本当は楽しい英文法(オックスフォード1人暮らし日記)

中世の建物と若い学生の街-オックスフォードでクラッシックギターと向きあう第二の人生
今度は英文法をご一緒に!

リンツ - セント・フロリアン教会

2013-06-30 11:06:10 | Weblog

プラハからまた オ-ストリアに戻ってリンツに向かいました。

鉄道の旅も慣れてくると、ファ-ストクラスは快適で、楽しいものです。 片言の英語で話しかけてくるひとなつこい人達との会話も良い思い出になります。 ただし、何かが起こるときついこともあります。 今回またしても途中下車してバス便になりました。こうなると、重いカバンを引きずってバスに乗り、すし詰め状態のバスで運行している汽車の駅まで運ばれ、また駅で列車に荷物を引きずり上げてと…。

リンツの駅に到着した時はヘトヘトでしたが、 さて、セント・フロリアン教会はどこでしょう?!  何も調べてこなかったのでタクシーで行けるかどうかも分かりません。

とりあえず駅のインフォメーションへ! 「タクシーはとんでもないです、2時間に1本のバスがもうすぐ出るからそれに乗りなさい。」 とのことで、不幸中の幸い、 都合よくあまり待つことなくバスに乗れて、リンツの街を離れて20分くらいでしたか?「ここです」と降ろされました。

あの向こうに見える塔らしきもの、あれでしょうか?  道行く人もなく、仕方なくガーデンパーティー中のお宅に入って尋ねると「そうだ」とのことですが、かなりの距離、しかも上り坂です。

美しく花を咲かせている家々を抜けて坂道を荷物を引いて登ること約30分、ようやく目指す教会、 ブルックナーがオルガンを弾いていたというセント・フロリアン教会に到着しました。

チャーチ、部屋への廊下、そして宿泊した部屋。

今も現役の修道院でもあるので、施設は清潔で簡素です。 日曜日の夕方で、教会の人に訊くと食堂は明日朝になれば開くとのこと。 今夜は食べずに寝るしかないかと覚悟しましたが… 坂を下ったところに一軒ピザ屋がありました。 本当に美味しかった。 神に感謝

ここは、作曲家アントン・ブルックナーが、自分が弾いていたというパイプオルガンの真下に眠っています。 翌日ガイドツアーで教会の中を回りました。 ガイドは中年のドイツ人女性で英語とドイツ語でのガイドでしたが、インテリでとても面白いツアーでした。

教会の床にあるブルックナーの墓標。 ブルックナーにまつわる品々や、彼の臨終のベッドや使っていたピアノや家具を見たあと、地下の彼のお棺を見学し、午後からは彼が弾いていたというパイプオルガンの演奏も楽しみました。

教会の豪華なフレスコ画やパイプオルガンの写真は例のごとくiPADではアップできません。  美しいお墓の写真などと共に帰国後まとめてお見せしようと思います。

今回の「音楽の旅」も次の地、モーツアルトの生誕の町ザルツブルクを残すのみとなりましたが、私にとっては多分このセント・フロリアン教会が最も心に残ることになりそうです。  主人はやはりウィーン・フィルだそうです。

ちなみに、セント・フロリアンは、 信仰を守るため溺死の刑で殉死した聖人だそうです。 火事から人々を守ると言われている聖人で、そのためか坂の下に消防署がありました! 教会や町があまりに美しい花々に溢れているので、フロリアンと関係があるのかと思いましたが、ガイドさんはそれはないと言っていました。

花に溢れた簡素で美しい町と、初めて聴いた本物のパイプオルガンの響きに触れることができ、苦労してやって来た甲斐がありました。


プラハ

2013-06-26 16:37:53 | Weblog

ようやく、写真がアップできたので、つぎに進みます。

ウィーン最終日は、午前中ゆったりと市立公園を散策し、「黄金のシュトラウス2世像」が有名だということで写真をとったり、 ウィーンフィルを指揮できるコーナーがある「音楽の家」でちょっと遊んでから、次の目的地プラハに向かいました。

駅の待合室でザッハ・ホテルに泊まっていたと言うアメリカ人夫妻と仲良くなって「暑かったね」などとお互いが行ったところなんかをおしゃべりしました。 列車には1等車両は大抵一つしかついてなくて、列車でも夫妻と一緒で、旅は道連れ…旅の醍醐味を味わいました。

世界一美しい街と言われ、世界遺産にも登録されているプラハ。

大聖堂と上からのモルダウ川。

確かに綺麗なのですが、この時期は観光客で混雑していて、老夫婦にはあまりしっとりとした旅は望めませんでした。 おまけに中央駅から乗ったタクシーが、旅慣れた主人も初めてという雲助グループで、しょっぱなから嫌な思いをしたこともあり、良い思い出にはなりそうもありません。 観光に生きようとするならその玄関のお掃除は大切ですね。

この国が愛するアールヌーボーの巨匠アルフォンス・ミュンシャの影響で街にはアールヌーボーが溢れています。 泊まったホテルもすてきでした。

アールヌーボーの階段。

マリオネットが有名なので、ドンジョバンニを観ました。 文楽のような伝統芸術を期待しましたが、ちょっと場末の芝居小屋の雰囲気。

そしてお決まりの音楽はやはり国立歌劇場でオペラ、モーツァルトの魔笛を。

こちらはワーグナーと違って庶民的、「能」に対する「歌舞伎」というところでしょうか。 緊張せず、楽しみました。

さて、明日からは、ほぼぶっつけ本番の旅。 次の演奏会で主人のアマオケが演奏するブルックナーゆかりの地、リンツのセント・フロリアンを訪ねます。

さて、どうなりますことやら。


第三日目シェーンブルン宮殿+ウィーン国立歌劇場

2013-06-24 22:43:06 | Weblog

今回の旅行で驚いたのはITの急速な普及ぶりです。 ホテルにはいると鍵と一緒にWi-Fiのパスワードをくれるのが普通です。 又列車内でもつながることが多いです。

国立歌劇場の通りをはさんだお向かいがザッハトルテで有名なホテル・ザッハその隣が我が宿です。 一等地に建つ古めかしいホテルで、 なんとテレビはブラウン管! ですが、部屋に入るとすぐ我がiPADはネットに繋がりました。

手前がオペラ劇場、その向こうがザッハ・ホテル、その向こうのドーム屋根がついたビルが我がホテル。

ただし、旅するうちに分かったのはホテルや地域によって繋がり方に格差があるということです。

実は、これはすでにウィーンを離れてからアップしています。ここでは 写真のアップに時間がかかりすぎて切れてしまいます。 そこで、写真は、次の街でまとめてアップすることにします。

お暇な時にまたここ戻ってきてください。(アップできました。)

さて本題ですが、 二日目は暑い中を、動きすぎてコンサートまでに体力を使い過ぎたことを反省し、観光は女帝マリア・テレジアが愛したというシェーンブルン宮殿にしぼり、今やマスターした地下鉄で出かけました。

有名な「会議は踊る」のウィーン会議も行われた。 また、フルシチョフとケネディの会談が行われた部屋もある宮殿。

ヴェルサイユ宮殿なんか目じゃないというほど広大な庭園と宮殿です。 ハプスブルク家の財力に驚くばかり。 それとこの日も猛暑で、 日陰を選んで歩いても汗ビッショリです。 ホテルにもどっても冷房がなく、 持ってきたドレスもほとんど着る機会がありません。

それでも、できるだけおめかしをして、主人が夢に見た国立歌劇場ヘ! 歩5分!

演目はワグナーのトリスタンとイゾルデです。 もちろん生で観るのは初めてです。4~5時間かかるのをビデオで観た主人は途中で寝てしまい、終わりまで観るのに3日かかったそうです。でも、主人のアマオケで少し演奏した部分があるので馴染みがないわけでもありません。 しかも取れた席はバルコンの前列。 昔、オーストリアに駐在していた知人が、住んでいてもなかなか巡り会わない演目で、しかもそんな席が取れたのは、はるばるやってきた主人に、音楽の女神が微笑んだと思う、とメールを下さいました。

(私はユリちゃんが守ってるとおもっていますが)

舞台とオーケストラボックス、向かい側のバルコン席が見えています。

私は、寝てしまうかと思いましたが、やはり生でしかもウィーンフィルの演奏で観れば、感動しない訳がありません。 お隣にお金持ちマダム風の方が座られて、今日は暑いので、ウィーンフィルの人たちが上着を脱ぎ、ワイシャツ姿で演奏しているのは、とても珍しいと幕開き前に写真をとっておられました! 月に6回くらい観にくるとか!!

私たちは多分一生に一度ですけれど。

ワイシャツ姿で演奏のウィーンフィル団員。

彼女が、私たちの真上のバルコンにプラシド・ドミンゴがいますよ。 彼は今度ロミオとジュリエットの指揮をするんですよ、と教えてくれました。 やっぱ、スケールが違いますね、ここは!

バルコン席は前にセリフの英訳が出る画面があります。 ワグナーのオペラは観念的で、英訳も長ったらしい… 。 ですから、だいたいのことがわかれば字幕から目を離し、音楽に集中することにしました。

舞台は前衛的で、衣装もシンプルで、 「能」を思わせる演出です。 DVDで観て馴染んでいるはずでも、はじめは少し戸惑いました。 しかし、真上からオーケストラと指揮者が見える位置で、音楽が良く伝わって、それに連れて歌声が心に入ってきた気がします。

人間の声がオーケストラと一緒になって美しいものが作られて、観客の中に広がってゆきました。 主人のコンサートのための解説文にあった最後の曲、「愛の死」の意味が解った!と観終わった時に思いました。

カーテンコールと終演後の歌劇場夜景。


第二日目 モーツアルトの家+コンツエルトハウス

2013-06-22 17:18:32 | Weblog

ネットで見ると、東京の気温よりウィーンの方が暑いようです! ホテルの人に聞くと、こんなに暑い日は年に10日ほどだそうですが、そのうちの6日をここで過ごすことになりそうです。でも、ホテルに引きこもるのはもったいない!

かくして本日は、かなり乗り馴れてきたメトロとトラム(路面電車)をつかって(72時間乗り放題のパスがあります。)まずはベルヴェデーレ宮殿へ。

  

とにかくここの宮殿はどでかい。 しかもここは皇帝のお城ではなく、いわば家来の軍人オルゲン公のだそうです。 上宮と下宮があってその間に広大な庭園があります。 

どちらも美術館になっていて、上宮にはウィーンの世紀末芸術の旗手、グスタフ・クリムトの作品があります。

かの有名な「接吻」を始めクリムトの代表作が展示されています。

彼の作品が年代順に展示されていて、かなり装飾的だと思っていた作風がそうなるまでの過程がよくわかりました。

昨日と同じく、又市内に戻り、モーツアルトの家へ。 彼が一番恵まれていて、フィガロの結婚を作曲した頃住んでいた家が残っていて、4階建ての家がそのまま彼の生涯をたどる博物館になっています。

映画「アマデウス」を思い出します。

外に出て路地を出ると彼の葬儀がひっそりとその礼拝堂で行われたというシュテファン大聖堂の横に出ます。 今は観光用の馬車の溜まり場になっています。

シュテファン大聖堂と大聖堂横。

音楽の二日目はコンツェルトハウス、曲はモーツアルトのピアノコンチェルト(K466)とベートーベンの5番。 演奏はザルツブルグ・カメラータ(小規模オーケストラ)です。

モーツアルトの家に行った日に彼の曲、彼の生まれた街の楽団による演奏とは何と贅沢な‼   映画アマデウスでテーマのように流れていたあの曲です。 ピアノの音がこんなに綺麗だと思ったのは初めてでした。

ベートーベンは迫力のあるところにくると、オーケストラ全員が楽器が壊れんばかりに弾きまくり、音楽を伝えようとする気持ちが伝わり感動しました。 日本で見る、楽譜を読んで弾くという演奏ではなく、彼らの音楽を聴衆にぶつけてくるというか…確かにかれらの音楽を受け取りました。

  

コンツェルトハウス外観と内部。


第一日目 ベートーベンの家➕楽友協会(Musikverein)

2013-06-21 00:08:06 | Weblog

 コンサート第一日目は楽友協会でのブルックナー他。  始まるのは夕方なので、 お昼は観光と決め、まずは郊外のハイリゲンシュタットにあるベートーベンが住んだ家々を見にゆきました。 ウィーンの街も見たいので、路面電車に乗って出かけました。

ただし、ウィーンというところは、ちょっと見ても、ブラームスの家、シューマンの家、シューベルトにハイドンの家etc.etc.と音楽室の額縁の皆さん目白押しの街で、 ベートーベンが住んだ家と言っても、特に目立 つこともなく地味! 人に尋ねてやっとそのひとつ「エロイカハウス」にたどり着きました。

誰もいなくて銘版が張ってあるだけです。 エロイカが作曲された家です。

次に行ったのは「遺書の家」で、難聴に苦しんだベートーベンが遺書を書いたとされる家ですが、いまの研究では、そうではないとか。 その家にあったのがベートーベンのデスマスクです。 受付のひとに聞くとこれがオリジナルだそうです! 音楽室の壁にかかっていたあれのオリジナルという訳です。

その後ベートーベンが散策したという小川の小径へと主人は行きましたが、 その日は、30度Cを超える暑さで、私は木陰で待つことにしました。 主人はベートーベンと同じ道を歩いて良い気分だったようです。

次は、私が興味のあるハプスブルク家最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベートの宮廷生活を紹介するシシィ博物館へ行くため市内に戻りました。博物館は王宮の中の一部です。 エリザベートは、シシィという愛称で呼ばれた方で、身長173cm、体重48kg、ウエスト50cmを維持するために努力されたことが有名で、彼女の美容体操器具や、体重計、また素敵なドレスなどが展示されています。 絶世の美女でもあったけれど、窮屈な宮廷を嫌い、旅に一生のほとんどを費やし、息子は自殺、本人も旅先で暗殺されました。

 シシィの肖像画。  

ハプスブルク家のおびただしい食器類や銀器も展示されています。 ヴェルサイユ宮殿でも思いましたが、こんな贅沢をしていればいつか革命が起こるのは当たり前ですよね。

さて、見学のあとは、汗を落とし、ドレスアップしてコンサートへ。

毎年テレビでやってるニューイヤーコンサートの会場です。 まさかその中に入る日がくるとは!

楽友協会の建物です。 中も豪華ですが、iPADではなぜかアップ出来ない写真です。(絢爛豪華で画素数が大きくなるため?)

曲は現代作曲家の初演曲とブルックナーで、演奏はウィーン交響楽団です。 はじめの曲は、現代音楽でむつかしい。 もしこれを主人のアマオケが演奏したら、歯が全部抜けそうになるだろうと思いました。 しかしこの曲も、次のブルックナーの激しい音も、この会場で、この演奏で聴くと、とても柔らかく、その音楽に体が包まれるようで、全く抵抗なく楽しめました。

こうして第一日目が終わりました。

日本にいる一年以上の時間が経ったような一日でした。


ウィーン到着

2013-06-17 10:15:00 | Weblog

いよいよここブダペスト東駅よりヨーロッパ列車の旅が始まります!

ドナウ氾濫のため途中でバスに乗って移動。 10台以上のバスで列車の乗客全員が移動するのは大変。でもイギリスより列車の時間は正確です。 バスを降りると正規の列車が駅に待っていて一安心。 日本の新幹線のような乗り心地です。 座席もゆったりで、ボーイさんが食べ物の注文も取りにきてくれます。(一等車両)

かくして無事ウイーンに到着し、 やはりここでも、オペラ座の近くにとったホテルにひとまず落ち着きました。

オペラ座では、今、劇場内で演っているオペラを外の人も観れる様に、大型スクリーンで映しています。 

汽車旅行に余り自信がなかったため、まえもってネットでの予約はしていませんでした。

翌朝一番にチケットオフィスに行き、無事、少なくとも、国立オペラ劇場でワグナーのオペラ、ニューイヤーコンサートでおなじみの楽友協会でブルックナーを、コンツエルトハウスで、モーツアルトとベートベン…と主人が夢に見たコンサートホールのチケットは入手しました。

三夜連続ですが、一生に何回もあることで無し!!

音楽だけでなくウィーンは観光名所てんこ盛りの街です。

ベートーベンが、モーツァルトが、 住んだ家、ベートーベンが歩いた小径、今までCDのジャケットや音楽室の額縁でしかなかった人々がここでは生きています。

また、ヨーロッパを席捲したハプスブルク家の様々な遺産がそこここにある街です。

これから色々お伝えしたいと思います。


ドナウ川危うし!ブダペスト

2013-06-15 10:16:06 | Weblog

ニュースでドナウ川が氾濫してかなり被害が 出ていると言うので、現地領事館に問い合わせ、ブダペストは大丈夫という事で予定通り旅を続けます。

「青き…」ドナウはなく、泥水の流れは激しく、水辺の道路は水没。 遊覧船のクルーズもはしけが水没していて休業状態です。

でも、街は大丈夫です。ホテルはオペラ座の真横、歩いて1ー2分です。

またしても素晴らしい内装です。今日もバレー「白雪姫」。

さすがポーランドのより豪華です。正装のご婦人に混じって子供達もいます。 ハプスブルク家の栄光の余韻が漂っているようです。

翌日はホテルの勧めで夜景の素晴らしいというレストランへ。

ドナウにかかるくさり橋と王宮の夜景。

お勧めで最後にいただいたトカジワイン。 小さな蜂の形のグラスに注がれた甘いワインです。 美味しい!

さてこれで今回の旅のメインの地、ウィーンへの予行演習は終了しました。

ハプスブルグ家本体の都、ウィーンはどんなところか?

いえ、それより先に、洪水で不通箇所が出ているという列車の旅初体験の老夫婦の旅は??? いかになりますやら!

大丈夫、19の春に、グレイハウンドバスでアメリカ大陸横断、NY-サンフランシスコをやった経験があるんだから。

ちと古いですけど。



旧市街(世界文化遺産)

2013-06-14 13:09:20 | Weblog

ワルシャワ旧市街は、その美しさの故より、ナチスによって完全に破壊された街を市民が協力してもとの姿にしたということが、世界文化遺産に選ばれた理由だそうです。

旧市街前のテントはレストラン。そこでトメックの奥様、カーシャさんとお昼を食べ別れました。 彼女はワルシャワ大学の助教授クラスだそうです。 彼女の大学の仕事が終わったらまた会うことにしてまずヨーロッパで最も美しいと言われる宮殿、王宮へ。

内部には街の復元に役立ったという昔の風景画を飾った部屋で画家の名をとった「カナレットの間」や、 ドイツにすべて持ち去られたが、のちに刺繍の鷲が一つだけオークションで見つかり、復元できたという王座や見事な大理石の間などが見どころでした。

 

カナレットの間と大理石の間。王座の写真はなぜかアップできません。 眩しいくらいだからかしら??  カーシャさんが教鞭を執るワルシャワ大学の前の聖十字架教会で彼女と落ち合い、遺言により、お姉さんが故国に持ち帰ったショパンの心臓が埋められている柱を見ました。 

この下にショパンの心臓があると刻まれている柱とショパン一家が住んだ部屋。

聖十字架教会近くのショパンが住んだ部屋は今は美術大学になっています。 そこから見たワルシャワ大学正門です。東大の赤門と言ったところですね、と言ったら、笑っていましたが、 たしかにそんなところです。 カーシャさんは東大にも留学していたのですから。

いよいよ、ポーランドを後にします。 第二次世界大戦で、大きな痛手を受け、その後の共産主義時代を生きてきたポーランドの人々と歴史から、たくさんのことを学びました。 コンビニにゆけば何でもある日本が果たして幸せなのか…? 豊かさとは決してそういうことではないと確信しました。

さて、次の目的地、ハンガリーのブタペストは洪水だとか???

どうなりますことやら


ショパンゆかりの地を訪ねて。

2013-06-09 22:44:43 | Weblog

 ショパンのゆかりの地を訪れる合間に、もう一つ日本でネットで調べてトメックさんに切符をとってもらっていたバレーを国立歌劇場に観に行きました。

演目はシンデレラ、作曲はプロコフィエフ、劇場内は綺麗な晴れ着を着せてもらった子供たちもたくさんいます。 日本でも子供にも楽しい歌舞伎などがあって、子供達も正装して行けるような習慣があればいいのにと思いますね。

バレーはもちろん素晴らしく、イギリスのロイヤルバレーともまた違う、色彩感です。もう一つの目的はこの素晴らしい劇場の内部を見ることでしたので、伝統の重みがあるインテリアにも感激しました。

  

時間は前後しますが、昼間、 ショパンの生家を訪ねました。 緑の広大な公園の中にそれは建っています。  

  

ショパンの生家と生まれた部屋。

 次の日、サプライズがあるとトメックが連れてくれたワジェンキ公園、見覚えのあるショパンの像の下で、この季節、毎週日曜日にショパンの曲の野外ピアノコンサートがあるそうです。

あいにくの 雨でしたが、ピアニストは一流どころで、雨の音に混じって聞こえて来るショパンの名曲は心に沁みいる様でした。

ショパンの像が見下ろす舞台で彼の曲を演奏する…。 ピアニストなら夢に見る舞台ではないかしら。 それが無料コンサートなのですから、さすがショパンの故国ですね。


ポーランド訪問その1

2013-06-09 08:13:49 | Weblog

遠くにクライストチャーチの塔が見えるコーンマーケット通りです。

かつて住んでいた街オックスフォードは、いつもと変わりません。 外国にいる感覚はほとんどありません。 でも、大好きだった本屋が倒産していたり少し時の流れはありますが...。



昔の下宿もそのままです。 あの窓から街を見てブログを始めたのです。2006年の初めでした。

さて、懸案の銀行にまず行きました。 お金がなくては何も始まりません。 でも、メールのやり取りだけでは確認できないことが多くあります。 報告書がこなくなって久しい口座にきちんと預金があるか?  債券はどうなっているか?  期限切れの小切手は換金できるか? 

バークレイ銀行に入ってまず受付で用件を話し、 待つことしばし、二階の担当デスクに案内されました。
すると、何とそこにいた担当者は以前私を担当したヘレンさんではありませんか! お互いに気がついてハグ!もうこれですべて解決したも同然です。 本人確認が不要なんですから! 心配した預金その他をすべて復活。 これで今回の旅の資金繰りは解決 安心して次の地ポーランドに向かえます。

空港ホテルに移動するため友人の車でヒルトンターミナル5に向かいました。 名前に偽りありでターミナルからかなり遠い ホテルでした。 翌朝、一番遠いターミナル1からポーランド航空に。 ポーランド航空は、そのまた端の端。 うんざりするほど歩かされるけれど、 ともかく搭乗し、無事にポーランド到着。

空港には友人のワルシャワ工科大学教授のトーメックが来てくれていました。 以前このブログにも登場した東京の家のお隣さんだった家族です。 たった一年のおつきあいでしたが。
家に着くと、家族で待っていてくれて大歓迎です。
おばあちゃんまで来てくれて、 まずはケーキから!!!

  

窓辺のお花とトメックの家。
大歓迎のあと明日からの観光の相談です。

何と言っても、ショパンの国ですから、そして今回の旅のテーマは「音楽」ですから、 まずは明日はショパンゆかりの地を訪ねることにしました。