子どもの世界(5)―子どもから見た大人の不思議―
子どもは大人の行動や言葉を注意深く見ています。そのなかで,子どもにとって,どうしても不思議なこと,
理解できないことがたくさんあるようです。
おじいちゃん いもと なおこ
おじいちゃん
はげちゃびんやのに
おふろに
しゃんぷうをもっていく
大人はこの詩を読んで,思わず笑ってしまうでしょう。しかし,子どもはおじいちゃんをちゃかしているわけではなく,
純粋に不思議がっています。似たような詩をもう一つ。
はみがき こだま ちえこ
おばあちゃんは
はがないのに
はをみがきます
ちえこちゃんにとって,歯があるから歯みがきをするのが当たり前なのに,歯がないおばあちゃんが歯みがきするのは,
不思議でなりません。
なおこちゃんが,はげちゃびんのおじいちゃんが,シャンプウ持ってお風呂にゆくことを不思議に感じたことと同じです。
なんだか,まんざいの「つっこみみたい」みたいです。こうした感覚は,多少,関西文化の特徴かもしれません。
子どもは結構,細かい所まで大人の行動を観察していることがわかります。でも,おじいちゃんにもおばあちゃんにも,
直接言わないでね。
いれば しまだ いっぺい
おじいちゃんは ごはんをたべるときいればをはずし
ごはんすんだらいればをはめます
だからおふろのふたみたい
入れ歯とお風呂のふたを結び付けたところに,いっぺい君の観察眼と想像力の豊かさが現れています。
確かに,用がある時(食べる時)に入れ歯をはずし,用がなくなると(ご飯がすんだら)はめるとうのは,子どもからすると,
不思議でしかたないでしょう。
おそらく,おじいちゃんの入れ歯は,話をする時が「用がある時」なのでしょう。それにしても,入れ歯を外して,
どうしてご飯を食べるのでしょうか?
つり よしむら せいてつ
おとうさん
いつもつりにいっとうのに
おかあさんは いちばでさかなこうてくる
お父さんは釣りが好きで,頻繁に釣りに出かかますが,どうやらほとんど釣って帰ってくることはないようです。
それを見越して,お母さんはお父さんの釣の成果を当てにすることなく,魚屋で魚をかってきます。
大人がこの詩を読むと,ちょっと苦笑いしてしまいますが,子どもは,釣りに行けば魚が釣れるのに,
なぜお母さんは市場で魚を買うのか,ふしぎなのです。
おんな うえの さちこ
おかあさんはきんじょのおばちゃんたちと
ながいあいだたちばなしをしていました
1じかんぐらいおはなしをしていました
なにをしゃべっているのかわかりませんが
たのしそうにけらけらとわらっていました
ほんとうにおんなは おしゃべりだとおもいます
おかあさんはそのあと
「ああいそがしいいそがしい」といいながらばたばたしていました
これは,よく見る光景で,大人はとりたてて不思議とは思いません。しかし,あんなに長々と立ち話をしていたのに,
どうして家に帰ると急に,「いそがしい いそがしい」と言ってばたばたするのか,さちこちゃんには不思議です。
この詩のタイトルを「おんな」としたところに,さちこちゃんの鋭さがあります。
さちこちゃんのお母さんだけでなく,一緒に立ち話をしていた「きんじょのおばちゃん」も,きっと,
「おんな」はみんな同じだろうと,考えています。
「おとこ」はこんな立ち話を1時間以上もしないので,やっぱり,これは「おんな」だけの行動だと理解しています。
せんきょ みねゆき よしえ
まいにちせんきょのくるまがとおります
えらいひとがいっぱいふえて
どないするやろう
わたしはうるさくてみみがいたくなります
だれもきいてへんのに
よしえちゃんの疑問または不思議は二つあります。まず,偉い人がいっぱい増えてどうするんだろう,という疑問です。
確かに,言われてみれば,大人でも首をかしげたくなります。
次に,誰も聞いていないのに,なぜ,よしえちゃんの耳が痛くなるほど,ガンガンがなりたてるのが不思議でたまらいのです。
どくしん よしむら せいてつ
おかあさんはよそのひとにどくしんやゆわれてよろこんどう
としいっとう人かって
どくしんの人おるのにな
けっこんしている人は / どくしんになりたくて
どくしんの人はけっこんしたがる
せいてつ君にとって,なぜ,お母さんがよその人に独身だといわれて喜ぶのか理解できません。
しかも,どうやら大人は一般に,結婚した人は独身になりたがり,独身の人は結婚したがるようだ,と感じています。
なかなか鋭い指摘ですね。
以上紹介した詩のおおくは,大人の言動に子どもが不思議や疑問を表現したものでした。それらを大人が読むと,
笑ったり,苦笑したり,時には納得したりするものでした。
最後に,子どもが大人を人間として観察し感じた時の印象を書いた詩を紹介しておきます。
顔 ふじ もとえ(二年)
こうべえきにいきよったら
こい人にふられてたような人が
大きなためいきをついて
顔をしたにしてとぼとぼあるいていました
わたしはあらまあとおもいました
もとえちゃんの目は,困ったような表情で歩く人に向けられています。それを「こい人にふられたような人」と表現しているところに,
もとえちゃんの想像力と感性が見られます。
大人は大変だなあ,と同情する気持ちが,「あらまあ」という表現となっています。
ひと なかたに ゆうすけ
えらい人より / やさしい人のほうがえらい
やさしい人より / 金のない人のほうがえらい
なぜかというと
金のない人は / よくさみしいなかで
よくいきているからだ
なんだか,思想家の言葉のようです。ゆうすけ君の序列では,金のない人は,さみしい中で「よくいきているから」
最も偉いということになります。なかなかの人生哲学です。
やさしい人 なかお ひろこ
やさしくしてあげたら
やさしくしてもらった人は
わるい人でもきもちがすっきりする
私はこの詩を読んだとき,ひろこちゃんの人間観の深さに感動しました。やさしくされればうれしいことは誰でも理解できます。
しかし,ひろこちゃんは,「わるい人でも」気持ち良く感じるというのです。「悪人こそが救われる」という,
親鸞の「悪人正機」を思い起させます。
子どもは子どもの透徹した目で,見たまま感じたままを詩の形で表現してくれます。大人が,心を開いて子どもの言葉に耳を傾ければ,
きっと多くの感動を得ることができるし,豊かな感情の世界を感じることができるし,そして学ぶことがあると思います。
子どもは大人の行動や言葉を注意深く見ています。そのなかで,子どもにとって,どうしても不思議なこと,
理解できないことがたくさんあるようです。
おじいちゃん いもと なおこ
おじいちゃん
はげちゃびんやのに
おふろに
しゃんぷうをもっていく
大人はこの詩を読んで,思わず笑ってしまうでしょう。しかし,子どもはおじいちゃんをちゃかしているわけではなく,
純粋に不思議がっています。似たような詩をもう一つ。
はみがき こだま ちえこ
おばあちゃんは
はがないのに
はをみがきます
ちえこちゃんにとって,歯があるから歯みがきをするのが当たり前なのに,歯がないおばあちゃんが歯みがきするのは,
不思議でなりません。
なおこちゃんが,はげちゃびんのおじいちゃんが,シャンプウ持ってお風呂にゆくことを不思議に感じたことと同じです。
なんだか,まんざいの「つっこみみたい」みたいです。こうした感覚は,多少,関西文化の特徴かもしれません。
子どもは結構,細かい所まで大人の行動を観察していることがわかります。でも,おじいちゃんにもおばあちゃんにも,
直接言わないでね。
いれば しまだ いっぺい
おじいちゃんは ごはんをたべるときいればをはずし
ごはんすんだらいればをはめます
だからおふろのふたみたい
入れ歯とお風呂のふたを結び付けたところに,いっぺい君の観察眼と想像力の豊かさが現れています。
確かに,用がある時(食べる時)に入れ歯をはずし,用がなくなると(ご飯がすんだら)はめるとうのは,子どもからすると,
不思議でしかたないでしょう。
おそらく,おじいちゃんの入れ歯は,話をする時が「用がある時」なのでしょう。それにしても,入れ歯を外して,
どうしてご飯を食べるのでしょうか?
つり よしむら せいてつ
おとうさん
いつもつりにいっとうのに
おかあさんは いちばでさかなこうてくる
お父さんは釣りが好きで,頻繁に釣りに出かかますが,どうやらほとんど釣って帰ってくることはないようです。
それを見越して,お母さんはお父さんの釣の成果を当てにすることなく,魚屋で魚をかってきます。
大人がこの詩を読むと,ちょっと苦笑いしてしまいますが,子どもは,釣りに行けば魚が釣れるのに,
なぜお母さんは市場で魚を買うのか,ふしぎなのです。
おんな うえの さちこ
おかあさんはきんじょのおばちゃんたちと
ながいあいだたちばなしをしていました
1じかんぐらいおはなしをしていました
なにをしゃべっているのかわかりませんが
たのしそうにけらけらとわらっていました
ほんとうにおんなは おしゃべりだとおもいます
おかあさんはそのあと
「ああいそがしいいそがしい」といいながらばたばたしていました
これは,よく見る光景で,大人はとりたてて不思議とは思いません。しかし,あんなに長々と立ち話をしていたのに,
どうして家に帰ると急に,「いそがしい いそがしい」と言ってばたばたするのか,さちこちゃんには不思議です。
この詩のタイトルを「おんな」としたところに,さちこちゃんの鋭さがあります。
さちこちゃんのお母さんだけでなく,一緒に立ち話をしていた「きんじょのおばちゃん」も,きっと,
「おんな」はみんな同じだろうと,考えています。
「おとこ」はこんな立ち話を1時間以上もしないので,やっぱり,これは「おんな」だけの行動だと理解しています。
せんきょ みねゆき よしえ
まいにちせんきょのくるまがとおります
えらいひとがいっぱいふえて
どないするやろう
わたしはうるさくてみみがいたくなります
だれもきいてへんのに
よしえちゃんの疑問または不思議は二つあります。まず,偉い人がいっぱい増えてどうするんだろう,という疑問です。
確かに,言われてみれば,大人でも首をかしげたくなります。
次に,誰も聞いていないのに,なぜ,よしえちゃんの耳が痛くなるほど,ガンガンがなりたてるのが不思議でたまらいのです。
どくしん よしむら せいてつ
おかあさんはよそのひとにどくしんやゆわれてよろこんどう
としいっとう人かって
どくしんの人おるのにな
けっこんしている人は / どくしんになりたくて
どくしんの人はけっこんしたがる
せいてつ君にとって,なぜ,お母さんがよその人に独身だといわれて喜ぶのか理解できません。
しかも,どうやら大人は一般に,結婚した人は独身になりたがり,独身の人は結婚したがるようだ,と感じています。
なかなか鋭い指摘ですね。
以上紹介した詩のおおくは,大人の言動に子どもが不思議や疑問を表現したものでした。それらを大人が読むと,
笑ったり,苦笑したり,時には納得したりするものでした。
最後に,子どもが大人を人間として観察し感じた時の印象を書いた詩を紹介しておきます。
顔 ふじ もとえ(二年)
こうべえきにいきよったら
こい人にふられてたような人が
大きなためいきをついて
顔をしたにしてとぼとぼあるいていました
わたしはあらまあとおもいました
もとえちゃんの目は,困ったような表情で歩く人に向けられています。それを「こい人にふられたような人」と表現しているところに,
もとえちゃんの想像力と感性が見られます。
大人は大変だなあ,と同情する気持ちが,「あらまあ」という表現となっています。
ひと なかたに ゆうすけ
えらい人より / やさしい人のほうがえらい
やさしい人より / 金のない人のほうがえらい
なぜかというと
金のない人は / よくさみしいなかで
よくいきているからだ
なんだか,思想家の言葉のようです。ゆうすけ君の序列では,金のない人は,さみしい中で「よくいきているから」
最も偉いということになります。なかなかの人生哲学です。
やさしい人 なかお ひろこ
やさしくしてあげたら
やさしくしてもらった人は
わるい人でもきもちがすっきりする
私はこの詩を読んだとき,ひろこちゃんの人間観の深さに感動しました。やさしくされればうれしいことは誰でも理解できます。
しかし,ひろこちゃんは,「わるい人でも」気持ち良く感じるというのです。「悪人こそが救われる」という,
親鸞の「悪人正機」を思い起させます。
子どもは子どもの透徹した目で,見たまま感じたままを詩の形で表現してくれます。大人が,心を開いて子どもの言葉に耳を傾ければ,
きっと多くの感動を得ることができるし,豊かな感情の世界を感じることができるし,そして学ぶことがあると思います。