がじゅまるの樹の下で。

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志慶真乙樽の墓

2016年07月24日 | ・琉球史散策/グスク時代

今帰仁村の物産フェアに合わせた
「北山の風」公演、お疲れ様でした!

ホール公演はグスク公演とはまた違った良さがありますよね♪
(照明とか音響とか)

思い切って演じることができたかな??

またの機会に成長を見れることを楽しみにしています♪

 

さて、そんな「北山の風」つながりで
今日はこんな記事。

 

 

志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の
お墓に行ってきました!

 

今帰仁のヒロインと言えば乙樽。

乙樽と言えば今帰仁。

というくらい有名な女性。

今帰仁グスクの主郭にも乙樽の碑がありますね↓

 


(5年前の撮影)

 

「北山の風」でも「北山攻防譚( )」でも
今帰仁を舞台にしたヒロインに「乙樽」の名前が使われているのは
この志慶真乙樽がベースにある事にほかなりません。

(北山攻防譚の乙樽かっこよかったな…また復活しないかな)

 

彼女はどんな人だったのか、
今帰仁城のHPやパンフレットにもありますが
簡単にここでもご紹介します。

 

志慶真村の乙樽は絶世の美女で
北山王(今帰仁世の主)の側室として迎えられた。

北山王は高齢でまだ世継ぎがなかったが
ある日ついに王妃が世継ぎ・千代松を生んだ。

乙樽は自分の子のように千代松の世話をした。

そんな時、重臣の本部大主がクーデターを起こす。

北山王は殺され、
王妃と乙樽は幼い千代松を連れて逃げるが
体の弱っていた王妃は足手まといになることを恐れ
乙樽に千代松を託し自死してしまう。

今帰仁から遠く逃れた乙樽は
献身的に千代松を育てる。

時がたち、立派に成長した千代松は岡春と名を変え、
ついに両親の敵討ちと北山奪還を遂げる。

 

乙樽は千代松を支えた母として、
そして祭祀をつかさどる神女としてあがめられた。

 

参「新 琉球王統史2察度王 南山と北山」(与並岳生著/新星出版)

 

北山騒動と呼ばれている伝承で
伝えによって細かい違いはありますが
だいたいこんな感じです。

 

こちらもどうぞ→  

 

 

 

その乙樽のお墓。

今帰仁グスクにある周辺アリア地図で
お墓のだいたいの位置は把握していましたが
はっきりとはわからず
昔、勘だけであたりをうろうろしてみましたが
ヒットせず…(^^;

 

今帰仁の史跡案内板分かりにくすぎ。
空撮にざっくりとしたポイントだけなので
実際に行こうと思っても厳しいぞ~

 

今回は実際に訪れた人のレポを見ることができて
無事発見することができました。

 

 

地図にはめ込むとこんな感じです。

志慶真川沿いにあります。

 

 

今回は川の向かいから失礼しましたが、
草が茂って道をふさいでいなければ
手前側を行く事もできますよ。

ちなみに北山騒動は14世紀前期頃と考えられています。

崖下の洞穴を使った古いお墓ですね。

 

 

国道505号線からは今帰仁グスクも見ることができます。

 

 


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