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3月16日でなくなるもの

2018年02月27日 22時09分00秒 | 鉄道

ブログの更新が、だいぶご無沙汰になりました。

毎年3月は、鉄道会社の大”ダイヤ改正の時期。 京王は2月に改正してしまったようですが。 平成29年度年度末のダイヤ改正の目玉は、「小田急電鉄」の「複々線」完成に伴うダイヤ改正。 車体のステッカーで大々的に告知しているのですから、小田急最大のダイヤ改正でしょう。

わたくしと、小田急線のご縁は昭和47年頃からでしょうか。 実は(昭和44年)江東区生まれの江東区育ちのはずが、諸般の事情により一時期厚木市の親戚宅へ預けられることに。 このころから小田急は身近な存在。  3歳の私が子供の集団で小田急線鉄橋付近の相模川へ遊びに行こうとし、川沿いのクリーニング屋さんのご主人に止められることも。 

5000形で申し訳ございません。 まさにこの場所です。

このとき厚木市幸町でしたのでもしかして私のことがばれそうな。 八百屋さんと牛乳屋さんと幼稚園がすぐそこにありましたので、地理に詳しい方はどこかお分かりになることでしょう。

当時の本厚木駅は地上駅で、改札は現在の北口のみでしたので駅までの所要時間は5分のプラス。 

本厚木は各駅停車の折返し駅でしたので、時間がかかることを考慮しなければ、新宿までゆっくり座ってというのも可能でした。 そのころの各駅停車といえば、旧型国電の流れの4ツドアの1800形(大型20m車)。 一方の急行は3ツドアの中型車が主流。(残念ながら大型車の急行に乗った覚えはほぼありません。) そんなものですから、新宿からでも直近の急行に乗ろうものなら、4歳~5歳の私でさえ、1時間近く立っていることに。 いやあとにもかくにも江東区から厚木市まで行くのは大変でした。

小田急の歴史を物語る鋼製車体の塗装(8000形)

当時は本厚木からロマンスカーなんて、そんなに乗ったこともなく。 唯一覚えているのは「さがみ号」の3000形(SSE車)。 とにもかくにも混んでいて、特急券なんてそう簡単に手には入りませんでした。 たぶんさがみ号も箱根湯本始発だったのでしょう。

そういえば海老名駅も改良工事もありましたね。 厚木から横浜市旭区へ行くのに、または江東区から旭区を経由して本厚木へ。 相鉄とも何度も乗り換えたものです。 この後でしょうか、本厚木駅の高架化工事が始まったのは。 下り線が完成した頃、現在の本厚木駅東口にあった上り線踏切から駅へ歩く間に見える、2番ホームの急行がなんともいえないものでした。

わたしは存じ上げませんが、相鉄が海老名で小田急に乗り入れていたこと。 乗り入れ廃止後に、海老名駅の連絡階段の改良工事につながったという話は本で読みました。 改良工事中の海老名駅は乗換えづらかったのは覚えています。 

小田急と国鉄相模線が厚木駅付近の短絡線はよく存じていますが、やはりその線路の貨物の運転は見たことがありません。 その相模線に初めて乗ったのは昭和62年でしょうか。

 

小田急沿線はこれだけではありません。 町田とも縁がございます。 町田市内の小学校に通学していたのが昭和52年4月から昭和56年3月の3年生から6年生まで。 昭和52年は「町田」は「新原町田」、横浜線は「原町田」でした。 (残念ながら旧原町田駅自体は一度も見ることもなく、現在の位置へ。 ただし横浜線の旧型国電(チョコレート色)には乗っています。小4の奥多摩キャンプへ行くときに「総武線は黄色なのに横浜線はこんな色でダサい。」と淵野辺で言ってしまいました。) 横浜の旭区へ行くときに横浜まで京浜東北線に乗っていましたので、東神奈川で毎度見かけていた旧型国電がこの横浜線であることに・・・

このころ、町田から新宿までのラッシュ時所要時間は50分前後。 日中のロマンスカーで30分から急行の35分程度。 複々線は昭和53年3月の千代田線延伸と直通化に伴うものでしょうか、代々木上原~東北沢の1区間のみでした。 私自身はラッシュ時の上り急行に乗ることは一度もありませんでしたので、実際にどのような状況なのかは存じません。 ただ言えることは、ラッシュ時は新宿までとにもかくにも時間がかかること。

 

小田原線の待避駅は、東北沢・経堂・成城学園前・向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・鶴川(上り)・町田・相模大野・相武台前・海老名・本厚木・伊勢原・秦野・新松田・足柄(上り)の各駅。 

当時の日中は下りベースで、東北沢で各停本厚木行の追い抜き・経堂で各停向ヶ丘遊園行の追い抜き・成城学園前で各停本厚木行の連絡・新百合ヶ丘で準急本厚木行の連絡。 実際に急行から各停への乗換えに有効な各停と準急は3本で、各停との接続はあまり良いものではなかったでしょうか。

 

ここで一句 ~小田急のアナウンス~

 新百合ヶ丘 新百合ヶ丘です。 

 各駅停車と 多摩線は お乗換えです。 

 新百合ヶ丘のつぎは 町田に止まります。

 通過駅の 柿生 鶴川 玉川学園前へお越しの方は 各駅停車に お乗換えください。

 こんどの各駅停車は 1番ホームに停車中の 準急 本厚木行 です。

 

各駅停車へ乗り換えてくださいというのに、乗換え相手は準急という、いまでは「紛らわしい」とクレームが入りそうな案内でした。 路線図にも乗っているのですからごく当たり前なアナウンスですが。 準急=向ヶ丘遊園から各駅に停車(※現在は登戸から~ と案内していますが。 )との案内で、実に新宿からの各駅停車本厚木行きは1時間に10本あった各駅停車の内4本しかなく(残り6本は向ヶ丘遊園行)、そのため準急2本で毎時6本を確保していますのでこのようになります。 これって時代の変化ですね。

上りのラッシュですと新百合ヶ丘より相模大野寄りでは急行・準急の交互運転でしたので、準急が鶴川で必ず通過待ちを行うダイヤ。 たぶん準急での通勤は大変だったのではないでしょうか。 この準急の中に千代田線直通で、百合ヶ丘・読売ランド前・生田を通過する電車があり、通称「スキップ準急」(4180列車)と呼ばれていました。 

こののち、小田急ではラッシュ対策で、平行ダイヤや種別選別装置(各停・急行などの種別)で、踏切開閉時間の短縮など、運転と周囲道路への影響の削減を行っていたようですが、解決には至らなかったようですね。

 

さて、本題の3月16日でなくなるもの。

東北沢駅の急行線にある仮設ホーム。

小田原線最大のボトルネック駅だったとおもいます。 下り緩行線の下北沢方は延伸するにも土地の問題もありました。 それ以上に、この駅で通過待ちを行う各駅停車は、2本の通過待ち。

工事前の新宿発のダイヤまでさかのぼると

00 ロマンスカー(はこね・あしがら) 01 急行 箱根湯本・片瀬江ノ島

02 各停               06 各停

10 ロマンスカー           11 急行 小田原・藤沢

12 各停               16 各停

21 急行(不定期)          22 準急

23 各停

のような状態ですので、毎時53分頃の各駅停車は東北沢で、00分のロマンスカーと01分の急行の2本待ち。 

現在は今回のダイヤ改正まで引き続き梅が丘まで、続行(後追い)ダイヤですので、所要時間が延びる原因にもなっています。 工事前から比べて各駅停車が4本削減されましたので、それでもまだ良いほうです。

世田谷代田駅の仮設ホーム

梅が丘駅寄りに環状7号線、下北沢寄りに踏切がありましたので、ここもホーム延伸の問題がありました。

このあたりを探すと、小田原線と京王井の頭線を結ぶ連絡線の名残があると思うのですが。(小田急の歴史をさかのぼってください!)

梅が丘駅(暫定)小2のわが子が一眼レフで撮影

各駅停車向ヶ丘遊園行2本削減、2本を本厚木行に変更、2本を区間準急唐木田行に変更しても、東北沢で通過待ちできなくなった分のしわ寄せが、後追いダイヤによるノロノロ運転となり結局はボトルネック。 完全複々線化で9両目付近のポイント撤去で、梅が丘駅工事が完了の運びに。 ようやく10両編成が停車できることに。

 

今回のダイヤ改正で東北沢・世田谷代田・梅が丘・豪徳寺に千代田線直通も停車しますね。

世田谷代田駅通過の千代田線からの直通電車

昭和53年3月からの千代田線直通。 当初はおまけのようなものでしたね。 朝と夜、月~土のみ。 しかも下りは準急本厚木行。 

この段階で国鉄車もと、言いたいところですが、103系1000番台の非冷房では・・・ 小田急がJRのE233系の仕様で4000形設計に踏み切ったのは大きいですね。

 

これまでの小田急の歴史で、去っていったものはいろいろと。

相模大野・海老名・新松田での切り離しと、新松田・本厚木・海老名・相模大野での連結作業。

2005年8月7日の新松田駅での急行の連結

 

昔の分割案内板

  A:中型4両+いずれかの6両    B:大型4両+いずれかの6両

  C:大型5両+大型5両       D:中型6両+いずれかの4両

  E:大型6両+4両

 

平日夜間の急行で変則な車両運用

  急行 相模大野行です。

  相模大野から 前4両 各駅停車の片瀬江ノ島行。

         後ろ6両 各駅停車の小田原行です。

  途中止まる駅は、 代々木上原 下北沢 成城学園前 ・・・

  というアナウンスは、下りの最終間際でしたので、聞くことが出来ませんでした。

 

鋼製車体ロマンスカーも次々と。

2005年10月1日(厚木)RSE形

2005年8月7日(小田原)HiSE形

今あらためて見ると、EOS10Dとシグマのレンズの組み合わせで画質が悪いですね。

GSE就役により廃止予定のLSE形(梅が丘)

 

新たものとともに、去るものも。

 

※露出アンダーの画像は、 EOS10D + SIGMA28-200mm F3.5-5.6。

 直近の画像は EOS70D + EF24-70mmF4L IS USM。

 時代とともに機材も変わりました。