大木昌の雑記帳

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子どもの世界(1)―詩が語る「こどもの宇宙」―

2015-02-22 08:08:47 | 社会
子どもの世界(1)―詩が語る「こどもの宇宙」―

河合隼雄氏は『子どもの宇宙』(注1)の「はじめに」で,子どもの宇宙について次のように述べています。

  この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし,ひとりひとりの
  子どものなかに宇宙があることを,誰が知っているだろうか。それは無限のひろがりと
  深さをもって存在している。大人たちは,子どもの姿の小ささ惑わされて,ついにその
  広大な宇宙の存在を忘れてしまう。
 
しかし,子どもたちの澄んだ目は,この宇宙を見据えて日々新たな発見をしています。しかし,子どもたちはその宇宙の発見について,
大人たちにはあまり話してくれません。

うっかりそのようなことを話すと,無理解な大人たちが,自分たちの宇宙を破壊しにかかることを,彼らが何となく感じているからだろう。

それでは,私たち大人は子どもの宇宙を知ることはできないのでしょうか?

河合氏によれば,子どもたちの宇宙からの発信に耳を傾けてくれる大人たちを見出したとき,子どもたちは生き生きとした言葉で,
彼らの発見について語ってくれます。

幸いにも私たちは,子どもの心に寄り添いつつ,子どもたちとの厚い信頼関係をもっている先生たちの努力によって,
多くの子どもたちの宇宙の一端を知ることができます。

ここで取り上げたのは,神戸市の小学校で主に低学年を担当した鹿島和夫氏が,小学校の一年生のクラスの担任となっていた時に,
子どもたちが書いてくれた詩です。

鹿島先生のクラスでは,生徒が「あのね帳」を持っており,何かを感じたとき,先生に語りかけたいときに,
誌の形式で自由に書いて先生に見せていました。

これらの詩が(全部ではないかもしれませんが)『一年一組 せんせいあのね』というタイトルの4冊の本にまとめられています。(注2)

もう一つは,同じく小学校の教師を長く務めた灰谷健次郎氏が編集した『たいようのおなら』という本です。(注3)
ただし,この本の編集には鹿島氏も加わっているので,

鹿島氏の本からもいくつかの詩が引用されています。

鹿島氏と灰谷氏は20年以上にわたる友人であり,共に神戸市の教員生活を送り,子どもたちが詩や文章を書くよう努力してきました。

そんな縁があって,『一年一組 せんせいあのね』シリーズでは巻末にお二人の対談が掲載されています。

ここで大切なことは,子どもたちが詩を書く時,他の人に褒めてもらおうとか,感動させようとか,そんな気持ちはまったくない,
ということです。

子どもたちは,率直に思ったままを詩にします。だから,こうした詩は貴重なのです。

まず,子どもが心にいだくスケールの大きな詩を一つ紹介しましょう。

たいようのおなら    にしずか えみこ(7歳)
たいようがおならをしたので
ちきゅうがふっとびました
つきもふっとんだ
ほしもふっとんだ
なにもかもふっとんだ
でも,うちゅうじんはいきていたので
おそうしきをはじめた

このように奇想天外な発想とスケールの大きな想像力を大人はもっていません。

大人は,みんな吹っ飛んだのに,なぜ「うちゅうじん」は生き残ったのか,また,この場合,「うちゅうじん」
とはどの星に住んでいたのか,そして,だれがお葬式を始めたのか,と疑ってしまいます。

しかし,えみこちゃんの心の中では何の矛盾もなく,一つの宇宙として了解されているのでしょう。

もし,大人がいろいろ問いただしたりしたら,えみこちゃんは二度と心の中に広がる宇宙について書かなくなってしまうでしょう。

それでは,子どもたちが安心し自分の心の内を伝えることができる大人との間にはどんな感情が働いているのでしょうか?

一年一組の「あのね帳」は,この点を素晴らしい詩でつたえてくれます。

せんせい    ゆあさ かおり
せいんせいはおよめさんとチュウをしましたか
わたしはしたとおもいます
せんせいはわたしのゆめをみましたか
わたしはみたとおもいます

ゆあさ かおりちゃんは先生が大好きです。しかし,先生は結婚しているので,
お嫁さんとの関係がちょっぴり気になります。

そうであっても,かおりちゃんは,先生が自分のことを想っていてくれて,
夢にも現れているに違いない,と信じています。

この詩には,少女の先生に対するほのかな恋愛感情がそこはかとなく表現されています。

それと同時に大切なことは,そのような感情を安心して「あのね帳」に書くところに,生徒と先生との間の信頼関係と愛情を見ることができます。

次に,子どもたちが自分と自然との関係をどんなふうに感じているかをみてみましょう。

いぬ   さくだ みほ(6歳)
いぬは
わるい
めつきはしない

この詩を読むと,最初は“そんな馬鹿な”と思わずニヤリと笑ってしまいそうになります。というのも,私たち大人は,
いぬにも目つきの良い悪いがあるとは考えていないからです。

しかし,この詩を何回か読んでいると,“なるほどそう言われれば,そうかも知れない”,と,みほちゃんに共感できるようになります。

さくだ みほちゃんは,まず,犬が大好きです。しかも,いぬも自分もまったく同じ生き物世界の住民だと感じています。

だから,犬に代表される動物のめつきには「いいめつき」も「わるいめつき」があることを感じることができるのです。

子どもは大人の世界にたいして,いろいろな疑問と「ふしぎ」を抱いています。次の詩はその一例です。

おとうさん    おおたに まさひろ(6歳)
おとうさんは
こめやなのに
あさ,パンをたべる

お父さんは米屋ですがパンをたべても,ふしぎではないと感じるのが大人。「ふしぎ」だと思うのが子どもです。

灰谷氏は,「子どもにそういわれて,笑うのがおとな,ちょっともおかしくないのが子ども。感受性がまるでちがうのです」
とコメントしています。

子どもにとって,この世はふしぎに満ちています。

小さい子どもが,「なぜ,なぜ」と何回でも親に聞くのは,それだけこの世は「ふしぎ」に満ちているからです。

河合隼雄氏は,子どもの「なぜ」に関してとても大切なことを指摘しています。

  こどもが「なぜ」ときいたとき,すぐに答えず,「なぜでしょうね」と問い返すと,面白い答えがこどもの側から出てくることもある。
  「おかあさん,せみはなぜミンミンないてばかりいるの」と子どもがたずねる。
  「なぜ,鳴いているんでしょうね」と母親が応じると,「お母さん,お母さんと言って,せみがよんでいるんだね」と子どもが答える。
  そして,自分の答えに満足して再度質問しない。これは子どもが自分で「説明」をかんがえたのだろうか。

ここで大切なことは,たとえお母さんが科学的に正しい答えをしたところで,子どもは「納得」しないだろう,ということです。

河合氏は,「そのときに,その人にとって納得がいく」答えは,「物語」になるのではないか,と述べています。(注4)

つまり,子どもにとって納得とは,自分なりの「物語」ができあがることなのでしょう。

大人になると物事を客観的,科学的に理解するようになります。それでも,自分なりに納得できる「物語」を見出せないと,
私たちは本当の納得には至りません。

日本人は,このような納得の仕方を「腑に落ちる」という風に表現してきました。

私には,大人になるということは,「ふしぎ」と自分なりの「物語」を失ってゆくことに思えます。

これから,「こどもの世界」シリーズでは,いくつかのグループ(たとえば「自然」,「人」「恋愛感情」「大人のふしぎ」など)
の分野にわけて,子どもたちの「物語」を味わって行きたいと思います。

これは,私たちがもう一度,あのみずみずしい感性を取り戻す作業でもあります。

(注1)河合隼雄『子どもの宇宙』岩波新書 386,1987年
(注2)鹿島和夫+対談灰谷健次郎『一年一組 せんせいあのね』(詩とカメラの学級ドキュメント)理論社,初版1981年。
    鹿島和夫編『続一年一組 先生あのね』理論社,1987年。
    鹿島和夫・灰谷健次郎『一年一組 せんせいあのね それから』,理論社,1994年。
    鹿島和夫・灰谷健次郎『一年一組 せんせいあのね いまも』,理論社,1994年。
(注3)灰谷健次郎編『たいようのおなら』(子どもの詩集),のら書店,1995年(初版)
(注4)河合隼雄『こどもといのち』(河合隼雄著作集 第II期,4),岩波書店,2002年,.7-8ページ。



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戦争とジャーナリスト(2)―政府・大手メディア・フリーランス―

2015-02-16 05:41:30 | 社会
戦争とジャーナリスト(2)―政府・大手メディア・フリーランス―

後藤健二氏の拘束から殺害に至る経緯に関連して,多くの問題が浮上しました。それは
,今回の「イスラム国」に限らず,危険地帯に入って取材することの問題です。

とりわけ,後藤さんのようなフリーランスは危険を承知の上で紛争地に入ってゆきます。

後藤さんの行動に対して自民党の高村正彦副総裁は2月4日,党本部の記者会見で「日本政府の警告にもかかわらず,
テロリストの支配地域に入ったことは,どんなに使命感があったにしても,勇気ではなく,蛮勇と言わざるを得ない」
と記者団に語っています。

また高村氏は,「後藤さんは『自己責任だ』と述べているが,個人で責任をとり得ないこともあり得ることは肝に銘じていただきたい」
とも述べています。(『東京新聞』2014年2月5日)

政府としては,後藤さんにシリアへの渡航を再三の自粛要請にもかかわらず強行したために,政府が窮地に追い込まれた,
という点に対するいらだちを表わしています。

一般論としては,政府の警告を無視して危険地帯に入ったのだから,そこで何が起ころうとも,それは当人に責任である,
という論に反論することはできません。

しかし,もしそうだとしたら,政府の責任で,「イスラム国」で何が起こっているのかを独自に調査し,
知り得たた情報を救出に活用すべきでしょう。

たとえば,後藤さんが「イスラム国」に向かった理由の一つは,すでに拘束されていた湯川さんの情報を得るためだとされています。

この場合,フリーランスが危険を冒してシリア入りしなくてもすむよう,政府自らがあらゆる情報網を駆使して,
湯川さんの救出に全力を尽くすべきでしょう。

しかし,今回の拘束された日本人二人の釈放に向けた政府の対応を見ていると,日本政府の情報収集能力が,
絶望的に弱いことが露呈されています。

国会の審議の場で外務大臣は,後藤さんを拘束しているのが「イスラム国」であることを確認できたのは1月20であったと答えています。

もしこれが本当だとしたら,日本政府は「イスラム国」との間に全く情報網をもっていないことになります。

というのも,昨年の12月には,後藤さんの奥さんに身代金を要求するメールが来ており,そのことは外務省にも伝えられていたからです。

しかし,そのメールが「イスラム国」からのものであるかどうかさえ,政府は確認することができなかったということになります。

ただし,上記の外務大臣の答弁にも疑問が残ります。というのも,湯川さんが拘束された昨年の夏,
イスラム法学者の田中考氏のもとに,「イスラム国」の司令官,ウマル・グラバー氏から,裁判に立ち会って欲しいとの要請があり,
田中氏とフリーランスの常岡浩介氏が9月に「イスラム国」入りしています。

再度,シリア入りしようと準備していた10月7日,田中氏と常岡氏は私戦予備・陰謀罪の容疑で突然,
警察の家宅捜査を受けパソコン,スマートフォン,「イスラム国」関係の連絡先など,全て押収されました。(注1)

したがって,この時点で警察および政府は,湯川さんが「イスラム国」に拘束されていたことを,知っていたことになります。

田中氏は,自分は「イスラム国」とのパイプがあるから,シリアに出向いて後藤さんの救出に動いてもよい,
と何度も提案したそうですが,彼の提言は政府の側からことごとく無視され,何の反応もなかった,と語っています。

いずれにしても,日本政府の情報収集能力がはなはだ脆弱な状況のなかで,実態を知るためにはフリーランスの活動は欠かせません。

欧米社会では,ジャーナリストが危険地域に入ることを禁ずることはありません。しかし,もし拘束されれば,
国家が全力で救出しようとします。

かつて,「イスラム国」に拘束された人たちを解放したフランス,スぺイン,ドイツでは政府が裏交渉で,
どうやら身代金を払って解放しえいます。

国民の生命・財産を守る,という政府の最も重要な役割である,というのが西欧社会の基本的な認識だからです。

他方,日本における危険地域での報道にはいくつかの問題があります。

『東京新聞』(2015年2月4日)の「こちら報道部」は,「フリー頼み 紛争報道: 問われる大手メディア」と,
「ジャーナリズムの宿題:なぜ守れなかったのか」という特集を組み,この問題を掘り下げています。

外務省は今年1月20日に人質事件が発覚すると,報道各社に翌21日付けで「いかなる理由があっても,シリアへの渡航を見合わせるよう,
強くお願いする」と注意を喚起しました。

言葉では「お願いする」となっていますが,実態としては禁止に近かったようです。

紛争地域への取材がますます制限されてきた現状を受けて,『東京新聞』は,今後の報道をどうするのか新聞各社に問い合わせました。
(『東京新聞』2015年2月4日)

『朝日新聞』は,「見解は(今後)弊社のメディアで示す」とだけ回答しました。つまり,いまだ,様子見といったところです。

『読売新聞』の広報部は,「現地の治安と記者の安全確保を考え,ケース・バイ・ケースで判断している」。
『産経新聞』は「記者の安全と現場の状況に応じ,個々に判断している」との回答でした。

そして,当の『東京新聞』は「記者の安全確保されない場所には派遣しない。外務省の渡航情報も考慮した上で,
総合的に判断している」との方針です。

全体として,自社の記者を紛争地域に派遣して取材させる新聞社はなさそうです。同じことはテレビについても言えます。

たとえば,後藤さんが拘束される前の昨年10月8日,TBSは情報番組「ひるおび!」で「イスラム国」を特集しました。

それは,シリアから帰国直後の後藤さんをゲストに招き,トルコ国境のシリアの都市(アイナルアラブ)の最新情報を放映しました。

またテレビ朝日も「ニュースステーション」で2月と5月に後藤さんがシリアで取材した映像などを使用しています。

つまり,大手のメディアは社員の記者を紛争地域に派遣することはできるだけ避ける傾向は,ますます強まっており,
その分,フリーランスへの依存は高まっています。

しかし,フリーランスにとっても問題がないわけではありません。

「命の保証もないのに取材し,その素材を放送に使用するかどうかはテレビ局が一方的に決める。圧倒的に弱い立場にある」
(元NHKプロヂューサー,永田浩三氏のコメント。

上記,『東京新聞』)。同じことは新聞,雑誌,その他のメディアについても同じです。

フリーランスと大手メディアとの関係について,フランスの世界的な大手通信社(AFP)の決定は,この問題に一石を投じました。

それは。自分たちは安全地帯に身を置いているにもかかわらず,フリーランスにばかり危ない仕事をさせるのは倫理的に問題ではないのか,
という問題意識から発したものでした。

AFPは2013年8月以降,シリア国内の危険地域へ記者派遣を取りやめるとともに,
自社の社員が立ち入らないような地域でフリーランスが取材した素材も使わないことに決めました。

その理由は,フリーランスが「攻撃のターゲットや身代金の商品と見られるようになったため」でした。

実際,同社に映像を提供してきた米ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏は昨年8月,「イスラム国」に殺害されたのです。

上記の倫理観も,殺害という現実を考えると,AFPの決定はまったく正当で,だれも否定できないでしょう。

しかし,それでは,危険地域に関する情報を私たちはどのようにして知ることができるのでしょうか。

さらに,これまで後藤さんのように,フリーランスとして活動し,それを職業としてきた人たちの職を奪うことにもなります。

政府の,報道関係者に対する圧力は,今年の2月に入り,さらに強化されました。

フリーのカメラマン,杉本祐一氏は,シリアへの取材を計画していましたが,7日夜,自宅前に待ち構えていた外務省職員や警察官に,
「旅券を返納しなければ逮捕する」と告げられ,しぶしぶこれに従いました。

政府としては,また日本人が拘束されるような事態は,何としても避けたいのでしょう。これに対して杉本氏は,
報道の自由,渡航の自由に対する侵害であると,激怒しています。

またテレビ局のインタビューに,渡航禁止をしたら誰が事実を伝えるのか,日本の外交などできないのではないかと疑問を呈し,
パスポートを取り返すと語っています。

政府としては,明らかに危険な地域へ立ち入ることにより,後藤さんのように拘束され,政府が振り回されることは
何としても避けたいのが本音でしょう。

安倍政権は,「テロには屈しない,しかし人命第一」という相矛盾する原則を掲げています。

今回の後藤さんの殺害にいたる経緯をみていると,「テロには屈しない」は満たされましたが,
「人命第一」は果たせませんでした。

フランス,スペイン,ドイツのように「イスラム国」と交渉し,金銭を含む取引で人質を取り返した事例をみると,
日本にもその選択肢もあったのではないか,という意見もあります。

私には,安倍首相が現在まで,後藤さんの家族に弔意を示していないことが,とても気になっています。

(注1)日本外国特派員協会での田中考氏の会見はhttp://blogos.com/article/104005/ ,
常岡浩介氏の会見は http://blogos.com/article/104020/を参照。

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戦争とジャーナリスト(1)―後藤健二氏の志―

2015-02-09 04:31:18 | 国際問題
戦争とジャーナリスト(1)―後藤健二氏の志―

私たち日本人の解放への期待もむなしく,「イスラム国」に拘束されていた湯川遥菜さんと後藤健二さんのお二人は
殺害されてしまいました。心からお悔やみ申し上げます。

これまで,中東での戦争は日本人にとって,遠い国の出来事でした。しかし,湯川さんと後藤さんの拘束,そして殺害を機に,
日本人の中東への関心が一挙に高まりました。

お二人の拘束から殺害にいたる経緯については不明な点が多く,現段階では全体像を描けません。これについては後日,
もう少し事実関係が明らかになった段階で書きたいと思います。

今回は,戦争(あるいは紛争)とジャーナリストの問題を,後藤さんの取材姿勢,とりわけその「志」に絞って考えてみようと思います。

こ問題を考える時私には,個人的にずっと心に引っかかっている過去の出来事があります。

それは,ベトナム戦争当時,私の後輩がフリーランスのジャーナリスト(注1)としてベトナム入りしました。

彼は米軍のヘリコプターに乗せてもらい取材に向かいましたが,不運にも,そのヘリコプターが撃ち落とされ,後輩は命を失いました。

当時,ベトナム戦争で命を落としたジャーナリストは多数いたと思いますが,自分の後輩となると,非常に複雑な気持ちでした。

戦争という悲惨な行為の実情を当事者の政府なり代表なりがそのまま伝えることは,ほとんどありません。

また,新聞,テレビ,通信社などの大手メディアは社員を,危険な場所に派遣することはめったにありません。

戦争ではなくても,2011年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発の爆発事故の際にも,
大手メディアは社員に,直ちに原発から50キロ以上離れる指令を出したのです。

この時,放射能を浴びる危険を冒して,汚染された地域で何が起こったのかを取材したのは,日本人よりは,
むしろ外国人のフリーランスでした。

ところで,アメリカは戦後,「世界の警察」を自称し,中南米,アフリカ,中東など,あちこちで戦争をしてきました。

戦後の主要な戦争のほとんどはアメリカの主導によって行われたと言っても過言ではありません。

ところが,アメリカ政府がその実態を自ら写真や文書の形で公表することはありませんでした。

このような状況のなかで私たちは,フリーランスが戦地に入って撮った写真や記事を通して戦争の実態の一部を知ることができたのです。

たとえばトナム戦争当時,フリー・ジャーナリストが撮った,戦火の中を裸で走りながら逃げている少女の写真,
捉えられた反政府の兵士が,道端でピストルによって撃ち殺される瞬間の写真,僧侶が戦争に抗議して焼身自殺する写真,
ソンミ村の虐殺の記事,などがアメリカ国内に反戦運動を巻き起こしました。

私たちは,こうした報道がベトナム戦争を終結に導いた大きな要因になったことを知っています。

これらは,戦争の実態,とりわけ戦争の悲惨さ,残虐性,理不尽さを世界の人々に訴える力をもっています。

ベトナム戦争で,フリーランスによる報道が社会に大きな影響を与えることに危機感を感じたアメリカ政府は,
湾岸戦争(1991年)以降,情報のコントロールを徹底します。

その代表的な方法は,軍の部隊が率先してジャーナリストを戦車その他の車両や航空機に乗せて取材させる,
いわゆる「部隊同行(embedded)取材」です。

この方法は,ジャーナリストにとってはある程度の安全が保障され,個人では立ち入れない場所に立ち入ることができるという
メリットがあります。

この点だけを考えれば,大手メディアの取材記者などにとっては便利な取材方法です。その反面,「同行する部隊」
は見せたくない光景は見せず,見せたい場面だけを見せます。

こうした取材方法は,事実を伝えるというジャーナリズムの精神に反しており,むしろ同行する部隊,
それを動かしている政府の宣伝に利用されていることになります。

今回のシリア,「イスラム国」への取材には,この「部隊同行取材」さえありませんでした。

たとえ「部隊同行取材」が可能であったとしても,後藤さんはそれを利用することなく,おそらく単独でシリア,
「イスラム国」に入っていったと思います。

後藤さんの死がほぼ確認された後,日本人のジャーナリストや紛争地域での支援活動をしている人たちの間に,
「後藤さんの志,私たちが」という声がわきあがりました。

では,「後藤さんの志」とは,一体,何だったのでしょうか?

最ももよく引用されるのは,子ども,老人,女性など戦火の中で弱い立場の人々に寄り添っている姿勢です。
実際,彼らの実態が国際的なニュースなどで光が当てられることはほとんどありません。

ところが,彼が残した映像には,戦火で被害を受けた子どもたち,女性,老人が頻繁に登場します。

この点と並んで,あるいはそれ以上に私が共感するのは,彼が,どこかの学校で講演で語った彼のジャーナリストとしての哲学です。

言葉は正確ではないかもしれませんが,おおよそ,以下のような趣旨でした。

戦場に入るジャーナリストの仕事は,危険な場所に立ち入って悲惨な実情を伝えることではありません。

そうではなくて,そんな悲惨な状況の中でも,人々は何かに喜びを見出し,何かを悲しんでいる。
その日常の生活を伝えることがジャーナリストの最も大切な仕事なんです。

一言でいうと,彼のジャーナリストとしての立脚点は,ヒューマニズムであると言えます。これは,キリスト教徒としての,
人間「後藤健二」の人生哲学でもあるのでしょう。

後藤さんの「志」を引き継ごうとしている人たちも,是非,この立場を理解してほしいと思います。

後藤さんは,いくつか,彼の思想や行動を表現した言葉を残しています。

   目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは
   人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

後藤さんが,シリア入りする前に,カメラの前で,自分がどうなっても,シリアの人を憎まないでください,
と語った,あの言葉を思い出します。

ここでは「アラブの兄弟たち」としていますが,キリスト教徒としての言葉でもあるかもしれません。いずれにしても,
後藤さんの言動には,宗教的な背景を感じます。

また,ジャーナリストの使命と苦しさについて,次のように気持ちを吐露しています。

   そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、
   命の危機を伝えることが使命だ。
   でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない。(注2)

ここでは取材現場での辛さを正直に語っています。現実を直視し,伝えることが使命であるにしても,やはり,
時には絶叫したくなる時もあるのでしょう。

日本におけるフリーランサーの地位について。
   ジャーナリズムに関して、もう欧米と比べるのはやめた方が良い。虚しいだけで何より無意味。
   情報を受け取る個人の問題。日本にジャーナリズムが存在しえないことや
   フリーランサーの地位が低いのは、3/11の前からわかっていたこと。今ある結果と
   して変えられなかったことは自戒すべきことと思う」

フリーランスと大手メディアとの関係を示す事例として,元NHKプロデューサーで特報番組「クローズアップ現代」
を担当した水田浩三氏は,イラク戦争末期のエピソードを語っています。

   イラク戦争でバグダッドが陥落した際,米軍に随行するNHKの取材映像は喚起する市民ばかりが映っていたが,
   後藤さんの映像は市民の複雑な表情も捉えていた。ところが,NHKの取材映像を使うよう命じられた。
   (『東京新聞』2015年2月4日)

日本においてフリーランサーが欧米ほど高く評価されていないのは,自分たちの力のなさの結果である,
との自戒の弁です。

この自戒をもって,ひたすら自分の使命を遂行してきた姿勢をよく表しています。

ところで,後藤さんを知るジャーナリスト仲間は,彼の活動について,どのように感じていたのでしょうか。

フォト・ジャーナリストの橋本昇氏は「後藤さんの志は立派だけど,どこかで判断を間違えたのかなあ・・・・。
死んだら終わり。引き返す勇気もひつようなんだよ」と後藤さんの死を惜しんでいます。

私も,橋本氏と同様,今回のシリア入りには,後藤さんに何か読み違いがあったのかもしれない,と感じています。

それでも,橋本氏は「自己責任論」に対して,「ジャーナリストはみな覚悟している」と反論し,
「それでも,なぜそこで戦争が起きているのか,弱者が何に苦しんでいるのかは,潜入しなければ分からない。
生きてこそ伝えられたのに」と無念を語っています。

後藤さんを知り,後藤さんの活動を高く評価してきたジャーナリスト綿井健陽氏は,「ジャーナリストは,
声を出せない人たちの代弁者だ」と言いつつ,「どうか,後藤さんを英雄視しないでほしい。

彼が伝えようとした多くの民衆の死を想像してほしい」と語っています。(以上,『東京新聞』2014年2月5日)

後藤さんの母,石堂順子さんは,「悲しみが『憎悪の連鎖』となってはいけない」,と語り,また兄純一さんは
「殺りくの応酬,連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる」と語りました。
(『東京新聞』2015年2月4,5日)

戦場に赴くジャーナリストの宿命を静かに受け入れるお兄さんの言葉が重く響きます。

(注1)大手メディアなどに属さない,個人ないしは,個人的な組織で活動するジャーナリスト。単にフリーランス,
    フリーと省略されることもある。
(注2)http://meigennooukoku.net/blog-entry-3608.html


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【「いぬゐ郷」だより】 冬に入り,作物栽培の農作業はほとんどありません。その代わり,
里山の間に広がる谷津の開墾を精力的に行いました。そして,1月には里山の一角に「エコトイレ」
を作成しました。竹で周を囲った簡単な作りです。


里山の竹を使った「エコトイレ」


一面,雑草,くずのツル,潅木に覆われていた放置水田もようやく耕作できるような耕地に変わりました。,
 







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本田圭佑のプロ意識(3)―本田圭佑のストーリーは始まったばかり―

2015-02-03 22:08:28 | 思想・文化
本田圭佑のプロ意識(3)―本田圭佑のストーリーは始まったばかり―

“本田圭佑のストーリーは始まったばかり。これからの筋書きは自分で決めること”

恐らくこれは,彼の気持ちをトータルに現わした本心でしょう。

本田は,アスリートの他に多彩な顔をもっています。一つは,彼が折に触れて発する言葉です。

既に前の記事でもいくつか引用しましたが,サッカーに関する言葉であっても,一般の人にとって参考になる,
人生観や生きる姿勢が現れている場合が数多くあります。

それらは時として,まるで思想家か哲学者にでもなったような言葉として出てきます。

中でも私が気に入っているのは,NHKのインタビューで語った,”過去は変えられないけれど,未来は変えられる”
という言葉です。

“過去は変えられない”とは誰でも言えます。しかし,“未来は変えられる”という言葉の背後には,“変えてみせる,
そして実際に変えることができる”,という強い意志と自信がなければ言えません。

これと関連して,”一年後の成功を想像すると、日々の地味な作業に取り組むことが出来る”という言葉もかなり示唆的です。

同じことを,”「こうなりたい」を「こうでなければならないに変える”」とも表現しています。

ある講習で,物事に成功し目標を達成するためにはまず,達成した時の自分の状態や姿を“ありありと”想像することだ,
という考え方を聞いたことがあります。

成功の到達点を“ありありと”(非常に具体的に)想像できれば,今,そのために何が足りなくて,
何をすべきかが明らかになるから,という意味です。

本田は,まさにそれを地でゆく生き方をしています。しかし,高い目標を掲げると,当然,それは自分自身を
追い込んでゆくことになります。

本田はこうして自分自身を追い込んでゆきますが,そこにはもう一つ,追い込まれたら死に物狂いで頑張るものという,
彼の“哲学”があります。

この際,彼の頭には自らを,泳ぎを知らなくても,水の中に放り込まれた動物が死に物狂いで泳ぐ姿になぞらえています。

こうしてみると,本田は自信に満ちているというより,自分を意図的員に困難に追い込み,それを克服してゆくという生き方を
実践していると言った方がいいかもしれません。

そこには当然,リスクもあります。しかし彼は,”リスクのない人生なんて,逆にリスクだ。
僕の人生なんてリスクそのものなんで”と言っています。

意外に思うかもしれませんが,本田はサッカー選手であることこそが人生の全てだと考えているわけではありません。
経済紙『News Picks』とのインタビュー(2014年11月9日)で,
  
    前にも言ったと思うけど,自分にとってサッカー選手はウォーミングアップだから。人生の一部・・・・。
    
と答えています。(注1)

では,サッカー選手の他に,彼はどんなことをしているのでしょうか。

彼は日本で「ソルティーロ=Soltilo」というサッカー・スクールーを2年半で30校経営する,経営者でもあります。

彼の目標は,ロシア・ワールドカップまでに,日本の国境を越えて世界に300校を開設することだと言います。

彼はビジネスにも野心があるのでしょうか?これについて彼は,
    ”だって俺が何歳で会社作ったか知ってる? (星稜高校を卒業して)名古屋グランパスにいたときだからね。

彼がどんな事業を行う会社を設立したかは分かりませんが,本田は二十歳そこそこで,会社を設立したのです。

サッカー・スクールは,「名前を貸しているだけ」とか、「フランチャイズでやっている」と思っている人が多いと思うけど,
それは違う,という。

彼は真剣なプロジェクトとしてやっていて、ビジョンにこだわっており,自分で作った練習のメニューから技術な指導法
などを日々,スクールのコーチに伝えています。

    サッカースクールって儲かると思っている?   
    だって収入は何? 選手の月謝。それ以外にないよね。どうやって儲かるの。月謝ナンボ取るの
    しかも何十人に給料払っているの。それぞれのスクールに常駐しているコーチは1人じゃないよ。
コートも自前じゃないよ。
    お金のためにやっていると思われたら、たまったものではない。
    お金のためにやっているのはCMやん。当然、ビジネスでしょ。そこはきれいごとではないと思う。
    むしろそういうもので得たお金を、スクールに投下しているよね。

以前彼は,テレビやマスメディアのCMには出演しませんでしたが,現在では,東洋タイヤ,メルセデス,ドコモ,
オリンパス,日本マクドナルド,アクエリアスなど,10社13本のCMに出ており,ほとんどテレビに登場しない
日はないくらいです。

彼にとって,こうしたCM出演は,サッカー・スクールを維持するためでもあります。

なお,東洋タイヤの場合,彼個人だけではなく,ACミランのプレミアスポンサー契約をしており,ミランの財政に大きく
貢献しています。

ではなぜ,そこまでしてサッカースクールに力を入れるのだろうか?どうやら二つあるようです。

一つは,小さい子供子どもたちに世界で通用する選手を育成することです。彼の表現を借りると「ソルティーロ
が自分を超える」「ソルティーロが世界を超える」日のために。

二つは,あまり明確には言っていませんが,どうやら,自分の理念を,サッカーを通してできるだけ多くの人に
伝えたい,との希望があるようです。

彼はかつて政治家を目指したこともあるようですが,政治の世界では運や派閥があって難しいので
”政治家ではない世界の動かし方もあるのかなってね”。

本田は将来を見据えた活動の場を求めて,アメリカのある人物に会いに行ったそうです。インタビューアーが,
それは誰?と聞いたところ,“そんなの言えるか”とかわされてしまいました。

ところで,本田はインタビューでもテレビコマーシャルでも,公式の場に出る時はスーツとネクタイを付けた
フォーマルなスタイルが多いことに気が付きます。

このほか,時計やストール,サングラス,バッグなどその時々のTPOに応じて,かなりファッションに
気を使っています。

今や,テレビへの露出が増えて,彼のファッションは常に注目されるようになっています。

彼は,人と会うと時にきにきちんとした服装でいるのは「相手に対するリスペクト」を表わすためだ,
と言っています。

もちろん,ファッションが大好きだという面はあると思いますが,これだけテレビに登場するようになると,
本田圭佑はもはやそのファッションも含めて“商品”でもある。

個人としては,本田圭佑とはこんな人間である,という自己表現でもあります。

本田は,家庭人としての姿をめったに見せませんが,2013年6月,日本に帰国した際に空港の廊下を歩く時,
幼児(1歳8か月くらい)を抱いている姿を現わしました。

本田圭佑は興味が尽きない人間です。彼は,次の次のワールドカップには,年齢的にも出場はできないと
考えています。

その時,彼がどんなストーリーを描くのか,楽しみです。

いずれにしても,私にとって本田圭佑はサッカー選手としてよりも,一人の人間として興味が尽きません。



(注1)NewPicks https://newspicks.com/news/699083/body/ (2014.11.9参照)
    いわゆる「本田語録」「本田名言集」のたぐいはWeb上にたくさんありあます。
    たとえば,http://blog.livedoor.jp/tangomin/archives/9314322.html
    http://wisdom.xn--lckknw6bc11b.jp/post.htmlを参照されたい。






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