咆哮

負け犬の遠吠えかも…
最近「負け犬」が流行り言葉になってしまったので「落ち武者の歯軋り」とした方がいいのかも…

恋愛バトン

2006年03月19日 09時10分34秒 | メッセージ
意地悪な9番さんから、私に対してこんな“無意味”なバトンが回ってきました。(爆)
無視しても良かったのだけど、最近ここへの書き込みも少なくなって来ましたので、ネタとして回答させていただきます。(笑)
(それと、ぼのぼのさんへもバトンを渡していましたが、私もぼのぼのさんの回答に興味がありましたので、私が無視するとぼのぼのさんも無視する可能性が高くなりますしね。f^_^;;)

では、回答です。

【Q1 好きなタイプを答えよう!】

髪型⇒
特になし。
というより似合っていればそれで良し。
後は、女性は時々髪形を変えるが、その変えた時の新鮮な印象は好き。

顔⇒
特になし。
早い話、顔は造形もあるけど、大事なのは表情でしょ!。
で、誰でもそうだけど一番魅力的な表情ってのはやはり笑顔でしょ。
私は男女問わず、その人を好きになるのは笑顔を見れた時に限りますので…。

体型⇒
度を超す、太りすぎ・痩せすぎ以外ならいいとは思うのだけど、ジムに行きだしてから人間は努力さえすれば体型は変えられるという事が分ったので、出来れば自分の体型位は自分の努力で管理して欲しい。

身長⇒
特になし。それに、これは努力で変えられないからね。
チビな私は、昔は「自分より低い人」なんて事を言ってましたが、今そんな事言ってると世の女性の1/3くらいは外れてしまうしね。(笑)

服装⇒
これは何に対しても言えることなのだけど、自分の個性に合っていればそれでいいと思う。
それと、いくらお金かけてもセンスとは関係ないしね。

職業⇒
何?この質問。意味が分らないよ。職業差別なんて無いしね。
でも卑しい職業は沢山あると思いますよ。(人のふんどしで相撲をとったり、人を騙すなような仕事)
そういう仕事以外なら好き嫌いなんてなにも無いよ。

性格⇒
この質問もよく分らない。
自分勝手というのも性格なの?。それは性別関係なく人間として大嫌いだけどね。
(でも、ある意味私自身が凄い自分勝手なんだけどね。f^_^;;)

【Q2 年下が好き?年上が好き?】
今現在50歳の私に対して、この質問は意味あるの?。(爆)

【Q3 タイプの芸能人は?】
趣味が映画で40年以上の鑑賞歴があるので、特定の誰かなんて多過ぎて答えられない。
それと、銀幕の中やTVモニタの中の虚像には実像にない憧れを持てるように作られているのだから、そこに映し出された美女達は皆自分のタイプにしてしまうように、最初から出来ているのでしょ。(笑)

【Q4 恋人になったらこれだけはして欲しい、
これだけはして欲しくない、という条件をあげて下さい。】
して欲しいってのはよく分らないけど、して欲しくないのはいっぱいあるかもね。
とりあえずは、意思の疎通ははかっておきたいので、黙り込むのは止めて欲しい。

【Q5 今までの恋愛経験の中でこの人はタイプだったな、
という人とのエピソードは?(片思いでも付き合っていてもOK)】
私の貧相な恋愛経験では、この質問に答えるのは無意味というか無理。

【Q6 よくはまってしまうタイプをあげてください。】
女性特有の様々な魅力を、少しでも私に対して垣間見せてくれたら、それだけでヘナヘナになるとは思いますが、そんな人がいなかったから今の私がここにいるのです。(爆)

【Q7 あなたを好きになってくれる人はぶっちゃけどんなタイプ?】
上記と同様にそんな人いなかったから、今の人生があるのでしょ。
環境も大きく影響しているのでしょうけど、そういう事が若い時期に皆無だったので、女性に対しての不信感や警戒心は(無意識に)かなり根強く持っているかも知れませんけどね。(笑)

【Q8 どっちのタイプ??】
甘える or 甘えられる?⇒
独り者に対しての質問ではないので個人的回答はパス。
だから一般論での話しか私には出来ないけど、甘えたり甘えられたりするのが恋愛期間中の(若しくは共同生活者の)カップルたる所以なんでしょ。
甘える者も甘えられる者もいなければ、自分に対しても他者や世間に対しても当然どんどんと厳しくなっては行きますよね。f^_^;;

つくす?⇒
これも独り者に対しての質問ではないので個人的回答はパス。
一般論としては「出来ることならつくしたいという気持ちだけは持っている。」というのは誰でもあるような気がするけど、でも、世の中には「ヒモ」とか「愛人」なんて呼ばれる人もいるし、逆にそれをかこう人もいる訳だから、それぞれにどちらかの属性の強弱はあるのでしょうね。

嫉妬する?⇒
これも独り者に対しての質問ではないので個人的回答はパス。
でも、一般論からすると恋愛関係にあるのなら、これも当然のことでしょ。
嫉妬しあわない「恋愛関係」という意味が分らない。

【Q9 最後にバトンを渡したい人を5~10人でお願いします。】
勿論、誰にも回しません。

対談:今風戦争映画「ジャー・ヘッド」の深み(3)

2006年03月03日 08時36分07秒 | 映画
・第三章:新しい感覚の“戦争映画”から導き出されたもの

<お茶屋>
ところで、スオフが戦争が終わっても、銃を手にしている感覚があるというのは、どういうことだと思いますか?
きっと、そういう感覚は、戦争に行った人は持っているもので、スオフだけじゃないと思うのですが。

<シューテツ>
『ミュンヘン』のラストのツインタワーと同様の“終わらない”ってこともあるでしょうし、いくら望んでも絶望的に“満たされない”ものを一生背負わされたという感覚なんでしょうかね。

<お茶屋>
そうですね~。幸いなことに、その感覚がわからん(笑)。

<シューテツ>
普通映画を観る場合、登場人物の気持ちを解かろう(近づこう)と無意識になるのですが、この作品の場合、私もそういう気分にならなかったのです。
「あぁ~、こういう気持ちが解からなくて幸せだ。」って気持ちの方がより強かったのです。私が“乾いた”感覚を抱いたのは、そういう私の突き放した気持ちからなのかも知れません。
でも、「誰にも解かってもらえない」とか「誰もが理解したくない」という感覚を持たれる方がより悲壮感はあるのかもしれませんよね。
ということで、この作品が深いという事だけは大いに認めてしまうのですけどね。

<お茶屋>
深いですね~。うまいですね~。
見えない銃を手にしている感覚は、社会とか家族とかから自分ひとりが切り離された感覚でしょうかねえ。
その切り離された感じが、戦友同士でならわかるから、たまに会う必要があるのでしょうかねえ。

<シューテツ>
現在社会を考えると、これについては別に戦争体験が無くても簡単に陥る状況なので、あえてこの作品で触れる事もないような気もするのですが、“戦友同士でならわかる”というのは曲者の表現ですよね。(笑)

<お茶屋>
曲者ですか(^_^;。
自分が理解できる感覚で、スオフたちに近い感覚…と考えると、そんな感じかなと。
で、あの感覚がわからなくて幸せという風に、あっちの世界の住人にはなりたくないと思わされます。そこを描いているから『ジャーヘッド』は、「戦争は非」という映画だと思うんですね。

<シューテツ>
この人(メンデス)っていうか、この作品の場合、戦争を舞台にはしているけれど、所謂「戦争映画」を撮っている気なんて、ひょっとしたら全然無かったのかも知れませんね。(“所謂「戦争映画」”ってのは、何処かに「戦争の是非」のようなテーマが含まれているもの)そういったテーマなどは飛び越えた、人間の本質的なものに関心が向けられていましたものね。

<お茶屋>
そうですね。
そして、本質を突いているので、自ずから戦争は非であるという映画になっているのだと思います。
なんかもう、戦争のアホらしさを感じずにはいられない映画でしたもん。メンデスも戦争をアホらしいと思っていると思います。

『ディア・ハンター』で行方不明だったニック(ウォーケン)は、普通なら二度としたくないと思うはずのロシアンルーレットの賭博場にいたじゃないですか。
スオフとニックが、すごくダブるんですよね~。

<シューテツ>
“戦争”ってものを否定する前に、そういう世界と別世界(社会)とがあって、軍隊であるとか戦場であるとかそういう処に一度身を置くと、本質的に自分がどっちの世界の住人なのかの発見はあるのかも知れないですよね。

<お茶屋>
あ、これは想定外のお返事(笑)。
そうか~、そういうふうにも考えられるのか~。

<シューテツ>
へへへ、読まれている方の大半が多分そういう風に感じたかも知れませんね。(笑)
でも、仰る通り「戦争の是非」を問うのでは無くて「前提としての戦争は非である」というのは踏まえて置いての話ですけどね。
私の中では“本質的に自分がどっちの世界の住人なのか”という思いは“戦争の是非”論から一度抜け出さないと至らなかったもので、切り離せなかったのです。

現在進行形で、戦争に参加している国の作品が今更「戦争の是非を問う」作品なんて作ってはいけないようにも感じています。
戦争が非なんて当たり前の話であって、しかし自分達はいまだに戦争を止められないで自ら参加している。そういう国が作る映画なら、更にその先の「何故?」を求めた作品を作るのが筋のように思うし、この作品はそういう作品になっていましたので納得できるのですけどね。

<お茶屋>
なるほどぉ。
ところで、スオフとニックが同じに見えると書いたことについてですが。
例えば、昨年洪水で一晩立ち往生したバスの屋根で励まし合いながら乗り切った人たちがいましたよね。あれは身が縮むような恐怖の一夜だったと思うのですが、あのような恐怖体験は助かった後もフラッシュバックしたりすると思うんです。もし、周りにそういう恐ろしさを理解してくれる人がいないとしたら、当然、共に恐怖の一夜を過ごした人たちとの連帯感が強まるだろうと。
これが、戦争体験とかロシアンルーレットになると、周りの人も想像はできたとしても、当人が周囲から理解してもらえていると感じられるかどうか。誰にもわかってもらえない、わかるのは戦友だという流れになるんじゃないでしょうかねぇ。世間との断絶感は、並じゃないような気がします。

「本質的に自分がどっちの世界の住人なのか」というより、ああいう体験をすると誰でもがあっちの世界の住人になれるような気がするなあ。それが本質?(ニュアンスは異なるけど、もしかしてシューテツさんと同じこと言ってます?(^_^;)

<シューテツ>
おそらくかなり近い内容だとは思います。(笑)
で、私はどちらかというと、ジェイミー・フォックス演じる兵士の台詞などが印象に残っていたこともあり前回の発言になったのですが、元々「自分の居場所はここである」なんて思ってもいなかった筈の他の兵士達にも(個人差はあれど)、帰国して始めて気づく自分の本質(?)(未体験の人間は後遺症と呼ぶのでしょうけど…)のようなものがあったようにも思えました。

<お茶屋>
これは全くシューテツさんのおっしゃるとおりだと思います。何も考えないよう、命令だけを聴くよう人殺しの訓練(一応身を守る訓練もありましたね)をされ、戦場を経験すると、人は皆スオフのように戦後も見えない銃を持つようになる、というのが人間の本質と言えば本質(傷ついた状態と言えば傷ついた状態)だと思います。

蛇足ですが、サイクス(J・フォックス)の言った「自分の居場所はここである」というセリフについては、黒人差別があるゆえこのセリフにつながったと言うケイケイさんの意見に賛成です。
除隊後もジャーヘッドを辞められなかったトロイ(P・サースガード)もサイクスに近いものがあると思います。刑務所あがりで、なかなか社会に受け入れられず、軍隊しか居場所がなかったのでしょう。
だから、スオフとトロイとでは、持っている見えない銃の重さが違うのかもしれませんね

<シューテツ>
この辺りの個人的意見ももう少し説明しておきますね。
アメリカは(若しくはアメリカの兵士達は)自国は平和であり正義であり、敵対国に対しても自国と同じ平和を持ち込むというのが建て前としてあるじゃないですか。でも、個々の兵士達が本当にそのような建て前を持って最前線に立っているのか?、というとそんな事は有り得ないと思うし、自国への不満(不安)とか、個々の現状への不満(不安)とかがある中で、ああしたギリギリの緊張状態の中に放り込まれると、こここそ自分の居場所だと思う人間がいても私は全く不思議に感じませんでした。(というか、私だってそういう場の放り込まれたらひょっとしたら、そう感じるかも知れない。)
だから差別意識も勿論あるのですが、それだけでは収まらない様々な問題が社会にありながらの、建て前的“正義の闘い”なんだから、駒である兵士の精神状態なんて千差万別であり、戦場へ向かう事は即ち狂気への道しか救いが残っていないのだろうなぁ~。
という思いを、“所謂「戦争映画」”より強く感じたので、これは戦争批判以上に自国の社会批判の方が強いという、変わった方程式が成り立つ新しい「戦争映画」(又は「社会派映画」)という風に感じられました。

<お茶屋>
う~ん、そうか~。否定できない……。する気もないけど(笑)。
「そうだなぁ」と思えることが、すごく悲しいし、重いです。

<シューテツ>
これが、今の戦争たる所以なんでしょうね。
でも、逆に全ての兵士が今の時代でも、“お国のため”“正義の為”と思い込んで戦場へ…、というのももっと気持ち悪いし、恐いですよね。(苦笑)

で、一番最初に戻りますが、この作品を観た後のもやもや感は、そういう「戦争は非」だけでとどまらない、やるせなさやら絶望感がそう感じさせたのかも知れません。
で、私的には“あの感覚がわからなくて幸せと”も感じながらも、更には映画作りとしてはそれが真っ当なやり方と思いながらも、作品としての結末のどうしようもなさは、一観客として答えの見つからない辛さがありましたね。

もう一つ新しく感じた処で“所謂「戦争映画」”には必要不可欠の“憎悪”という感情もこの映画では希薄でしたね。

<お茶屋>
そう言えばそうですね!気がつかなかった!
戦争映画としては、異色中の異色ですね。
シューテツさんと私とでは、異例ともいえる長い遣り取りで異色の戦争映画を語れて、本当によかったです。ありがとうございました。

<シューテツ>
“憎悪”の希薄さについては、こツリーの最初に言ったようなアメリカンニューシネマなどに感じた「怒り」の希薄さと同等のものですが、そうした虚無感が後味の悪さとか薄ら寒さとかに繋がったのかも知れません。
“憎悪”や“怒り”というのは映画の登場人物の感情だけではなく、映画そのものから発する感情も含めての発言なのですが、これも今の戦争たる所以ですね。
この映画の戦地で既に空撃かミサイルで焼け焦げた死体と対面するワンシーンに、敵としての感情は皆無であり、焼け焦げ死体と沈黙の会話をしているような絵作りは象徴的でした。
で、本当に殺した人間は敵の顔さえも認識出来ないのが、(よく言われているように本当にゲームのようにボタンを押しただけなんだと思う)今の戦争だって事をよく伝えていましたね。
兵士にとって敵に対する憎しみも怒りも無く、ただ訓練の成果を試したいだけの戦争、社会逃避の為の戦場、っていったい何なんだ!。ってメッセージは今になって感じてきました。(遅いよ>自分f^_^;;)

人間ってものは新しい作品に触れると、ある種の戸惑いを感じると思うのですが、私がこの映画の最初に感じたのはこれだったのかと、お陰様でかなり明確になってきました。ツリーならではの、会話でしか導き出されない色々な考えがまとまりましたので、お相手していただいたお茶屋さんには大変感謝しております。本当にありがとうございました。

お茶屋さんの感想
http://homepage1.nifty.com/cc-kochi/jouei01/0602_1.html

対談:今風戦争映画「ジャー・ヘッド」の深み(2)

2006年03月03日 08時26分26秒 | 映画
・第二章:先人キューブリック作品の先見性と作風とその比較

<お茶屋>
もしかしてシューテツさんの仲間?>わたくし
なぜかはわかりませんが、ちっとも感動しなかったのですよ。
作り手の言っていることは明確で、その描き方も完璧で文句はないのですが、どうして感動できなかったのでしょう?
私の場合は、映画に色気がなかったせいだと思っているのですが。色気というか味というか…。自分の感想では、「可愛げがない」とスッキリ書いてしまいましたが(^_^;。

<シューテツ>
優等生過ぎるってことなんでしょうかね。でも、そんなに薄っぺらくもないし…。
『ロード・トゥ・パーディション』では、情感豊かなのに反対の乾いているように感じられたり、今回の『ジャー・ヘッド』では深いテーマなのに胸に刺さってこない、イラつきのようなものを感じました。

<お茶屋>
『ジャーヘッド』に関しては、期待値はそれほど高くないつもりでしたが、皆さんのレビューを読むうちに高くなっていたんでしょうかね~(?)。

私は『ロード・トゥ・パーディション』の方は、好きなんですよ。でも、『アメリカン・ビューティー』は面白かったけど好きというほどではなかったです。
サム・メンデスの作品て、節度というか分別があって、登場人物や描いている対象から距離をとっているでしょう?その距離がそのまま作品と私の距離になっていると思います。メンデスは、3作品とも同じ距離で取っているのでしょうが、『ロード・トゥ・パーディション』については、私は父親二名に感情移入できたので感動したんだでしょうね。3作品の中では一番「作っている」感が強い作品だとは思いますが。

<シューテツ>
興味深いお話ですね。
『ジャーヘッド』についてはよくキーブリックの『フルメタル・ジャケット』との比較話が出てきているようですけど、(個人的には、どちらかというと『時計仕掛けのオレンジ』と比較した方がピッタリときます)いわゆるキューブリックの冷徹で俯瞰した見方というのは、今の時代をひょっとしたら先取りしていたのかも知れませんね。
彼の作品が感傷に溺れないのは一つの個性として見なされていましたが、今だと完全に時代に則した表現なのかも知れません。

しかし、彼の作品にも同じような距離があるのですが、私の場合キューブリックは「作品と私の距離」にならないのが不思議です。

で、このような(社会派映画の)作風がこれからも増えていくような(いや、主流となるような)気配が感じられます。
ということは、益々世の中に希望が持てなくなるって事の裏返しでもあるのですけど…。

<お茶屋>
「キューブリックと私」(笑)については、ずっと前から考えたことがあって、キューブリックって映画狂というか映像狂でしょ。巨匠とか鬼才とか言われるけれど、私にとってはどうしても「映画小僧」としか思えないんです。ユーモアもあるし。対象への距離感やクールな映像表現から冷徹とも言われますが、映画というものへの懲り具合は、トリュフォー、ゴダール、ヴェンダースといっしょ。アメリカならスコセッシとか。というのが私なりの分類です。

<シューテツ>
あっ、これは「目から鱗」かも知れません。(笑)
でも、いわれて見ればそういう見方も十二分に理解出来ます。
ただし、フィルムグラフィーを眺めると他の作家よりジャンル的に拘り無く色々なアプローチで哲学的なテーマを扱っているように感じられますので、私的には「映画小僧」よりついグレードを高くしてしまっているようです。f^_^;;

<お茶屋>
確かに選んだテーマは、キューブリックの高尚な一面が現れていると思います。でも、テーマよりもそれを映像でどのように表現するかに重きが置かれているように見えて、しかも映像表現が心底楽しそうなので私にとっては「映画小僧」になっちゃったんですね。
受け手によって巨匠になったり鬼才になったり小僧になったり、これからは変幻監督と呼びましょうか(笑)。

<シューテツ>
それって映画だけでなく、あらゆる分野の優れた芸術家に通じるもののような気がします。それは取りも直さず、技術(才能?)を天から授けられた表現者の“性”の様な気がしますけどね。

対談:今風戦争映画「ジャー・ヘッド」の深み(1)

2006年03月03日 08時24分00秒 | 映画
私のHPの掲示板は映画サイトでは不思議なくらい映画の話題が上がらないのですが(笑)今回珍しく掲示板で映画の話題で盛り上がりましたので、対談風に編集し直しまとめてみました。
ツリー参加のぼのぼのさん、ケイケイさん、お茶屋さんには感謝です。m(_ _)m

・第一章:傑作なのに違和感が生じた訳

<ぼのぼの>
劇場はガラガラですが『ジャーヘッド』は傑作です。
やはりサム・メンデスは本当の天才です。『アメリカン・ビューティー』『ロード・トゥ・パーディション』に続き、この人の監督作にハズレ無し。
好き嫌いは分かれる映画だと思いますが、見逃し厳禁。
たとえ気に入らなくても何かしら考えさせられるものを持った映画だと思います。

<シューテツ>
ぼのぼのさん、こんばんは。紹介ありがとうございました。
これは昨日の夜観て来ました。
一昨日の『ミュンヘン』の後、直ぐにこの作品を観たのは正解でした。
ぼのぼのさんの感想にも触れられていましたが、この二作品を比べると“殺していく狂気”と“殺せない狂気”が対極的に描かれていました。
「殺すも地獄、殺せないのも地獄」というところですね。

それと、仰るとおり二人とも映画作りの天才かもね。
作品的には両方とも完成度が高くて好き嫌いは別にして、“誰も文句言えない出来”と言っても良いでしょうね。
ただし、両作品とも私の中で何か引っかかるものがあるのです。
それの正体はまだハッキリとは掴めていないのですが、なにやらその洗練された完成度の高さ故の引っかかりの様な気もしています。
たえず問題の発信地(根源)である“アメリカ”そのアメリカが目指すグローバリズムとは映画の完成度にまで及んでいるのか?。でも、「あんた(アメリカ)が一番の問題なんだよ!。なのにこんな達観したような作品を作るなよ!。」って気分が私の何処かにあるのかも知れませんね。
だから、作品単体の問題でも引っかかりでも無いのですけどね。f^_^;;

<ぼのぼの>
確かにそのような引っかかりはあって当然だと思いますが、同時にアメリカ映画自身の自浄作用の芽も潰すべきではないと思います。

<シューテツ>
勿論誤解されていないとは思いますが、それは重々承知しての発言で、私の引っかかりというのはくどいですが、作家に対して向けられたものではありません。
これらの作品を作る事については、映画作家としては凄く真っ当であり、評価されるべき事だとも思っていますよ。

<ぼのぼの>
ただしサム・メンデスはイギリス人です。そして今年のオスカーで『ミュンヘン』は作品賞候補になっていますが、『ジャーヘッド』は見事なまでに無視されています。
アメリカ人のスピルバーグが、イスラエルとパレスチナの暗闘を描いた『ミュンヘン』はオスカー候補。
イギリス人のサム・メンデスが、湾岸戦争に行ったアメリカ人を描いた『ジャーヘッド』はオスカーから徹底無視。
そもそも湾岸戦争を批判的に描いた映画は、すでに15年もたつにもかかわらずこの『ジャーヘッド』と『スリー・キングス』の2本くらいしか存在しない。
こういう構造に着目すれば、いかに遅ればせであっても『ジャーヘッド』のような映画が作られたこと自体に、僕は感動を覚えます。

<シューテツ>
私が思ったのは、社会派映画として例えば昔のニューシネマなどのような作品と見終わった後の感覚が全く違ってきたということです。
当時夢中になって観た作品にはどんな絶望的な作品であっても、観終わった後に何故かスッキリしたような感覚があったように思えたのですが、それは何故かというと恐らく作品に作者の怒りなどの感情が表れ、観客もそれを大いに感じ取る事が出来ていたからだと思います。カタルシスとい言ってもいいのかな。
しかし、今回紹介した二作品に関しては、もう怒りとかカタルシスとかも飛び越えてしまって、絶望と諦観しか残らないような気がしたのです。
だから作品の質とか素晴らしさに反比例して、後味の悪さとか薄ら寒さとかが残る作品ではあるなと感じた次第です。
これは、映画を社会の鏡として観た場合、こうした社会派作品が出来上がる背景の社会としては最悪の時期であるということの証のような気がしてなりません。
それと、今の時期だからこそ、こういう新たな感覚の社会派映画が出現したとも言えると思います。

<ケイケイ>
今「ジャーヘッド」の感想読んで回っているのですが、皆さん視点が微妙に違ってすごく興味深いです。是非シューテツさんの感想も拝読したく思います。ではよろしく~。

<シューテツ>
えぇ~~、今回のぼのぼのさんとのやり取りで、私の大体の感想になっていると思うのですけど、あれではダメですかぁ~。f^_^;;

ぼのぼのさんの感想
http://bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2006/02/post_9960.html#more
ケイケイさんの感想
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20060217