタレン
トを侮辱しているとの批判から辞任に追い込まれました。その後の演出担当者のゴタゴタに
ついては書きませんが、実際の開会式は本当に、借り物のつぎはぎでした。

上空に浮かぶドローンによる「地球」は中国での流行の後追いだし、世界のスターたちが歌
うジョン・レノンの「イマジン」に至っては、昨年3月、世界を励まそうと著名な歌手や俳優
がこの歌を動画でリレーした試みの二番煎じでしかないのです。

ついでに言うと、ドローンの「地球」はもともとMIKIKOのプランで、そのために何度もドイ
ツに何度も足を運んで研究したという。そのプランを佐々木氏たちが要領良く”いただいた”、
俗な言い方をすれば“パクった”のです。

この開会式関して、あるテレビの情報番組でデヴィ夫人が、160億円も使ってあの地味な開
会式しかできなかったことに失望した、また聖火台への点火に大坂なおみを使い、日本選手団
の旗手に八村塁を起用したのも、「多様性」を演出したかったのかも知れないが、あまりに薄
っぺらだ、と酷評していました。同感です。

ここには「混血=多様性」という、とても安直な発想が伺えます。

24日に放送されたTBS系情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』にビートたけしが出演
し、番組冒頭から、「昨日の開会式、いや〜面白かったね」と振り返るかと思いきや「ずいぶん
寝ちゃいましたよ」と酷評。「金返してほしいですね。困ったねぇ」と言いつつ、「外国に恥ず
かしくて行けないよ」と、皮肉たっぷりに開会式を批判しました。

おそらく、新たな演出チームのメンバーは、なぜ「外国に恥ずかしくて行けない」のか分からな
いのではないでしょうか。

個人的な感想を言えば、日本が開発した人間ピクトグラムだけは十分に楽しめましたが、そのほ
かのオープニングのさまざまな演技や趣向にはほとんど感動しませんでした。

大会組織委員会の橋本聖子会長はあいさつで「今こそ、アスリートとスポーツの力を見せるとき。
その力こそが、人々に再び希望を取り戻し、世界を一つにすることができると信じている」と述
べました。

言ってみれば、こんな時の決まり文句で、どこにも心からの訴えとは感じませんでした。

また、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は「今日という日は希望の瞬間。この一体
感こそがパンデミックの暗いトンネルの先の光だ」と話しました。

橋本氏の「世界を一つに」とか、バッハ氏の「この一体感こそがパンデミックの暗いトンネルの
先の光だ」という言葉がとても嘘っぽく響きました。

こうした巨額の費用をかけた、無観客の開会式が行われている背後では、日々コロナの新規感染
者の増加、それも激増が続いていて、「トンネルの先の光」どころか、冒頭で書いたように、こ
の一週間後には開催地東京で4000人を超す感染爆発が起きているのです。

いつまでトンネルが続くのかと、多くの国民は不安を抱き、医療現場での医療従事者が危機感を
もって激務に耐えています。

そして、私が気になったのは、開会式のコンセプトで、日本語では「共感を通じた連帯」、英語
で「United by Emotion」となっていますが、最も大事なコンセプトがほとんど伝わってこなかっ
たことです。(ちなみに「共感」の表現としてemotion が適切かどうか英語の専門家に聞いて
いみたいです)

もっと深刻なのは、開会式の脈絡のなさでした。なぜ、唐突に「火消しと木遣り」が現れてパフ
ォーマンスをしたり、市川海老蔵さんがごく短時間現れて歌舞伎の所作を披露したのか、全く意
味が分かりません。

開会式当日の『東京新聞』(朝刊)を読むと、開会式を実行する組織の職員が、開会式のプログ
ラムを固めた後、「組織委や都の有力な関係者やJOCサイドから、唐突に有名人などの出演依
頼が下りてくる。部内では有力者ごとに「〇〇案件」とささやかれた、という内情を暴露してい
ました。

具体的には、『週刊文春』が早くも4月8日号で『 森・菅・小池の五輪開会式“口利きリスト” 』と
して既にすっぱ抜いていまいた。たとえば小池百合子都知事が「火消しと木遣りを演出に入れて。
絶対よ」と組織委側に要望を伝えていたという。

火消し団体の総元締めである『江戸消防記念会』はもともと自民系の団体だったが、2016年の都
知事選で江戸消防会の一支部が小池を支援しました。小池氏からすればこのときの「恩返し」で
あると。これが約4カ月前の記事なのです。

そして、実際の開会式でも「火消しと木遣り」の演技がありましたから『文春』の記事は正しか
ったことになります。

他に、森喜朗案件として市川海老蔵の名があり、『文春』はこちらも的中し、海老蔵氏が登場し
ました。海老蔵のファンである私には、こんな使い方をされたことが気の毒でたまりません。

こうした内情を知れば、開会式が、そのコンセプトで統一されていたのではなく、さまざまな横
やりで、ごちゃごちゃになって一貫性を書いていたことの理由がわかります(注2)。

それでは、今回の開会式を海外ではどう見たのでしょうか。

米主要メディアは始まる前から東京五輪は「完全な失敗に向かっている。『おもてなし』の心は
偏狭で内向きな外国人への警戒に変化した」(ワシントン・ポスト)、と酷評していた。

アメリカのインテリ若年層に圧倒的人気のあるニュースサイト「ザ・デイリー・ビースト」が東
京に派遣したエンターテインメント担当記者、ケビン・ファーロン氏の現地報告を紹介しよう。
とても的を射ています。
    人っ子一人いない観客に向かって言い放たれた(開会式の)メッセージは内向きで、は
    にかむような大言壮語だった。オリンピックは、嫌われ者のウイルスをまき散らすスー
    パースプレッダー(超感染拡散者)だ。オリンピックが、観客席は空っぽの国立競技場
    でこの夜デビューした。
    度肝を抜く華やかな花火が打ち上げられた。だが、その後に何が起こるのか。控えめな
    言い方をすれば、誰も五輪はやりたくなかったはずだ(つまり、一部の人間を除き、み
    な反対だった)。・・・
    だがこの夜の開会式を見ていて気づくのは、なぜこんなに慇懃な(Respectful)なのか、
    もっと言えば、なぜこんなにくだらない(Stupid)のか、ということだった(中略)。
    世論調査では日本国民の多くが東京五輪の中止か、再延長を望んでいた。観客がいない
    のになぜ世界中から集まった選手たちを歓迎し、祝福することができるのだろうか。
    家から出られないのに日本国民はどうやってグローバルなイベントを楽しめる特権を享
    受できるというのだろう。この競技場の記者席から見ていると東京五輪の開会式は気が
    滅入る(Depressing)だけだった(注3)。

また、イタリア紙ラ・スタンパは9日付で関係者を除き無観客で行われる開会式について「人気
(ひとけ)の無い通りを仮装した人たちが行進する、紙吹雪のないカーニバルのよう」と評して
います。これも事態を端的に表しています(注4)。

本当に、メッセージ性も一貫性もない、空しい開会式、というのが私の偽らざる印象でした。そ
して、その会場の外では、深く静かにウイルスがまん延しキバをむく準備をしていたのです。

これは、もうほとんどホラー映画の一場面です。


(注1)『毎日新聞』デジタル(2021年7月30日)https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/040/341000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210730
(注2)『文春オンライン』(7/27(火) 6:12) https://bunshun.jp/articles/-/47374)
(注3)JBpress 2021/07/25 06:00 https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin- 2020 。
(注4)『朝日新聞』デジタル 7/24(土) 6:00 https://www.asahi.com/articles/ASP7R6HZZP7RUHBI018.html?_requesturl=articles%2FASP7R6HZZP7RUHBI018.html&pn=12

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オリンピック考(1)―開会式をめぐる皇室と官邸の確執―

2021-07-25 15:13:59 | スポーツ
オリンピック考(1)―開会式をめぐる皇室と官邸の確執―

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」。

天皇陛下によるこの宣言によって、「2020東京オリンピック」が2021年7月23日、正式に
開幕しました。

新型コロナウイルスの感染拡大で初めて延期された上、8割以上の競技会場が無観客となりました。
開会式も950人ほどの関係者だけが入場しました。

異例づくしの大会は205カ国・地域と難民選手団の約1万1000人の選手が参加し、8月8日まで史上最
多33競技339種目が行われます。

この開会式は、700発の花火が打ち上げられましたが、「無観客の東京五輪開会式 にぎわいや熱
気なく」という日本経済新聞の表現がぴったりでした(注1)。

ところで、開会式に関連して今回のオリンピックが通常ではないことを象徴する、二つの場面があり
ました。

一つは、2020東京オリンピックの名誉総裁である天皇陛下が開催宣言を、約束事の慣例を変更し
て行ったことです。

オリンピック憲章は、開催国の元首が開会宣言を行うことを定め、その儀礼上の約束事として、宣言
文の定形型を例示しています。

たとえば1964年の東京オリンピックの際には天皇陛下が「第18回近代オリンピアードを祝いこ
こにオリンピック東京大会の開催を宣言します」と述べたことがその典型です。

ちなみに、「祝い」に対応する定形分の原文(英語)は “celebrating” という言葉が使われています。

「記念する」でも「祝い」でも大した違いがない、小さな事のように見えますが、この背景には、陛
下の強い「ある思い」がありました。

この変更については、開催が決定的になった時から、今回のオリンピックが新型コロナウイスのパデミ
ックの最中、それも他ならぬ東京で拡大していることから、陛下はどうしても、素直に「祝い」という
言葉を使いたくなかったようです。

実は、開会式に先立って「祝い」という表現をめぐって、官邸と宮内庁との間で、天皇陛下の宣言文を
どのようにするかの話し合いが行われました。

そして、今回は世界的なコロナ禍で多くの人命が失われ、今も多数の人々が苦しんでいること」から、
和訳のみの変更ということで「祝い」ではなく「記念し」に落ち着きました。

しかし、考えてみれば、邦訳だけとはいえ、五輪憲章の約束事である定形型を変えるよう宮内庁側(陛
下側)が政府に要求し、実際に変更されたことは異例です。それだけ、天皇陛下の側に、開催に対する
拒否的な気持ちが強かったのだろうと思われます。

なお、通常はこのような場合、天皇と皇后が揃って出席するのが通例ですが、今回は陛下一人での出席
でした。ここにも何かの思いがあったのでしょうか?

もう一つの場面は、天皇陛下が立ち上がって、宣言を始めたときにことです。左隣に菅首相が、その先
には小池東京都知事が座っていました。

ところが、菅首相は天皇陛下の開会宣言が始まっても着席したままでした。その後、気が付いた小池都
知事が菅首相に目配せすると、二人はやおら立ち上がりました。

私自身もこの光景に何とも言えない違和感を抱きました。もし、座ったままで陛下の宣言を聞く、とい
うことが予め決まっていたならそれは問題ありませんが、映像を見ればわかるように、菅首相は、途中
からのろのろと立ち上がったのです。

このことにネットで厳しい批判の声が上がっています。たとえば、“天皇陛下の開会宣言に着席したまま…
菅首相に「不敬にも程がある」”“陛下が話し始めてから起立する小池氏と菅総理不敬にも程がある”、“天
皇陛下が席をお立ちになったらすぐ立つべき。恥ずべき映像を世界に流してしまった“ ”陛下の開会宣言
のVTRが流れるたびに、菅が座ってたところも映るのか……あまりに不敬“ などの非難がネット上に寄
せられました(注2)。

“不敬”とはいかにも大げさな表現ですが、少なくとも一国を代表する元首が立って開会宣言をする時は、
通常の常識を持っている人なら、一緒に立つのが礼儀ではないでしょうか?

これに関して、菅首相の方から特に釈明らしきコメントは発せられませんでしたが、可能性としては、何
か他のことを考えていて、陛下と一緒に立ち上がることをうっかりしてしまったことは考えられます。

あるいは、菅首相は、陛下が今回のオリンピック開催にたいして「祝う」という言葉を使わず「記念し」
という言葉に換えたことに、菅首相は内心不満だったのかもしれません。

このことも含めて、この開会式に至るまでの経緯の中で、天皇陛下と官邸との間には、明らかな確執とい
うか対立があったからです。

そして、天皇陛下の心の奥底には、このパンデミックのまん延の下でのオリパラの開催に対する「抵抗」、
そしてコロナウイルスのまん延拡大にたいする心配があったと思われます。

これを考えるために、開会式に至るまでの陛下側と官邸との経緯を追ってみましょう。

第一は、6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は24日の定例記者会見で、「拝察」という形で、パンデミ
ック下のオリンピック・パラリンピックの開催が新型コロナウイルスを拡大されるのではないかと懸念し
ていると発言したことです。

この背景には、数日前に菅首相は陛下へ「内奏」を行い、おそらくそこで、新型コロナのまん延状況、オ
リパラの開催についての話をしたと思われます。

これは推測の域を出ませんが、おそらく陛下は、菅首相がコロナウイルスのまん延状況にも関わらずオリ
パラを強行することを感じ、そこに強い危機感を抱いたと思われます。

これにたいして、加藤官房長官、丸川五輪相、菅首相は直ちに、これは西村氏の個人的な気持ちにすぎな
い、との談話を発表しました。

このこと自体が、政府幹部の慌てぶりを、はからずも露呈してしまいました。

しかし、このブログの6月27日の記事でも書いたように、西村長官が、陛下が言わなかったことを公に
言うことは考えられません。

たとえ「拝察」という建前であったとしても、 オフレコではなく「オン」(公にする)であることを明言
していることから、これは陛下のオリパラの開催に対する危惧と、一種の「抵抗」であったと考えることが
自然です。

第二に、宮内庁の側から、開催宣言には「祝い」という言葉は使わないことが官邸側に伝えられたことです。
そして、上に述べたような交渉の結果、「記念し」に変更されました。これも、五輪の開催が政権浮揚に有
に働くことを期待していた菅首相にとっては面白くない一件だったに違いありません。

このことが、開会宣言の際に、菅首相が、あとからのっそりと立ち上がったことと関係しているのかどうか
は分かりませんが、外見的にはそのように、見えてしまいます。

第三は、宮内庁は、今回のオリパラには皇室からは観客として参加することはない、と発表したことです。
もちろん、建前はコロナの感染の拡大防止のため、東京語は緊急事態宣言の下にあり、片方で外出自粛を呼び
掛けているのに皇室関係者が観戦にでかけることはできない、という理屈はあります。しかし、それと同時に、
オリパラへの観戦そのものへの心理的抵抗があったことも十分考えられます。

第四は、7月17日に菅首相が主催する、バッハ会長らIOC役員の歓迎会が迎賓館赤坂理由で行われ、40
名ほどが参加しましたが、天皇陛下は参加しませんでした。

このような式典には天皇陛下あるいはその名代としてしかるべき人物が出るのが通例ですが、それもありませ
んでした。ある記者は、こうした場面に、元首である天皇陛下が出ないことは異例であると語っていました。
ここにも、菅首相のオリパラ強行にたいする陛下の「抵抗」が感じられます。

第五は、上に書いた開催宣言文の変更です。これも、陛下のオリパラにたいする強い「抵抗」の一つとして考
えられます。

一つ一つの出来事をみると、それぞれそれなりの説明はつくのですが、それらこのようにまとめて見てみると、
そこに一貫したものが感じられます。つまり、天皇陛下がさまざまな方法で、オリパラの強行開催に対して精
一杯「抵抗」し、あるいは「抗議」の気持ちを表してきたのではないかと、考えることができます。

以上は私の個人的な推測の域をでませんが、正直な印象です。

(注1)『日本経済新聞』(デジタル 2021/7/24 12:20)https://www.nikkei.com/video/6264917500001/?playlist=4654649186001
(注2)7/24(土) FLASH (2021.07.24 06:54 配信)
https://smart-flash.jp/sociopolitics/151498 

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
夏の日の出は、早くも力強い光を放ちます。                           そのころ、森では斜め横から差し込む太陽の光が美しい模様を描きます。
                                                  




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大谷翔平の衝撃-メジャーリーグを3度救った日本人選手-

2021-07-18 09:29:09 | スポーツ
大谷翔平の衝撃-メジャーリーグを3度救った日本人選手-

意外に聞こえるかも知れませんが、私は、これまでアメリカの野球界(メジャーリーグ=
MLB)を3人の日本人選手が救ってきたと思っています。

もちろん、現在では、圧倒的に大谷翔平人気ですが、その前に1995年に近鉄バファロ
ーズ(現オリックス)から投手としてロサンジェルス・ドジャーズに入団した野茂英雄と、
2000年11月にオリックスから野手としてシアトル・マリナーズに入団したイチロー
に触れておかなければなりません。

野茂が渡米したMLBは、1994年から長期のストライキに入っていて、アメリカでは
野球にたいする人気が急落していました。

そこに、日本人としては32シーズンぶりにメジャーリーガーとして登場したのが野茂で
した。

野茂は、身体を竜巻のようにねじって投げる独特のフォームで、「トルネード投法」とい
われました。

この独特のフォームで、バッターを次つぎと三振に打ち取ってゆきました。当時、“サンシ
ン”、という日本語が流行し、”NOMOMANIA” という英語の造語が登場しました。

野茂の投球はたちまち、野球に対するアメリカ人の興味を復活させ、人びとが球場に足を
運ぶようになりました。まさに野茂はMLBにとって“救世主”だったのです。

続いてイチローですが、彼がマリナーズに入団した年の翌年(2011)は、いわゆる
「9・11」テロ事件が勃発した年で、アメリカ社会は戦争ムード一色で、人びとの関心
は野球から離れてしまいました。

このタイミングで日本からやってきたのがイチローでした。彼は打って、走って、守って、
驚異的な活躍をして、全米の注目を再び野球に引きつけました。

彼は、ルーティーンの体操で体をほぐした後、打席にはいると、サムライが刀を突き出す
ような独特のしぐさでボールを待ちます。これがまた神秘的な雰囲気を醸し出し、アメリ
カのファンを魅了しました。

このイチロー・スタイルを子どもたちがたちまち真似するようになりました。子どもだけ
でなく、当時、地元のシアトルでは、“夕食の支度をする主婦の手を止めさせたのはイチロ
ーだけです”と言われました。

イチローの登場はアメリカに住むアジア系の人びとに、自身と勇気を与えました。この意
味で、イチローという存在は「社会現象」となったのです。

さて、いよいよ大谷翔平です。彼は2017年のオフに日本ハムからロサンゼルス・エン
ジェルスに移籍しました。そして、実際の出場は2018年のシーズンからでした。

この年の成績はこのシーズンは打者として打率・285、22本塁打、61打点、10盗塁。投手
としては10試合に先発登板し4勝2敗、防御率3・31の成績を残し、MLB史上初の「10登板、
20本塁打、10盗塁」を達成し、シーズンを終了しました。

しかし、かねてからの問題であった肘の故障で10月にトミー・ジョン手術をうけ、翌年
2019年9月には膝の手術を受けました。

このため、事実上2019年の後半と2020年はもっぱらリハビリに専念する事になり
ました。

一部には、大谷をマイナー・リーグに落とした方が良いのではないか、という意見もでて
いました。しかし、この時期が、今年の大活躍をする体を作った重要な期間となりました。

そして、今年2021年のシーズンが始まると、投手とバッターという一人二役の二刀流
が果たして機能するのか、手術とリハビリ明けの今年、多くの人は注目していました。

蓋を開けてみれば、大谷は見違えるように生き生きと躍動し、オールスター前の前半だけ
で33本のホームランを放ちました。この数アメリカン・リーグとナショナル・リーグを
含めた全選手のトップです。

大谷の評価と人気は日ごとに高まり、ついに、オールスター・ゲームでは従来の規則を変
更してまでも、投手と代打の両方に出場可能にしたのです。MLBとファンの誰もが大谷
の二刀流を見たかったからです。

ちょっとオーバーに言えば、今年のMLB前半は、大谷のためのシーズンだったのです。
そして、多くの人をもう一度、野球への関心を高め、球場に足を運ばせたのです。

今期の大谷に成績を見てみましょう。投手としては13試合に登板し、4勝1敗、防御率
は3.49ですから、まあまあで特別好成績というわけではありません。

時々、投球が乱れて4連続四死球をだし、ワン・アウトもとれずに交代したこともありま
した。投手としては、後半戦に期待したいところです。

大谷が人々を惹きつけるのは、美しいフォームで軽々と遠くへ飛ばすホームランです。な
ぜならホームランは野球の「華」だからです。

大谷にはホームランの他にも優れた面がいくつかあります。それは、このシーズンでも見
せた、相手の守備陣形を見て行った、絶妙なセイフティー・バンドです。

次に、彼が12個の盗塁を決めていることです。投手であることを考えれば、全力疾走で
盗塁することは、普通は考えません。なぜなら、盗塁には体力の消耗の他に、二塁手と接
触して怪我をする危険性があるからです。

しかし、大谷は何より、チームが勝つことを優先しています。ある時、一塁に出ていた大
谷は、思い切った盗塁を決めて二塁に進みました。その日のインタビューで、(この日は
ホームランを打っているのですが)「今日の盗塁はホームランより価値があったと思う」
と述べています。

この盗塁で二塁まで進んでいたために、次のバッターのシングルヒットでホームまで全力
疾走で走り込みスライディングして間一髪セーフになりました。これが決勝点となってサ
ヨナラ勝ちしたのです。

この時、彼が仰向けになったまま両手を突きだして、喜びを全身で表現した光景が忘れら
れません。

こうした大谷のプレーを見ていると、日本の高校野球でたたき込まれた基本がしっかり身
についていると感じます。その一つが、全力疾走・チームプレーです。

いずれにしても、大谷が走る時の、その姿が実にほれぼれするほど美しい。これも大谷の
大きな魅力です。これに匹敵する美しい走りをするのはイチローくらいです。失礼を承知
でいえば、松井秀樹の走りはどことなくドタドタとした印象を与えます。

ちなみに、大谷とイチローとの対比で、興味深いことがあります。ファンは、大谷にホー
ムランを期待します。これに対して、イチローに関してあるシアトルの記者が語っていた
言葉が印象に残っています。彼は、イチローの全盛期のころ、次のように語っています。
    誰も、イチローがホームランを打たないことは知っている。そうではなくて、何
    でもない内野ゴロを見に来るんだ。普通ならアウトになってしまうのに、イチロ
    ーならひょっとして、俊足を飛ばしてセーフになるのではないか、というそのス
    リルを味わうために観戦にくるんだ。

一般にはホームランこそが野球の「華」、内野ゴロは失敗、と思われがちですが、アメリ
カのファンは野球の理解と楽しみ方が深いな、と思います。

野球選手としての大谷の活躍は申し分ないのですが、かれが全米で愛されているのは、人
間としての魅力も大いに影響しています。

まず「見栄え」の良さです。日本人の選手としては長身で193センチもあります。決し
て肥満ではなく筋肉は引き締まっていかにもしなやかな強靭さを感じさせます。それでも
どちらかといえば童顔でいつも笑顔を絶やさず好印象を与えます。

さらに、よくコメントとして挙げられるのは、彼の人柄、優しさ、飾らない素直さ、謙虚
さ、礼儀正しさ、笑顔、ひとなつっこさ(ちょっと持ち上げすぎかな)です。

これら全てを含めて、一言でいえば、大谷(アメリカでは “オータニ”または“ショーヘイ”)
はキュートでカッコイイ。彼が試合で登場すれば“ショータイム”になるのです。

アメリカのファンは、新たなヒーロ、オータニに熱狂している感があります。テレビのアナ
ウンサーも、”異星人”(space alien)、”怪物”(beast)という表現を使っていました。

アスリートとしての大谷の優れた面の他に、テレビやメデイァも大谷の人としての良さをた
びたび取り挙げています。たとえば、グラウンドを歩いているとき、彼が落ちていたゴミを
拾い、ごく自然にポケットに入れたシーンをカメラが捉えていました。

これは、「ゴミを拾うことは運を拾うことだ」という花巻東高校野球部の伝統で、部員にと
っては当たり前のルーティーンなのだそうです。全力疾走もゴミ拾いも、この高校での教育
のすばらしさがこういうところにも出ています。

この他にも、自分の投げたボールで相手チームのバッターが折れてしまったとき、大谷はそ
れを拾って、彼に手渡し、軽く背中をポンポンとたたきました。普通は、このようなことは
しないそうです。

最後に、大谷はホームラン・ダービーでもらった報酬、日本円で1650万円を、日ごろに
なっているスタッフに寄付したことを申し添えておきます。

後半では、ホームランだけでなく、投手大谷の“ショータイム”を是非みたいと思います。
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コロナウイルスはしぶとい。どんどん新人を送るよ。                  もう、どうしたらいいか分かんないよ

『東京新聞』(2021.7.4)   『東京新聞』(2021.7.14)                    

                               


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大谷翔平―若き「宇宙人」が与える感動―

2021-06-20 11:44:07 | スポーツ
大谷翔平―若き「宇宙人」が与える感動―

アメリカではメジャーリーグ野球で大谷翔平(26)の投打にわたる活躍が止まりません。

最近では、相手チームのホーム球場でも、観客は大谷翔平の並外れた能力に対する期待と
興奮で盛り上がっています。

野球にあまりくわしくない私でも、映像でみる大谷翔平のすごさは、見ていて爽快感と感
動を覚えます。大谷翔平は、まさしくスーパースターです。

彼は何事もなかったかのように涼しい顔をして、目の覚めるようなホームランを打ち、投
げては速球と変化球を巧みに投げ分けてはバッターを討ち取ります。

まるで、マンガに出てくる主人公のような、現実の世界では起こり得ない「二刀流」を実
際に見せてくれます。

現地の実況担当者も、WOW WOW !! といった感嘆詞しか発せられない興奮状態
です。

ある解説者は大谷翔平を「宇宙人」(space alien) という表現で、彼のすごさを表現してい
ます。

投手としての大谷翔平の素質や技術について、私には全く分かりませんが、彼の投げるボ
ールのスピードは、ある程度練習を積めば獲得できるのかも知れません。

彼が、そのためにどれほどの練習をし、身体を鍛えているか分かりませんが、プロの選手
なら誰でも必死の思いで練習していると思われます。

それでも差がつくのは、彼が練習の成果を超える、生まれもって与えられた「天賦の才」
(英語では、神が与えてくれた能力 ギフト giftと言います)としか考えられません。

打者として、彼が打つホームランは美しい弾道を描いて軽々とスタンドに飛び込みます。
彼は、まさに「宇宙人」としか言いようのない天才的なセンスをもっているようです。

野球の世界でよく言われるのは、守備は練習でうまくなるが、打撃は先天性のセンスの
問題で、これは練習してもなかなか上達しない、と言います。

大谷のバッティングは、全力でバットを振るというより、バットがボールにパシッと当
たるその瞬間に全ての力がバットに伝わる打ち方に見えます。

このため、軽々と打っているようで遠くは飛ぶのだと思います。

これは、目でとらえた自分に向かってくるボールの速さと、自分の体の感覚を瞬時に判
断して反応しているからです。

この動きはほとんど無意識で、自動的に起こっていると思われます。実際、猛スピード
で飛んでくるボールに対してあれこれ考える時間はありません。

だからこそ、これは生まれ持って賦与されている才能だと私は思います。

もっとも、この一連の反応の能力を、身体が自動的に反応するまで練習を積み重ねるこ
とによってある程度は獲得できる可能性はありますが、それにも限界があります。

かつてイチローがベースの前で地面に着きそうなくらいの低いボールを巧みなバットさ
ばきでヒットにしてしまったとき、アメリカの解説者が、イチローの「並外れたハンド
・アイ・コーディネーション」(目で捉えた情報と体の動きの連動)と表現をしました。

これは、自然界では動物が、ごく普通にやっていることで、行動科学では「アフォーダ
ンス」と呼ばれています。よく引き合いに出されるのが、海の魚を捉えるカツオドリの
動作です。

カツオドリは海の中に獲物の魚を見つけると魚の移動する方向と速度を確認して、その
近くまで羽を広げて大急ぎで飛び、その後急降下して海に飛び込み、魚を捉えます。

この時、目で確認した海との距離、羽に当たる空気の流れで自分のスピードを確認し、
水の抵抗を小さくするために、海に突っ込む最後の瞬間に羽を縮めて水中に突っ込みま
す。

こうした動きは、ほとんどの動物が獲物を捕らえる時に自動的に行っています。

たとえば、ライオンやヒョウなどの肉食動物が獲物を捕らえる時、追いかける自分のス
ピードと、逃げる相手の動物の速度と距離を目と体の動きで感じ取り、最後に獲物に飛
びかかる瞬間を判断しているのです。

このタイミングが少しでも早すぎても遅すぎても、空振りに終わってしまいます。

大谷翔平やイチローの動きを私の趣味の渓流釣りにたとえるのは、失礼かもしれません
が、よく似た点があります。

私の渓流釣りは、日本古来の毛ばりを用いる「テンカラ釣り」で、毛ばりの着水に合わ
せてイワナはエサと認識して素早く見つけて空中で毛ばりを咥えることがあります。

この時、イワナは自分が泳いで毛ばりを捉えられるところまで猛スピードで泳ぎ、そし
て空中に降りてくる毛ばりの速度と位置を確認して、空中に飛び出してくるのです。

一方、釣り人の側から見ると、自分の毛ばりがゆっくりと水面に向かって落ちてゆくス
ピードと、おそらく魚が毛ばりに飛びつくであろう位置とタイミングを想定して、竿を
立てて針に合わせるのです。

魚が飛び出した姿を見てから竿を上げても、それでは遅すぎて、空振りとなってしまい
ます。

渓流釣りの経験のなかで最も感動するのは、こうした読みと実際の魚の動き予想が一致
して空中で魚を針に掛けて釣った時で、これもほとんど無意識の反応です。

ところで、もう一つ、あまり取り上げられませんが、私が大谷翔平の動きを見ていて感
動するのは、投げる姿も、打つ姿も、とりわけ走る姿が非常に美しい、ということです。

これは、身体の動き全体に無理がなく、無駄な力が加わっていない自然な動きだからで
す。ここにも、私は彼の「天賦の才」を感じます。

少しキザな表現を使うと、優れたものには“美”があるのです。

これまで、アメリカのメジャーリーグでは“怪力”誰々と言われたホームラン・バッターは
何人もいました。しかし、私たちはホームランの数には感心しますが、そこに“美”を感じ
ることはあまりありません。

怪力の持ち主は、太っていて、お腹が出ていて、走る姿もドタドタと重苦しい場合が多
いのに、大谷翔平は、日本人離れした長身でスリムで、そもそも立ち姿が美しいのです。

大谷翔平が、たとえホームランを量産したとしても、もし、打つ姿や投げる姿が美しく
なかったらどうでしょうか? もし走る姿が、ドタドタと重苦しかったら、今のような
人気があるでしょうか?

大谷翔平の動きに“美”を感じる点では、イチローと似たところがあります。イチローのプ
レーについて、たとえば相手チームが打った打球が自分の方に向かって来るとき、彼は
打球の速さと位置を計り通常よりも早く動き出します。

その代表的な例は、今や伝説となった、“レーザービーム”送球です。これは、イチローが
ライトを守っていた時に飛んできたボールを素早くキャッチして、3塁に向かって走って
いた走者をアウトにした、あのプレーです。

三塁でイチローのボールを受けた選手によれば、ボールは地上1メートルの高さを保った
まま真っ直ぐに飛んできたといっていました。そのボールが飛んできた軌跡が、まるでレ
ーザービームのように真っ直ぐだった、というのです。

あるアメリカ人の監督は、その時、彼の身体の全ての動きが、ボールを投げるその瞬間に
伝わるように連動する、そのスムーズさにある、と評しました。これは大谷翔平にも当て
はまります。

大谷翔平が、これからどれだけの活躍をし、どのように変貌して行かは全く分かりません。
とくに、アスリートには心身ともに年齢という避けることのできない壁があります。

しかし彼の存在は、野球ファンだけでなく、私たちに、人間のもっている底知れない能力
を見せてくれます。

コロナ禍でうっとうしい雰囲気が覆っている日本で、大谷翔平がこれほどの希望、喜び・
感動を与えてくれるのは大きな救いです。

これからも、毎日、OHTANI SHOW TIME を楽しみにしています。
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今年も庭のフランボワーズのジャムが5ビンできました。これでほぼ1年間、大事に食べます。          庭のトマトが、まるでブドウのようにたくさん実をつけています。
    



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大坂なおみの問題提起―その真意と波紋―

2021-06-06 07:17:35 | スポーツ
大坂なおみの問題提起―その真意と波紋―

すでに多くのメディアが報じているように、大坂なおみは、現在パリで行われているテニス
の四大大会(全米、全豪、全英、全仏オープン。別名グランドスラム)の一つ、全仏オープ
ンの女子シングルスの一回戦(5月30日)で勝利した試合後の記者会見を拒否しました。

実は、この試合に先だつ5月26日、大坂はツイッターで試合後の記者会見を行わないこと
を宣言していたのです。

こ際大坂はツイッターで、試合で負けた選手に対して質問に答えるよう求めるのは、「倒れ
ている人を蹴りつける」行為に相当すると訴えました。

そして、「アスリートのメンタルヘルス(心の健康)への配慮がまったくないと感じること
が多い。記者会見を見たり、臨んだりすると、いつもそう思う」「アスリートの心の健康状
態が無視されていると感じていた。自分を疑うような人の前には出たくない」などとも書い
ています。

「会見場に座ると、これまで何度も質問されてきたことを聞かれたり、不信感を覚える質問
を受けたりする。私に対して不信感を抱えている人たちの前には、もう出ない」と表明した。

このニュースを聞いた時、私は本当にびっくりしました。といういのも、大坂は、これまで
の規則で、試合後の記者会見を拒否すれば、罰金や失格、さらには四大大会への出場停止ま
でありうることを十分に知ったうえで、会見拒否を宣言したからです。

四大大会というのは、テニス界においては最高峰の舞台で、そこに出るだけでも大変なのに、
敢えて会見の拒否宣言を行うことは、最悪、テニス人生を棒に振るかもしれません。

この段階では、大坂はウツ(病)のことは発表していませんでした。

ただ、大坂は以前、黒人が白人警官に殺されたことをきっかけに、「黒人の命も大切だ」
(Black Lives Matter)への共感を示すために、昨年の全米オープンの試合で、6日間、毎回、
理不尽に殺された黒人の名前を書いたマスクを着けて試合に臨んだことが、世界に大きな影
響を与えたことを記憶しているので、今回も、何か、重大なメッセージがあるにちがいない、
とは感じていました。

そして、5月30日の1回戦後、大会前の宣言通り、試合後の記者会見を拒否した。この行動
に対して、4大大会の主催者は合同で罰金と規則を警告し、大会主催者は1万5000ドル(約
165万円)の罰金を科しました。

4大大会の主催者が合同で警告した「大会からの失格」「4大大会の出場停止」は、感情的で
思いつきの圧力ではない。少なくとも4大大会ルールブック(規則集)にのっとっています。

ただ、公平を期すために補足しておくと、26日の記者会見ボイコット発言後、大会主催者
は大坂に再考を求め、健康状態について確認しようとしたが、うまくゆかなかった、と説明
しています。

4大大会規則の核となる要素として、選手は試合結果に関わらずメディア取材に応じる責任
があるということがある。この責任はテニス、ファン、選手自身のためのものだ。

大坂なおみには、今大会中にメディア取材の義務を無視し続ければ、行動規範へのさらなる
違反に問われる可能性があると通告した、とも付け加えています(注1)。

30日の1回戦後、大会前の宣言通り、試合後の記者会見を拒否した。この行動に対して、4大
大会の主催者は合同で罰金と規則を警告し、大会主催者は1万5000ドル(約165万円)の罰金
を科していました。

4大大会の主催者が合同で警告した「大会からの失格」「4大大会の出場停止」は、感情的で
思いつきの圧力ではない。少なくとも4大大会ルールブック(規則集)にのっとっています。

一応、そのルールを確認しておきましょう。

2021年規則集の第3条「選手の会場での違反」のH項に「記者会見」があり、その条文には、
「けがや体の不調でない限り、勝敗に関係なく会見に参加しなくてはならない」とある。そ
して違反した場合、「違反した選手は最大2万ドルの罰金を科される」

大会からの失格は、同条のT項に「失格」とある。そこには「大会レフェリーは、4大大会
監督者とともに、1度の違反や、その違反の段階に合わせて失格を通告できる」とある。つ
まり、悪質とみられた違反は、レフェリーと監督者が失格を宣告する権限を持っている。

4大大会の出場停止は、第4条「選手の重大な違反」のA項「悪質な行為」の3による。「12
カ月間に2回以上の違反があり、4大大会に悪影響を与える行為」が悪質な行為となり、この
違反は「最大25万ドル(約2750万円)か獲得賞金の多い方の罰金に加え、最高で4大大会す
べてのプレーを永久に停止する対象となる」と公式に書かれている(注2)。

以上見たように、規則上、大会主催者の対応には規則上、なんら問題はありません。

大坂は第一戦で勝利した後で、第二戦を棄権することも発表しました。これは、大坂が採り
うる最善の行動でした。というのも、第二戦に出て、再び会見を拒否すれば、こんどこそ以
下に示すように規則上、「選手の重大な違反」と「2回以上の違反」となり、「悪質な行為」
と判断されてしまう可能性があるからです。

さまざまな分野のアスリートたちは、たとえば男子テニスの頂点に立つジョコビッチのよう
に当初、大坂なおみの気持ちは理解できる、しかし、プロならば「会見も仕事の一部」とい
うコメントが多かったように思います。

実は、私も最初はそのように思っていました。

また、別のテニス選手は、自分たちが高収入を得ていること、自分たちの活躍を世界に知ら
せてくれるのはメディアのおかげであることを考えれば、試合後の記者会見はやはり義務だ、
というコメントも少なくありませんでした。

しかし31日、「うつ」を告白するツイッターを境に、大坂への批判的なコメントは止み、
共感と、支持のコメントが一斉によせられました。

その告白の中で重要な部分とは
    さらに重要なことは、私はメンタルヘルスを矮小化したり、軽々しくその言葉をつ
    かったりしないということです。実は2018年の全米オープン以降、私は長い間うつ
    を患い、対処するのに本当に苦労してきました。・・・・・
    本当に緊張して、いつも最善の答えができるようにすることは大きなストレスです。
    このためパリでは、すでに不安で傷つきやすい状態になっていたので、自分を守る
    ためにも記者会見を回避した方がよいと思いました。

最後に、しばらくコートから離れること、一時的に試合には出ないことを述べていまます

このツイートを見て四大大会側は翌日、「可能な限りのサポートと援助を提供したい。彼女
は卓越したアスリートで、自身が適切に判断した時の復帰を楽しみにしている」と、大坂の
言動を支持する共同声明を発表しました。

一旦は、「会見も仕事」を強調したジョコビッチも、「彼女に共感する。とても勇気ある行
動だった」とし、うつの告白には「時間をかけて考え、充電する必要があるなら尊重する」
と、大坂を気遣っている。

さらにジョコビッチは、以前と違って、選手とファンとのコミュニケーションは、大坂が実
際にやっているように、SNSそのたの媒体を通じてもできるので、今後はそうした時代の
変化も考えてゆくべきだ、とも語っています(『東京新聞』2021年6月2日)。

ところで、大坂なおみの問題提起は、四大大会の規則集にある「けがや体の不調でない限り、
勝敗に関係なく会見に参加しなくてはならない」、という点です。

ここでは、試合後30分以内の会見についての規定なので、実際には「けがや体の不調」と
いう場合、「身体的な問題がない限り」という意味が想定されています。

しかし、大坂なおみは、身体のことだけでなく、心の健康(メンタルヘルス)も同様に重要
で四大大会の主催者は心の問題を過小評価(矮小化)していることに異議申し立てをしてい
るのです。

おそらく、この規則集は古い体質をそのまま引き継いでいて、アスリートの身体には気を使
うが、心の問題には関心がないようです。

この問題提起によって、大会主催者の考えがどれほど変わるのかは分かりませんが、共同声
明の文面からは、ほのかに大坂なおみの問題提起を受け入れる姿勢が読み取れます。

一人のファンとして私個人としては、あせらず時間をかけて心のリハビリをし、再びコート
に出て、力強いプレーを見せてほしい、と思うばかりです。

(注1)BBC NEWS 2021.5.31  https://www.bbc.com/japanese/57303469
(注2)『日刊スポーツ』5/31(月) 22:39配信 (Yahoo News 経由)
https://news.yahoo.co.jp/articles/51e638bb8b333524704ee41047e4100c7e111406
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障害や批判もはものともせず 猛ダッシュだ!                                      目は血走り 鬼気迫る ”何がなんでも開催するぞ”
  

『東京新聞』(2021年5月12日)                                          『東京新聞』(2021年5月30日)

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佐々木朗期希投手―「悲劇の物語」を背負ったヒーロー―

2021-03-17 09:09:10 | スポーツ
佐々木朗期希投手―「悲劇の物語」を背負ったヒーロー―

佐々木朗希投手には、飛び抜けた天性の才能と、存在そのものに“華”があります。同時に「悲劇の物語」があります。

この二つの要素に加えて、彼の、ちょっと寂しげな表情は、彼の野球人生を、筋書きのないドラマに仕立てています。
私は、ここに強く惹かれます。

2021年3月12日。私はこの日を長い間待っていました。

それは、2020年に千葉ロッテマリーンズに入団した佐々木朗希投手が、いよいよ中日ドラゴンズとのオープン戦
に登場した日です。

私は、BSのスポーツ専用チャンネルのテレビ欄をくまなくチェックして、どこかで中継がないか調べましたが、見当
たりませんでした。

結局、試合の結果は夜のスポーツニュースと翌日の新聞で知ることになりました。

佐々木投手はこの試合では6回の1イニング、3人のバッターと対戦し、三者凡退に打ち取りました。最初のバッタ
ーは149キロで、2番目のバッターには150キロの速球でゴロを打たせてアウト。

圧巻は中日の4番ビシエドとの対戦でした。彼はこの強打者に恐れることなく152キロの直球で勝負し、彼の打球
はフェアグランドには飛ばず、見逃し三振に仕留めました。

彼が投げたのは12球だけでしたが、うち11球が速球でした。つまり、打者は変化球ではなく速球(直球)がくる
ことを分かっていながらヒットを打てなかったのです。

ビシエドに「いいところに決められて手が出なかった」と言わせるほど、完璧でした。まさに「令和の怪物」の真骨
頂を見た思いです。

試合後彼は、「マウンドから見た景色はすごく興奮した」「威力もあったし抑えられるボールが投げられたのが一番
良かった」と語り、ようやくたどり着いたプロでの初登板の結果に手応えを感じたようでした(『東京新聞』2021年
3月13、16日)。

実をいうと私はこれまでプロ野球にはほとんど興味がありませんでしたが、佐々木投手だけはずっと気にかかってい
ました。それは、佐々木投手が逸材というだけではなく、彼が“悲劇の物語”を背負っているからかもしれません。

佐々木投手は2001年11月3日生まれ。現在19歳。最新の身長は192センチ、体重は92キロです。

しかも、たんに身長が大きいだけでなく、脚の長さが体の半分くらいありそうな、ちょっと日本人ばなれした体格で、
その長身から繰り出す豪速球が魅力です。

彼が遭遇した最初の大きな悲劇は、彼が9才の時、2011年3月11日、東日本大震災で父親と祖父母を津波で失
い、住んでいた陸前高田の家も流されたことでした。一家はその後大船渡に移り住みました。それから、中学・高校
とひたすら野球に打ち込みました。

彼が一躍、世間の注目を浴びたのは、大船渡高校3年生の4月の練習試合で163キロ、という現役のプロの投手で
もめったにでない豪速球投げたことでした。

この年の夏、甲子園大会への出場をかけた岩手県予選で、順調に決勝まで勝ち進みました。多くの日本人が、彼が属
する大船渡高校が岩手県大会で優勝し、令和の怪物、佐々木投手が甲子園大会に出場することを願っていました。

しかし、おそらく佐々木投手本人もチームメートも、対戦相手の花巻東高校も観客も、誰もが想定していなかった事
態が起こりました。

国保陽平監督は、決勝での登板回避を決断したのです。その結果、佐々木投手は1球も投げることなく大船渡高は2
対―12で敗れてしまいました。

ちなみに花巻東高校は、現在アメリカのメジャーリーグで活躍している大谷翔平や菊池雄星を輩出した名門校です。

試合終了直後、監督はベンチ前で報道陣に対し、開口一番「投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断し
た。(理由は)故障を防ぐためです」「3年間で一番壊れる可能性があると思った」と説明しました。

程なく取材に応じた佐々木は、うつむき加減で「監督の判断なので、しようがないです。高校野球をやっている以上、
試合に出たい。投げたい気持ちはありました」「負けたので悔いは残ります」と語りました。

こうして「令和の怪物」、完全燃焼しないまま佐々木朗希の最後の夏が終わりました。

国保監督は、大学卒業後、米独立リーグでプレーした経験を持っていますが、アメリカでは「選手の肩は消耗品」と
いう考え方が支配的でした。そしてこの時点で佐々木投手は4試合に登板し、既に435球を投げていたのです。

監督は「3年間で(佐々木が)一番壊れる可能性があると思った。故障を防ぐためですから。私が判断しました」と
も言いました。実際、彼は中学の時、疲労骨折をしています(注1)。

この登板回避にたいしては賛否の声が野球界から上がりました。たとえば張本勲氏や金田正一氏は、絶対に投げさせ
るべきだった、とコメントしましたが、桑田真澄氏は「監督と佐々木投手の勇気に賛辞を贈りたいと思う」とコメン
トしています。

同様に賛辞を贈ったのは、元プロ野球選手の大野倫氏。沖縄水産高校時代、夏の甲子園で773球を投げて準優勝。た
だし決勝戦では疲労骨折しながらも登板し、その後も肘の故障に苦しんだそうです(注2)。

当時私も、決勝なんだから、少し投げさせてみて無理ならすぐに交代すれば、と思っていましたが、長い目で見れば、
やはり登板回避はやむを得なかったと思います。

佐々木投手は2020年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに1位指名で入団しました。

私は、いつ試合に出るかずっと待っていましたが、この年はついに練習試合さえ登板の機会がありませんでした。

そして、冒頭で触れたように、2021年3月12日のオープン戦でのプロ初デビユーとなりました。ドラフトで入団が
決定してから、なんと1年5カ月ぶりの登板でした。

このオープン戦のチケットは発売と同時に売り切れてしまったことからも、どれだけ世間の期待が大きかったが分か
ります。

では、この間、井口資仁監督や吉井理人投手コーチは彼に何をさせていたのでしょうか?この二人は、かつてアメリ
カのメジャーリーグで活躍した名選手です。

佐々木投手はゲームには参加しませんでしたが、ほとんどキャンプからずっと1軍のチームに帯同していました。お
そらく、1軍選手とともに行動して、何かを学ばせたかったのでしょう。

そしてひたすら体力作りのトレーニングに取り組ませていたのです。監督とコーチは、プロとして年間を通して投げ
ていくだけの体力が出来上がっていないから、何より体力作りが重要だとの考えで、1年間は戦力には含めない、と
いう方針でした。

言われてみれば、佐々木投手は高校時代にはとにかく基礎体力をつける余裕も 与えられず、投手という体力の消耗
が激しいポジションをこなしてきました。

大船渡高校の監督が、「3年間で一番壊れる可能性があった」と判断したように、佐々木投手の体は限界にいていた
のです。

ロッテ球団としては、彼を登板させれば観客動員という意味では非常に効果があったことは分っていましたが、監督
とコーチの方針を認めて佐々木投手の体力作りに専念させたのです(『東京新聞』2021年3月16日)。

同期の高卒ルーキーがオープン戦で活躍していたにもかかわらず、彼はじっと、ひたすら体力作りに励んでいました。

ここにも「悲劇」とまではゆかなくても、私はどことなく「悲哀」を感じてしまいます。

では、この「空白の1年」を彼はどう感じていたのでしょうか。彼は「昨年はすごく意味のある1年だった」と前向に
とらえています。

佐々木投手を登板回避させた大船渡高校の監督といい、ロッテマリーンズの監督、コーチといい、長い目で佐々木投
手を育ててゆこうという、先を見つめた温かい配慮があります。こうした人物に巡り合えたことは彼にとって、とて
も幸運だったと思います。

願わくば、「球界の宝」として無理をさせず、私たちに感動を与えてくれる選手に育ててほしいし、佐々木投手も、
それに応えるような投球を見せてほしいと思います。

(注1)『JIJI.com』(2019年10月5日)https://www.jiji.com/jc/v4?id=rsasaki1908030001
『デイリー新潮』(デジタル版)https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08051701/?all=1&page=1
(注2)Wikipedida 「佐々木朗希」
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高く足を上げて投げる、佐々木投手                                   バランスの取れた体の動き
  



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ラクビー・ワールドカップ―新たなスポーツ文化に感動―

2019-10-23 08:07:54 | スポーツ
ラクビー・ワールドカップ―もう一つのスポーツ文化に感動―


ラクビー・ワールドカップ2019(東京大会)は、まだ準決勝と決勝が残っていますが、日本
に関していえば、10月20日の南アフリカ戦をもって、終了しました。

日本の前回のワールドカップでは、あと一歩で決勝トーナメント入りできなかったので、今回は
ベスト8に残り決勝トーナメント入りすることが悲願でした。

この1か月、言葉では言い表せないほどの感動を与えてくれた日本チームに心から感謝し、ベス
ト8入りできたことを誇りに思います。

日本の初戦は9月20日のロシア戦(30-10)で、これに勝利して9月28日のアイルラン
ド戦(19―12)、10月5日のサモア戦(38―19)、10月13日のスコットランド戦
(28―21)と、順調に勝ち進み、そして運命の10月20を迎えました。

この間、日本人の間にみるみる、にわかラクビー・ファンが増え、居酒屋でも話題はもっぱらラ
クビーだったようです。実は、私も「にわかラクビー・ファン」の一人です。

ラクビー熱は日ごとに、文字通り「熱狂」「フィーバー」といっていいほど、急速に高まってゆ
きました。

これは、試合ごとの視聴率の変化をみれば明らかです。つまり、最初のロシア戦は18.3%だ
った視聴率が、二試合目のアイルランド戦では22.5%に上昇しました。

しかし、この時点ではまだ、それほどの視聴率の上昇には至っていません。ところが、初戦で、
今大会開始時点では世界ランキング1位だったアイルランドを破ったことで、それまであまり関
心がなかった日本人の関心が、一気に高まった感があります。

それを裏付けるように、第三戦のサモア戦の視聴率は32.8%へ10%以上も上がり、スコッ
トランド戦では39.2%に跳ね上がり、決勝トーナメントの南アフリカ戦では、平均視聴率で
41.1%、瞬間最高視聴率は49.1%に達しました。日本人のほぼ二人に一人がテレビ観戦
したといっても過言ではありません。

大会開始前の日本では、ラクビーは野球やサッカーに比べて一般の認知度は低く、どちらかとい
えば、特殊なマニアだけが愛好する「マイナー・スポーツ」でした。

それが、なぜ、これほど急激に、しかも国をあげての熱狂を呼び起こしたのでしょうか?

サッカーの専門家が幾つもの要因を挙げていますが、素人の私は以下のように考えます。

一つは、一試合ごとに、あれよあれよと言う間に勝ち進んで行ったことに対する驚きと感動だっ
たと思います。台風による激甚災害で気分が暗くなっていた日本の状況のなかで、国際試合で勝
ち進んで行った日本チームは、その陰鬱な空気を吹き飛ばしてくれました。

二つは、日本人の多くは、ラクビーに対する親しみも薄く、ルールも知りませんでしたが、しか
し、テレビや現場で観戦しているうちに、ルールも次第にわかってきて、ラクビーの面白さと迫
力に目覚めてしまったことです。

私は、ほとんどのスポーツ、とりわけ球技に興味がありますが、ラクビーはそれほどでもありま
せんでした。しかし、今大会は、私が抱いていた球技の概念を吹き飛ばしてしまいました。

たとえば野球を考えてみましょう。野球ではピッチャーとキャッチャーとバッターの三者の間で
交わされる駆け引きの緊張状態にありますが、他の選手にはあまり動きはありません。

私の感覚では、野球は全体としては「動」よりも「静」の場面の方が多い「間」のスポーツです。

バッターが打てば一気に動きがでますが、それもまた事態が一段落すると、また「間」の状態に
戻ります。

もちろん、この「間」がもたらす緊張感こそが野球の面白さでもあります。

ラクビーと同様に広いフィールドで駆け回る「動」のスポーツ、サッカーはどうでしょうか。

今回、ラクビーの試合を見るまで私はサッカー・ファンで、特に国際試合は結構観てきました。

サッカーにはサッカーの面白さがあり、それはスピード、戦略、パスやドリブル、シュート・テ

ニックなどの組み合わせです。

サッカーは遠くからでもボールを蹴ってゴールに入れることで得点できますが、ラクビーは、ペ
ナルティ・キックやドロップ・キック、コンセッション・キックによる得点もありますが、なん
といっても醍醐味は、選手が自分でボールをゴールに運ぶ、トライです。

トライを目指して何回も、あるいは何十回も肉体と肉体の激突を繰り返します。もちろんサッカ
ーにも肉体と肉体との接触や激しさはありますが、ラクビーのタックルや正面や背後からの激突
はありません。

ラクビーは、人間が自分の肉体を武器に思い切り相手とぶつかり合い、タックルで倒すなど、肉
弾戦がもたらす野性的な魅力に満ちたスポーツです。

この激突を観て、「やわ」になった現代人の心が揺さぶられるのです。

それに比べるとサッカーは、オシャレで、お行儀の良い繊細なスポーツという感じがします。

第三は、ラクビーというスポーツがもつ、人種や国籍を超えて選手がチームを構成し、一つにな
るこれまでのスポーツで日本代表を構成するのは、ほぼ“日本人”だけでしたが、ラクビーは、
日本で3年間以上プレーしていれば、日本代表チームのメンバーになれます。

実際、今回の日本代表チームでいえば、31人中10人が「外国人」選手でした。こうした多様
な選手が”ONE TEAM" の理想を掲げて一つのチームとして戦うことに、多くの日本人は感動しま
した。

これまでは、国際試合といえば、「ニッポン」が強調され愛国主義(ナショナリズム)を高揚さ
せるイベントでしたが、ラクビーには、本当の意味で国際主義(インターナショナリズム)がそ
の精神に流れています。日本人は、今回の大会を通して、この精神を体験したのではないでしょ
うか。

第四は、ラクビーの根底に流れる「ノーサイド精神」で、試合が終われば敵味方なく相手を尊敬
し称える精神です。これは従来の日本のスポーツ界では、あまりなかったことでしたが、これを
目の当たりに見て多くの日本人は、感じるところがあったと思います。

私は、今回の試合を観ていて、ラクビーは、見かけの荒々しさとはちがって、フェア精神に満ち
たスポーツだと感じました。ラクビーにはたくさんの反則ルールがありますが、それは、徹底し
てズルをしない、相手を傷つけないという配慮から設けられています。

最後に、南アフリカ戦に触れないわけにはゆきません。

予選リーグでは四戦四勝という快挙で決勝トーナメントに進んだので、そこでも南アフリカを破
ってベスト4まではゆけるのではないか、との期待を持ちました。

反面、前回、日本に「歴史的勝利」を許した南アフリカ・チームは、二度と同じ過ちは犯さない
と、リベンジに燃えていました。

試合の前半の40分、負けてはいましたが得点は3対5で、まあ互角の戦いのように見えました。

しかし、私はこの時点で、かすかに不安を抱いていました。それは、日本のボール保持率が80
パーセントに達していたからです。(この点を高く評価する専門家もいました)

というのも、試合の前日、五郎丸氏はあるテレビ番組で、日本に勝つチャンスがあるとしたら、
前半は南アフリカにボールを持たせ、攻撃させることだと言っていたからです。

五郎丸氏は、ラクビーでは守るより攻撃する方がずっと体力を使うので、前半に南アフリカに攻
撃させれば、体は大きいけれど走るのは苦手な彼らは後半には疲れてしまい、日本にチャンスが
やってくる、と言っていたからです。

皮肉にも、長時間ボールを保持した日本チームは後半になると疲れが目立ち、故障者が続出しま
した。

逆に、南アフリカは後半には猛然と実力を発揮し、パワフルなモールとスクラムで日本を徹底的
に攻め、押しまくった状態から得点を重ねてゆきました。走ることも苦手ではなさそうでした。

今から思えば、南アフリカは前半は守備を重視し意図的に体力を温存して、逆に日本選手を疲れ
させる作戦を採っていたのかも知れません。

試合を総括して、今回大活躍した堀江は正直に「用意したことを全部出して相手を苦しめるとこ
ろまでいったけど、やっぱりレベルの違いが見えた」とコメントしました。そして、

    南アフリカは日本チームの戦略を十分に研究しつくしていました。日本が快足の両翼に
    回そうとすると、外の選手がダッシュし、パスコースに蓋をする。内側の選手が迷う場
    面が多発。姫野やマフィらの突進力もこれでは半減する。タックルされながらのオフロ
    ード・パスも警戒。日本選手の腕を抱えるなどしてボールの制御を奪う。これまではつ
    ながっていたあと1本が届かなかった(注)

と振り返っています。

残念ですが、これが日本の実力であり現状なのです。

予選の4試合で、疲労と体へのダメージも蓄積していました。ジャージの下にはテーピングで補
強した選手も多く、痛み止めの注射でなんとか試合を続けた選手もいました。

250日間の合宿で、技術だけでなく、死ぬほど体を鍛えてもなお、パワーと持久力が足りなか
ったということです。

日本チームがさらなる上を目指すなら、瞬発力だけでなく、持続する体力を今以上強化する必要
があります。

最後に、私が一番印象に残った選手は、プレイヤー・オブ・ザ・マッチ(POM)に選ばれた南アフ
リカのスクラム・ハーフ、ファフ・デクラークでした。彼は身長170センチと小柄ながら、ボ
ールのの行く先には必ずいたし、タックルもうまく、後半にはトライも決めています。これから
の日本チームには、デクラークのような、本当の意味でオールラウンドの選手が是非、必要です。

こうした問題はありますが、今回の大会で、日本のラクビーは世界に通用することを実証した意
味は大きいし、次世代を担う若い選手に大きな自信を与え、貴重な遺産を残したと思います。

そして、私たちに、ラクビーという、もう一つのすばらしいスポーツ文化を与えてくれたことに心
から感謝します。


"ONE TEAM" を象徴する日本チームの円陣




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イチロー引退の衝撃(2)―アメリカ社会はイチローに何を見て何を評価したか―

2019-03-31 07:24:58 | スポーツ
イチロー引退の衝撃(2)―アメリカ社会はイチローに何を見て何を評価したか―

前回は、3月21日の夜、東京ドームに駆けつけたファンが、深夜になっても帰る人もなくイチローに
別れを惜しんだ、筋書きには無かった感動的なドラマについて書きました。

それではイチローの本拠地、海の向こうのアメリカでは、イチローの引退にたいしてどのような反応が
あったのでしょうか?

まずは、イチローが所属している『シアトル・タイムス』(3月21日)です。翌日の見出しは 「永
遠の感謝」(Forever Grateful) で、多くの関係者の声が寄せています(注1)。

オーナーのジョン・スタントンは、次のように感謝を述べています。
    イチローは2001年に外国人選手にとって新時代の開拓者としてやってきて、衝撃を持って切り
    拓いた。彼が日々みせる技術、情熱、準備、これらは真に偉大な者だけが選手生活を通じて成
    しえることができる。我々は、彼がマリナーズとメジャリーグたいして行ってくれた全てに感
    謝します。個人的には、彼が最後の年に私に与えてくれたアドバイスと洞察に感謝します。

2001年にスカウトマンとしてイチローと会った ジェリー・ディポトGMは、彼を選手としてだけ
でなく、人間としても尊敬している、とコメントしています。

マリナーズの大先輩で殿堂入りをしているケン・グリフィー・ジュニアは、「イチローは日米の壁を取
り外し一つにした偉大な選手」、と称賛しています。そして、イチローが殿堂入りするのを楽しみにし
ている、と締めくくっています。

スコット・サーヴァイス監督は、
    監督として、また一ファンとして、私は彼が登録名簿から消えてしまうことが淋しい。しかし、
    個人的に言わせてもらえば、彼が年間を通じて私たちとともにいてくれることを知って喜んで
    います。昨シーズンにおいても、彼と交わした会話、彼が与えてくれた洞察と大局観は本当に
    価値あるものでした。イチローは信じられないほどの実績をもっています。私は、イチローの
    監督という特権を与えられたことが幸運で名誉なことだと感じています。

ジェフ・アイデルソン野球殿堂・博物館の館長は称賛しています。
    イチローは途方もないプロ精神、尊敬、情熱、日本から持ち込んだ特徴をもって、アメリカの
    野球に品格を与えてくれた。・・彼はどの試合においても優美さとスタイルと驚くべき一貫性
    を発揮していた。彼の多くの業績は殿堂入りに値するものです。・・・彼の成功がとても意義
    深いものであるというのは、彼が生まれ育った文化とは全く異なる文化の中で生活しながらも、
    これだけの業績を達成したからです。

『シアトル・タイムス』紙はマリナーズの本拠地の新聞であるから、関係者の称賛と感謝の声が多く寄
せられているのは当然ですが、その他のアメリカのメディアはどんな反応をしたのでしょうか。

まず『ニューヨーク・タイムス』紙は「45才でイチローは日本のパイオニアとしてのキャリアを終え
た」と淡々と事実を伝えました。

ところが同じニューヨークの新聞でも、『ニューヨーク・ポスト』(日本でいえば『東スポ』のような
新聞だそうです)は、
    イチローはエルビス・プレスビーとベーブルースとビル・ゲイツを一人にしたような存在だっ
    た。彼は象徴であり、アイドルであり、神話だった。
と、日本の新聞でも書かないような、最大限の賛辞を送っています(注2)。

『ワシントン・ポスト』紙は、“引退するイチローはマドンナのようだ”との見出しで、かつての同僚、
長谷川投手の言葉を引用して、“彼はたんたる野球選手ではない。マドンナやマイケルジャクソンと同
じような存在だ」と書いています(注3)。

しかし、何といっても世間を驚かせたのは、イチローをこよなく尊敬し、引退試合となったあの夜に大
粒の涙を浮かべていたチームメイトのディー・ゴードンが、3月29日の『シアトル・タイムス』1面
の全面広告という形で、イチローへの感謝を表わしたことでした(4)。かなり長文なので、彼の気持
ちがこもっている部分だけを抜き出して引用しておきます。
    
    ありがとう イチロー
    まず初めに、僕の素晴らしい友人でいてくれて、そして今までで1番好きな野球選手でいてくれ
    てありがとう。・・・
    僕が野球を始める前、あなたを見て「ワオ、彼は僕みたいに細いのに...彼ができるなら僕にだ
    ってできるだろう!」と思ったのを覚えています。あなたの姿が、僕に野球をやりたいって思
    わせてくれたんだ。・・・・
    エイボン・パーク(Avon Park:フロリダ州にあるゴードン選手の出身地)に住んでいた少年時
    代から、あなたは僕のヒーローだった。
    あなた以外はみんな、ホームランを打つようなスラッガーだった。でもあなたは自分に、あなた
    の仕事に、プロセスに、そして1番大事な...あなたの文化に忠実だった。周りの選手は僕らの倍
    くらい大きいけれど、不可能はない。このスポーツで、僕がやりたいこと何でも、すべてが可能
    だと、あなたは見せてくれたんだ。・・・・・
    でも2015年、僕がマイアミに移籍すると、数日後、なんとあなたもマイアミと契約したんだ!
    僕は嬉しすぎて飛び上がり、親友に叫んだんだ。「聞いてよ!イチローとプレーできるんだ!ま
    じかよ!この僕が?嘘だろ!?」ってね。・・・・・
    あなたがやっと到着して、僕があなたに挨拶に行ったら...もう、あなたはめちゃくちゃ優しか
    ったよね。あなたは、僕を可能な限り支援してくれる、と言った。誓うよ、あれは嬉しかった。
    今でも僕は「僕はイチとプレーしてるんだぜ!小さいエイボン・パーク出身の僕がだよ?」って
    信じられないくらいです。・・・・
    そしてあなたの「秘密」を教えてくれていなければ(大丈夫、絶対言わないから!)、今の「打
    撃王・ディー・ゴードン」は誕生していなかったよ。

もう説明は不要ですが、イチローがいかに尊敬され愛されているかが、良く分かります。

ところで私はオリックス時代から優れたアスリートとしてイチローを高く評価していましたが、偶然、イ
チローがシアトル・マリナーズに移籍した2001年の1年を振り返るドキュメンタリーを見て,大げさ
でなくショックを受けました。それは、『シアトル・タイムス』のベースボール担当のスポーツ記者の目
をとおしてイチローを追ったドキュメンタリー(英語版。日本語訳付き)でした(注5)。

このドキュメンタリーを見て、日本では想像もできないほどアメリカ社会でイチローは高く評価され、愛
されていることをに驚きました。

イチローは渡米初年度の、2001年ルーキー・イヤーに、首位打者、ア・リーグの新人王とMVP、最
多安打、と次々と金字塔を打ち立ててゆきました。これにはアメリカの大リーガーたちもさすがに驚嘆し
ました。

しかし、私がイチローに興味をもったのは、野球人としてのイチローよりはむしろ、人間として、そして
日本文化の体現者としてアメリカ社会に与えた文化的・社会的なインパクトでした。

たとえば、彼がマリナーズの他のスター選手と一緒にシアトルの小学校を訪れた時、教室に集まっていた
生徒は、まだイチローが現れる前からもう興奮状態でした。

校長先生は、一生懸命静かにするように語りかけますが、止まりません。

“この子どもたちは自分たちがいかにラッキーであるかを知っています。それはイチローがくるからです
・・”とのナレーションに続いてイチローが入ってくると、子どもたちの興奮は絶頂に達します。子ども
たちの目は大きく見開いたままです。

イチローの話が終わって、みんなで床に座ってマリナーズの試合の映像を見る時、イチローやゆっくりと
歩いて子どもたちの間に入って一緒に座ります。

すると、周りの子どもたちは一斉にイチローの首に抱きつき、全身でイチローへの想いを現します。

こんな風に受け入れられた日本人選手はいたでしょうか?子供は正直でストレートです。

また、イチローの出現は、アメリカに住むアジア系のアメリカ人に大きな自信と誇りを与えました。彼ら
は口々に、アジア人のイチローは,体は小さくても、ここまでやれるんだ、という事を示してくれる、と
絶賛しています。

ワシントン大学のある教授が行った調査が紹介されています。それによれば、アジア系の若者に、「希望
を与えてくれる人物は誰か」との質問の答えは、一位がイエス・キリストで75%、そして次が何とイチ
ローで25%なのです!

このほか、ここで紹介できないくらい、イチローがアメリカ社会に与えた影響が多方面に及んでいます。

たとえば、試合が始まる夕方、“夕食の支度をする主婦の手を止めさせたのはイチローだけです”という
のも面白いエピソードの一つです。

実は、それまで私は、野球をたんにスポーツの一つとしてしか見ていなかったのですが、この映像をみて
から、それは非常に大切な「文化」でもあるという認識を新たにしました。

この映像を見て以来十数年、今での、異文化との出会いをテーマとする私の授業で、毎年、イギリスの貴
族的なクリケットを変換して、庶民の「ベースボール」というアメリカのスポーツ文化を生み出した歴史
と、そこに日本的な「野球」を持ち込んだ日本人のイチローの意義を講義で取り上げています。

先に触れた、ディポト・ゼネラルマネジャー(GM)がイチローを「ダライ・ラマのような存在だ」と評し
たように、アメリカ社会はイチローの中に、たんなる優れた野球選手以外に日本的な、というか東洋的な
精神性をみたようです(注6)

このブログでも「イチローの本当のすごさ」という全体のテーマで2013年の8月27日(「4000本安
打に込めたメッセージ」)、9月1日(「ベースボールに「野球」を持ち込んだ男」)、9月6日(「人
間イチローとアメリカ社会」)の三回にわたってを書いていますので、関心のある方はお読みください。

イチローが今後、どのような方向に進むのか、彼は全く語っていませんが、マリナーズ球団としては、か
なりの確率で、彼はマリナーズのフロントに入り、アドアイザー的な役割を果たしてゆくようです。

(注1)https://www.seattletimes.com/sports/mariners/forever-grateful-reaction-to-ichiros-retirement-from-around-baseball-seattle-sports-world/">https://www.seattletimes.com/sports/mariners/forever-grateful-reaction-to-ichiros-retirement-from-around-baseball-seattle-sports-world/
(注2)https://nypost.com/2019/03/21/ichiros-greatness-defined-by-risking-it-all-to-come-to-mlb/
(注3)https://www.washingtonpost.com/sports/2019/03/21/japan-baseball-is-king-retiring-ichiro-suzuki-is-like-madonna-michael-jackson/?utm_term=.92805d004f15
(注4)https://www.seattletimes.com/sports/mariners/thank-you-ichiro-dee-gordon-takes-out-full-page-ad-in-the-seattle-times-dedicated-to-ichiro/
全文と日本語訳は https://www.huffingtonpost.jp/entry/ichiro-dee-seattle_jp_5c9d7ae5e4b00ba63279b8f1
(注5)NHKのBSで放送されたものを録画しましたが、残念ならが放映日時と正式なタイトルは、録画した映像には記録していません。
(注6)『日経新聞』電子版(2019/3/22 1:59)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42755840S9A320C1UU2000/?n_cid=NMAIL007
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イチローと出迎えるチームメイトとゴードン選手 出典は(注4)               イチローと抱き合うゴードン選手 出典は(注4)



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イチロー引退の衝撃(1)―あの夜 何が起こったのか!?―

2019-03-24 10:17:14 | スポーツ
イチロー引退の衝撃(1)―あの夜 何が起こったのか!?―

2019年3月21日、イチローは28年間という長いプロ野球人生を終え、引退を表明しました。

あの日の夜、アメリカ。メジャーリーグの開幕戦の二日目、アスレティック対マリナーズの試合の途中で、
イチローが現役を引退することがニュースで流れた瞬間から、東京ドームに異様な空気が流れたという。

それは、テレビを通じても伝わってきました。

そして、いよいよ彼の現役最後の打席になるだろうイチローがバッター・ボックスに立った時、イチロー
の最後の雄姿を目に焼き付けようと球場に詰めかけた4万6451人のファンはもちろん、テレビを見て
いた人も、“一本 打ってくれ”と悲痛な思いで祈っていたに違いない。

イチローが打った打球は、それほど勢いもなく三遊間に転がってゆきました。

これが現役最後の打席になることが分っていても、イチローは6球目まで粘り、そして全力疾走で一塁に
走りました。しかし、非情にも、ほんのわずかな差でアウトになってしまいました。

ゆっくりと、ホームに戻るイチローに対して、球場からは大きな拍手がずっと鳴り響きました。

そして8回裏、マリナーズの守りの回に、いつものようにライトの定位置にかけてゆくイチローの姿を目
に焼き付けようと、ファンはじっと見つめていました。

そして、当たり前のように、守りに場所に着いたとき、マリナーズのスコット・サーバイス監督は、ホー
ム・ベースのところで、何やら主審と話していたかと思うと、イチローの方を指さして交代を告げました。

あの夜の本当のドラマ、誰も予想すらできなかったドラマの第一ラウンドはこの交代から始まったのです。

そして、イチローは観客にむかって両手を挙げて挨拶し、ゆっくりとホームに帰ってきました。

三塁ベンチ前では、マリナーズのチームメイト・スタッフが出迎え、イチローは感謝の気持ちを込めて一
人ひとりと抱き合いました。

あと一人で勝ち投手の権利を得ることができたのに途中降板した菊池雄星投手は、イチローに優しくハグ
されたとき、イチローの言葉を借りると、号泣していました。

恐らく自分が勝ち投手として、イチローの引退に花を添えられなかった悔しさがあふれてきたのでしょう。
しかし、あの夜のイチローと一緒にグラウンドに立ち、イチローと抱き合って言葉をかけてもらったこと、
そしてくやしさは、彼のとても大切な心の財産になることは確かです。

試合後の記者会見で、記者から、あの時菊池投手に何と言ったのですか、と聞かれてイチローは、あれは
二人だけの会話だから、彼の方で言うのは構わないが、自分の方からは言えない、と答えています。

この場面で、相手チームのアスレティックスの選手も全員立ち上がってイチローを拍手で迎えました。イ
チローが、メジャーリーグの選手から、いかに尊敬され愛されていたかが分かります。

それにしても、スコット監督は、なぜ、イチローを一度は守備につかせ、そして交代させたのでしょうか?

恐らく、交代はその前から決まっていたのでしょう。しかし、もし、何もなく回の最初からイチローを引
っ込めたとしたら、観客が、ああいう形で彼の引退を惜しみ、感謝の気持ちを表わすチャンスを奪ってし
まうことになったでしょう。

私は、これは間違いなく、サーバイス監督のイチローに対するリスペクトと、日本のファンに対する感謝
の気持ちを、ああいう形で表わした“粋な計らい”の演出だったと思います。

これが、ドラマの第一幕だとすると、第二幕は、延長12回、マリナーズが勝利しゲームセットとなった
後に起こりました。

時間はもうすぐ日付が変わろうとする深夜、球場にはもう選手は誰もいません。しかし、ファンは誰も帰
りません。

11時23分、「イチロー」という観客の大歓声に応えるように、イチローが三塁側から姿を現し、全て
の観客に感謝の意を込めて、手を挙げてゆっくりと球場を一周すると、全員、総立ちとなって、「ありが
とうー」「ご苦労さまー」「イチロー」、あるいは言葉にならないうめきのような声が一体となって球場
にうねりのように響き続けました。

あの場面に取材のためグラウンドにいた、メジャーリーグに在籍したことがあるある選手によれば、ずっ
と鳥肌が立ちっぱなしだった、と感想をもらしています。

イチローは会見で、今回の二試合で1本もヒットを打てなかったことが残念だと本音をもらしましたが、
深夜になっても帰らずに、深夜まで彼の引退惜しみ、同時に感動を与えてくれたことへの感謝を表わす
イチロー・コールはかれにとっても予想外だったようです。

会見の席で、“球場での出来事・・・ あんなこと見せられたら、後悔などあろうはずがありません。
死んでもいいというのはこうゆうことなんだろな”ともらしました。この時ばかりは、彼の目にうっすら
と涙がにじんでいたように見えました。

映像でみると、観客の中には、あまり普段の試合には球場に足を運びそうもない年配の女性も含めて、さ
まざまな人がいました。

言葉にならず泣いていた人の姿もたくさんありました。

それにしても、考えてみれば、一人の野球選手の引退です。しかし、私個人の思い入れも込めていえば、
あの日の夜は、普段は野球に感心などない人も含めて、日本中がイチローの引退を悲しんだ、社会現象
だったのです。

それは翌22日の朝から、各テレビ局が1日中、深夜の引退会見の様子を伝え、スポーツ紙はいうまでも
なく、一般紙も一面にイチローの引退を伝えたことからも分かります。

大げさに言えば、日本国中が、言葉にするのは難しいのですが、何とも言えない困惑というか興奮状態
にありました。

一体、日本人というか日本は、イチローの引退に何を見たのでしょうか、そして何を彼に託していたの
でしょうか?

恐らく、これは人さまざまだと思います。

一つは、誰もが言う、彼が残した偉大な記録です。28年間に、日米通算4367安打、という途方も
ない記録、そして、新たに打ち立てた数々の記録です。

イチローがこれまで打ち立てきた成績がどれほど超人的なのかは、日本でもアメリカでもプレーしてき
た、あるいは現役の選手ならわかります。

しかし、今回の引退にまつわるイチローへの賛辞と引退を悲しむことにはならなかったでしょう。

二つは、イチローが28年間、ケガもせずプレーし続けたことに対する、いまさらながらの驚きと敬意
です。スポーツにケガはつきもので、ほとんどのアスリートがケガに泣き、ケガのために引退せざるを
得なくなったアスリートも珍しくありません。

しかし、イチローは、毎日、決して生活のリズムを崩さず、淡々と、しかも手を抜くことなくやるべき
トレーニングを続け、万が一にもケガで休場などしないよう、自己管理を実戦してきました。

引退会見で、この点について聞かれてイチローは、“私はお金をもらっていますから”とさらりと答え
ています。つまり、お金をもらってプレーしているのだから、自己管理が悪くてケガなどしたらファン
やチームメートに申し訳ない、と言っているのです。

三つは、こうした地道な努力と真摯に野球に向かう姿に、彼の中に、今日の日本人の中にはほとんど失
われた一種の「武士道」の姿、野球の選手というより一人の「求道者」の姿をみていたのではないでし
ょうか。あの独特のバットの構え方も、武士が剣を構えている姿を連想させます。

もう一つ付け加えるなら、有名になっても偉ぶるわけではなく、ひたすらに自己研さんを積む、これも
現代の日本人には失われつつある、イチローの”ひたむきさ”、”純なるもの”に多くの人は惹かれた
のではないでしょうか。

四つ目は、私はこれがもっとも重要だと思っているのですが、私たちは無意識のうちに、日本人として
の誇りを、イチローに託していた、ということに、引退を目の当たりにして今さらながら気が付いた、
ということです。

メジャーの選手の間では小柄な体で、努力と工夫によってあれだけの成績を残したイチローは、まさに
素晴らしい日本人の代表、誇りなのです。

考えてみれば、私たちには今、世界に向かって誇れる日本人が何人いるでしょうか?もちろん、各分野
には世界的に有名な人材はいます。

たとえば、スポーツの分野でいえばフィギュアー・スケートの羽生結弦選手はその一人でしょう。その
ほか、科学者の分野ではノーベル賞受賞者も何人かいます。

しかし、こうした優れた日本人に対して、まさに老若男女がこぞって心の中で誇りに思っているかどう
かは分かりません。

この点イチローには、日本国内だけでなく、アメリカにおいても多くの人が尊敬し、畏敬の念を抱いて
います。

体格では他のメジャーリーグの選手より劣るけど、努力と頭脳を使ったプレーで、アメリカの野球の記
録を次々と破ってゆくことができるんだ、ということを体現してくれているのがイチローという一人の
野球選手であり、人間イチローなんだ、という誇りが、心のどこかにあったに違いありません。

イチローが渡米したのは1991年、平成3年のことでした。そして今年、平成31年で平成は終わろ
うとしています。

イチローのアメリカでの活躍は平成とともに始まり、平成とともに終わろうとしています。

今回のイチローの引退は、イチローに仮託した「日本」そのものの一つの時代の終わりを確認させられ
た、社会的な“事件”だった、のではないでしょうか。

次回は、私の個人的な思いを込めて、引退会見の背景を探ってみたいと思います。

---------------------------------------------------------------------------------------------
最後の打席に立つイチロー ほとんど真剣を構える剣士のようです                 ファンに別れを告げるイチロー 緊張から解放された穏やかな表情です


    

 『東京新聞』(2019年3月22日より)                           『東京新聞』(2019年3月22日より)





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大坂なおみの優勝―笑顔と涙とブーイングの中で―

2018-09-16 09:16:16 | スポーツ
大坂なおみの優勝―笑顔と涙とブーイングの中で―

2018年9月8日(日本時間9日)、ニューヨークで行われたテニスの全米オープン女子シングルス
で大坂なおみ(20)が優勝しました。

全米オープンは、全豪、全英、全仏とならんで世界の4大大会の一つで、テニスを志す人ならだれで
も目指す、最高位の大会です。

私自身は、ずっと昔、少しやっただけのテニスのにわかファンです。それでも、今回の全米オープの
準決勝のマディソン・キーズ(23才 米国)との試合を見た時、ひょっとすると大坂は優勝するか
もしれない、と予感しました。

何よりも大阪の、身長180センチの長身から繰り出す時速200キロの超高速サーブのパワーに圧
倒されました。しかし私はテニスについては素人ですから、それ以外の技術的な面については全く分
かりません。

そこで、ここではまず、彼女の言動から彼女の強さの秘密や人物像を書いてみたいと思います。

大坂が決勝戦で対戦した相手は、四大大会での優勝は通算23回という、とてつもない記録をもつセ
リーナ・ウィリアムス(36才)でした。大坂にとってセリーナは子供の頃から憧れのスターで、彼
女を目指してテニスをやってきました。

大坂に続いて入場したセリーナはひときわ大きな歓声で迎えられました。セリーナは昨年9月の出産
を経てから初の復帰戦です。会場は彼女の「母でも優勝」、全米制覇を期待する観客の熱気に包まれ
ていました。

このような完全アウェーの中で決勝戦にのぞんだのに、大阪は終始冷静さを失いませんでした。

彼女はインタビューで、以前と比べて何が強くなったのかと聞かれて、メンタルが強くなった、と答
えています。

以前、彼女は試合中でも泣いてしまうことがしばしばありました。そんな「泣き虫」の彼女がネガテ
ィブ(否定的、悲観的)な感情をポジティブ(肯定的、積極的)に変えることができるようになった
のです。

その変化を大坂は後で「ポジティブになることでポイントが取れることを信じている。それができた
と思う」と振り返っています(『東京新聞』2018年9月1日)。

これは、コーチのサーシャ・バインが、彼女がネガティブになったとき、膝まずいて、見上げるよう
な位置から、“ナオミならできる”と、優しく語りかけてきたことで彼女を精神的に安定させ、自信
を持たせるたことに依るところが大きかったと思います。

サーシャは練習コートで大坂の横に座り、カウンセラーのように話しかける姿は毎日の定番だったそ
うで(注1)。

サーシャ(33才 ドイツ出身)は、昨年の12月に大阪なおみのコーチに就任したばかりですが、
その当時のランキング68位から今回の優勝で7位まで一気に上げさせました。

サーシャはコーチとして理想的な選手の育て方を示してくれました。上から目線で怒鳴ったりひっぱ
たいたりして選手を成長させる、これまでの日本のスポーツ界の方法とはまるで正反対です。

インタビューで、この大舞台でどのようにして冷静さを保つことができたのか、との質問に大阪は、
試合中は常に試合に集中することを第一に心がけたこと、一球ごとに“あなたならできる”(You can
do it)と心でつぶやきながら打っていた、と答えています。

サーシャの「魔法の言葉」が彼女の心と身体に、文字通り血肉化していることが分ります。

サーシャが大阪に会った最初の印象は「恥ずかしがり屋で愛らしい」、だったそうです(注2)。

確かに、大坂のインタビューの答え方もいつも控え目で謙虚です。

こんな彼女の性格は優勝の受賞式のスピーチにも現れていました。まだあどけなさの残る瞳からこぼれ
落ちたのは、世界の頂点に立った喜びの涙ではありませんでした。

優勝したのに、会場にはブーイングが鳴り響いていました。大坂は、このブーイングは観衆の期待に反
して優勝してしまったことに対するセリーナ・ファンの不満の表れだと感じ取ったのでしょう。

こんな中での、表彰式でのセリーナと大坂の言葉は、ある意味で今回の決勝戦で最も感動的でした。少し
長くなりますが引用します。
  「質問とは違うことを話します」と口にし、こう続けた。「みんな(観客)が彼女(セリーナ)を応
  援しているのは分かっています。こんな終わり方で残念です*」。会場は一瞬、静まりかえった。そ
  してS・ウィリアムズに「全米決勝で戦う夢がかないました。対戦してくれて、ありがとう」と声を
  かけ、小さく頭を下げた。普段は快活な大坂が見せた神妙な姿。ブーイングは収まり、観客は高々と
  優勝トロフィーを掲げた新女王に、温かい声援を送った。
 
  試合後の記者会見。大坂が声を詰まらせる場面があった。「彼女(セリーナ)が24回目の4大大会
  優勝をしたかったのは分かっていた。でも、私はコートに足を踏み入れたら別人のような気持ちにな
  る。セリーナのファンではない。でも、(試合後に)彼女をハグした時……」。約10秒間の沈黙後、
  かつてのアイドルの心中を思い、「また子供の時のような気持ちになったの」と涙をぬぐった。心の
  優しい20歳の女性の姿があった(注3)。
  
  *“I am sorry”を “ごめんなさい”という謝罪の言葉に訳すのはちょっと問題かもしれません。
  この文脈では、セリーナと審判との対立やセリーナへのペナルティーなどの問題を含んだ試合になっ
  てしまって残念です、と言うほどの意味だと思われます。

まだあどけなさが残る20才の女性が、これだけ自分を冷静に見つめ、相手に対する心遣いができるとは、
本当に驚きですし、感動しました。

ところで私はセリーナの言動について、少しだけ弁護しておきたいと思います。

日本のメディアは、セリーナは試合が思うようにゆかないことにイライラしてラケットをコートに投げつ
けて壊し、審判に八つ当たりしたかのような報道の仕方をしています。
確かに、祖の面は否定できません。ラケットを投げつけて壊したのは問題です。罰則としてまず審判が1
ポイントを大阪に与えたこともルール通りです。それにたいしてセリーナが激しい抗議をすると続いて1
ゲームのペナルティを課しました。

セリーナは審判に「泥棒」「謝りなさい」と激しい暴言を投げつけました。しかし、セリーナにも言い分
はあります。

試合後の会見で「私は男子選手が審判にいろいろ言うのをみてきた。私は女性の権利と平等のために戦っ
ている。男子選手が「泥棒」と言ってもゲームを奪わない、と抗議しています。

一方、ビリー・ジーン・キング*さんは、「女子が感情的になった時、その選手はヒステリックだと処分
される。男子が同じことをした時、率直だとして問題にならない」とセリーナを擁護しています(『東京
新聞』2018年9月11日)。

さらに彼は「黒人女性がリーダーシップに至るまでの道が、きょうほど閉じられていると思った日はない」
とし、「セリーナと男子選手との扱われ方には差がある」と批判しました。女子テニス協会(WTA)も、
その意見に賛同しています(注4)。

 *四大大会12勝、今回の会場の名前ともなっており、映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のモデル
 でもある

私たちは、ともすると女性差別や、(今回は言葉には出しませんでしたが)、人種差別にあまり敏感ではあり
ませんが、国際社会ではとても重要な問題であることも理解すべきだと思います。

もう一つ、私がセリーナの抗議のなかでズシンと胸に響いた言葉がありました。それは、そもそも今回の抗
議の発端となった審判の判定についてでした。

決勝ではコーチはコートにでることもアドバイス(コーチング)することも禁止されています。ところが、
セリーナのコーチは観客席から、胸の前で両手の平を合わせるようなしぐさをしている姿が映像にあります。

審判はこれをコーチングと判断して警告しました。これに対してセリーナは、断じてコーチングではないと
抗議します。私は娘のためにも、そのようなずるいことは決していない(not cheating)と、審判に猛烈に抗
議します。(なぜか、日本のメディアはこの部分を取り上げません)

彼女の心の中には、女性差別、人種差別への怒りと、娘に対しても、お母さんは試合でずるいことをした、
ということは絶対に認めることはできない、という抗議が入り混じっていたのでしょう。

セリーナは、試合直後に大阪を抱きしめ、「あなたは勝者にふさわしい」と称え、観客席に向かって、「も
うブーイングはやめて」と呼びかけました。

そして表彰式でも、セリーナは“彼女(大坂)はいいプレーをした”。自分を応援する会場からブーイング
が起こったことに触れ、“最高の瞬間にしましょう。もうブーイングはやめて。おめでとう、ナオミ!”と、
アスリートらしい素直さで大坂を称えています(注3とおなじ)。

表彰式でブーイングした観客以上に大坂なおみの優勝を傷つけたのは、この式で全米テニス協会会長のカト
リーナ・アダムスが「私たちが求めた結末ではなかった」「セリーナは王者の中の王者」と、あくまでもア
メリカの優勝だけを望んでいたことを口にしたことです。

『ニューヨーク・タイムズ』は「怒りとブーイングと涙が大坂なおみの素晴らしい勝利を曇らせた」と解説。
『ニューヨーク・ポスト』は、表彰式で観客が大坂にブーイング、全米テニス協会の会長の発言に、「勝者
を侮辱するような対応をした」と指摘し、また、同紙の別の記事では表彰式で泣き続けた大坂に同情し、
「覇者として純粋な喜びの瞬間であるべきだった」と指摘しました(注5)。

主催側の全米テニス協会会長という立場の人間がこれほど勝者を侮辱する発言をするとは驚きを通り越して
怒りを感じます。しかし、女性差別の問題と同様、なぜか日本ではこれをあまり問題にしていません。

テニス界にもトランプ流の「アメリカ・ファースト」が蔓延しているのでしょうか?

最後に、日本のメディアは「日本人の大坂なおみ」「日本人としては」という点をことさら強調しています。
もちろん、これは私にとっても誇らしいし嬉しいことです。しかし、彼女は日本人の母とハイチ人の父をもち、
アメリカで育っています。彼女のテニスを育てたのはアメリカ社会だし、もっとも重要な役割をはたしたサー
シャ・コーチはドイツ人です。まさに彼女自身が国際人、インターナショナルな存在です。

大坂は日本でのインタビューで、アイデンティティについて問われました。インタビューアーは、少しでも
「日本人」という言葉を引き出したかったのでしょうが、大阪は、「そういうことは考えたことはありません」
とあっさり答えました。これが素直な実感なのでしょう。

私にとっては、女子テニス界に大阪なおみという若いスーパー・スターが現れた、という印象も強くあります。
私の趣味の囲碁の世界では昔から、韓国、中国、台湾、香港の出身のトップ棋士がたくさんいます。しかし、
日本人だけを応援するといより、素晴らしい碁を見せてくれることに関心があります。

(注1)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月19日)https://mainichi.jp/articles/20180910/spn/00m/050/009000c?fm=mnm
    『毎日新聞』デジタ版(2018年9月10日)https://mainichi.jp/articles/20180910/spn/00m/050/009000c?fm=mnm
(注2)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月7日)https://mainichi.jp/articles/20180908/k00/00m/050/069000c#cxrecs_s
(注3)『毎日新聞』デジタル版(2018年9月10日)    https://mainichi.jp/articles/20180910/k00/00m/050/076000c?fm=mnm   
(注4)『日経ビジネスONLINE』(2018/9/14 6:30) 
     https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35259000S8A910C1000000/
(注5)『Gunosy ココカラネクスト』(2018年9月10日)https://gunosy.com/articles/RW1sh

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笑顔でインタビューを受ける大坂なおみ  『東京新聞』(2018年9月11日)より



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金足農業高の快挙―“純”なるものが呼び起こす感動―

2018-08-26 05:58:54 | スポーツ
金足農業高の快挙―“純”なるものが呼び起こす感動―

今年の夏の全国高等学校野球選手権大会(略して甲子園)は100回目を迎え、8月5日にスタート
しました。

優勝はすでに報道されているように、大阪桐蔭高でした。しかし、感動を与えてくれたのは、何とい
っても秋田県代表の金足農業高の大健闘でしょう。

恐らく多くの野球ファンは、決勝戦は大阪桐蔭高と横浜高になるだろう、と予想していたと思います。

しかし、金足農業が次々と勝ち進んで行くにつれて、“一体、何が起こったんだ”、という驚きと感
動が広がってゆきました。

今年の金足農業の何が人々を感動させたのでしょうか? これを考える前に、少しだけ金足農業の甲
子園での成績を振り返ってみましょう。

金足農業は、決して甲子園の“新参者”ではありません。昭和58年に初めて甲子園出場を果たして、
今年で9回目の甲子園です。もはや、常連校といってもいいでしょう。

今年の金足農業が決勝戦まで勝ち進んだのは、たまたま対戦相手に恵まれたからなのでしょうか?

そうとは言い切れません。というのも、一回戦の相手は、スポーツでは名門の鹿児島実業で、5対1
で破っています。二回戦の相手は、甲子園出場8回目の大垣日大高でした。出場経験は金足農業とほ
ぼ同じで、平成19年には準優勝もしています。その大垣日大高を6対3で破っています。

三回戦の相手は、名門横浜高校で、今年も優勝候補の一角を占めていました。実際、一回戦、二回戦
とも二ケタ安打で圧勝してきました。

この試合では、“奇跡”が起きました。それは、これまで公式戦ではホームランを打ったことがなか
った金足農業の高橋選手が3ラン・ホームランを打って逆転したことです。

もう一つ、金足農業のピッチャー、吉田輝星が最速の150キロを出し、横浜高を相手に14奪三振
を成し遂げたのです。金足農業は強豪横浜高を5対4で下しました。

この横浜戦に勝ったあたりから、人々は、金足農業について、俄然、関心を持ち始め、メディアは一
斉に、金足農業について連日報道するようになりました。

おそらく、普段は高校野球に関心などなかった人たちまで、金足農業というチーム、とりわけ投手の
吉田輝星君に関心を持つようになったようです。

金足農業は準々決勝で近江高と対戦しましたが、この時も、誰も想像できなかった劇的なツーラン・
スクイズを成功させて2点をもぎとり、3対2で逆転勝ちしました。

準決勝の対戦相手は日大三高でした。日大三高は今回、春夏の大会合わせて37回目の出場、優勝2
回という、大会屈指の強豪です。

この試合の結果は2対1で金足農業が勝ちましたが、その勝因はなんといても、吉田投手が、ヒット
を打たれながらも要所で相手を1点だけの最小得点で抑えたことです。

この時点で、決勝進出が決定し、世の中は、興奮の絶頂に達しました。“金農フィーバー”はもはや社
会現象といっても過言ではないほどの熱狂ぶりです。

スポーツ紙は6紙が、この「金農」(このように呼ぶようになりました)の快挙を大きく報じました。

以上みたように、ここまでの闘いそのものがドラマチックすぎるほどドラマチックでした。

秋田出身の小倉智昭氏は、朝の情報番組「とくダネ」で、“おれたちは100年待ったんだ”、と興奮
ぎみに語っていました。

決勝の相手は大阪桐蔭高でした。大阪桐蔭高といえば、優勝の常連校です。

しかし、恐らくこの試合に関心をもった人の8割以上が心の中で、金農に勝って欲しい、と願っていた
のではないでしょうか?

これは、金農への応援の気持ち込めた寄付が全国から寄せられ、あっと言う間に1億9000万円に達
したことからもわかります。

さて、試合ですが、吉田投手は、6回に、自分はもう投げられないから代わってくれ、と打川君に頼み、
マウンドを降りました。打川君は期待に応えて1点で抑えましが、結果は2対13の大差で敗けました。

これで大阪桐蔭は二度目の春夏連覇という偉業を達成したことになります。これは、大変な大記録です。
優勝して当たり前とのプレッシャーをはねのけて優勝した大阪桐蔭を称えるべきしょう。

金農ナインは、当然のことながら悔しさで泣いていましたが、球場で金農の応援をしていた人たちの間
にはそれほどの落胆ぶりは、見られず、むしろ晴れ晴れとした雰囲気が漂っていました。テレビ観戦を
していた人も同じでしょう。

さて、優勝校も決まって、高校野球の話題も一段落つくかと思っていたら、逆に終わってから後が大変
な騒ぎで、スポーツ紙だけでなく、一般紙までこれでもかというほど、大阪桐蔭の優勝よりも金農の準
優勝を称える内容を怒涛のごとく報じました。

通常は、準優勝校にたいしてこれほど注目が集まることはありません。しかし、メディアは、あたかも
金農が優勝したかのような扱いです。

しかし、この「金農フィーバー」はメディアが一方的に作り上げたものではなく、多くの国民が受けた
感動でもあったのです。

それでは、何が多くの人を、これほどまでに感動させたのでしょうか?

結論から言えば、多くの日本人は、金農の野球部、とりわけ吉田投手のひたむきさに、私たちが失って
しまった“純”なるものを感じ、感動したのだと思います。

いくつもの要因があるとおもいますが、思いつくままに挙げてみます。

①私学全盛の高校野球界にあって、公立高校である金農が決勝まで勝ち進んだことです。しかも、農業
高校という、スポーツとはあまり結びつかない高校です。

②金農の選手全員が秋田県の出身者であるという点です(つまり”純”秋田県産です!)。最近は、私
立の強豪高が全国から優秀な選手を集めて強化することは珍しくありません。

実際、優勝した大阪桐蔭は北海道から九州まで全国から選手を集めています。しかも、今回の大阪桐蔭
ナインのうち、6人までがU-18の日本代表になる選手であることが、これを物語っています。金農
はここまで、とにかく地元の選手を鍛え上げて、最善を尽くすことをモットーにしてきました。

③公立高校ですから、おそらく授業もしっかり出ていたのだと思われます。近年、野球の名門私立高で
は、選手は合宿所生活で、授業もあまり出ていない場合もあります。

企業でいえば大阪桐蔭は大都市の大企業で、金農は地方の中小企業のようなチームです。その金農が並
みいる強豪を倒して決勝まできたのですから、これは本当に快挙です

④1年のうち半年近くは雪のため、グラウンドで練習ができない不利な自然環境の中で、金高野球部の
選手たちは雑草のごとくただひたすら練習に励んできました。多くの人は、雪の中で長靴を履いて走り
込みをしている選手の姿を見て、一層、思いを熱くしたのでしょう。

⑤吉田投手が秋田の県大会か決勝までずっと一人で投げてきたことに対する驚きです。県大会ではすで
に5試合で636球、甲子園きにきてからも決勝までに749球も投げていたのです。しかも4試合連
続二桁奪三振、という素晴らしい結果を残していました。ちなみに大阪桐蔭には投手が16人もいます。

しかし、横浜戦が終わった時点で、「股関節が痛くて先発辞退しようか」と思うほど、体はボロボロ、
悲鳴を上げていました。それでも、決勝戦では、自らを奮い立たせて先発したことが、やはり胸を打ち
ます。(もちろん、これが良いか悪いかは別問題です)

⑥金農ナインは県大会からずっと、同じメンバーで闘ってきました。私たちは、そこで培われてきた信
頼関係、強いきずな、団結力を感じ取っていました。

⑦決勝戦で吉田君に代わって投げた打川君は、中学時代はピッチャーで4番でした。打川君は高校は別
の学校へ進学を考えていたのですが、吉田君に誘われて金農に進学しました。

この時、打川君は、“吉田と一緒ならエースにはなれないけど甲子園へはいける”との気持ちから、金
農のエースの座を吉田君に譲る決意で金農に進学した、という経緯があります。この二人の友情と相互
の信頼関係も私たちに、心温まる感動を与えてくれます。

以上を総合すると、公立高校という枠を踏み外さない金農野球部のあり方、選手それぞれが胸に秘めた
“純粋さ”、“ひたむきさ”に私たちは、“これこそ高校野球のあるべき姿だ、高校野球は、本来、こ
うでなくっちゃ”という思いを共有していたのではないでしょか。

一言でいえば、私たちが高校野球に求めていた“純なるもの”を金農の選手たちに感じ取ったからこそ、
多くの日本人は感動したのだと思います。

現実の大人の社会では“純なるもの”は、“青臭い”、“未成熟”と鼻で笑われてしまいますが、それでも
心の奥底では、“純なるもの”に対するあこがれを抱いています。

雪深い東北の「雑草軍団」にこれほどの称賛が寄せられたのは、心の奥底に眠っていた、このような日
本人の心情が呼び起こされたからでしょう。

例えは適切ではないかもしれませんが、かつて『冬のソナタ』という“純愛”を描いた韓国ドラマが大
ヒットしたことがありました。現実には、“純愛”なんてあり得ない、と思っている人でも、心のどこ
かで、純愛にあこがれを夢想していることの証です。

“純なるもの”"純粋”が私たちを惹きつけるのは、それが人間として、本来そうありたいと願う“原点”
だからでないでしょうか。





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貴乃花親方の理事解任―相撲協会・評議会の不公正な判断―

2018-01-07 08:47:00 | スポーツ
貴乃花親方の理事解任―相撲協会・評議会の不公正な判断―

2018年1月4日に開かれた、日本相撲協会の臨時評議員会で、貴乃花親方の理事解任が全会一致で決まりました。

この決定の問題については後に述べますが、一応、評議員会とはどんな組織なのかを確認しておきます。

委員会の構成は、全部で7人、うち外部委員が4名で内部(親方)委員が3名です。現在、議長は池坊保子(元文部
科学副大臣、引退前は公明党所属)、千家尊祐(出雲大社宮司)、小西彦衛(日本公認会計士協会監事)、海老沢勝
二(元日本放送協会会長)です。

そして、内部委員は、南忠晃(湊川親方 元小結 大徹)、佐藤忠博(大嶽親方 元十両 大竜)、竹内雅人(二子
山親方 元大関 雅山)の3名のです。

ただし、この委員会の議長や委員は、誰がどこで、どのような手続きで、どんな基準で選ばれたのかは、必ずしも明
らかでありません。

評議員会は、役員(理事 監事)の選任、解任の権限をもっている、公益財団法人日本相撲協会の最高決定機関とな
っています。今回の、貴乃花理事解任も、この権限を発動したことになります。

1月4日の臨時評議会では、委員7人のうち、海老沢氏と千家氏が欠席しており、評決は議長を除き4人で行われた
ことです(議長は、議決権は評決が半々の場合以外、ありません)。

海老沢氏の欠席理由は明らかではありませんが、12月の理事会の決定と、事前の報道などで、貴乃花理事の解任が
ほぼ既定路線となっていることが分かっていたので、海老沢氏は、出席をためらったのかもしれません。

また千家氏ですが、出雲大社の宮司という立場を考えれば、正月4日は現場を離れられないことは池坊議長も当然、
事前に分かっていたはずです。

史上、初めての理事解任という重要な問題を審議・決定するのですから、全員が出席できる日にちを設定すべきだっ
たと思います。池坊議長の日にち設定に疑問が残ります。

もし、二人が出席していて、それぞれの意見を言う機会があったら、評議会の雰囲気も審議も決定内容も変わってい
た可能性は十分にあります。

評議員会を急いだもう一つの理由は、1月14日の初場所までに、なんとか決着をつけてしまおう、という八角理事
長の意図があったのではないか、と推測されます。

私が納得できないのは、評議員でもない八角理事長と、協会ナンバー2の尾車親方(巡業部長)と高野危機管理委員
会委員長が同席していたことです。高野氏は、中間報告を書いた責任者ですから、評議会から質問を受ける可能性が
あるので、分かるとしても、八角理事長と尾車親方の同席は問題です。

内部委員の3人の親方は評議員としての経験も浅く、この二人の幹部の前ではとうてい自由に物が言える状況ではあ
りません。

実際、1月5日の上記テレビ番組で紹介された取材によれば、つまり、3人の内部委員のうち1人(テレビでは実名
は伏せてある)が、貴の花親方が提出した報告書にある、「12月巡業での診断書に関する部分は事実ですか」との
質問をしたそうです。

これは、貴の花親方が提出した報告書には、(貴の花または貴の岩)が一歩外に出れば報道陣に囲まれ病院にも行け
ず診断書が出せない、と理事会に説明したところ、八角理事長は「うなずき」、尾車親方は「わかった」、と言った
くだりを指しています。

この質問に激怒した八角理事長は声を荒げて「そんなこと言うわけないだろ。それだったら救急車を呼べばいいじゃ
ないか」と怒鳴ったということです。

その後、この委員は、シュンとなって何も言わなくなったようです。

以上はあくまでもテレビ局側の取材に基づくもので、事の真偽は分かりません。しかし、評議委員会の委員でもない
八角理事長とナンバー2が評議員会に同席すること自体(違法とはいわないまでも)やはり、異例のことで、もし、
そこで恫喝的な発言したとしたら、評議員会そのものの正当性にかかわる重大な問題です。

池坊議長は、貴の花理事会見の理由として、「巡業部長としての報告義務を怠ったこと」「その後協会の危機管理委
員会による事情聴取への協力要請を断り続け、理事として協会への忠実義務違反」を指摘しています。

また、会議後の記者会見で、八角理事長からの数回におよぶ電話にもかかわらず、まったく返信しなかったが、これ
は理事長という上司であり先輩に対して礼を欠いた行為である、と厳しく批判しました。

さらに池坊氏は、相撲道は『礼』に始まり『礼』も終わるのに、貴の花親方はこれを全く無視していた、という趣旨
の批判をし、そのうえで、「決議を厳粛に受け止め、真摯に反省し、今後は礼をもって行動してほしい、と厳しい批
判もしました。

池坊氏は、テレビの会見で「本当は日馬富士には引退してほしくなかった」と発言しています。下の者に暴行を加え
た調本人は礼を欠いていないとでもいうのでしょうか?

被害を受けた側を非難し、礼を欠いた加害者を露骨に擁護する、というのはたんに不公正であるだけでなく、池坊氏
個人の中で矛盾を感じないのでしょうか?

日馬富士は自ら引退したから、彼の罪はそれで帳消しになった、というのです。これほど、貴の岩や貴の花親方にた
いして礼を欠いた発言はありません。

日馬富士の引退は個人の判断ですが、理事会と評議員会は、刑事事件として有罪となった日馬富士の行為に対して、
当然、懲戒解雇を含む処罰の対象として審議すべきなのに、それをしていません。もはや、理事会も評議委員会もそ
の機能と責任を果たしていません。

実際、12月20に開かれた横綱審議委員会の臨時会合で、北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)は会見で、日馬
富士の暴行について「引退を勧告するに相当する事案だ」と述べています。これが普通の感覚でしょう。

会議の中で、池坊氏は、貴乃花親方から提出された報告書を全員で読んだ、言っていましたが、全体で59分しかな
かった審議時間のなかで、15ページもある貴乃花親方の報告書を、本当に全部読んだのだろうか? 私は信じられ
ません。

昨年の理事会の際には、理事の一人から八角理事長に、この報告書についてどう扱うかについて問われて初めて触れ
ましたが、貴の花親方に「何かありますか」と聞いただけで、まともに審議の対象にはしませんでした。

おそらく、評議委員会でも同様に、事実上この報告書を無視したのではないかと思われます。

審議会後の記者会見で池坊氏は、記者に、質問などはでなかったのかという質問に、正面から答えず、高野危機管理
委員長の最終報告もよく読んだうえで総合的に判断したと言っていました。

しかし、出席者の一人は、この報告の中の3か所だけに付箋が付けられており、全部読まれたわけではない、と言っ
ています(テレビ朝日 上記の番組)。

恐らく、貴の花親方に不利な部分だけを読んだのでしょう。

しかも、貴の危機管理委員長は、12月の中間報告で「すぐ貴の岩が『すみません』と謝ればその先に行かなかった」
と、被害者を悪者するという、とんでもない報告を書いた人物です。

私が相撲協会に不信感をいだくのは、例えば、八角理事長が事件後に関係者を集めて訓話を行ったさい、日馬富士の
暴力事件を念頭に、「何気ないちょっとした気持ちでやった暴力」と発言していますが、これも日馬富士の露骨な擁
護の姿勢がありありで、大いに問題です。

つまり、八角理事長は、こんなことは深刻に考える暴力ではなく、「ちょっとした気持ちでやった暴力」で、ことさ
ら大げさに取り上げるべき問題ではない、と言っているのです。

池坊氏がもし、「礼」の重要性を強調するなら、審判の判定に不満を示したり、優勝後に観客に万歳三唱を求めたり、
貴の花親方が巡業部長なら巡業に参加しない、日馬富士も貴の岩も二人とも土俵に上げたい、などという越権行為的
発言が行われた時、直ちに問題にすべきだったのです。

事件の5日後にはこの件について知っていた八角理事長が、直ちに問題の解決に乗り出さず放置しておいたことが大
きな問題です。つまり、現執行部は暴力体質を根本的に改める気はほとんどないようです。

もし、スポーツ紙にすっぱ抜なれなければ、内々に、うやむやにしてしまおうとしたのではないか、と疑われてもし
かたありません。

ところで、貴の花理事解任に関して、『朝日新聞』は5日の「社説」で、協会側の不手際を指摘しながらも、全体と
しては、貴の花親方に対しては、池坊氏の論調と同じ批判に重点をおいています。

また、5日の『毎日新聞』も、報告義務違反と、聴取に応じなかったという理事としての忠実義務違反を前面に出し
ています。やはり、記者クラブメディアの限界でしょう。

多くの力士も親方も、今、体制側につこうか中立を通すか、あるいは貴の花親方につこうか、じっと事態の推移を見
ている、といったところです。どちらにしても、相撲という伝統に自己保身や自己利益などをめぐる政治的な要素が
持ち込まれ、一相撲ファンの私としては不愉快です。

ところで、メディアは「貴の花親方は、少しでもみんなの前で言いたいことを言うべきである」と言っています。

これは一見、しごく当然のように聞こえますが、私は必ずしもそうだとは思いません。

協会幹部、危機管理委員会、評議員会や、テレビや新聞などのメジャーなメディアはこぞって、貴の花親方に批判的
であり、話しベタな貴の花親方が話しても、良い結果は生まれない、と貴の親方は考えているのでしょう。

貴の花親方にとって、もっとも賢いのは、批判も処分もしたいだけさせておいて、いつかの時点で、弁護士を通して
法廷で一挙に反撃にでることを考えているのかも知れません。


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