(本日3投目)
以前もお伝えしましたが、
「南ぬマナ太陽(ぱいぬマナてぃーだ)」の公演が
3日後の1/6(日)に迫っております。
南ぬマナ太陽が演じるのは『龍刻の門』
主人公は近世琉球の5大偉人のひとり、
名護親方こと、程順則!
…の子ども時代、思武太(うみんた)。
一般童名の武太(むた)に身分のある人に冠する「思(うみ)」がついて思武太。
‘うみむた’が縮んで‘うみんた’
ちなみにトロイメライの主人公も武太。
ついでに言えば玉城朝薫の童名は「五郎」に「思」がついた「思五郎」。
舞台では完全フィクションということで
ちょっとしたあらすじ紹介もブログで紹介されていましたよ→ ★ ★
なんと「勉強嫌い」(!)だった思武太が、
自分探しの旅の中で様々な人(?)と出会い、
自分の使命に気付くというもの。
六諭衍義やら道徳やら明倫堂やら名護の総地頭やら
数々ある彼の有名な偉業云々は
ひとまず 置 い と い て 、
歴史に残されていない子ども時代の夢物語、ということです。
楽しみですね
「琉球創作ショート×2ストーリー モニター公演」
●琉球オペラ「アオリヤエ」
出演/劇団「アオリヤエ」
●琉球創作夢舞台「龍刻の門」
出演/「南ぬマナ太陽」
2013年1月6日(日)2回公演
昼公演 開場12時30分 開演13時
夜公演 開場17時30分 開演18時
ミュージックタウン音市場(沖縄市)
入場料/1000円(一般チケット販売価格)
お問い合わせ/098-943-1550(フェルマータ 株式会社)
じゃ、ワタシは名護親方の子ども時代繋がりで
こんな歴史記事を~
先々月、名護親方の講座(BY上里隆史サン)で聞いた
思武太のこんな話。
(↑はその時に提供した思武太イラスト)
思武太は元服前の12才で年俸米五斗をもらっていた。
え!12歳でもう働いてたってこと?
いやいや
彼はその時一切働いてなかったのに王府から給料が!
え!どーゆーこと!?
それは彼が久米村の人というエリート階級だったから。
久米村の人は貿易に従事する特殊人材として
国から保護されていた、ということらしい。
つまり12歳ではまだ仕事はしていなかったけど、
将来を見越して保護、強化するために、国が出資してたって感じでしょうか。
(実際、調べたら思武太の弟(順性)も同じく12歳で年俸五斗もらってますねー)
ちなみに五斗って今でいくらくらいかと言うと、
だいたい13万5000円くらいだそうです。
うん…まぁ、そんなに驚愕するほどの金額ではないか。
イマドキの小学生はお年玉とか含めたら
年にこれくらいもらってるかもね。
ちなみにこの時の彼の位は「若秀才」
2年後、14歳になった彼は元服し位がアップし「秀才」へ!
給料も年俸米一石五斗に一気にアップ!
現在価格にして約40万!
もちろんまだ働いてません。
そーがさい、思武太。
こーゆーの見てても彼が子どものころから
エリートな境遇だったことが感じられますねー
参/「【講座】名護親方のお話」(上里隆史)
※なお金の換算は「武士の家計簿(磯田道史著)」を参考にしたものだそうです
参/「名護親方程順則資料集Ⅰ」(名護市教育委員会名護市史編纂室)
なお、今回のこのネタは舞台とは関係ありません。
…たぶん。
たしか本妻の子どもたちは唐旅で泣くなっていますよね。
しかーし、別のところに子どもがいたとしたら・・・・
という話しです。
実家にはちゃんと家系図も有りますよ~
でも名護は名乗っていません。
こんな話しは聞きたくなかったかな?ごめんなさい。
コメント消してもいいですよ~
あけましておめでとうございます。
今年も色々と楽しませてください(笑)
さて、
昨年を表す一文字は「金」でしたね。
私も「金丸」が熱かった!今年も熱い!
今年も沢山、妄想させていただきます(笑)
さてさて、
上記の記事で思ったことですが、
琉球では「武太」ってポピュラーな名前なんですか?
『トロイメライ』の主人公も「武太」だし。
ペリーが来た時の事件にまつわる美談も「武太」さんだったし。
今年は、ほんの少し
私の「武太さん」探しをしてみます。
改めて本年も宜しくお願いします。
正室と別に妻子がいるというのは良くあることとは思いますが
名護を名乗ってないということは正式な側室という類のものでもないということでしょうか。
名護親方とその女性との縁が知りたいところですね。
興味深い情報をありがとうございました。
こちらこそ昨年は色々とたのしいコメントや妄想を(笑)ありがとうございました♪
「金」から金丸イメージ…。
うむむ、ワタシはそこまでイメージしなかったです。
さすがはかわたさん(笑)
この間データ整理してたら、金丸主人公の小説(案)ダイジェストのようなものが出てきました(笑)
(セリフとか、一場面とか)
小説にする予定は全くないのですが(それよりも泰期…(ノД`))
いつかブログのネタが切れた時にでもお披露目しますねー。
武太はそれなりにポピュラーだと思います。
っていうか、あまり童名じたいにバリエーションがないのでかぶる人もたくさん出てくるという感じです。
「真牛」とか、男女関係なく使われてますしねー。
(次第に女の子用になっていったっぽいではありますが)
うちの門中はお盆にバスを借りてみんなでそこに手を合わせに行きます。
人は住んでいなかったけど今はどうだろう。
嫁に出てから行ってないのでよくわかりませんが、
その家の姓は平良といいます。平良あやー(テーラアヤー)と呼んでいます。
本当にどういう縁があったのか私も知りたいです。
一応直系の血を継いでいる?(そういう風に言っていいのかどうか解らないけど)ので
身分は明らかに違いすぎたのかな?
首里の方に出されたようで
そこで今私たち子孫が住んでいるところに玉井という方が連れてきたようです。
今からでも調べる事って出来るのでしょうか?
どうなんでしょうね…。
門中がしっかししていらっしゃるのであれば門中家譜とか
家系図とかあるのではないでしょうか。
なくとも何か手掛かり(姓や家紋、名乗り頭など)はあれば門中辞典で調べてみるという手も…。
でももし、こういういわば「(王府にも認定された)由緒正しい」というものでなく
(※系図をもつものは士族として、持たないものは百姓[無系]として王府によって管理・区別されていました)
いわゆる「訳あり」家系とか、王府解体後の近代になってからそれぞれで系図を作ったというのであれば
その家に伝わっている伝承に頼るしかないような気がします…。