2017年衆院選(2)―小池戦略の成功と挫折―
2017年の衆院選は、表面の現象だけをみると、自民284、公明29、立憲民主党55、希望の党50、
共産党12、維新11、社民2、無所属22、という結果に終わりました。
しかし、今回の選挙には、以下に述べるように、単なる当選議員の数以上に、日本の将来にとって非常に重
大な意味が含まれています。
自民党は当初、民進党と希望の党が、本当に1本化したら自民党はかなりの数を減らし、政権交代もあり得る、
あるいは、政権交代まではゆかなくても、安倍政権は退陣せざるを得なくなる、との危機感がありました。
民進党は、10月3日に立ち上げたばかりの立憲民主党への参加者、希望の党への合流組、無所属の3グループ
に分かれました。
野党の分裂という「敵失」があったことも自民党に有利に作用し、メディアは公示後の早い段階で自民党が
300をうかがう情勢、希望の党は100議席、立憲民主党は30議席前後の議席と予想していました。
しかし結果は、上に示したように、自民圧勝、立憲民主党躍進、希望の党の失速(または敗北)でした。
自民党から見ると、“最大の功労者”は小池百合子・希望の党代表と前原誠司・民進党代表ということにな
ります。自民党幹部は以下のように言ってはばかりません。
小池と前原には足を向けて寝られない。負け戦を勝つことができただけではない。最大野党の民進
党を解体して野党連合を破壊し、再び自民党長期政権の道筋をつけてくれた。立憲民主がいくら議
席を増やしても、左派政党は国民の広い支持を集めることはできないから恐くない。功労者の小池
と前原の2人なら喜んで自民党に迎え入れてもいい(注1)
メディアでは、今回の希望の党の失速が、あたかも小池氏の「排除」と「さらさらない」の言葉が決定的な
原因のように報道していますが、それはきっかけにすぎないと考えるべきでしょう。
むしろ、小池氏は選挙期間中に、自民党との連携について問われ、それは選挙結果次第だと答え、自民党と
の連携も視野に入れていることを匂わせていました。
また、憲法改定に関して安倍首相からも希望の党を改憲勢力とみなしていることを示唆する発言がありました。
小池氏の政治的立ち位置について、希望の党の設立会見で小池氏は、希望の党を「日本のこころを守っていく
保守」と答え、そのほか「改革保守」「寛容な保守」などとも表現しています。いずれにしても希望の党は保
守、それもかなり右寄りの保守政党であることははっきりしています。
それは、小池氏が希望の党からの立候補を望む民進党系の立候補者に課した協定書10項目には、(2)安保
法制は憲法に則り適切に運用。不断の見直しを行い現実的な安保政策を支持(4)憲法改正支持、の二項が含
まれていることからも分かります。
また、選挙において、九州ブロックの比例代表の優先第一位に極右と言ってもよい中山成彬氏を置き、当選さ
せたことにも現れています。
以上を考えれば、希望の党は結局、自民党の補完勢力あるいは第二自民党以外の位置づけは考えられません。
希望の党が失速したのはやはり、「排除」「さらさら」と言う言葉の問題よりも、改憲と安保法制推進という、
この政党の危うさを有権者に見透かされたことが、本質的な理由だと思います。
小池氏が意図して民進党を分裂させたのかどうかは分かりませんが、以下に、小池氏がどのような読みと狙い
をもっていたのかを検証してみましょう。
まず、小池氏は今回の選挙で、本気で政権交代を目指したのかどうか、という点です。もし、本気だとしたら、
自ら首相候補として衆議院選挙に立候補していたはずです。
選挙に出るか出ないかの判断をギリギリまで延ばしていたのは、世の中の風の流れを読んでいて、かなり早い
段階(多分、例の「排除」発言以後)どうも希望の党の情勢が芳しくないと読んだので、立候補しなかったの
ではないでしょうか?
もし、圧倒的に有利な風が吹いていたら、恐らく立候補していたでしょう。選挙後に、“私は最初から立候補
せず都知事の仕事に専念すると言いってきた”、との趣旨の発言を繰り返していますが、どうもこれは、後付
けの言い訳のように聞こえます。
次に、もし政権交代を狙うなら、過半数の233人以上の候補者をたてなければ、本気度を疑われるので、か
なり無理をして、何とか235人の候補者を擁立しました。しかし、民進党からの合流組を除けば、ほとんど
素人をかき集めた、という感じでした。
この際、小池氏は、民進党の大部分を取り込むことができれば、彼らがそれぞれの地盤でもっている支持層、
組織、そして100億から140億円とも言われる民進党の政党交付金(小池氏は否定していますが)、そし
て連合の応援・支持を手に入れることができると考えたと思われます。
それに加えて、都知事選と都議選で見せた小池ブームの風は、東京はいうまでもなく、全国的に吹いている、
との思い込み(実は“おごり”)があったはずです。
もちろん、小池氏には、自民党と並ぶ保守党勢力を結集し、自ら女性初の首相になることも視野に入れていた
と思われます。
つまり、小池氏は前原氏に、あたかも希望すれば民進党の全員が「希望の党」の公認を受けることができる、
との確約ではなく印象だけを与え、前原氏を彼女の筋書きに引き入れることに成功しました。
一方、前原氏は、インタビューで民進党の全員が希望の党から公認されることになっていたのか、と問われて
「そうしたかった」と答えています。つまり、口頭でも書類上でも、何の確約もないまま、民進党の両院総会
で、安倍政権の一強と倒すために、あたかも全員が希望の党の公認を受けられるかのごとく、言ったことが判
明しました。
また、『テレビ朝日』の番組のインタビューで前原氏は、「希望の党」との合流の意図を、「自衛隊や日米安
保を否定する政党と選挙協力を行うことはできない」、と語っています(注2)。
つまり民進党のリベラル派を排除する必要があった、と言っているのです。
ここまでは、小池氏の目論見は、あと一歩で大成功の所まで来ていました。ところが、例の「排除」発言がき
っかけとなって、事態は急変しました
例えは適当でないかも知れませんが、今回の小池氏の言動は、民話「いなばのしろうさぎ」を想起させました。
しろうさぎは、海を渡るため、数を数えるからと二ワをだまして向こうの陸地まで並びに並ばせ、あと一歩で
陸に到達できるところでワニに、だましたことをついうっかり口にしてしまいます。それに怒ったワニたちが、
白うさぎの毛皮を剥ぎとって丸裸にしてしまいます。
小池氏は、枝野氏に代表される民進党のリベラル派を切り捨て民進党を保守党に転換しようとし、実際、あと
ほんの少しで成功するところまで来ていました。
しかし、つい、おごりか傲慢か、油断からか、「排除します」という本音がとびだしてしまい、追い風の流れ
は強い逆風となってしまいました。
枝野氏に代表されるリベラル勢力を「排除」して、民進党を実質的に保守党に改変しようとしたのです。
その後の運命は、いなばのしろうさぎと同じで、有権者と立憲民主党に手ひどいしっぺ返しを食らってしまい
ました。
(注1)『BLOGS』2017年10月23日 16:00 http://blogos.com/article/254237/
(注2)『テレビ朝日』「鳥羽慎一モーニングショー」(2017年10月26日)。
2017年の衆院選は、表面の現象だけをみると、自民284、公明29、立憲民主党55、希望の党50、
共産党12、維新11、社民2、無所属22、という結果に終わりました。
しかし、今回の選挙には、以下に述べるように、単なる当選議員の数以上に、日本の将来にとって非常に重
大な意味が含まれています。
自民党は当初、民進党と希望の党が、本当に1本化したら自民党はかなりの数を減らし、政権交代もあり得る、
あるいは、政権交代まではゆかなくても、安倍政権は退陣せざるを得なくなる、との危機感がありました。
民進党は、10月3日に立ち上げたばかりの立憲民主党への参加者、希望の党への合流組、無所属の3グループ
に分かれました。
野党の分裂という「敵失」があったことも自民党に有利に作用し、メディアは公示後の早い段階で自民党が
300をうかがう情勢、希望の党は100議席、立憲民主党は30議席前後の議席と予想していました。
しかし結果は、上に示したように、自民圧勝、立憲民主党躍進、希望の党の失速(または敗北)でした。
自民党から見ると、“最大の功労者”は小池百合子・希望の党代表と前原誠司・民進党代表ということにな
ります。自民党幹部は以下のように言ってはばかりません。
小池と前原には足を向けて寝られない。負け戦を勝つことができただけではない。最大野党の民進
党を解体して野党連合を破壊し、再び自民党長期政権の道筋をつけてくれた。立憲民主がいくら議
席を増やしても、左派政党は国民の広い支持を集めることはできないから恐くない。功労者の小池
と前原の2人なら喜んで自民党に迎え入れてもいい(注1)
メディアでは、今回の希望の党の失速が、あたかも小池氏の「排除」と「さらさらない」の言葉が決定的な
原因のように報道していますが、それはきっかけにすぎないと考えるべきでしょう。
むしろ、小池氏は選挙期間中に、自民党との連携について問われ、それは選挙結果次第だと答え、自民党と
の連携も視野に入れていることを匂わせていました。
また、憲法改定に関して安倍首相からも希望の党を改憲勢力とみなしていることを示唆する発言がありました。
小池氏の政治的立ち位置について、希望の党の設立会見で小池氏は、希望の党を「日本のこころを守っていく
保守」と答え、そのほか「改革保守」「寛容な保守」などとも表現しています。いずれにしても希望の党は保
守、それもかなり右寄りの保守政党であることははっきりしています。
それは、小池氏が希望の党からの立候補を望む民進党系の立候補者に課した協定書10項目には、(2)安保
法制は憲法に則り適切に運用。不断の見直しを行い現実的な安保政策を支持(4)憲法改正支持、の二項が含
まれていることからも分かります。
また、選挙において、九州ブロックの比例代表の優先第一位に極右と言ってもよい中山成彬氏を置き、当選さ
せたことにも現れています。
以上を考えれば、希望の党は結局、自民党の補完勢力あるいは第二自民党以外の位置づけは考えられません。
希望の党が失速したのはやはり、「排除」「さらさら」と言う言葉の問題よりも、改憲と安保法制推進という、
この政党の危うさを有権者に見透かされたことが、本質的な理由だと思います。
小池氏が意図して民進党を分裂させたのかどうかは分かりませんが、以下に、小池氏がどのような読みと狙い
をもっていたのかを検証してみましょう。
まず、小池氏は今回の選挙で、本気で政権交代を目指したのかどうか、という点です。もし、本気だとしたら、
自ら首相候補として衆議院選挙に立候補していたはずです。
選挙に出るか出ないかの判断をギリギリまで延ばしていたのは、世の中の風の流れを読んでいて、かなり早い
段階(多分、例の「排除」発言以後)どうも希望の党の情勢が芳しくないと読んだので、立候補しなかったの
ではないでしょうか?
もし、圧倒的に有利な風が吹いていたら、恐らく立候補していたでしょう。選挙後に、“私は最初から立候補
せず都知事の仕事に専念すると言いってきた”、との趣旨の発言を繰り返していますが、どうもこれは、後付
けの言い訳のように聞こえます。
次に、もし政権交代を狙うなら、過半数の233人以上の候補者をたてなければ、本気度を疑われるので、か
なり無理をして、何とか235人の候補者を擁立しました。しかし、民進党からの合流組を除けば、ほとんど
素人をかき集めた、という感じでした。
この際、小池氏は、民進党の大部分を取り込むことができれば、彼らがそれぞれの地盤でもっている支持層、
組織、そして100億から140億円とも言われる民進党の政党交付金(小池氏は否定していますが)、そし
て連合の応援・支持を手に入れることができると考えたと思われます。
それに加えて、都知事選と都議選で見せた小池ブームの風は、東京はいうまでもなく、全国的に吹いている、
との思い込み(実は“おごり”)があったはずです。
もちろん、小池氏には、自民党と並ぶ保守党勢力を結集し、自ら女性初の首相になることも視野に入れていた
と思われます。
つまり、小池氏は前原氏に、あたかも希望すれば民進党の全員が「希望の党」の公認を受けることができる、
との確約ではなく印象だけを与え、前原氏を彼女の筋書きに引き入れることに成功しました。
一方、前原氏は、インタビューで民進党の全員が希望の党から公認されることになっていたのか、と問われて
「そうしたかった」と答えています。つまり、口頭でも書類上でも、何の確約もないまま、民進党の両院総会
で、安倍政権の一強と倒すために、あたかも全員が希望の党の公認を受けられるかのごとく、言ったことが判
明しました。
また、『テレビ朝日』の番組のインタビューで前原氏は、「希望の党」との合流の意図を、「自衛隊や日米安
保を否定する政党と選挙協力を行うことはできない」、と語っています(注2)。
つまり民進党のリベラル派を排除する必要があった、と言っているのです。
ここまでは、小池氏の目論見は、あと一歩で大成功の所まで来ていました。ところが、例の「排除」発言がき
っかけとなって、事態は急変しました
例えは適当でないかも知れませんが、今回の小池氏の言動は、民話「いなばのしろうさぎ」を想起させました。
しろうさぎは、海を渡るため、数を数えるからと二ワをだまして向こうの陸地まで並びに並ばせ、あと一歩で
陸に到達できるところでワニに、だましたことをついうっかり口にしてしまいます。それに怒ったワニたちが、
白うさぎの毛皮を剥ぎとって丸裸にしてしまいます。
小池氏は、枝野氏に代表される民進党のリベラル派を切り捨て民進党を保守党に転換しようとし、実際、あと
ほんの少しで成功するところまで来ていました。
しかし、つい、おごりか傲慢か、油断からか、「排除します」という本音がとびだしてしまい、追い風の流れ
は強い逆風となってしまいました。
枝野氏に代表されるリベラル勢力を「排除」して、民進党を実質的に保守党に改変しようとしたのです。
その後の運命は、いなばのしろうさぎと同じで、有権者と立憲民主党に手ひどいしっぺ返しを食らってしまい
ました。
(注1)『BLOGS』2017年10月23日 16:00 http://blogos.com/article/254237/
(注2)『テレビ朝日』「鳥羽慎一モーニングショー」(2017年10月26日)。