がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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親川(羽地)グスク

2012年04月28日 | ・琉球史散策/グスク時代

前記事で書いたように、
親川グスク、こと、羽地グスクに行ってきました。

…雨降ってたんだけど、

グスカ―スタイル(@琉球戦国列伝)じゃなかったんだけど、

なんか、ノリで?

(ハブヘビ棒は車に常備してるし!雨よけは手ぬぐいほっかむりで十分(笑))

標柱みっけ!

軽の車がやっと通るくらいの細い一本道をぐーっと登っていきます。

登りきると駐車スペースがあって、

拝所がひとつと、

向かいにもう一つ。

…って、いやいや、これだけで帰る訳にはいかん。

背後の茂みにレッツゴー。

ほら、みっけ!

「親川城址」の石碑。

 

…って、後ろ見たらなんと個人贈(!)
(1983年だったかな?)

…え、これってイイもん?

そのまま正面の、ツワブキの茂みにダーイブ!

お、なんか人が通るために伐採した跡があるぞ。

それを頼りに、ガサガサ進むけれど、
だんだんと視界は狭く、低くなっていく…。

周りはいつの間にかツワブキから琉球竹に。

細くとも竹なので、棒でさばくのもままならず…。

しばらく進んでみたけど、ここでさすがにギブ!

この写真はかなりしゃがんで撮ってます。

しゃがんで進むにしても、これ以上はナタが必要でした。

ナタ!

もっと先に、何かありそうなんだけどなー

遺構らしいものには出会えませんでしたが、
とりあえず、「その地を踏みしめた」ということで。


羽地グスク遠景。そんなに高くない。

羽地グスクの羽地按司。

1416年(頃)、名護按司と共に早々と中山に下って
尚巴志の北山討伐に加担した北山エリアの按司。

「北山王(※攀安知)は兵馬を整えて中山を討伐しようとしております。
どうか機先を制して兵を進めていただきたい。
もし、手遅れになればとりかえしがつきません」

(参/蔡鐸本中山世譜/原田禹雄訳注)

 

あれ、

「名護市文化財指定候補」ってなってる(笑)

だから石碑が「名護市教育委員会」とかじゃなかったのね

名護市役所のHP、「名護市の文化財と史跡」には
「親川グスク」ってあるんだけど、「指定」はまだされてないのかな?

 

  
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