がじゅまるの樹の下で。

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賢雄の不思議な能力

2011年01月30日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 賢雄が普通の人とは違ってた、という話。

1つ目は骨格が違うくらい大男だったということ。
2つ目は、彼の天性の能力にありました。

肝高の阿麻和利のレポなんかでこの賢雄の能力についてはちょこちょこ触れていましたが
ちゃんと書いたことはなかったのでご紹介します。

時に居数(※大城賢雄)、其の機事を知り、密かに夫人(※百十踏揚)に告ぐ。

夫人大いに驚いて曰く、

災禍遠からず、我が為に之を計れと。

居数夜静まるの時を俟ち、夫人を背負ひ、其の難を逃去して首里に赴く。

 

とまぁ、賢雄は阿麻和利の首里王府転覆の計画を知り、
百十踏揚と共に勝連を脱出するわけです。

2人の脱出を知った阿麻和利は、


急ぎ軍兵に令して将に趕ひて之を殺さんとす。
 

正史では、とにかく阿麻和利は悪者です(笑)

さて、追っ手に追いつかれそうになりあわや、というとき、
賢雄はとんでもない力を発揮します。

 

(賢雄は)天を仰ぎ地に伏し、
大いに神歌(俗に御唄と云ふ)を唱ふ。

即ち暴雨大いに降り、兵火悉(ことごと)く滅す。

居数喜びて夫人を負ひ、跑りて王城に至る。

 

しかし、
夜に男とやってくるとは何事だ!節操のない!
と百十踏揚は城に入ることを拒まれてしまいます。

百十踏揚は号泣して首を吊ろうとします。
その行動に慌てた尚泰久王は百十踏揚を城内に入れ、
百十踏揚は事の次第を報告します。

 

夫人其の事を詳報す。

居数亦(また)神歌を唱ふ。


(以上引用、王府正史「球陽」より)

 

というわけで、賢雄が神歌を披露する場面が2つも書かれてございます。

神歌は主に神女である女性が行うことが主なのですが、
男性が、しかも2メートルの大男で超強い武将である賢勇が
オモロを操っていたというのは
また違った賢雄像を想像させてくれますね。
(※もちろん、自然現象はたまたまだ、オモロのくだりはこじつけだ、という説もありますが)

アカインコなんかもオモロ遣いだったといいますし、
霊的な力を持つ男性もまれにいたということでしょうか。
(他にもこんな例あるのかな?)

でも…キャラクター設定としてはつくづくおいしいヤツですよねぇ。 

賢雄のおいしいエピソード、まだまだあります(笑)

 

(つづく)

 

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4 コメント

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Unknown (John Doe)
2011-01-30 20:12:21
>霊的な力を持つ男性もまれにいたということでしょうか。
>(他にもこんな例あるのかな?)
霊力の存在等に疑いをもたなければ、そこそこいたと思いますよ。
王府オモロを管掌したオモロ主取以下6~8名の組織は置県まで存在していますし、
霊力が顕現された(とされている)事例としては、
尚清王代あたりの数明親雲上の話とかがありますね。
あと尚寧王が大和に連行されるときにも、
「御唄供役」なる役職での随行員が確認できます。

あるいは時之大屋子なんかも含んでも良いかも知れませんね。



>大いに神歌(俗に御唱と云ふ)を唱ふ。
とありますが、おそらく「御唱」は「御唄」の誤記かと
返信する
John Doeさんへ (和々)
2011-01-30 21:30:38
ほほ~。やっぱりいろいろいたんですね。
なるほど、「オモロ主取」「御唄供役」なる役職もあったんですね。
こういった男性って、神女組織の中ではどういった位置づけ(力関係とか)だったんでしょう?
やっぱり、その類の組織では下っ端というか事務職的な位置付けなのかな?
(たとえば儀式や戦いに参加して重要な役割を担ったとかって男性でもあります?)

ああ、でも神女組織が整う前の第一尚氏時代だとまた違ってくるのかな…?

うーん。
これも調べてみたくなりました!


>おそらく「御唱」は「御唄」の誤記かと

…です!
こちらのタイプミスでした(ノ_-;
ご指摘ありがとうございます。修正しておきます。
返信する
和々さんへ (John Doe)
2011-02-01 23:50:35
力関係は良くわかりませんが(私は)、王府の重要な儀式を担っていますよ。

冊封使歓待の時に首里城でおもろを謡うのは、オモロ主取以下のグループですし、
(神女は謡わない)
辺戸でのお水取りには時之大屋子がその役務を担っていた記録が残っています。

オモロについて言えば巻二十二には「みおやだいりおもろ御さうし」とあるように、
(「みおやだいり」=王府の行事のことです)
この中のものはオモロ主取以下のグループで歌唱(場合によっては「吹く」とも表現されている)されていたと言われています。
私も突っ込んだところは知りませんので、
詳しくは山内盛彬全集にでもあたっていただければと思います。

あと身分的に言うと、それほど高い地位ではないようなのですが、
王府の最重要儀式に関与する特殊能力者ですから、
王府から特別の計らいがあったようです。
(「御唄勢頭」などの役職は私が見たことのあるものに限れば、尚寧王代あたりまでしか確認できません)
オモロ主取の安仁屋家は宜野湾間切に住む、つまり士族ではない家のものですが、
首里城焼失後に二冊あった『おもろさうし』のうち一冊を格護していますし、
近代に入ってからの前おもろ主取の黒枠広告(死亡記事)には「安仁屋殿内」との表現がなされています。
この「殿内」用法の事例は非常に珍しいと思います。
(地頭職の者でもないし、御願関連の建築物でもない)

あと前述した数明親雲上の件も、久高島からの帰りにおもろによって波濤を鎮めたという話ですので、
数明親雲上のような人物が久高島の神事に関与していたことが想像されますね。

戦いへの参加事例はちょっと思い出せません。
私はどちらかと言うと近代よりなので
返信する
John Doeさんへ (和々)
2011-02-03 21:08:00
うーん、色々と記録にあるものなんですね
お水取りも男性ですか(!)
そういえば「時」をやる人は男性のみ(?)だった気がしますが、
そういうのと似た感じなんですかね。

>あと前述した数明親雲上の件も、久高島からの帰りにおもろによって波濤を鎮めたという話ですので、

へぇぇ~~~~。
おもしろいですねぇ!チェックチェック!

色々勉強になりました。
ありがとうございます
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