がじゅまるの樹の下で。

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テンペスト行脚~インディアン・オーク号~

2011年05月24日 | ・『テンペスト』行脚

21日にUPした見事な夕日を撮った北谷のアラハビーチ。

でも、実は夕日を撮りに行ったんじゃなくて、
「コレ」を撮りに寄ったんです。

というわけで、超久々のテンペスト行脚記事です☆
(前回は……うわ、2月の大美御殿以来だわ…

 

■インディアン・オーク号■

嵐が去り、珊瑚礁が煌きを取り戻したころ、
北谷沖に見慣れない船影が出現した。

座礁した英国船インディアン・オーク号だ。

 

「テンペスト(上) 156-」より (池上永一著/角川書店)

 

上陸したボーマン大尉たちはこれからどうするのか考えあぐねていた。

「ボーマン大尉。朝になったら脱出するんじゃなかったのかね?」

「それは朝食を食べてからです」

「しかし上級船員には卵と鶏肉を出して、
我々の身分を敬っているように見受けられるが……」

「グレンジャー船長。原住民はいつ我々を襲うか分からないのです。
私はこれまで何度も危険な原住民たちと遭遇した経験からわかるのですが」

船員たちの多くはボーマン大尉の言葉に耳を貸さない。

何度も遭難したことのある船員たちは、
これほどまでの歓待でもてなされた経験はなかった。

下級船員のインド人たちは、
この地が英国よりも遥かに洗練された文化の国であることを察知していた。

原住民たちのみなりは美しく、
質素だがインドよりもずっと衛生的で、美意識の高い暮らしをしていた。

漂流民を厚遇しても何の見返りもないことを知っていて、
それでも手厚くもてなす彼らを
本物の紳士だと英国人は気付きもしない。

  

「テンペスト(上) 169-」より (池上永一著/角川書店)

 

“ I am a high commissioner of the Kingdom."
(評定所筆者の孫寧温です)

訛りのない完璧な発音に英国人たちが水を打ったように静まった。

現れた役人の幼さにも驚かされたが、
英語を話せる原住民がいることが何より信じられない。

 

「テンペスト(上) 182-」より (池上永一著/角川書店)

 

1840年8月14日、北谷沖に英国船籍東インド会社のインディアンオーク号が座礁した

というのは歴史的事実。

北谷の村人は、テンペストにもあるように船員を全員救助し、
衣食住を与え、彼らが帰国するまで手厚くもてなします。

その出来事を記念してここアラハビーチに作られたのが
インディアンオーク号を模した遊具です。

しかも座礁らしく船を傾けて設置してるあたり…小憎い(笑)


↑夕日を映した記念碑。クリックすると拡大します。

テンペストではこのインディアンオーク号事件にからんで、
寧温と雅博と朝薫の三角関係も明確化され(笑)、
またベッテルハイムと、村人、寧温とのやり取りも面白く、
そして琉球人としてのアイデンティティをくすぐる
読み応えのある話になっています。

テンペストで次々と起こる数ある事件の中でも
このインディアンオーク号のトピックはワタシが好きな場面の1つです♪ 

太陽が海に溶け行くまさにその時、

インディアンオーク号の背後に大きな虹がかかりました。

うぅ…広角レンズつけたデジイチカメラ持ってたら虹全体を写せたのに…
今回の写真もすべてケータイカメラです

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