咆哮

負け犬の遠吠えかも…
最近「負け犬」が流行り言葉になってしまったので「落ち武者の歯軋り」とした方がいいのかも…

『サイドウェイ』

2005年04月09日 04時55分13秒 | 映画
ストーリー説明及びネタバレなし。

この作品も何か感想を書かなけりゃと思っているうちにどんどん時間が経ってしまったなぁ~。f^_^;;
今更作品の感想という訳でもないけど少し前に掲示板で、「微妙に「私の映画」になり得なかった」と書いたのだが、その辺りも含めて少しだけ思った事を書きとめておこう。

これも掲示板には書いたけど、ちなみに私の言う「私の映画」を再度まとめておくと、
・これは私の為に作られた作品と感じさせてくれる映画。
・共感以上の実感を得られた映画。
・その作品に、尋常でない愛着を感じる映画。
と、こんな感じ。

私の見る前の予想では、ひょっとしたら「私の映画」になる予感もあったのだけれど、「よく出来た作品」という評価で止まったのは何故なのか?、というとやはり共感にまでは到らなかったということなのかな。
いや、共感もあったのだけれど、違和感も同等に感じていたという方が正解かな…。

日本では最近やたら「負け犬」だとか「負け組」だとかの言葉が流行り、なんでもかんでもそういう言葉で片付ける傾向があるのだけれど、この作品でもこの言葉を核として、宣伝もされているし、観客にもそういう映画であるという先入観があったと思う。

確かに世の中二極化傾向にありそういう言葉が流行る(というか頻繁に使用される)のは理解出来るし、私もしょっちゅう使っている訳だが、実のところ(勘違いしてはいけないのだが)数として「勝ち組」と「負け組み」が五分五分という訳では決してない。人それぞれの価値観の違いがあるのでこういうのに答はないし、数でも表せないのだけれど、実状としては「負け組み」意識の人間の方が圧倒的に多いと思われる。(というより「勝ち組」意識の人間なんて極少数派だろう)
では、その多くの「負け組み」意識の人間は同種の劣等感を背負って生きているのかというと、これも人それぞれで全く質の違うモノだろうと思う。私はその辺りにひっかかり、乗り切れずかなり客観的に観てしまったのかも知れない。

この作品の主人公と私との大きな差は、彼等の「挫折感」を私は持っていないということかも知れない。彼らは今生きている社会をある程度肯定し、その中で自分の夢を持ちそれに向かって努力して挫折している。私の場合元々この社会に対して疑問を感じながら、夢なども持たないまま惰性で生きてきたので彼らほど強い挫折感は生じないので、そもそもの出発点が違うように感じてしまった訳だ。そういう感覚が映画鑑賞中ずっと蟠っていたので上記の「私の映画」にはなり得なかったのだ。
だからといってこの作品が嫌いというのとは当然違うので誤解しないで欲しい。
ということで、共感した部分も忘れず書いておこう。f^_^;;

で、この作品のタイトルの『サイドウェイ』というのを多くの人はおそらく「人生の寄り道」という風に捉えていると思うのだけれど、私はキッパリとこの作品では「ワイン」のことを指していると捉えた。いや、別にワインでなくてもなんでもいいのだけれど、私で言うと「映画」ということになるのだろう。所謂、「趣味」ということでしょう。それで生計を立てている訳でもない、夢でも目標でも無く、それが無くても生きていけるのだけれど無くてはならないもの。でも、それこそがその人の人生を豊かにしてくれるものなんでしょう。「豊かさ」というものを何で計るかによるのだけれど、この主人公にとっても私にとっても、それは無くてはならない凄く重要な生きる要素になっている。
作家になる夢も重要なのかも知れないけど、本当にそれだけで人間生きて行けるのか?、無意味であるかも知れない趣味にこそ、本来の教養だとか人間の幅だとか魅力を与えてくれるものだということを、この主人公は気づいていない(という風に描かれている)よね。(笑)
でも、結局はそういうことだって言ってるのでしょ、この作品は…。

掲示板でも言ったけど、こういうネット世界に長く関わっている人ってそういう価値観の人が多そうなので、この作品はそういう人にとってはおそらく気に入ってもらえる作品だと思う。私は彼等の楽しそうなピクニックを見て、ネットのオフ会のように感じてしまったよ。(笑)