大木昌の雑記帳

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女性閣僚の辞任について―本当に女性活用なのか―

2014-10-29 07:50:27 | 政治
女性閣僚の辞任について―本当に女性活用なのか?―

2014年10月20日,第二次安倍内閣の看板ともいえる女性5閣僚のうち,小渕優子経済産業相と,松島みどり
法務相の2閣僚が,就任1か月半で同日に辞任をしました。

とりわけ,小渕氏に関しては,将来の初の女性総理とまで,持ち上げられてきた目玉人事であり看板閣僚でした。

したがって,彼女の辞任は,任命権者の安倍首相の人事における大きな失敗であり,9月の内閣改造で政権浮揚を狙っていた
首相の思惑が外れたことを意味しています。

今回の一連の問題に関してはすでに多くの報道があるので,ここではまず,経緯だけを整理しておきます。

最初に問題となったのは,10月7日に国会で追及されたた松島みどり氏の「うちわ」問題でした。以来,松島氏は最後まで
「違法性はない」と主張し,続投にこだわっていました。

しかし自民党関係者が「辞めなさい」と強く諭すなど、先に外堀を埋められたのは松島氏の方だったようです。

そこへ急浮上したのが『週刊新潮』(2014年10月23日号,16日発売)で発覚した小渕氏の政治資金問題でした。

この間の生々しいやり取りを『朝日新聞』は次のように伝えています。
 
  「自分から辞職するお気持ちはありませんか。総理から聞いて欲しいと頼まれました」
  首相官邸は当初、松島の辞任までは想定せず、首相の安倍晋三は「『うちわ』で辞めさせていいのか」と考えていた。
  だが、小渕の辞任が既定路線になると状況は一変した。勢いづいた野党の矛先が松島に向くと予想され、
  国会運営や内閣支持率への影響が必至だったからだ。
  18日に安倍が外遊から帰国すると、菅と首相秘書官の今井尚哉は「小渕さんと松島さんの一緒の辞任がいい」と進言。
  安倍も腹を決め、事態は急展開した。(注1)

首相官邸は自民、公明両党幹部に、「松島さんは辞めさせます」と時機を見て松島氏を,事実上、更迭する方針を秘密裏に連絡しています。

野党から追及された松島氏の「うちわ」配布問題では、自民党内に同情論もあったようですが,松島氏は民主党から刑事告訴をされており,
さらに別の問題もあったようです。

9月の入閣以降、松島氏の言動は法務省幹部らとの軋轢を招いており、政府内では「刑事告発された法相が今後の国会でどう答弁すれば
いいのか」(同省関係者)と悲鳴も漏れていたといいます。

一方,小渕氏に関して首相周辺は当初、「清廉なイメージの小渕氏が『単純ミスだった』と丁寧に説明すれば、乗り切れるのではないか」
「政治家・小渕優子を殺してはいけない」と訴え、自民党幹部も小渕氏を擁護する姿勢を見せていました。

事態が変わるのは、小渕氏側の調査が進むにつれ、多額の不明朗な会計処理が深刻なことが判明したからでした。10月17~18日の
週末にかけて「辞任しかない」(閣僚経験者)との共通認識が、政府・与党内で支配的になりました。『毎日新聞』
(2014年10月21日 東京朝刊)

17日に小渕氏が菅官房長官と会った時には,すでに小渕との間で辞任の方向が決まったようです。

安倍首相は、第1次政権時代に、日を置いて閣僚が辞める「辞任ドミノ」が支持率の低下を招いた苦い経験をもっています。

小渕氏と松島氏が時間をおいて続けざまに辞任すればその悪夢が再現されかねない,との強い危惧がありました。

こうして,官邸は週末のうちに「ドミノ」ではなく、一気に決着を図る「同時辞任」を選択していたのです。
(『毎日新聞』2014年10月21日)

あるコメンテーターは,今回の辞任劇を官邸主導の「管理された辞任」と評していますが,全く官邸主導の辞任劇です。

ところで,今回辞任した2人を含めて,5人の女性閣僚を任命したことに関して,自民党内からも疑問の声が上がっていました。

伊吹文明衆議院議長は,自身のフェイスブックで,
   単に女性だから、能力の有無にかかわらずポストに就けるというパフォーマンスだけは避けなければならなりません。
これは女性に対する逆差別であり,   ポストに就いた女性が結果的に苦しむだけではないでしょうか。

と苦言を呈しています。(注2)

小渕氏が担当する経産省は原発の再稼働に責任を負っていますが,これまで原発について専門知識をもっているわけでなはいし,
また勉強してきたわけではありません。

就任後の記者会見でも,原発を動かさないと石油・天然ガスの輸入増えるから原発を動かすべきだ,という官僚の作文を
読み上げただけでした。

しかし小渕氏は,個人的には原発に危機感も抱いていたようです。9月25日に福島県を訪れたとき,福島第二原発1~4号機
の再稼働は困難との認識を示しました。

さらに10月8日の参院予算委員会では,事故が起こった時の対応を含めると原発は割高になる,と発言しています。

小渕氏は「原子力村」にとって,はなはだ迷惑な存在と映っていたのです。(孫崎 享「日本外交と政治の正体」
『日刊ゲンダイ』2014年10月25日)

他方,松島法務相は経済学部の出身で法律について詳しいわけではありません。特定秘密穂保護法案も担当する法務相に
彼女を選んだ安倍首相の意図が不明です。

こうした,いわば素人の女性議員を閣僚に抜擢する背後には,官邸側に,どうせ実際の政治は男性の政治家が取り
仕切るのだから,との思惑があったように思えます。

評論家の荻原博子氏は「一見,女性に優しい男ほど陰で何を考えているかわかりません。安倍首相も基本は『女は家庭
を守り,男は外で働く』という考え方の持ち主に見える。

その本質を隠すために女性の活用を言いだしたのでしょう」と見透かされています。『日刊ゲンダイ』(2014年10月22日)

安倍首相が鳴り物入りで登用した女性閣僚ですが,世間の風当たりが強いとみると,保身のため,あっさりと更迭して
しまいました。

こうしてみてみると,安倍首相は女性閣僚を,女性の活用というより,集団的自衛権などの問題で失った女性の支持を
挽回するための,政権宣伝のために利用しようとしたと言えそうです。

さて,以上の経過を念頭に置いて,本題の松島氏と小渕氏の問題も整理しておきましょう。

松島氏は,国会に対して,2012-14年にうちわを計2万1980本製作し,174万円支払ったと報告しています。

もっとも松島氏は,「うちわの形はしている」が「うちわ」ではなく「討議資料」で,しかもイベントの後捨てられる
もので経済価値はない,と主張しています。

しかし,あれはどう見ても,「うちわ」以外考えられません。しかも,うちわには「働かせてください もう一度」
と投票を依頼しており,これが「討議資料」とはとうてい言えません。(『日刊ゲンダイ』(2014年10月22日)

「うちわ」は一つ当たり80円の少額のものだから,違法性はない,という意見もあるようですが,何しろ枚数が二万枚を超えて
おり,違法性がないとは言えないでしょう。

いずれにしても,東大の経済学部まで出た松島氏が「うちわの形はしている」が「うちわ」ではない,というばかばかしい
言い訳をする姿は,見ていて見苦しく痛々しい限りです。

国会議員なのですからもう少しプライドを持ってほしいと思います。

次に,小渕氏の問題ですが,ここに自民党の古い体質が見事に出ています。

指摘を受けた小渕氏が調査したところ,例年約2000人が観劇会に参加し,政治資金収支報告書に「(年に)約2400万円の
収入が計上されていなければならない」のに,2010年,11年とも約370万円しか計上されていません。

さらに,2012年にいたっては,記載そのものがありません。観劇会は2009年以前にも2013年以降も模様されていますが,
それについての説明がありません。

差額を補てんしていたとしたら公職選挙法違反だし,記載漏れなら政治資金規正法違反になります。いずれの場合も,
差額がどこから出て何に使われたかが不明で,これが疑惑の本質です。

このほか,資金管理団体がベビー用品や地元の名産「下仁田ネギ」の購入問題では,「県外の支援者らへの贈答品。
政治活動の経費として認められる。会社や団体が関係者に経費で社交辞令するのと同じ」と正当性を主張しました。

しかし,会社というビジネス界の行為と,国民の税金で活動する国会議員の行為とを一緒にしている小渕氏は,
国会議員というものの本質が分かっていません。

実姉がデザインした服飾品の購入に関しても「公私の区別はしっかりつけている」と釈明していましたが,実姉から
服飾品を購入した時点ですでに公私の区別がついていないことに気づいていません。

さらに深刻なのは,小渕氏の写真のラベルが貼ってあるワインのボトルを送ったことに関して,選挙区の人ではない
と答えていたのに,選挙区の住民がこのワインボトル2本をもらったことを証言しています。

もし,これが事実なら,小渕氏の弁明は嘘ということになり,連座制の原則から小渕氏は公民権停止で,現在の
議員資格だけでなく,これから5年間の立候補もできなくなります。

自民党議員の間では,観劇会や野球観戦のようなイベントは,業者を通して実施することが普通なのに,小渕氏は
後援会が直接行っていたために,今回のような問題が起きたようです。

しかし,いまだに,このような票田固め,選挙対策が「政治活動」として一般化しているところに,小渕氏も
自民党も古い体質を引きずっていることを示しています。

国会は立法府であり,国会議員の本来の政治活動は法律を作ること,立法活動であり,そのために高額の報酬と
活動費が税金から支払われているのです。

観劇や野球観戦が,どんな点で立法活動と関係しているのでしょうか。私の知る限り,先進国の中で,国会議員が
このように選挙民を接待することは日本の自民党を除いて考えられません。

小渕氏は,親の地盤・カンバン・カバンを引き継いだ二世議員で,全て周りがお膳立てしてくれる「お嬢様」
という印象です。

このような時,地元の秘書である折田中之条町長が全ての罪を一身に引き受けるパターンも自民党のお家芸で,
またか,という思いです。

現状を見る限り,彼女が日本初の首相という評価はどこから出てくるのか私には理解できません。

(注1)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11425209.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11425209
(注2)https://www.facebook.com/pages/%E4%BC%8A%E5%90%B9-%E6%96%87%E6%98%8E/306388919504640?fref=photo

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「地方創生」-地域主権こそがカギ―

2014-10-23 06:44:29 | 社会
「地方創生」-地域主権こそがカギ―

今年の9月3日に発足した第二次安倍改造内閣は政策課題の一つとして「地方創生」を掲げ,「地方創生相」を新設,
石破茂氏を担当大臣に任命しました。

地方創生相の下に「まち・ひと・しごと創生本部」が置かれ,9月12日の会議で基本方針が決定されました。そのうち,「基本目標」
全文を下に示しておきます。(注1)

基本目標
地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服する。 そのために、国民が安心して働き、希望通り結婚し子育てができ、将来に夢や希望を
持つことができるような、魅力あふれる地方を創生し、地方への人の流れ をつくる。人口減少・超高齢化という危機的な現実を直視しつつ、
景気回復を全 国津々浦々で実感できるようにすることを目指し、従来 の取組の延長線上にはない次元の異なる大胆な政策を、中長期的な観点から、
確かな結果が出るまで断固 として力強く実行していく。

上の「基本目標」から,人口減少と超高齢化が危機的なほど進み,「地方」は活力を失っているとの認識があり,再び活力を取り戻すことを目的
としていることが分かります。

この基本目標を達成する際の「基本的視点」として,50年後に1億人程度の人口を維持するための基本的視点として三つ挙げています。

すなわち,(1)若い世代の就労・結婚・子育ての希望実現,(2)「東京一極集中」の歯止め,(3)地域の特性に即した地域課題の解決,
の三つです。

うち(2)は,「地方から東京圏への人口流出(特に若い世代)に歯止めをかけ」と説明されており,「東京」とは,神奈川県,埼玉県,
千葉県も含む「首都圏」「東京圏」を指します。

しかし,「地方」の人口減少も高齢化も活力の喪失も,最近に始まったことではありません。

このブログの10月7日と11日の記事で書いたように,日本の人口は高度経済成長期の1970年代から一貫して減り続けています。

1989年には人口だけでなく,合計特殊出生率も1.57に下がり,「1.57ショック」と呼ばれましたが,現在では1.43にまで下がっています。

また,「地方」の人口減少と高齢化が危機的に状況になり,いわゆる「限界集落」化した町村が多発するようになったのも,最近のこと
ではありません。

それでは,なぜ安倍政権は今になって,思い出したように「地方創生」を言い始めたのでしょうか。これには少なくとも二つの背景があると
思います。

一つは,来年の統一地方選挙に向けて,「地方創生」の名目でで設けられる予定の3兆9000億円という巨額の予算で,地方票を確保することです。

安倍首相は8月6日に広島市内で行った記者会見で「地方創生はアベノミクスの大きな柱だ。人口減少問題をはじめ,構造的課題にも取り組む」
と述べています。

しかし,アベノミクスの効果は地方には届かず,自民党内部にも,「これでは統一地方選挙で勝てない」との声が上がっていました
(『毎日新聞』2014年9月4日)。

有識者で作る「日本創生会議」は今年の5月,20~30代の女性の減少により,全国の半分に当たる市区町村は,2040年の時点で,自治体として
存続することが難しい「消滅可能性自治体」との試算を発表しました。

安倍政権は,この発表に素早く対応して「地方創生」を政策目標に掲げたのですが,全国知事会はそのホームページで,次のように分析
しています。

すなわち,安倍政権の「地方創生」は来年度の統一地方選挙を強く意識したものであり,その意味で,これまでの首都圏,関西圏など大都市
重視の政策を軌道修正するうえで「渡りに舟」だった,と政府の狙いをはっきり書いています。(注2)

地方の疲弊・衰退に何の改善もみられないとしたら,それはアベノミクスの失敗と受け取られてしまいます。

安倍政権としては,問題が解決できなくても地方にお金を回し,せめて一時的にでも,選挙までは,活気が戻ったように見せたいのでは
ないでしょうか。

二つは,アベノミクスの「三本の矢」のうち,第三の矢(成長戦略)は依然として具体策が示されていません。

9月30日の国会での所信表明演説でも,それまで必ず口にしていた「第三の矢」には一度も触れませんでした。結局,成長戦略は不発に
終わったのです。

ところで,今回の「地方創生」政策はどれほど現実的な有効性はあるのでしょうか?

地方活性化の試みは,田中角栄元首相の「列島改造」(1970年代),竹下登内閣の各市町村に1億円ずつ配布した「ふるさと創生資金」,
「地域再生」「地域主権」「地域活性化」など,名称は変わっても,代々,担当相が置かれ総務相が兼務してきました。

しかし,事態は改善するどころか悪化の一途をたどっています。

たとえば,消滅可能性市町村を多数抱える香川県坂出市の関係者は,人口減少は今始まったことではなく,今までも婚活促進,
子どもの医療費の無料化,空き家バンクなどできることはいろいろ手を打ってきたが,実を結ばなかったと語っています。(注3)

20~30代の女性が中小の地方都市や農山村では確実に減少しているので,お金をつぎ込んでも少子化を止めるのは現実には至難の業です。

一方,安倍首相も石破地方創生相も「ばらまき」にはしないと,と繰り返し発言していますが,党内にも「ばらまき」との見方があります。

元環境相の石原伸晃氏は8月28日,派閥の会合でこの問題に触れ,「1億円ずつあげるんですよ」とあけすけに発言しています。
(『東京新聞』2014年9月4日)

安倍政権は,大都市への人口流出に歯止めをかけるため,人口減少が著しい地域での産業育成を目指していますが,これまでのところ,
それはかなり難しそうです。

帝国データバンクが今年9月,全国1946社について意向調査を行ったところ,企業が工場の新設・移転を検討している地域(複数回答可)
は海外が一位(12.1%)で,二位は愛知県(7.3%),三位は埼玉県(6.7%)でした。

本社にいたっては,圧倒的に東京への移転・新設希望が多く,24%を占めていました。あとは大阪,愛知,神奈川と続いています。

工場に関しては十分な労働力が確保できること,本社に関しては交通の利便性が良い大都市(特に東京)の方が「格」が高まる点を
挙げる企業が多かったようです。(『東京新聞』2014年9月21日)

大西宏氏は,地方活性化政策の最大の問題は、中央から地方に交付金が流れるという仕組みを強化し、逆に「霞ヶ関」(中央官庁・
官僚)の権限拡大を進めてしまったこと、また結果として地方に公共事業、補助金依存の体質をつくってしまったことに尽きる
のではないか,と指摘しています。

したがって,「地方創生」がうまくゆく方法は,「霞が関に予算と仕事を手放させること」だと皮肉っていますが,かなり本質を
ついています。(注4)

実は,日本のおける「地方」の衰退には特殊な事情があります。それは,ヒトもカネもブラックホールのように飲み込んでしまう
「東京一極集中」という現実です。

明治以来,日本は東京=中央が「地方」を支配する構造になっています。今回の「地方創生」も,建前は地域の自主性を尊重する
といいながら,中央からの「上から目線」見え隠れします。

そもそも「地方創生」という考え方に違和感を覚える人もいます。「地方創生」という表現には,大都市はうまくいっているが
地方は衰退しているというニュアンスがあります。

しかし,東京都は合計特殊出生率が1.13で全国最低です。これは,東京がいかに子どもを産んで育てにくい地域なのかを示しています。

また孤立した高齢者が一番多いのもおそらく東京です。

このように考えると,「地域」の崩壊がもっとも深刻な場所が東京であり,格差社会が際立ってきたのも東京なのです。
それにも拘わらず,東京一極集中への流れは止まりません。

内山氏によれば,今,やらなければならない大切なことは,戦後の経済成長がなぜ地域を衰退させたのかを検証することです。

地域衰退の原因の一つとして内山氏が指摘しているのは,中央,県,市町村という縦系列での全国一律的な行政のあり方です。

そうではなくて,それぞれの地域がもつ固有の特性や力を結集した「地域主権」の確立が大事なのです。

そのためにも,それぞれの地域(都市も含めて)が自ら考え,縦系列の政治と行政は側面から支えることに徹する必要があります。

現在,政府は中央から若手の官僚を地方に派遣することを考えていますが,これは結局中央による地方の支配構造は変わらない
どころか,強化される危険性さえあります。

このブログの2013年10月20日と27日の記事で,「里山資本主義」について書いたように,国に頼らず地域が主権を発揮し自立する
ことは不可能ではありません。

また,別の形でもこのような動きは,すでに部分的には始まっています。たとえば,地元の住民や企業がお金を出し合って,
エネルギーとお金の「地産地消」を行っている公益法人,「京都地域創造基金」などは,その一例です。

この場合,国からの援助に頼らず,純粋な寄付ではなく,利益を追求する投資でもない「志ある投資」「社会的投資」によって
資金を調達しています。

この法人の理事長は「補助金を国から取る。工場を誘致して雇用を生む――。深刻な財政難や国際競争の激しさを考えると、
そうした『よそから引っ張ってくる』発想自体が、もはや限界ではないか。」と語っています。(注6)

こうした形態は,単にお金の問題だけでなく,地域コミュニティの創造という意味でも大きな意義があると思います。

これからは「中央主導」でも「地方創生」でもなく,「地域主権」「地域主義」の時代だと思います。


(注1)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/dai1/siryou2.pdf
(注2)全国知事会議ホームページ
    http://www.nga.gr.jp/data/report/report26/14090102.html
(注3)『香川ニュース』(2014年5月10日)
    http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/20140510000130
(注4)http://agora-web.jp/archives/1611905.html
(注5)内山節「地域主権の確立を」『東京新聞』2014年10月5日)
(注6)注5)朝日新聞 電子版 2014.10.16
    http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=nmail_20141016mo&ref=pcvipage
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【いぬゐ郷だより No.9】



里山はいろいろな自然の恵みをもたらしてくれます。今回は,アケビを収穫しました。



秋の畑の作業は,来年の春以降の耕作準備です。今回は,放置水田にはびこった「くず」のツルを切って,開墾をはじめました。
とても重労働です。


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米価の暴落は何をもたらすのか?

2014-10-17 05:32:59 | 食と農
米価の暴落は何をもたらすのか?

今年度の米価が暴落しています。JAの概算金(農協が契約先の農家に,事前に支払う金額)は昨年より
さらに下落しました。

例えば,米どころの新潟県のコシヒカリは1俵(60キログラム)当たり1万2000円で,昨年より1700円安くなっています。

2006年には1万5000円でしたから,これと比べると20%も下落しています。

新潟のコシヒカリは,ブランド米であるため,まだ高いほうで,JA秋田中央会は「あきたこまち」の概算金を1俵当たり
8500円で,昨年の1万1500円から一気に3000円(26%)も下げました。

同じコシヒカリでも,茨城県JA竜ヶ崎は9300円で,これは昨年より3000円も下がっています。福島産に至っては,
37.8%も下落しています(注1)

米価暴落の直接的な原因は,消費量の減少(消費者のコメ離れ)と在庫のだぶつきです。

事実,1962年には年間一人当たり消費量が118.3キログラムでしたが,2012年には56.3キログラムへと半減してしまったのです。

一方,今年の6月時点の民間の在庫量は,1年間に必要とされる量(778万トン)の3割に相当する220万トンに達しています。

しかも,2014年の収穫量は860万7000トンと見積もられており,かなりの量が在庫として積み増しされる可能性があります。

さらに追い打ちをかけるように外食産業からの圧力が米価を押し下げています。

大口消費者である外食産業で使用する牛丼や焼き肉で使うバラ肉の価格が昨年と比べて4割も高くなっており,また,コンビニ
の弁当などで使われる,チリ産の銀鮭の価格が7割も上昇しています。

これら外食産業やコンビニ業界からは,販売価格を上げないために,米の買い取り価格を下げるよう圧力をかけています。

米の生産費は,田んぼの広さ,使う資材や農法によって異なりますが,農水省の試算によれば60キロ当たりの平均生産コストは
1万6824円です。

ただし,これには農家の人が働いた,その労働に対する報酬分は含まれていません。(注2)

この報酬分を入れなくても,現在の農協による買い取り価格は,農家からすれば採算割れの低い水準です。

もし農家の労働報酬分を入れて考えれば,実際には60キロ当たり1万8000円が現実の生産コストでしょうから,採算割れは
さらに大きくなります。

この事態を農家はどう受け止めているのか,そして今後日本の米作や食料の確保はどうなってゆくのでしょうか?

『東京新聞』(2014年10月2日)は,米価暴落の影響を具体的な事例を挙げて解説しています。

栽培面積2.3ヘクタールの田んぼでコシヒカリを栽培する千葉県のA氏の場合,農協に納めた際に支払われた金額は1俵
当たり9000~1万円で,昨年より3000円も下がっていました。

彼は「肥料や農薬代を払ったらパーだ」「安倍政権は『地方創生』を掲げているが,このままじゃ農業の担い手がいなくなる」
と心配しています。

また「安倍政権がやろうとするTPPで外国から安い農産品が流れ込めば,打撃はもっと深くなるだとう」とも語っています。

彼は自主販売ルートをもっていますが,それでも市場価格が全般的に下落すれば,やはり打撃をうけます。

政府は,米作を大規模化すれば生産は効率化し利益も上がる,と言っていますが,現在の米価では事態はそれほど甘くありません。

同じく千葉県のある専業農家Kさんは18ヘクタールで「ふさこがね」を栽培し,「昨年は200万円の利益があったのに,今年は
昨年と比べてマイナス数百万円。
しょうもないから,計算していない」と,絶望しています。

Kさんは,安倍政権の思惑に関してかなり鋭い分析をしています。

   価格が1万円を切りそうだという話は,業界では昨年末から出ていた。安倍政権はTPPの下準備として,価格を下がった
   ままにしているのではないか。
   安いコメが入ってきて値が下れば批判されるが,もともと安いままなら何も言われない。政策の流れをみていると一生産者
   として,そうとしか思えない。


Kさんはまた,今のままの価格が続けば,もうからないので米農家をやめるところが相次ぐだろうと見通しを述べています。

そして,「消費者は価格が下がったと喜んでいるかもしれないが,国産米がなくなるかもしれない。影響は消費者にも跳ね返る」と,
消費者に対しても警告しています。

以上は,日本全国の米作農家の一般的な状況ではないでしょうか。

政府は,たとえ農家が減少しても,休農地や耕作放棄地を集積して耕地を大規模化し,企業などの参入も含めて効率的な生産を
行えば問題ない,と考えておりそれを可能にする法整備をしました。

問題は3つあります。

第一に,政府は,国内産が足りなければ安いコメを海外から輸入すればよい,と考えていることです。

TPPの導入に積極的な背景には,工業製品の輸出を促進するためには,農業部門で妥協してもかまわない,と考えているフシ
があります。

しかし,海外からの輸入米の場合,栽培過程で使われる農薬だけでなく,輸送中の防カビ・殺菌,荷揚げ後の保税倉庫や検疫所
での燻蒸消毒などに使われる薬剤が,健康上の害をもたらす危険性があります。

第二に,政府は,点在する遊休農地を集めて大規模農業が可能な土地の集積を図り,企業などの参入を積極的に推進する方針です。

これは,米作の大規模化,機械化により,従来より生産性の高い米作が可能となり,それによって安い輸入米にも対抗できる,
との考えがあるようです。

しかし,現実は甘くはありません。借金をして大規模化した農家が,現在の米価暴落で,再び規模を縮小したり,後継者づくりを
あきらめるという現実の動きもあります。

総務省の統計によれば,1985年には630万人にいた農業者は2012年には250万に減少しています。

これ以外にも問題が発生します。大規模化するということは,おそらく大量の土壌消毒剤,殺虫剤,除草剤などの農薬,化学肥料
を投入することを意味しています。

このような農業は,数年は大丈夫かもしれませんが,次第に土地は痩せ,生産性が落ちる可能性があります。

たとえ生産性が落ちなくても,消費者は農薬がたっぷり入ったコメを買うことになります。

机上で計画を策定している官僚や政治家は,農地を工場に見立てて,機械化と農薬・化学肥料の投入で,いくらでも生産性が上がる
と考えているのでしょうか?

しかし,農業を少しでもやった経験のある人なら直ぐにわかることですが,土,とりわけ農地の土は,土中の微生物や小動物からなる
非常に複雑な生態系なのです。

稲作の大規模化と農薬により,このような生態系が壊されてしまう危険性がかなりあります。

第三に,政府がいくら土地の集積を進めても,それはせいぜい,全稲作農地の一部にすぎません。

というのも,日本の稲作農地は,トラクターやコンバインなどの大型機械が有効に稼働できる平坦地だけではありません。

日本の稲作では,中山間地などの見られる傾斜地に細切れにされた小区画水田がたくさんあり,このような場所では農地の
大規模化も機械化も無理です。

しかも,土地の集積で大規模化が可能な平坦地では,すでにある程度の大規模経営が実現しています。

上に書いたように,現在の米価の暴落で,米作をあきらめる中小農家が増えることはまちがいありません。むしろ,政府は中小
農家の切り捨てを考えているのかも知れません。

私たちのグループは現在,千葉県のある地区の谷津(浅い谷)で稲作をやっていますが,周囲には,いわゆる谷津水田が
たくさんあります。

谷津水田は,いわば「緑のダム」と呼ばれ貴重な水源であり,多様な生物が生息する自然環境となっています。

このような水田は大規模化には不向きで,今の米価では耕作を放棄する農家が増えることが予想されますし,多くの農家で後継者が
育っていません。

政府は,「地方創生」の掛け声をかけていますが,実際にはTPP導入などにより,農村地域の衰退を促進する政策も行っています。

農業ジャーナリストの大野氏は,「安倍政権の考え方と別の方向に行かないといけないが,国には期待できない。自治体や農協,
農家が自助体制を作り政府を動かしていく必要がある」と警告しています。

生産者側のこうした取り組みも大切ですが,消費者も安ければ良い,という姿勢ではなく安全なコメを積極的に買い,
日本の生産者をサポートしてゆく必要があるのではないでしょうか?

これによってはじめて,日本の食料も農業も環境も,私たちの健康も守れるのではないでしょうか。

お金さえ出せばいくらでも外国からコメを買うことができると考えるのは危険です。世界的には食料不足は確実に進行しているのですから。


(注1)『東京新聞』(2014年10月2日),『朝日新聞 電子版』(2014年9月14日) http://digital.asahi.com/articles/DA3S11350260.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11350260
(注2)http://www.maff.go.jp/j/study/kome_sys/13/pdf/data2-2.pdf ;
    http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/menseki/pdf/menseki_kouti_13.pdf

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少子化に直面する日本(2)―少子化は良くないことなのか?-

2014-10-11 06:11:39 | 社会
少子化に直面する日本(2)―少子化は良くないことなのか?-

前回は少子化の背景や実態について,公的統計から検討し,主な点はほぼ明らかになったと思います。

今回は,民間会社が行った調査結果から少子化に関する背景を少し補足し,私たちは少子化をどのようい受け止めたらよいのを
検討したいと思います。

今回利用した資料は,2013年に住宅会社「タマホーム」が,出産に対してどのような考えを持っているかを, 20~49才までの
結婚14年以下の既婚女性2961人にたいして,インターネトを通じて調査した結果です。(注1)

まず,既婚者を対象に何人子供を持ちたいですかという問いに,「要らない」が6.5%,「1人」が16.7%,「2人」が47%,「3人」
が26.8%,「4人以上」が3%という結果でした。

これらの数値から見ると,希望としては2人以上子供がほしいという女性が76.7%にも達していることが分かります。

しかし,現在の合計特殊出生率は2人をはるかに下回っています。そこには「二人目の壁」と呼ばれる,障壁があるといわれています。

つまり,2人目を生むことをためらう障壁があると考えているカップルが多いのです。

子どもを1人持っている女性の86.4%が,条件がそろえば「いますぐ~2年後までに」欲しい,と考えているのです。

2人以上子どもをほしいと答えた既婚者の理由として,子ども同士で遊べる(89.2%),子どもが将来支え合えるから(69.3%),
子ども同士で成長するから(70.6%),を挙げています。

しかし,「二人目の壁」はかなり厚いようです。二人以上の出産をためらうのは,生活費や教育費に関連した家計の見通し,
仕事等の環境,タイミング(年齢),
などを考えてしまうと,なかなか決断できないからです。

そのためには,経済的サポート(出産,育児,教育関連費用),休職・復職がしやすいなど仕事面でのサポート,自分や配偶者の
ワークバランスの改善(長時間労働の短縮),
子どもを持つタイミングが合致する必要があります。

ただし,実際に2人以上の子どもを出産した女性に,満足しているかどうかを聞いたところ,「とても満足している」が69.4%,
やや満足しているが28.7%でした。

この結果からみると,2人以上子どもを産んだ,ほぼすべての女性が満足していると答えています。恐らく,これらの女性も,
産む前は「二人目の壁」の前で,色々迷ったはずです。

それでも産んでみたら,やはり産んで良かったと感じていることを物語っています。これを考えると,行政(自治体や政府),
企業,地域などがサポートすれば,
2人以上産むことを決断する女性は多いと考えられます。

現在の合計特殊出生率が1.43人にとどまっているのは,経済状況が2人以上の子どもを持つにはあまりにも厳しすぎるからでしょう。

とりわけ,子育て世代の所得は激減しています。1977年には子育て世代の年収が500~699万円の雇用者が最も多かったのに,
2007年には300万円台の雇用者が最多になっています。
(『厚生労働白書』平成25年版:97-101ページ)

家計の収入,特に税金や社会保障費を除いた可処分所得は過去10年来,減少し続けている現実を見ると,子育て世代によほど
大胆な経済的な支援をしない限り少子化は急に改善するとは思えません。

それでは,そもそも少子化の何が問題で,それによって誰がこまるのでしょうか?

1989年の人口動態調査で,合計特殊出生率が過去最低の1.57であることが分かり,日本社会に大きなショックを与えました。
いわゆる「1.57ショック」と呼ばれるものです。

これ以後,歴代の政権は,少子化を食い止めようと法律や制度を作ってきましたが,今日まで一向に効果は見られず,
出生率も人口そのものも減少の一途をたどっています。

2013年時点で,日本の1.43という合計特殊出生率は世界193か国中179位。この出生率はドイツ,イタリア,韓国,
ポーランドなどとほぼ同じです。

1.43という数字は,1世代(30年)経つと人口は激減することを意味しています。現在の予測では,2050年の日本の人口は,
現在の1億2650万人から1億850万人になります。

現政権や産業界は,それぞれ別の思惑から少子化を,極めて危険な状態であると危機感をもっているようです。

産業界は,人口の減少がもたらす労働力不足,それにともなう賃金の上昇,全般的な生産力の低下が想定されるうえ,
消費者が減るので国内市場の縮小(景気後退)
を危惧します。

次に歴代の政府・政権(財界を含む支配層と考えても良い)は,人口の減少は「国力の衰退」を意味する,という
考えがあります。

政権が考える「国力の衰退」とは,まず労働人口の減少,それに伴う生産力の低下とGDPの減少,財政収入の減少
など経済規模の縮小です。

政府は,日本は政治・軍事・経済的に「大国」であり続け,国際社会の中で指導的な地位を確保しなければならない,
との強迫観念にとらわれているようです。

そして,そのためにはまずは「経済大国」でなければならないし,そのための経済規模と生産力を維持するためには
人口が減ってしまっては困ると考えています。

人口の減少と経済力の縮小は,兵力の縮小,軍事予算の減少による軍事力の低下を意味するからです。決して口には
出しませんが,日本の支配層が本当に恐れているのは,「国力の衰退」によって,国際社会における「大国」日本の
「地位」が下がることではないでしょうか。

しかし,こうした考えは,重大な勘違いに基づいています。ある国が「大国」でるかどうかは,その当事国が決める
ことではなく,国際社会が評価することです。

日本の国際的な評価にとって大切なことは,経済力(DGP)や軍事力ではなく,どれだけ民主的で自由と平等が保障
され,国民の豊かさが実現しているか,という点です。

そのためには,国の品格を決める「崇高な理念」が重要です。

以上を考えた上でもう一度少子化と人口減少の問題を考えてみましょう。そこで参考になるのは,他の国の事例です。

たとえばヨーロッパの主要国(2012年)人口を見ると,イギリス(6,270万人),ドイツは(8,200万人),フランス
(6,350万人),イタリア(6,100万人),スペイン(4,670万人),
スェーデン(950万人),ノルウェー(490万人),フィンランド(540万人),デンマーク(560万人)となっています。

こうしてみると,日本の1憶2660万人という人口規模はヨーロッパの主要国よりはるかに多いし,激減するといっても
2050年にはまだ1憶人以上の人口を維持しているので,
人口規模だけでみると,先進国の中ではアメリカとロシアを除けば,むしろ「大国」に属します。

問題は,日本よりはるかに少ない人口の,イギリス,ドイツ,フランスなどは,それでも「存在感」があり,
経済的にも日本のGDPよりずっと少ないのに,貧しいとは言えません。

しかも,これらの国は国際社会における発言力や影響力の面で日本より劣っているとは言えませんし,国民の生活も貧
しいとは言えません。

日本の政府は,お金の力によってしか国際社会で影響力を発揮できないと考えているように見えます。

いわゆる安倍外交も中身を見れば,アフリカへの援助にいくら,「イスラム国」対策にいくら,というお金をばらまく
ことに終始しています。

あとは日米軍事行動を強化しつつ中国包囲網を築くことに熱中しているようです。これでは,国際社会から「尊敬される国」
にはなれないでしょう。

それでは,少子化と人口減少をどのように考えたらよいのでしょうか。

結論から言えば,GDPを維持し,さらに経済成長をずっと続けてゆかなければならない,という発想を捨てるべきだと思います。

この発想では資源の浪費と,働く人のストレスが増すばかりです。

日本は,人口に見合った経済規模に縮小する「ダウンサイジング」路線をとるべきだと思います。

むしろ大切なのは,国民があらゆる意味で将来の安心と豊さを実感できる社会をめざすべきではないでしょうか?

残念ながら,現安倍政権は,20世紀的な冷戦構造と,アメリカ型の新自由主義に取りつかれて,大企業を優先し,成長戦略
を追いかけているようです。

この陰で,一般の国民の賃金は物価上昇に追いつかず,ますます窮地に陥っています。まさに,以前に書いた『21世紀の資本論』
でピケティが述べた通りです。

私たちができることは,かつての消費水準をこの見直して,生活のダウンサイジングを心がけるべきではないでしょうか。

そうすれば,少子化も,悪いことばかりではありません。



(注1)http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000010376.html. 調査は2014年5月24~26日に行われた。女性は29-39歳,男性は20-49歳(妻は39歳以下)
(注2)厚生労働省大臣官房統計情報部『平成26年 我が国の人口動態―平成24年まで
   の動向』:11ページ。
(注3)内閣府『平成26年版少子化社会対策白書』(概要版)コラム「結婚・妊娠・出産
支援に関する意識」
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2014/26pdfgaiyoh/pdf/column4.pdf, 69-70ページ。
    以上の他にも,この問題に関しては,内閣府『平成25年度「少子化社会対策大綱の見直しに向けた意識調査」(報告書 全体版 )
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h25/taiko/2_1_1.html#cp1
    を参照。 

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少子化に直面する日本(1)―加速化する少子化の実態―

2014-10-07 21:17:00 | 社会
少子化に直面する日本(1)―加速化する少子化の実態―

近年の日本社会が抱える大きな問題に一つは「少子化」です。今回は,日本が直面している少子化の実態を政府の公的機関の調査
に基づく統計数値から見てみようと思います。

戦後の第一次ベビーブーム(1947~1949年)の年間出生数はおよそ270万人,その子供たちの第二次ベビーブーム(1971~1974年)には200万人ほど
に落ち込みました。

出生数の減少はその後も止まらず,1984年には150万人を割り込み,2013年には102万9800人にまで落ち込んでしまいました。少子化の傾向が止まる
兆候はありません。

国立社会保障・人口問題研究所は,現在の出産可能人口,中位の出生率,出生数,死亡者数などを総合して推計すると,日本の人口は2010年の
1億2800万人から減少期にはいり,2048年(平成60年)には9913万人,2060年には8674万人にまで落ち込むと予測しています(注1)。

さて,政府が少子化を食い止めようとしているのは,いくつかの理由があります。一つは,労働力が減少すると,生産力・経済力も落ちることを
新派強いているからです。

さらに,少子化にはもう一つの側面として社会の高齢化を進行させ,年金・医療などの社会保障を支える層が減ってしまい社会保障制度が維持
できなくなる危険性があるからです。

現在でもすでに年金の将来に危険信号が灯っていますが,この傾向が続けば名実ともに崩壊してしまいます。これは,日本人の多くが老後の生活
の重要な支えを失うことを意味しています。

それにしても,日本は,なぜ,これほどまでに急速に少子化が進んでしまったのでしょうか?

いうまでもなく,少子化が進んでいるのは産まれる子供が少なくなったからですが,ではなぜ子供が急速に生まれなくなったのでしょうか。

日本の場合,子供のほとんどは,既婚カップルの子供として生まれてきます。そこで,少子化の問題は,一つには結婚の数そのものが減ってきた
ことにその原因があります。

結婚数をみると,戦後ピーク時の1972年(昭和47年)には110万組であったものが,2012年(平成24年)には66万8869組に激減しています。

この背景には未婚率の長期的な上昇という現象があります。2010(平成22)年の総務省「国勢調査」によると、25~39歳の未婚率は男女ともに
高い割合に達しています。

男性の未婚率は,25~29歳(71.8%),30~34歳(47.3%),35歳~39歳(35.6%)でしたが,
女性の未婚率は,25~29歳 (60.3%),30~34際(34.5%),35際~39歳(23.1%)でした。

ここで重要な点は,かつては女性が子供を産む確率が高かった25~29才の非婚率が60%を超えていること,30~34才をみても,未婚率は3分の1に
達しているのです。

未婚率の上昇は晩婚化を反映してはいますが,いつかは結婚する可能性はあります。しかし,一生結婚しない人の割合,生涯未婚率も増加しているのです。

生涯未婚率を30年前と比較すると、1980年(昭和55年)の男性は2.60%であったものが2010年には20.14%(5人に1人)へ約8倍に、女性は同期間
に4.45%から,10.61%(10人に1人)へ2.5倍に増加しています。これでは少子化は避けようがありません。(注2)

それでは,なぜ,全体として結婚する組数が減り,晩婚化が進行し,さらに生涯非婚率が増加してきたのでしょうか?

結婚数の減少に関しては,結婚に対する価値観の変化があります。内閣府の調査によれば,最近の20歳代,30歳代では9割近くが「結婚は個人の
自由である」と答えています。

これはさらに,どうしても結婚しなければならないという観念も薄らいでいることを意味します(『厚生労働白書 平成25年版』59-60ページ)。

また,政府が毎年発表する少子化社会対策白書の最新版の意識調査(20歳から79歳までの全国の男女1639人)では「未婚や晩婚が増えている
理由は何だと思うか」、という問いへの回答に男女差が出ました。

男性の1位は、経済的に余裕がないから,女性の1位は、独身の自由さや気楽さを失いたくないから,というものでした。

同じ質問にたいして、独身者だけの回答をみると、さらに意識の違いが浮かびます。女性独身者の40%近くが,「希望の条件を満たす相手にめぐり
あわないから」を挙げています。男性独身者のこの割合は20%でした。

一方、男性独身者の20%が「異性とうまくつきあえないから」を挙げたのに対し、これを理由にあげた独身女性は7%にとどまりました。

女性はあくまでも希望の相手を求めるのにし、男性は「相手そのものと出会いにくい」という問題を抱えている,という構図が浮かんできます。

調査した担当者は,結婚のハードルが高くなっている、と繰り返し印象を語ったそうです(「天声人語」『朝日新聞』 2014年6月19日)。

女性にとって,できるだけ早く,どうしても結婚しなければという意識は弱く,結婚はむしろ自由を拘束するものと感じているようです。
しかも,もし結婚するなら,自分が希望する条件を満たす相手を求めようとする傾向があります。

これに対して,男性は結婚にともなう経済的負担を重く感じており,そのことが結婚に踏み切れない一つの理由となっているようです。

このブログの2012年9月1日の記事「最近の結婚事情―非正規雇用と未婚率の上昇」でも書いたように,非正規雇用の男性は結婚に積極的に
なれない傾向ははっきりしており,非正規雇用の増加に比例して男性の未婚率は高くなることが予想されます。

さらに,相手と出会いにくいと感じている女性はわずかなのに,男性の5人に1人はそう感じています。

これは,男性が自分から積極的に女性にアプローチできないと感じていることを意味しています。ひょっとすると男性の「草食化」を反映して
いるのかもしれません。

ただ,男性も女性も90%は,いつかは結婚を希望していることは付け加えておきます。

厚生労働省の『厚生労働白書』の25年版は,そのサブタイトル,「若者の意識を探る」において,結婚に至る前の,若者の男女関係について
調査しています。

これによると,18才~39才の未婚者を対象とした調査では2010年の「異性との交際相手あり」(婚約者,恋人,異性の友人ありを含む)の割合を
1982年(昭和57年)と比べると,2010年には男性で26.0ポイント,女性で22.1ポイント減少し,逆に「交際相手なし」は男性で25.4ポイント,
女性で21.5ポイント増加しています。

2010年には,異性の友人がいない割合は男性で6割,女性で5割に上っており,結婚相手の候補となりうる交際相手がいる若者は,
むしろ少数派になっています。(『厚生労働白書』平成25年版:73-74ページ)

ところで,少子化を考える場合,未婚率や晩婚化だけでなく,1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率の低下が大きく関わって
います。

人口水準を維持するためには,1組のカップル(2人)が平均2.07人の子供を産む必要があります。

第一次ベビーブーム期の合計特殊出生率は4.3人でしたが,1950年(昭和25年)以後急速に低下し,第二次ベビーブームを含めて2004年まで
ほぼ2.1人と半減して推移しました。

その後は合計特殊出生率の低下は止まらず,2005年には1.26人まで下がりました。2013年には若干持ち直しましたが,それでも1.43人ですから,
少子化と人口減少は止まりません。(注3)

こうした出生率の低下の背後には,結婚数の減少の他に,晩婚,それにともなう,初産年齢の上昇があります。現在は,日本人女性の初産年齢
の平均は30才を少し超えています。(注4)

以上は,日本の一般的な事情ですが,実は日本の場合,特殊な事情があります。日本では,長い間,大都市,とりわけ首都圏(特に東京都)が
あたかもブラックホールのように,地方の若い女性を吸い寄せてきました。

それでも東京都の,15才から49才までの出産可能な女性の数は,1970年には347万人でしたが,1990年には319万人,2010年には314万人と
確実に減少してきています。

これと連動して,東京都の出生数も1970年には51万7000人でしたが,1990年以降にはほぼ30万人へ減少し,2010年には29万人へ着実に減っています。

この背景には合計特殊出生率の低下があります。東京都の1965年の合計特殊出生率は2.0でしたが,1990年には1.23へ,そして2005年には何と
1.0へと激減し,その後少しだけ持ち直しましたが,それでも2013年は1.13で,全国で最低です。

同じ年,最高は沖縄県の1.94人,全国平均は1.43人でした。同様の傾向は,首都圏全体(東京都,神奈川・埼玉・千葉県)にも見られます。(注5)

首都圏の出生率が低いのには多くの理由が考えられます。たとえば,家賃が高いという住宅事情,独身者でも生活が可能な条件がそろっていること,
女性の働き口が多く自活できることなどです。

しかし私は,こうした物理的,金銭的なことよりも,東京都や首都圏における過剰なストレスが大きな要因としてあるのではないかと推測しています。

以上みたようい,日本の少子化は想像以上に急速に進行しています。次回は少子化の実態と背景を補足し,この事態をどのように受け止めたら
よいのかを考えてみたいと思います。

(注1)http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/con2h.html
(注2)総務省『平成25年版少子化社会対策白書』
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2013/25pdfgaiyoh/25gaiyoh.html
(注3)総務省『平成26年版少子化社会対策白書』
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2014/26pdfgaiyoh/26gaiyoh.html
(注4)http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai11/kekka02.html
(注5)これについては,内閣府の http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr11/chr11040103.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf 
   (厚労省 「我が国の人口動態 平成26年」)を参照。なお,県別の合計特殊出生率は『東京新聞』(2014年6月5日)にも掲載されています。


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脳偏重・身体性軽視の時代―脳トレで脳は鍛えられるか?―

2014-10-02 18:47:15 | 社会
脳偏重・身体性軽視の時代―脳トレで脳は鍛えられるか?―

最近,電車の中などで,小型の冊子を開いて熱心にマス目の中の数字を見つめて,いわゆる「脳トレ」(脳を鍛える
ためのトレーニング)をしている人を時々見ます。

脳トレに励んでいるのは多くの場合,中高年の男性です。認知症やぼけ防止のためなのでしょうか。

ふと,以前に読んだ勇崎賀雄『脳ひとり歩き時代―ヴァーチャル脳を身体が救う―』(河出書房新社,2006)を読み直しました。

勇崎氏によれば,日本における「脳ブーム」の歴史は意外と古く,主要なブームだけでも,1960年代の時実利彦氏の『脳の話』
(岩波新書1962年)が第一次脳ブームとなりました。

1970代の第二次ブームでは人工知能研究や,立花隆氏の脳研究関連の本が良く売れました。

1990年代の第三次ブームの特徴は脳と心問題が注目を集めたダニエル・ゴールマン『EQこころの知能指数』(講談社,1996)が
ベストセラーになりました。

また,解剖学者,養老猛司氏の『唯脳論』(青土社,1989)が社会的に大きな反響を呼んだのも90年代でした。

2002~3年ころから第四次ブームが始まりますが,それには二つの潮流があります。一つは,立花氏からの脳研究を引き継いだ
川島隆太氏の流れです。

川島氏は「脳を鍛える計算ドリル」や「脳を鍛える音読ドリル」に関する著作多数を発表してきました。

「脳を鍛える」シリーズは,発表後まもない2006年に350万部を売り上げるベストセラーとなり,一大脳トレブームを巻き起こした,
いわば「脳トレ」ブームの火付け役です。

もう一つは,養老氏を引き継いだ茂木健一郎氏に至る「脳化・唯脳論」ブームです。この流れは,脳の働きを「科学的」に分析し,
脳こそが私たちの存在の全てであることを強調します。

以上の第一から第四次までの脳ブームの流れとは少し異なりますが,日本人の脳ブームを演出してきた人たちもいます。

たとえば春山茂雄氏の『脳内革命』(サンマーク出版,1996)は,続編を含めて500万部を売る大ベストセラーとなりました。
彼は,「プラス思考」
で快楽物質(脳内モルヒネ,ドーパミン)を放出させ,脳を活性化させることを説きました。

『脳内革命』は複雑な脳の構造や機能などを理解する必要がない,一般の人たちにも分かりやすく,すぐにでも実行できそうな内容
であるため,一世を風靡しました。

脳トレの流れで言えば,七田眞氏は,右脳を鍛えるイメージトレーニング法や音読,速読法を開発し,多数の出版物を世に送り」
出しています。

七田氏は,言語,理論,計算などを担当する従来の左脳トレーニングにたいして,イメージ,造形など非言語の世界を担当する左脳
を鍛える方法を提唱しました。

具体的には,子供を対象として計算ドリルやイメージトレーニングの教材をたくさん開発する一方,彼自身,チャルドアカデミーを主催し,
子供を対象に理論を実践しています。

七田氏の主張や方法は,とりわけ受験生やその親から支持を得たようです。実際,私の友人も子どもの受験のために右脳開発の
トレーニングを受けさせていました。

『脳内革命』も「右脳を鍛える」も,脳科学というより,実用的なハウツーものといった性格が強かったといえます。

それだけに,人々が飛びついたのでしょう。もし,「脳トレ」で本当に脳の能力が上がるのなら,それがどんな原理に基づいていようが
実践する価値は十分あります。

しかし現在までのところ,脳トレの効果をはっきり示すデータはありません。

「脳トレ」ブームの火付け役である川島氏の学問の師である,脳生理学の第一人者である久保田競氏は,弟子の活動を次のように
批判しています。
    
   (川島氏は)「前頭前野(注1)の働きが活発になったから血流量が増えた」と言いますが,血流量が増えたこと自体は間違いない
         としても,それで「前頭前野の機能が良くなった」と結論づけられるのかということです。・・(中略)・・ 専門家は,
         脳内のある個所の血液量が増えると「そこが活性化された」と表現し ます。
         ところが,血流量の増加は,神経細胞の働きが活発になって増える場合と,他の原因で増える場合があります。
         よって,「脳の血流量増加」=「脳の働きが増すこと」ではないのです。(勇崎『脳ひとり歩き時代』46-47より引用)

ビートたけし氏は,彼独特の口調で,脳トレに関する勘違いを鋭く指摘しています。
    

   最近は脳を鍛える!なんてのがブームなんだってね。・(中略)・・だけど,勘違いしちゃいけないのは,こういうのはランニング
   と同じなんでさ。
   毎日毎日,走る練習をしても,野球とかサッカーがうまくなるわけじゃないだろ。(同上書,48ページ)

ビートたけし氏は,筋トレをして筋肉をいくらつけても,それで技術が向上することにはならない,と批判しているのです。

脳トレの効果についてはいずれ検証される時が来るでしょうから,それを待つしかありませんが,私も素朴に,脳トレの効果には疑問を
持っています。

私にとっての気がかりは,むしろ,人間の全ての活動を,脳の働きに帰着させ,その一方で身体性を軽視する傾向です。

養老猛司氏は『唯脳論』(このタイトルもかなり過激です!)は,「はじめに」の第一行目に,「現代とは,要するに脳の時代である」
と宣言します。

続いて,伝統や文化,社会制度,言語もふくめて,あらゆる人工物は脳機能の表出,つまり脳の産物であると,言います。

養老氏は「唯脳論」を「ヒトの活動を,脳と呼ばれる器官の法則性という観点から,全般的に眺めようとする立場を,唯脳論と呼ぼう」
(13ページ)と定義しています。

養老氏を尊敬する脳科学者,茂木健一郎氏は『すべては脳からはじまる』(中公新書,2006)を出版していますが,このタイトルに彼の
方向性がはっきり表れています。つまり,彼の著作には身体に関する記述がほとんどないのです。

ヒトの活動を,脳の働きという観点から全般的に眺めようとする立場は,一つの学問的方法としては全く正当で,それはそれで大いに
進めて欲しいと思います。

しかし,だからといって,身体性を軽視してよいということにはなりません。養老氏は身体性を軽視するだけでなく,嫌悪感さえ
もっているようです。

養老氏は『唯脳論』のエピローグに「脳と身体」というタイトルをつけて,次のように述べています。
   
   社会は暗黙のうちに脳化を目指す。そこで何が起こるか。「身体性」の抑圧である。現代社会の忌避(否定し避けること)は,
   じつは「脳の身体化」である。
   ・・中略・・。
   忌避としての「脳」という言葉は,身体性を連想させるものとして捉えられている。「心」であればよろしい。そこには
   身体論は薄い。性と暴力とはなにか。
   それは脳に対する身体の明白な反逆である。これらは徹底的に抑圧されなければならない。(257ページ)

養老氏にとって,社会とは人間の脳(叡智,知識)によって制度化され秩序ある体系である。しかし,身体性は,脳の指令に従わず,
勝手な振る舞いをする,つまり反逆をするから徹底的に抑圧しなければならない,とまで言っています。

性と暴力は身体性のシンボルです。養老氏は,身体と脳とは対立する存在であり,しかも身体はヒトをヒトたらしめている高級な
脳の指令に従うべき下位の存在である,と認識していることが分かります。

しかし,良く考えてみれば,脳も元はと言えば一つの受精卵から分化して形成されてきた「身体器官」の一部なのです。

当然のことですが,脳から身体への働きかけと同時に,身体各部からの情報が脳の働きに影響を与えているのです。

これらはどちらが上位にありどちらが下位にあるという関係ではありません。

ボケ防止や認知症予防のためにマス目を埋める計算ドリルを一生けん命行うより,身体を隅々までしっかり動かしたほうが脳の活性化
には効果があると思います。

脳偏重の傾向は,全ての情報が電子記号化されるコンピュータ時代の現代社会を反映しています。

私は,物事を身体感覚,皮膚感覚ではなく脳の世界だけで判断することには強い抵抗があります。というのも,その場合,
巻き込まれる他人に痛みや苦痛に無自覚になってしまう可能性があるからです。

身体と脳の関係については,さらい考える問題がたくさんありますが,それについては別の機会に書きたいと思います(注1)。

ここで,「前頭前野」とは脳科学辞典でいう,ヒトをヒトたらしめ,思考や造像性を担う脳の最高中枢。系統発生的に
ヒトで最もよく発達した脳部位である。


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