がじゅまるの樹の下で。

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薩摩侵攻史跡めぐり~浦添グスク1~

2010年06月12日 | ・琉球史散策/第二尚氏

読谷村の渡具地から再上陸を果たした薩摩軍。

陸路を使って、浦添グスクにもやってきます。

浦添グスクは王都が首里に移される前のグスクで、
首里城に続く大事なグスクの1つでありました。

浦添尚家の住むグスクでもあったのです。



当時の琉球王、尚寧(しょう ねい)王はここ浦添グスクの生まれであり、
王位継承のごたごたがある中で、若くして王となり、首里に上ります。

この道は、尚寧王が整備した、
浦添グスクと首里城を結ぶ道。

1597年完成。



古い、茶色い石の部分が400年前の遺構だとか。

400年前を踏みしめてみました。

浦添グスクにやってきた薩摩軍は、
もちろん王都・首里城を目指しますが、
なんと整備された立派な道があるではないか。



それも首里城まで伸びている。

皮肉にも、
尚寧王が作った便利な道は、
薩摩侵攻を大いに手助けしてしまったのでありました。



こちらは↑の街道を整備したことを示す、
「浦添城の前の碑」

表はひらがなで、
裏は漢文で書かれています。



ひらがなの文面には、
中国皇帝からの冊封前にもかかわらず、
尚寧を「琉球の王」としてかかれており、

結構ちゃっかりというか、
ふてぶてしいというか…。
王冠のエピソードなんかも…ネ)

小国・琉球のしたたかさが伺えます(笑)



もちろん、これらの碑文や街道は、
沖縄戦でことごとく破壊されたので
今あるのは復元されたものですが、

碑文の台座のこの角の部分は
当時のものだそうです。

なでなで。



さ、グスクの中に入っていきましょう。



浦添グスクは、石垣がほとんど残っておらず、

だだっぴろい原っぱという感じ。

かろうじて、草に隠れた石垣の遺構が…
見れるかな?



浦添グスクは、土壁のグスクでもあったとか。
名護城なんかもその例の一つなんだって。あ~、納得)

堀の跡もあったりして、
要塞のための工夫があったことは確か。



浦添グスクは広かったので、

2つにわけてご紹介します。



トップの写真、画像加工ナッシングです。
真っ白な曇り空ゆえにこんなんなりました



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