咆哮

負け犬の遠吠えかも…
最近「負け犬」が流行り言葉になってしまったので「落ち武者の歯軋り」とした方がいいのかも…

『カナリア』

2005年03月13日 21時44分23秒 | 映画
ストーリー説明及びネタバレなし。

う~~ん、映画ってあくまでも単独のものであって、こういう感想を書く時も出来るだけ他の作品と比較しないようにと気をつけるのだけれど、テーマなり設定なりジャンルなりの共通項があるとどうしても比較してしまう。

そしてこの作品の不幸といえば、やはり昨年類似作品として『誰も知らない』という傑作が先に公開されいたということだろう。
どちらも12歳くらいの少年少女が主役の話で、どちらも実話を参考にしたフィクションで、どちらも社会的問題を扱って、(大人)社会対子供の構図の作品である。
この作品の出来が悪いという事では決して無いのだが、インパクトという点で同じような作品が連続して公開された場合、二番目は印象が薄れてしまうのは仕方の無い事だ。

ではこの両作品、訴えていた事は違っていただろうか?。
私はそれもかなり近いような気がする。ラストの子供達が向かっている方向は、ほぼ同じだと思う。
社会や大人(親)との関係性はどうだろう?。
これもほぼ同じような関係に到った。大人も様々ではあるが関係性としては最終的に信用してはいないということだろう。というか、今の時代では大人は頼ってはいけない対象になっているということなのだろう。

「でも、生きて行く」という最後の主人公の言葉に対して私達大人はどう受けとめて良いのか、大人としての個人的な回答は何も出ていないから、私はこの作品に対して何も語ってはいけない(というか語る資格を持たない)のかも知れないのだが…。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
御覧になってたんですね。 (ヤマ)
2005-09-19 23:59:53
 僕も『誰も知らない』を想起したのですが、あれとは全く違うという違和感のほうが強かったラストでした。そこんとこと例のレズ・カップルの「なんじゃ?このシーンは!」って違和感が僕の反芻作業の出発点になったのですが、ラストシーンの受け止め方は異なれど、「大人(社会)も様々ではあるが関係性としては最終的に信用してはいないということだろう。というか、今の時代では大人(社会)は頼ってはいけない対象になっている」ということでの「同じ」には同感です。

 「最後の主人公の言葉に対して私達大人はどう受けとめて良いのか」との個人的回答を僕は「棄ててはいけない」と素朴に出してしまったのですが、個人の行動としては何もしていない以上、語る資格を持っていなかったのかもしれません。

 でも、思いの表出に「資格」なんてものが要るのかなとも思いつつ、シューテツさんのほうが誠実だなと思ったりしました。これについては、僕はそれは「資格の問題」というよりは言葉の「説得力の問題」ってことではないかと考えています。そういう意味では、拙文での主張には説得力が欠けているってことになるな~(とほ)。

 まぁ、でも、日誌ですから、思ったことを率直に綴ったまでと言えば、それまでのことでもあるんですけどね(笑)。
返信する
陳謝 (管理人)
2005-10-03 23:41:09
管理人自身が等ブログへ全くアクセスせずに、コメントがついている事にも気づきませんでした。

誠に申し訳ありません。m(_ _)m



で、本日ヤマさんの掲示板の方にレスをつけさせていただきました。

興味のある方はそちらの方にアクセスお願いいたします。



http://otd4.jbbs.livedoor.jp/414507/bbs_tree

返信する