大木昌の雑記帳

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二つの原爆犠牲者慰霊平和祈念式典―69年目の広島と長崎―

2014-08-26 07:13:49 | 社会
二つの原爆犠牲者慰霊平和祈念式典―69年目の広島と長崎―

毎年恒例の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(以下に「平和式典」と略す)が,今年も8月6日には広島で,8月9日には
長崎の二か所の被爆地で行われました。

広島と長崎での平和の式典ではそれぞれの市長による「平和宣言」と市民代表による「平和への誓い」のスピーチと,首相による
「あいさつ」が行われます。

今回は,広島と長崎の「平和宣言」と「平和への誓い」を比較してみたいと思います。まず,日にち順に広島での平和式典の様子を,
見てみましょう。

松井一実,広島市長のスピーチ(注1)の中で,大切なメッセージは以下の3点です。

①悲惨な結果をもたらす「絶対悪」をこの世からなくすためには,憎しみの連鎖を生みだす武力ではなく,国籍,人種,宗教などの
違いを超えて未来志向の対話ができる世界を築く必要がある。

②ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために,そして核兵器もない,戦争もない平和を築くために被爆者とともに
 伝え考え,行動しよう。

③唯一の被爆国である日本の政府は今こそ,日本国憲法の崇高な平和主義のもとで六九年間戦争をしなかったことを重く受け止め,
 来年のNPT(核不拡散条約)再検討会議に向け,核保有国と非核保有国との橋渡し役を果たしてほしい。

全体の半分近くは,当時の中学生が見聞した,原爆投下により人々がいかに悲惨な目にあったかの生々しい描写の引用で埋められています。
これは松井氏の過去のスピーチも同様で,彼の「平和宣言」のスタイルなのでしょう。

私が松井市長のスピーチで注目したのは,核兵器を「絶対悪」としている点,そして六九年間戦争をしてこなかったことを重く受け止
めるべきである,という部分です。

特に,松井氏は「絶対悪」という言葉を4回も使っていることから,核兵器を断罪する気持ちが非常に強いことを見て取れます。

しかし,過去3回の宣言では言及してきた東京電力福島第一原発事故には,なぜか今回は触れませんでした。なぜ今年はないのかを
尋ねられて松井氏は「原発の依存度を減らし、安全性を確保できれば再稼働するという方向が出ている」と,政府の方針を追認して
います(注2)。

たとえば、原発事故が起きた2011年(平成23年)の「平和宣言」で松井氏は,「『核と人類は共存できない』との思いから脱原発
を主張する人々がいる」と語っています。

ちなみに,「核と人類は共存できない」という言葉は,哲学者・森滝市郎氏(1901~94年)が1975年に打ち出した思想です。

私は,川内原発をはじめ,政府が原発再稼働を進めている,その最中であるだけに,少しでも原発事故に触れてほしかった,
と思いました。

また,1991年(平成3年)の平岡敬広島市長の「平和宣言」では「日本がかつての植民地支配や戦争でアジア太平洋地域の人々に
大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは,そのことを申し訳なく思う」(注3)と,過去の日本の行為に対する反省が語られました。

しかし,今回の松井氏の「平和宣言」は日本の過去にはまったく触れていません。

市民代表(広島の場合は子供代表で二人の小学六年生)の「平和への誓い」は,心に響く言葉がたくさんあります。

とりわけ私は,「当たり前であることが,平和なのだと気がつきました」,「私たちは,もう行動をはじめています。友だちを大切にし,
優しく接しています」,「平和について,これからについて,共に語り合い,話し合いましょう。

たくさんの違う考えが平和への大きな力になることを信じて」,という部分に私は強く共感します。

次に,広島の3日後に行われた長崎での平和式典における市長と市民代表の「平和宣言」を見てみましょう。

田上富久市長の「平和宣言」は,広島の松井市長のスピーチとは異なり,平和へかなり突っ込んだ内容となっています。

全文は紙面で確認していただくとして,私が特に強調したいのは以下の8点です。

①広島・長崎の原爆投下以降,戦争で核兵器が使われなかったのは,被爆者の存在とその声があったから。

②核兵器の保有国とその傘の下にいる国は,核によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず,核兵器の禁止を
 先送りしている。

③日本政府は核兵器の非人道性を一番理解している国として「核兵器のない世界」を実現するため先頭に立ってほしい。

④日本政府に「北東アジア非核兵器地帯構想」を検討するよう提言する。現在,この構想には日本の500以上の自治体の首長が
 賛同している。

⑤集団的自衛権の議論を機に「平和国家」としての安全保障のあり方にさまざまな意見が交わされている。

⑥長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきた。日本国憲法に込められた
 「戦争をしない」という誓いは、 被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもある。

⑦平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている。
 日本政府にはこの不安と懸念の声に、 真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求める。

⑧東京電力福島第一原子力発電所の事故から3年が経ったが,今も多くの方々が不安な暮らしを強いられている。
 長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、 さまざまな支援を続けていく。 

以上,田上市長の宣言は,核兵器の廃絶は当然のこととして,核保有国とその傘の下にいる国(暗に日本を指している)が
核を手放そうとしないことを強く批判しています。

⑥と⑦は,核兵器だけでなく戦争そのものに反対する明確な姿勢と,平和の原点である,日本国憲法に込められて
「戦争をしない」という誓いが揺らいでいるのではないか,という不安と懸念を表明しています。

これらは明らかに,憲法9条の解釈改憲や集団的自衛権の閣議決定,特定秘密保護法など,安倍政権が急いで,強引に
推進している動きにたいする懸念と批判を表わしています。

そして締めくくりに,広島の松井市長は触れなかった,福島の原発事故にも触れています。田上市長は,原発がたんに
危険なエネルギー源であるだけでなく,核兵器の原料となるプルトニウムを作り出してしまう,被爆地としては許すこ
とのできない設備であることにも強く反発を感じていることが分かります。

自民党の一部には,日本が核兵器の潜在能力を保持するためにも原発を維持する必要がある,との考えを持っている人
がいることを考えると,田上市長が福島の原発事故に触れ,懸念を述べたことは,とても良く理解できます。

ところで,長崎の平和式典では,市長の「平和宣言」と同様,政府に対する鋭い批判の矢が,被爆者代表の城臺美弥子
さん(75才)の「平和への誓い」で直接,安倍首相に向けて放たれました。

城臺さんは幼い時の被爆体験,放射能による友人や孫の死を身近にみてきました。そして非人道的な核兵器禁止条約の
実現のため,日本政府は世界のリーダーとなって先頭に立つべきだと述べました。

続いて,城臺さんは現政権に対する厳しい批判の言葉を投げかけます。

  現在の日本政府は,その役割を果たしているのでしょうか。今,進められている集団的自衛権の行使容認は,日本国憲法
  を踏みにじる暴挙です。
  日本が戦争できるようになり,武力で守ろうというのですか。武器製造,武器輸出  は戦争への道です。いったん戦争
  が始まると,戦争は戦争を呼びます。
  日本の未来を担う若者や子供たちを脅かさないでください。被爆者の苦しみをなかったことにしないでえください。

城臺さんは,原発事故のために,いまだに故郷に帰れない人たち,小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいるのに,
原発再稼働を行っていいのか,と問い詰めました。

実は,「日本国憲法を踏みにじる暴挙です」という文言は,現行では「武力で国民の平和を作るといっていませんか?」
となっていました。

しかし,読み上げる直前に差し替える決意を固めたようです。待機席で登壇を待っている時,来賓席に座る安倍晋三首相ら
政治家たちの姿が目に入ったのがきっかけだった」,「憲法をないがしろにする政治家たちを見て,怒りがこみ上げてきま
した」と述べています。

式典終了後は穏やかさを取り戻し,「政治家の皆さんに,今日のことを少しでも覚えていてほしいという気持ちもあります」
と振り返ったそうです。(『東京新聞』2014年8月10日)

式典後に安倍首相と面会した被爆5団体の代表らは「集団的自衛権は要らない」などと抗議の意思を表明しました。
これに対し、安倍首相は
「切れ目のない安全保障の仕組みが抑止力になる」と,ほとんど国会答弁の言葉をおうむ返しに言っただけでした(注4)。


(注1)市長の「平和宣言」と市民の「不戦の誓い」は,8月7日(広島)と10日(長崎)の新聞各紙で掲載されていますが,
    市長の「平和宣言」はそれぞれの市のホームページで全文を見ることができます。
    広島
     http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/
    長崎 http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
(注2)『朝日新聞』(電子版 2014年8月16日)
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301898.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11301898
(注3)2011年(平成23年)のスピーチ
    http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1341980034938/index.html
上記の広島市のホームページから,過去の市長の「平和宣言」全文を全て見ることができます。
(注4)『朝日新聞』(デジタル版,2014年8月10日)
    http://www.asahi.com/articles/DA3S11293713.html
 

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佐世保市高1女子殺人事件(2)―解明困難な心の闇―

2014-08-19 09:39:11 | 社会
佐世保市高1女子殺人事件(2)―解明困難な心の闇―

前回は,佐世保高1女子殺人事件に関して,これまで知ることができた情報を集め,時系列にしたがって並べ示しました。

しかし,これらの断片的な情報から,事件を起こした高1女子A子の心の闇を解明することは簡単ではありません。

これまで,マスメディアで語られてきた加害少女A子の殺人動機としてもっとも多かったのは,A子の家庭環境の変化でした。

例えば,大好きだった母の死は,多感な思春期の少女にとって大きなショックであり,その喪失感によって,精神的バランスを崩して
しまったのではないか,というコメントがありました。

これと関連して,大好きな母親がなくなって半年もたたないのに若い女性と再婚した父親にたいする憎しみが,A子を犯行に走らせた
という説明は,最も多く語られてきました。

これらの説明は動機に関する一見分かり易い解釈ではあります。

その根拠としてしばしば引用されるのは,A子が今年の5月,幼馴染の女性に,「お母さんが亡くなって,すぐにお父さんが別の人を
連れてきたから,お母さんのこと,どうでもいいのかな」と語ったという話です。

この幼馴染の女性によれば,A子は母の死と父の早すぎる再婚という家庭環境の変化に直面して落ち込んでいたようです(『東京新聞』7月29日)。

母親の死後に中学で開かれた英語の弁論大会でA子は,「マイ・ファーザー・イズ・エイリアン」(私の父は異星人)というスピーチを
行っています。

そして母親の「四十九日」ころには,父親を「アンタ」と呼ぶなど,ぞんざいな物言いが目立つようになったようです
(『日刊ゲンダイ』2014年8月1日)。

父親に対する憎しみを同級生の殺人の動機とする解釈は,事件の少し前に父を金属バットで殴ったことと考え合わせて,今回の犯行が,
「父親への憎しみと復讐」というストーリーに導きます。

これに関して『東京新聞』(2014年8月10日)は,さまざまな雑誌記事から以下のような検証記事を掲載しています。

たとえば週刊誌(『週刊現代』8月16・23日号,『女性自身』8月19・26日号)は父親への復讐説の立場から動機を解説しています。

これに対して,まったく別の報道もあります。たとえば『フラッシュ』(8月19・26日号)では,接見した弁護士に「えっ,そんなことになって
いるんですか。私はお父さんの再婚に反対なんかしていないし,賛成していた。

新しいお母さんに恨みももっていないです。なんでそうなってるんだろう。それって,訂正することはできないんですか」と語ったという。

また,『サンデー毎日』(8月17・24日号)は,3月に行われた中学卒業のお別れ会で,A子は同級生や保護者の前で父親「育ててくれて
ありがとう」,と涙ながらにお礼を言ったという話を紹介しています。

言葉では,父親を尊敬している,憎んではいないと言いながら,他方で父親を,頭蓋骨骨折と歯がぼろぼろになるほどハンマーで殴る,
という行動に出たことは明らかに矛盾しています。

また,実母は大好きだったといいながら,前回の記事で紹介したように,実母も殺そうと思ったという知人の話が本当だとしたら,
これも矛盾しています。

私は,A子の父を尊敬しているという感情も,その反対に何らかの憎しみの感情も,両方あったのだと思います。

父が連れてきた新しい母親(実母より20才年下)に対して「恨みももっていないです」と弁護士に語っていますが,恨みまでは
ゆかなくても多少の違和感を抱いたとしても不思議ではありません。

しかし,「人を殺してみたい」という,聞けばびっくりするような恐ろしいことを,新しく母親になったばかりの義母に打ち明ける
とは,どんな心境なのだろうか。

この点は,今回の殺人事件の背景を考えるうえでかなり重要なポイントになるように思えます。

つまり,A子がずっと心の奥底に沈殿していた「人を殺してみたい」という衝動を抑えきれず,かといって父親に打ち明けるには
反発が大きすぎるので,A子にとっては,まだなじみの薄い,そして話しても危険性が少ないと思われる新しい母親に告げたのだと思う。

A子が小学生の時にクラスメートの給食に漂白剤などを入れたり,ネコの解剖をしたり,あるいは「人を殺してみたい」といったのは,
もっと自分のことをしっかりと見てほしいという訴え,あるいは強い孤独感にたいするSOSであったという面は確かにあったと思います。

このSOSに父親や周囲の大人がもっと親身に対応していたら今回の事件は起きなかったという指摘もありますが,この点に関して私は
何とも言えません。

家庭環境にやや特殊な事情があったにしても,その矛先を同級生に向けること,そして同級生を殺すやり方があまりにも凄惨で猟奇的
であること,切断したネコの首を冷蔵庫に入れておくといった行動は,あまりにも飛躍しすぎていて,常識や想像をはるかに超えています。

今回の事件に関して,専門家の立場からの解釈として心理学者の矢幡洋氏の分析を引用しておきましょう。

   事件前にも2人で買い物にゆくなど,松尾さん(被害者)はA子に警戒心を持っていなかったのでしょう。そこを利用して松尾さん
   に近づき,人を殺してみたいという願望をかなえた。
   恐らく彼女は反社会性パーソナリティ障害でしょう。このキャラクターは,猟奇的なものに魅力を感じ良心による歯止めがきかない
   のです。
   母親が最後のブレーキ役になっていたが,昨秋に亡くなってから,拍車がかかったとみられます。(『日刊ゲンダイ』2014年7月30日)
 
ここで,「反社会的パーソナリティ障害」という心理学用語が登場しますが,私は専門家ではないので,この病名が正しいかどうかは分かり
ません。

この点を除けば,矢幡氏の指摘は,ほぼ実態と整合性があるようです。

次に,医師で作家の米山公啓氏はA子の松尾さんに対する凶行に強い憎悪を感じるという。

   一般的に感情が高ぶって相手を殺すことはあっても,相手を切断するってことは,よほどのことがないかぎりなかなかそこまでは
   しないでしょう。
   被害者への一方的な嫉妬や恨みを募らせ、計画を立てたのかもしれません。猟奇的な側面は、過去の事件やアニメなど、残虐なもの
   の影響を受けた   可能性が高い。
   また一部では、A子を知る人たちが「ガッチリしたボーイッシュな女性」
   「ちょっと男の子っぽい。眉毛も  太い感じで、化粧はしていない」「自分のことを“ぼく”と呼んでいた」という証言から、
   同性愛志向があったのではないかとの見方もある。
   この世代の女子同士は親密になるとふたりだけにしかわからない心を許しあう世界を作り上げることがよくあります。他人からすると
   たいしたことでなくとも、当人同士で激しい憎しみになることもあるんじゃないでしょうか。(注1)

前回の記事で紹介したように,A子はお別れ会のスピーチで自分のことを「僕」と呼んでいます(注2)。同性愛志向と,ささいなことでも
激しい憎しみになる可能性について他の誰も指摘していませんが,心に留めておくべき指摘だと思います。

また,碓井真史・新潟青陵大大学院教授(社会心理学)は,捨てるためでも隠すためでもない遺体の切断に異常な冷静さを感じる,
小さなことが加害生徒には深刻な悩みで、気付いてもらえないまま爆発してしまった可能性があると述べています。

これら2点も重要な指摘です。

小宮信夫・立正大教授(犯罪学)も,子どもの世界は非常に狭い。大人が考えるようなトラブルはなくても、仲の良い相手の言動から
ダメージを受け、思い詰める場合がある,現実と非現実が錯綜(さくそう)してしまうケースもある,と指摘しています。(注3)

これまで多くのコメントは,加害者と被害者は仲が良かった,それなのになぜ殺したのかという議論してきましたが,二人の間には
第三者にはわからない微妙な関係(同性愛志向も含めて)があり,A子は松尾さんの,ちょっとした言葉や態度に憎しみを感じ,
殺害に及んだ可能性は否定できません。

以上,今回の殺人事件に関してできる限りの情報を集め,なぜこの殺人事件が起こってしまったのかを検討してきました。それぞれが
説得力を持っています。

それにしても,なぜ,あれほど冷静に,残忍な行為が高1の女子生徒にできたのか,という点に関しては,私自身,疑問は解消されていません。

私は『関係性喪失の時代―壊れてゆく日本と世界―』(勉誠出版,2005年)という本の中で,10代の若者による殺人事件を調べました。

1997年の神戸で起きた連続小学生殺傷事件(殺した後に首を切って校門の前に置いた),2004年の佐世保市の小学校で起きた,同級生の
殺人事件はよく知られていますが,これら以外にも,想像以上の多くの殺人事件が起きています。

これらの殺人事件の多くは,激情に駆られてというより,相手の痛みや苦しみに思いをはせることなく非常に冷静に行われています。

そして,彼らは殺人の動機としてしばしば,「殺すのは誰でもよかった」,ただ「殺してみたかった」,「人がどれほど壊れやすいか
試してみたかった」という表現をします。

人を殺すということが,まるで他人ごとのように現実感覚がないのです。ここでは,「いのち」が無機質化・物化しています。

このような事件が起きると,何とか合理的な説明をしようとしても,最後まで疑問が残ることがあります。

私は,人間の心の奥底には,普段は蓋をされ封じ込められているけれども,どこかに人を殺してみたいという欲望がひそんでいる
のではないか,その蓋がが何かのきっかけで外れてしまい,殺人を犯してしまうこともあるのではないか,と思うことがあります。

A子は8月11日,精神鑑定を受けるため医療機関に送致されました。果たして,A子の心の闇を解明することができるでしょうか。


(注1)『女性セブン』(2014年8月14日号)。本ブログでは「NEWS ポストセブン」(2014年8月1日)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140801-00000000-pseven-soci より引用した。
(注2)『毎日新聞』(電子版 2014年7月29日)http://mainichi.jp/select/news/20140730k0000m040142000c.html
(注3)『毎日新聞』(電子版 2014年7月28日)http://mainichi.jp/shimen/news/20140728ddm041040156000c.html 
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【いぬゐ郷だより9】8月17日,佐倉で借りている谷津田の草刈をしました。最近の雨と高温のため,
谷津田はうっそうとした雑草畑になっていました。草刈機と鎌でかなりきれいになりました。


順調に出穂した陸稲(うるち米ともち米。ばら撒きと移植)



成長が遅れている古代米


順調に成長している大豆




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佐世保市高1女子殺人事件(1)―不可解な殺人の衝撃―

2014-08-13 12:51:48 | 社会
佐世保市高1女子殺人事件(1)―不可解な殺人の衝撃―

7月26日,長崎県佐世保市のマンションの室内で,同市高1年生の松尾愛和さん(15歳)の遺体が見つかり,翌27日,
長崎県警はこのマンションに住んでいた,同級生の高1の少女Aを殺人の容疑で逮捕しました。

高1の女子生徒による同級生殺人,というだけでも大変な衝撃ですが,その後,事件の背景や詳細が分かるにつれて,背景の複雑さと,
不気味さとおぞましさ,さらには人間という存在がもっている底知れない心の闇がうかびあがってきました。

このように衝撃的な事件が起こると,人は何とかその事実や原因を自分なりに納得しようとします。それができない場合には,心理学者,
カウンセラー,少年犯罪に詳しい人,警察などの,いわゆる,このような事件に関係する専門家と言われる人たちに,納得のゆく説明を
求めて,それで安心しようとします。

また,これらの「専門家」も,社会の要請に応えようと,マスメディアを通じていろいろな説明を提供します。そうしないと,個人も社会も,
不安を抱えた状態ではいられないからです。

つまり,分かり易い説明を求める人々の「需要」と,それを提供する専門家の「供給」とがマッチして,一件落着となって,多くの場合,
事件はいつか人々の記憶から遠のいてゆきます。

しかし,今回の事件に関して私は,テレビに登場する専門家やコメンテーターの解説を聞いても,新聞など活字媒体の解説を読んでも,
どうしても納得できない「何か」が疑問として残っています。

なぜなら,私たちは加害少女Aがなぜこのような凄惨な行為に及んだのかについて,彼女の心の内を直接うかがい知ることはできないし,
ひょっとしたら本人さえも,本心が分からないかもしれないからです。

そこで今回はまず,今まで知られている事実を丹念に集め,そこから私たち一人一人が考え,判断してゆくしか方法がないように思います。
以下に,事件の経過と事実関係を,できるだけ時系列を追って示しておきます。

まず,今回の事件の際に必ず挙げられる問題は家庭環境です。父は弁護士で,佐世保市に,県内でも最大級の法律事務所をもち,
有名企業の顧問弁護士も務めています。

母は東大出で地元の放送局に勤め,NPO法人の代表を務めたり出版活動もしていました。また,地元の教育委員会にもかかわっていました。

兄も全国統一テストでトップクラスに入る秀才。A子は勉強もできるしスポーツも万能で,ウインタースポーツで国体に出た経験もある。

一言で負えば,A子の家はエリート一家でした(『日刊 ゲンダイ』2014年7月30日)。

そんなA子の家庭環境に大きな変化が起こります。母が昨年の10月にがんで亡くなり,半年すこし過ぎた今年の五月,父は母より20才も
若い30代前半の女性と再婚しました。

成長過程で特に注を引くことは,小学6年の12月,漂白剤や洗剤を学校にもってゆき,水道水で薄めたものをスポイトで男児(1回)と
女児(4回)の給食に混入させるという問題を起こしています(注1)。

この時A子は,担任の教諭に「ばかにされたので入れた」と説明しました(『東京新聞2014年7月29日』)。これ以外にも,小学生時代
にネコの解剖なども行っていたことが分かっています。

A子の通っていた中学のクラスは3月の卒業式後、全員が1人ずつ教室でお別れのスピーチをしました。その時A子は照れるような仕草
をしながら,「オーストラリアの方に留学を考えてます」と語りました。

続けて「まあいろいろあるんですけど」と言った後,教室にいた父親の方を見ながら「それは思うところがあって」,
と付け加えました。A子は,家庭内で居場所がないことを間接的に表現したのかも知れません。

この時のスピーチでは,後の犯行の背景を考える上で,ひょっとしたらヒントになるかもしれない事柄を話しています。

A子は涙ぐみながら,クラスメートに出会えて良かったと感謝を述べ,続いて,「一つだけお願いがあって、こんな僕ですけど同窓会に
呼んでください。で,大人になってからも僕のことを思い出して・・・」と自分のことを「僕」と呼んでいます。

最後に父親の方を向いて涙声で「こんな僕ですけど、育ててくれて大変ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
と述べて締めくくっています(注2)。

A子の父親は今年の2月にA子を祖母と養子縁組をさせました。相続のためだと言われています。

このことと直接関係があるかどうかは分かりませんが,翌3月2日にA子は突然,父親の寝込みを襲い,金属バットで父親を殴り,
頭蓋骨骨折と歯がぼろぼろになる大きな怪我を負わせました。この時父親は「死にかけた」と話しています。

そのため父親はA子に精神科での治療を受けさせることにし,今年の3月以降、二つの精神科に通院させていました。

また父親によれば,当時通っていた精神科医が「同じ屋根の下で寝ていると、命の危険がある」からと言われ,医師の勧めで4月から
A子を家賃5万円のマンションに1人暮らしさせました。

しかし,高校へ進学した4月以後,不登校状態が続き、1学期の登校日数は3日しかありませんでした(注3)。

A子と愛和さんとは仲の良いクラスメートで,二人の間にトラブルはなく,A子は「仲の良い友だちだった」と弁護人の弁護士に
語っています。

捜査関係者によると,A子は義母に「ネコを解剖しているうち,人を殺して解体してみたくなった。猫を解剖して満足できなく
なった」,また,殺す相手は「誰でもよかった」と話したという(注4)。

犯行の当日,二人は一緒に市内で買い物をしています。この時点では,殺意などまったくないように見えますが,A子は
ハンマーやのこぎりを事前に購入していたことを考えると,やはり殺意があったと判断せざるを得ません。

被害者の松尾愛和さんの帰りが遅かったので家族が警察に連絡し,警察官がマンションに駆けつけました。

この時、部屋の外に出てきた少女の服や体には血液などが付着していませんでした。

恐らく,発覚を恐れて服を着替え、体を洗うなどしたとみられる。愛和さんの行方について問われてA子は,「知らない」
と答えましたが,警察官が室内に入って遺体を見つけました。(注5)。

部屋には,首と左手首が切断され,腹部の一部が切り開かれた被害者がベットに仰向けに寝かされていました。

死因は,ハンマーで殴られた後,首をひものような物で締められたための窒息死でした。

そして,部屋には100万円の現金と,冷蔵庫には切断された猫の頭部が発見されました。

捜査関係者への取材によれば,遺体を解剖してみたかったという趣旨の供述もしています(『東京新聞2014年7月29日』。

私たちが知っている事実は以上の通りですが,なぜ,このような事件が起こってしまったのか,A子の本当の動機は
何だったのかは,推測する以外にありません。

ところで,A子と直接接見している弁護士はどのように言っているのでしょうか。動機について弁護人は「言えない」
とする一方で,動機形成の過程は誰にも分からず、本人も分かっていないかもしれない。精神鑑定や調査官の調査などで慎重
に解明されるべきだ」と語っています。

また弁護人は7月31日、事件を巡る報道についてA子が「事実と異なる」と指摘して,「正確な報道」を求める要望書を
佐世保市に拠点を置く報道各社に出しました。

この要望書によると、A子の殺人動機が怨恨だったという一部報道は事実と異なる;父親の再婚について自分の心情を友
だちに話していない;父親を尊敬している,とのことです。

また弁護人との接見で少女は,父親の再婚について「はじめから賛成しており、反対していた事実はまったくない」などと
話しているという。

昨年10月に亡くなった実母についても「仲が良く、好きだった」と話しており、父親が間もなく再婚したが「母が亡くなっ
て寂しかったので新しい母が来てうれしかった」と話しています(注6)。

実母とA子はとても仲が良かったという話がある反面,A子は知人に,実母を殺そうと寝室までいったが思いとどまった,
とも話していたようです(注7)。
もしこれが事実だとすると,今回の事件の背景やA子の動機には,もう一つ不可解な要素が加わることになります。

この事件に関する断片的な情報はまだまだありますが,今回は,とりあえず,殺人に直接関係しそうな事実や事柄を,
この事件の背景,A子の動機などを考える手がかりとしてまとめてみました。

こうした断片的な情報から事件の全容を解明することがほとんど不可能ですが,次回は,これらの情報を手掛かりに,
できる限り事件の深層に迫ってみたいと思います。


(注1)http://mainichi.jp/select/news/20140730k0000m040164000c.html (『毎日新聞』電子版,2014年7月30日)
(注2)http://mainichi.jp/select/news/20140730k0000m040142000c.html(『毎日新聞』電子版,2014年7月30日)
(注3)http://mainichi.jp/select/news/20140730k0000e040211000c.html (『毎日新聞』電子版 7月30日)
(注4)http://mainichi.jp/select/news/20140801k0000e040217000c.html (毎日新聞電子版 8月1日);
    http://mainichi.jp/select/news/20140804k0000e040165000c.html)(毎日新聞電子版 2014年8月4日);
    http://www.xanthous.jp/2014/07/27/sasebo-murder/ (『日刊時事ニュース』電子版 2014年8月9日)
(注5)http://mainichi.jp/select/news/20140730k0000e040211000c.html (『毎日新聞』電子版 7月30日);
    http://mainichi.jp/select/news/20140731k0000m040169000c.html(『毎日新聞』電子版 7月31日)
(注6)http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/54903641.html(『日刊ゲンダイ』2014年8月8日);
http://mainichi.jp/select/news/20140801k0000e040217000c.html (『毎日新聞電子版 8月1日);
http://mainichi.jp/select/news/20140804k0000e040165000c.html (『毎日新聞』電子版 2014年8月4日)
(注7)『日刊ゲンダイ』(2014年8月8日);http://www.xanthous.jp/2014/07/27/sasebo-murder/(『日刊時事ニュース』,電子版 2014年8月9日);



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川内原発再稼働の問題点―大飯原発差し止め判決の理念から遠く離れて―

2014-08-06 04:30:04 | 原発・エネルギー問題
川内原発再稼働の問題点―大飯原発差し止め判決の理念から遠く離れて―

原子力規制委員会の田中俊一委員長は7月16日,九州電力川内原発(鹿児島県)がかねて申請していた再稼働について,
昨年7月に改定された原発の新規制基準を満たす,として申請を了承しました。

この結果を受けて安倍首相は「一歩前進ということだろう。科学的,技術的にしっかり審査し,安全だという結論が出れば再稼働を
進めたい」とコメントしました。

また,菅官房長官も記者会見で,規制委の基準を満たした原発は再稼働する考えを示しました。

しかし,今回の一連の動きを見ると,政府のなりふり構わぬ,もっと言えば姑息な政治手法を駆使した原発再稼働への強引な姿が
浮かび上がってきます。

私が,失望を感じたのは政府と原子力規制委員会(以下,規制委と略す),そしその背後には再稼働を望む九州電力の,
理性とか誠実さのかけらさえ見られない,経済利益優先の姿勢です。

川内原発の適合審査の問題に入る前に,福井地方裁判所が2014年5月21日に下した,「大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決」の
「はじめに」の部分だけを引用しておきたいと思います。

福井地裁の判決は法廷という場での原発再稼働にたいする法律的な結論であり,規制委の審査は一応,”科学的” 根拠に基づく,
原発再稼働の適否を問題にしている,という違いはあります。

その点を考慮委したうえで私は,この判決に見られる,人権にたいする深い尊敬,誠実といった,最近の日本ではほとんどお目に
かかれない精神の高貴さを感じました。

少し引用が長くなりますが,非常に重要な部分なので,「はじめに」の一部を下に示しておきます。

はじめに
   ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、
   その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。
   このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、
   最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。
   個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権である
   ということができる。
   人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、
   また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことは
   できない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害の
   おそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。
   人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、
   その差止めの要請が強く働く
   のは理の当然である。

この判決文に示されているのは,原発がもたらす「人格権」の侵害のおそれがある時には,「人格権そのもの」に基づいて
侵害行為(ここでは原発再稼働)の差し止めを請求できる,という,まっとうな考えです。

ここで「人格権」とは具体的には「生命,身体,精神及び生活に関する利益」から成っています。

私はこの判決文を読みながら,崇高な理想を謳った,格調高い日本国憲法の「前文」を思い出しました。

さてひるがえって,今回の川内原発の再稼働の審査について考えてみると,そこには「人格権」に対する尊厳は完全に欠落し,
経済権益をいかに確保するかという配慮だけが目立ちます。

今回の川内原発の審査に関しては,最初から再稼働に向けての手が打たれていて,規制委の審査はいわば形式的な手続きで
あった,といえます。

まず,原子力規制委員会が川内原発の審査中に,今年初めから原発推進派の自民党議員から審査を早く終わらせるよう
求める発言が相次いでいました。

今年の2月には茂木敏充経済産業省が,「規制委会が審査の見通しを示すことは事業者に有益だ」と述べ間接的に早期の
審査を促しました。

というのも,昨年7月の新基準の導入以来,原発の再稼働は1件も認められていないからです。

産業界からの再稼働への要請はかなり強くなっていました。

規制委は「時間軸ありきで述べることは難しい」と,一旦は拒否しましたが,翌日の規制委では優先的に審査する原発を選び,
モデルケースを示すことで審査を加速する方針を決めました。

この際,モデルケースとして選ばれたのが川内原発でした。川内原発は他の原発に比べて敷地の標高が高く,活断層も確認
されていません。

このため,小規模な工事で対応できる,とお見込みから先行することになったのです。(『東京新聞』2014年7月17日)

自民党政権は,民主党政権の時代に「2030年代原発ゼロ」方針を「根拠がない」と,根拠を示すことなく切り捨て,
2014年4月に閣議決定したエネルギー基本計画では,原発は将来的にも「重要なベースロード電源」(簡単に言えば基本的
な電源)と位置付けました。

政府の再稼働の推進方針にとって,一つ厄介だったのは,規制委の委員長代理だった島崎邦彦東大名誉教授が,再稼働に
慎重だったことです。

島崎氏は日本地震学会の会長,元日本地震予知連絡会議の会長を務めた経歴をもつ,地震に関する専門家です。

この立場から,大飯原発に関して活断層の存在の可能性を指摘し,再稼働の審査合格を出しませんでした。

自民党内には,島崎氏の解任を求める声が強まっていました。島崎氏の任期は今年の5月で切れることになっており,
そのまま留任も十分あり得たのですが,政府は島崎氏の再任を認めず,野党の反対を押し切って4月には強引に再稼働
容認派の田中俊一氏を委員長に任命しました。

田中氏は原子力工学の専門家で,「原子力ムラ」の関係者と目され,規制委の委員の要件として禁じられている,
原発関連企業から寄付や報酬を得ていた人物です。これでは規制委の信頼性が保てません。

こうした人事面での原発再稼働の推進体制を準備すると同時に,本来は原発企業との癒着を防ぐために設けられた
規制委の独立性を逆手にとって安倍首相は,「規制委の審査に通ったものは安全」という詭弁で原発再稼働を正当化
するようになります。

そして,民主党政権時代に,原発をゼロにするために設けられた規制基準が,原発を動かすための基準にすり替えられて
しまったのです。

安倍首相は,新基準は「世界で最も厳しい」と繰り返してきましたが,その根拠は何もありません。田中委員長も,
審査終了後の16日の定例記者会で,川内原発の安全性は,「ほぼ最高レベルに近いと思っています」と述べています。

しかし,新基準も「世界でもっとも厳しい」とは程遠く,今回の審査結果は穴だらけで「適合」どころか問題山積みなのです。

まず,原発に関する基準に関していえば,日本のように,国全体が地震の巣のよう地理的条件にあり,どこで大地震や
津波が来ても不思議ではない国と,地震がないか,あるいは国内に地震が発生する場所があっても国土が広く地震の無い
場所が得られる国とは当然,審査基準は異なるべきです。

他方,国際的には「深層防護」が常識になっています。これは,地震・津波対策や非常用電源を充実させて事故の
確率を下げる,事故が起きたら作業員の被ばくを抑えながら事故の拡大を防ぎ,それでも大量の放射能の放出が避け
られない場合には,周辺住民を安全に避難させる,というものです。

つまり,「住民の避難」までが審査対象なのです。

今回,田中委員長は,住民の避難の問題は規制委の審査対象外であり,それは電力会社,それぞれの地域社会や施設
の病院や福祉施設などの施設が決めることである,と責任を丸投げしています。

しかし,たとえばアメリカでは避難計画がしっかりしていなかったために,新設の原発が稼働しないまま廃炉になった
例さえあります。

次に,川内原発は周囲を火山で囲まれていますが,火山爆発に関しては,「爆発の予知」で対応できるとしています。

しかし,火山学者は,現在の予知技術は火山の爆発を予知できる段階ではない,としています。

特に問題なのは,審査報告書(案)では「噴火の可能性がある場合は原子炉停止や核燃料搬出を実施する方針を
示した」と書かれています
(東京新聞』2014年7月17日)。

しかし,実際には原子炉を止めて運び出すまでに2年以上かかる上,搬出方法や受け入れ先の確保も具体的に検討され
ていません(『東京新聞』2014年7月25日)

もう一つ,今回の審査には非常に重要な点が抜け落ちています。それは,新基準には,現在世界標準になりつつある,
メルトダウン(炉心溶融)に対する,より根本的な改善がまったく問題にされていないことです
(『東京新聞』2014年7月14日)。

福島の第一原発では溶けた核燃料が圧力容器,格納容器を突き破り,どこまで潜っているのか分かりません。
しかも,放射線量が多すぎて近づけず,調査することさえできません。

メルトダウンは原発事故が起こす最も深刻な状態で,現在のヨーロッパでは,格納容器を二重にし,万が一溶け
出しても,それを冷却装置に導く樋のような溝(コア・キャッチャー)を備えていることが標準です(注1)。

すでにメルトダウンを経験している日本で,これにたいする対策が審査対象になっていないのは,審査がいかに
不完全であるかを示しています。

おそらく,もしメルトダウン対策を審査対象に含めると,日本の原発は全て不意合格になってしまうこと恐れて,
意図的にはずしたとも考えられます(注2)。

結論的に田中委員長は,「基準への適合は審査したが,安全だと私は言わない」と発言しています。

つまり,規制委は新基準に照らして審査しただけだとして,再稼働にゴーサインを出したわけではない,と再稼働
への責任問題から逃げています。

最後に,誰が原発再稼働の決断をするのか,という問いに対して田中氏は「事業者(九州州電力)と地域住民,
政府という関係者が決めるもの。私たちは関与していない」と答えています。

他方,政府は,規制委が適合の判断を下したのだから,再稼働させる,とここでも再稼働の根拠と責任を規制委に
丸投げしています。

こうした無責任な丸投げ体制によって,今回の原発再稼働が事実上既成事実化しようとそているのです。

これは安倍政権の常套手段ですが,とても危険でずるいやり方です。

もっとも,今回の審査は全体像をしめした,「原子炉設置変更許可」だけで,これを基に「工事計画」と運転・
事故時の人員態勢をまとめた「保安規定」の修正はこれからです。

それでも政府は,川内原発の再稼働をモデルとして,他の原発も次々と再稼働させてゆく一方,原発の輸出も
並行して推し進めようとしています。

原発輸出のためにも,国内の原発は稼働させなければならないのです。これは危険をさらに世界に広める危険な行為です。

ただし,

(注1)http://ameblo.jp/boumu/entry-11678204006.html
    ブログのこのページには構造が図解されています。
(注2)審査書案はこの部分関して「格納容器の破損を防ぐために,複数の冷却系統を設けるほか,消防車配備などの自主的な対策が実施されることを確認した」
    と書いていますが,それは破損した後の対策で,破損しないための対策が重要なのですが,この点は逃げています。








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