本当は楽しい英文法(オックスフォード1人暮らし日記)

中世の建物と若い学生の街-オックスフォードでクラッシックギターと向きあう第二の人生
今度は英文法をご一緒に!

褒めて育てる!

2006-09-30 11:29:06 | Weblog
アメリカで中学までいた次男が帰国して日本の学校に行ってしばらくして言いました。 「日本の先生って文句ばっかり言う」と。  確かにいわゆる「カンファレンスー三者面談」に行くと、アメリカの先生は、親の私が照れるほどわが子を褒めまくるのが常でした。 長男の高校の面談では、 私がこっそり代わりに描いてやった宿題の怪獣のイラストがうまいと、ものすごく褒めて、 次は学校の機関紙にも描いてもらうとまで言われて、 母子とも心中冷や汗だったこともありましたっけ。 アメリカに比べると「めったに褒めない」日本の先生は子供には不思議に映ったのでしょう。

又次男は「なんで日本の親は自分の子を人前でけなすの?」といつも私が「うちの馬鹿息子が…」などと話していると後で抗議しておりました。 それは日本の「謙譲の美徳」と言うものだといっても納得できないようでした。 ほら、普通に愚息、愚妻って言うじゃありませんか! (あれっ、 でも愚親、愚夫は言わないわね

ちょうどロスアンゼルスに居た時に大きな地震がありました。 テレビの報道は「いかに市民同士が助け合っているか、 いかに勇敢に献身的に救助隊員が活躍しているか」を繰り返し報道していました。 私がアメリカ人だったらその国民であることをさぞ誇りに思うだろうと思うほどでした。 そうまで褒められれば、素敵な市民であるしかないなと。 ジャーナリズムが人々をどっちに導こうとしているか、 しっかりとした意図が見えました。

しかし、あの9.11の直後、 ABCのキャスターの故ピーター・ジェニングス氏が、「なぜアメリカはこんなに嫌われるのか?」と発言して非難にさらされたというように、 裏返せば子供の頃から褒められてばかりのアメリカ人は「叱られること」には弱いのかもしれませんが。  でも彼に代表されるようにジャーナリズムには芯があるようですね。
 

新しい首相の組閣、所信表明がありました。 日本のジャーナリズムは概ね「論功賞内閣、 友達内閣」と非難気味ですね。  まだ何も始まっていないのですから「非難」からはじめなくても良い様な気がするんですが...。 どこに持ってゆきたいのかしら? 方向性のない非難、批判だけって言うのが時に日本のジャーナリズムにありませんか?

ケネディ大統領、 ブレアー首相はともに40代前半で就任、 私が応援する英国保守党の若き党首カメロン氏は当年39歳、 日本もようやく若きトップが生まれたのですから「褒めること」はあるのじゃないかしら? 褒めて育てるって大切。 

でも、私も一言。 「美しい日本」って私のほうが「具体的」ではありませんか?
首相のはちょっとわかりにくいですよね。

私のはこれ。

コッツウオルズ


これも。


パリ


見た目も大切、ですよね?

サミエル・ウルマンー青春

2006-09-26 23:18:48 | Weblog


『知らない町へ』でお見せしたギターのピーター先生の故郷の町シュルーズベリーのチューダー朝の家をなんとなく想わせるのは、 草津温泉の「湯畑」の前の建物です。 明治時代の写真とあまり変わらない風景です。



こちらはパリ、サンシェルピス寺院の聖母子像を想わせる草津温泉の「西(さい)の河原」の地蔵像です。 冥土の三途の川の「賽の河原」ではなくて、草津の西にあるのでこういうそうなのですが、 あちこちに誰かが小石を積み上げていて、じっと手を浸けておれないほど熱い川が流れる、やはりちょっと地獄っぽいところです。

北軽井沢のサマーハウスからはでほんの30分ほどで行ける名湯、草津温泉に一泊して、主人憧れの露天風呂に浸って日本の秋のはじまりを味わってきました。 紅葉まであと一歩ってところです。 

泊まったホテルのロビーで読んだ新聞にサムエル・ウルマンという人の『青春』という詩のことが出ていました。 私は知りませんでしたがこの詩はずいぶん有名なのですってね。 ご存知でしたか?

<<青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、
心のもち方を言うのだ。
...気持ちを奮い立たせ挑戦する冒険心を青春と言う>>

<<年を重ねるだけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚の皺を増すが、情熱を失う時に精神は萎む。...>>


この年になって基礎の指練習からやり直すギターは「賽の河原」にも似てそれが代名詞にもなっていると言う「無駄骨」かも、と落ち込むこともあります。 夢が実現したときにあわてても遅いとこつこつと練習してはいるものの、 果たしてピーター先生の授業まで再度たどり着けるかどうか...

そんなこのごろの心境にこの詩はかなりの励ましになりました。

来月半ばからいよいよ週一と言うペースながら英語教室に復帰することになりました。 もし私の生徒さんの中で、そこそこ英語は出来るのに、技術的(発音)にかなり問題がある、 年はかなりいっていると言う人がいて、 This is a pen. を ジス イズ ア ペン と発音したとします。 もしその方が「なんとしても相手に伝わるような英語が話したい」と望まれて、 その意欲があると思ったら、 私にはその方の発音を基礎から直す訓練をし、 しばらくの期間の後にはかなりのきれいな発音にする自信があります。

そう考えれば、 ピーター先生も同じことを思われたのかもと考えるのです。 現に去年、 彼の授業後の6ヶ月間、日本で一人で練習したときには、 もとセミプロ?の息子から「ママ、まともに弾けてるね」とはじめて褒められたのですから。

皮膚の皺は間違いなく増していますが、 精神は萎ませないよう ...つもりです。


文化の違い

2006-09-23 22:37:28 | Weblog

コスモスとサルビアの咲く路を通って一週間ほど又方丈記サイズの我がサマーハウスにやって来ました。 今度のお仕事は注文してあった窓のカーテンを掛けたり、小さな家具を買ったり、壁に絵画をつるしたりと言った第2段階的なものです。

もう秋ですね。 家のそばの木は「秋の前触れ」と言った風に一筆だけひいたように赤に色づいていました。



新婚まもなくから海外での駐在生活が始まって、ほぼ30年に及んだために、 日本の文化では当たり前のことが、 時に不思議に思えたり困惑したりすることがあります。 この別荘に来て一つそんなことがあってそこからいろいろなことが思い起こされました。

テレビの通販広告を見ていると、布団やシーツや枕カバーが、ピンクとブルーなどの色違いでセットと言うのが普通のようで、ずっと不思議で仕方ありませんでした。 何で同じ色で揃えないのだろうか?と。 

ところがこの別荘で布団を敷いてみて判ったのでした。 

布団を購入したとき、 すべての布団、枕の色柄をここの景色にマッチしたグリーン系に統一し、 又、後で買ったシーツも枕カバーもこれまた全部同じ色柄にしてしまったため、たたむと主人の布団と私の布団、 シーツ、枕カバーが、どちらがどちらのか判らなくなるのです。 な~るほど。 ベッドじゃないから、 たたんでしまうと判らなくなるので色を違えてあったのね。

欧米、 特にアメリカでは『ハウスツアー』と称して初めて家に来た客には家中を案内します。 リビングももちろんですが、 ベッドルームはそのハイライトの一つです。 カーテンからベッドカバーまで美しくコーディネイトされ、 子供部屋は可愛く、 思春期の男の子の部屋も又それなりに。 ベッドの上は「夜寝るときにはこれ全部降ろすんですか?」とききたくなるほどのクッションやぬいぐるみで山のようです。 

でも日本の布団はカバーを掛けてしまうと柄は見えないし、 たたんでしまうし、 敷きっ放しの部屋をお客に見せることはない訳で、 「コーディネイト」とは無縁ですわね。 それぞれのものを区別すると言う実用の方が大切なわけですわね。

そういえばお茶碗やお箸も日本はそれぞれ自分のがあって柄や形が違いますね。 

あちらでは全部おそろいのお皿にカトラリーですから、 食洗機でガーと洗ったら誰のもみな同じです。 我が家の息子達が油断すると人のお茶碗を使うのはこんな習慣がなかなか抜けないためでしょうか?

例のフランスのシャートー持ちの友人が日本で素敵な食器を買いそろえて持ち帰ったと私に見せてくれました。 上等のため息が出るような素敵な和食器  でも…彼のフランス人の奥さんが私にぼやくのです。 和食器は形が同じなのに色柄が一つづつ違うので使えないのが多いって。 そういえばここにある安物の五つ揃えの食器でもこうですものね。 これが日本食器の面白さでもあるのですが。


しかも日本の食器は5つ揃えがほとんどです。 あちらで人をお招きするときは大抵夫婦(あるいはカップル)単位ですからどうしても偶数になります。 3組のお客をおよびすれば自分達のものとで8個のそろった食器が要るわけです。 ちょっとエキゾチックにと和食器を食卓にのせたくても、同じ食器でコーディネイトするあちらのテーブルセッティングにあわせようとすると数がそろわない。 上等の瀬戸物ほど難しいけれど、私も海外向けには、同じものを2組買える物を選んで持って行っておりました。

さて、総裁選が終わりましたが、 あちらだと選挙後の報道写真はまずは奥様とのツーショットからだな、なんて思っています。 こちらは…

文化の違って…いろいろ…ですね。


ハリー・ポッター

2006-09-16 09:46:21 | Weblog


主人が英国に駐在と決まって、 ホテル住まいから住居探しに付き合いました。 今思えば英国のもっともいやな季節11月、主人が仕事に行った後、 ホテルの周りを散歩すると、風は冷たく、 空は鉛色、 霧のような雨にいつの間にか濡れそぼって、身も心も冷える思いになりました。 おまけに、「今度の国は言葉だけは大丈夫」と思っていたのに、 こっちの言うことは伝わらず、あっちの言うことは判らずで、 なんともわびしい暗い気分に落ち込んでいました。 

でも駐在となればしょんぼりとばかりもしておれず、「英語」に慣れるためには、現代英国作家の本を読むのがいいかなと、難しくないものをと思って話題になっていたこの本を読むことにしたのです。 わざわざ「米語版」も出されているくらいだから、英国独特の言葉、 いいまわしが沢山使われているはずです。
 
イギリスの本屋さんには「オーディオ・ブック」というコーナーがあって、 ベストセラーから古典まで、結構たくさんの本がテープやCDになって売られているのですが、英国発音に慣れるために、ハリー・ポッターのそれを買い、寝る前に聞くことにしました。 朗読は俳優さんで、もともとは目の不自由な方などのためのものだと思いますが、 大変ドラマティックな朗読で勉強というよりは楽しみで毎晩続きました。 これは聞き取り能力の向上にはとっても有効でした。 すっかり気に入って、以後は本を買えばついでにその本のオーディオブックもあれば買うようになりました。


ダヴィンチコードと古典ハムレットのCD・エリザベス1世の伝記とハリーポッターのテープのオーディオブック


魔法の国のお話に、はじめは馴染めなかったのですが、 しばらく読み進むうちにすっかりその世界に入り込み、 3巻目、 ハリーが、亡くなった両親に代わるゴッドファーザーのシリアス・ブラックにはじめて身内の感情を見る場面では思わず泣いてしまうほどに。

以前に「英国らしいお話」のところで書いた学校に通っていたときに「俗語と英国文化」といったコースを取ったのですが、 その知識を得てからはとくに登場人物の中の双子の兄弟の会話にふんだんに使われているのを発見して楽しくなりました。 いわゆる駄洒落、ジョークですが、 翻訳者はずいぶん苦労されたことでしょう。

日本語だって「土左衛門」とか「オットガッテン承知のすけ」なんて普通に学校で習うだけではなかなかわからない言葉はいくらでもありますでしょう? その類です。

さて、子供達もきっとハリーとシリアスの幸せな結末を期待して読んでいたことと思いますが、 第5巻の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』 (Harry Potter and the Order of the Phoenix) でそのシリアスが死んでしまいます。 その後、 続編の売れ行きにかげりが、とのうわさも聞きましたが、子供達もがっかりしてしまったのかもしれません。 発売日には夜中から書店に人が並ぶといった人気はなくなったそうですが、 私は最後の巻まで読むのを楽しみにしています。

この本には日本の「ドラえもん」に出てくるような、 「どこでもドア」、「タイムマシン」といった感じのものが出てきます。 また、魔法の形はしていますが、 開けると相手の顔が見えてお話できる鏡は『携帯電話』、 相手の言葉が浮き出てきて、その返事を書き込める本は『Eメール』という具合に現代の子供達が簡単に入り込めるような内容になっています。

シリアスがハリーを助けようとして死んでしまったとき、絶望したハリーがこれらの魔法を使って必死に彼と連絡を取ろうとするのです。 我ら読者も魔法なんだから、 何とか、あの素敵なシリアスがもう一度ハリーのもとに甦らないかと期待して読み進むのですが…(少なくとも第5巻では)ついに最終章まであの懐かしいシリアスは戻って来ませんでした。

言い古されたことではありますが、現代の子供達が親しんでいるバーチャルなゲームでは何回も甦る命。 リセットボタンを押すだけで消えた人物は又生きて動き始める。 作者のJKローリングさんにきいてみないと判りませんが、 私はこの5巻で彼女もまた、命は一度なくなったらどんなことをしても『リセット』は出来ないのだよ、と子供達に教えようとしていると思われてなりません。

現実の世界では殺してからそれに気づいてはもう遅いから。 世界中の子供の心をひきつけ膨大な数の読者を持つこの本の作者だから、 やはりそれを教えたかったのではないかなって思うんです。

あまりにも簡単に人の命を奪ってしまう子供達のニュースに触れるたびに。



船便到着

2006-09-13 20:46:09 | Weblog


私に遅れることほぼ2ヶ月、 オックスフォードから送った、たった一箱の船便が今日届きました。

封を切ると、 中からあの一人暮らしの日々の空気が漂い出てきました。


お気に入りだった白のストレーナーの隣にあるのは、どうしても欲しくて、 かわいい折りたたみ傘と交換ということで、フランチェスカからむしりとったポテトマッシャー。 




さすがお料理上手の彼女の道具らしく底にも横側にも穴があいている効率のいいものです。 一緒にお料理をした夜が思い出されます。 普通は底だけにしか穴がないので、 こんなのは初めて、 横の穴からもマッシュポテトの熱いのがムニューと出てきてびっくりして大騒ぎし、笑い転げた、 楽しかった、 みんなでわいわい食べた、コッツウオルズのフランチェスカのキッチンのオレンジ色のともしびの下。

風邪で熱っぽく、 一人で心細かったとき、話しかけたベッドのガード君たち。



毎朝ベッドメークをしてクッションを置いて、君たちを飾ると一日が始まりました。 夜はまず君たちをチェストの上に移して、 今日も一日、時間を大切に過ごせたかなと振り返ったベッドの上。

散歩がてらに街まで出て必ず立ち寄った素敵な本屋さん、 そこで「3 for 2」 に釣られて選んだ絵本の数々。




洋服や靴を包むために使ったのは、毎日行ったお向かえのスーパーM&Sのビニール袋や、 Maison Blanc,  あのしゃれたパン屋さんの袋、イチジクのバゲットを買ったときの袋かしら、 おいしかったな。

ダンボール箱たった1個ですものあっという間に片付いた。


今日はスーパーで栗を見つけたので、 皮むきをして栗ご飯を作りました。 なかなかおいしい。 日本の味覚です。 

日本では日本の生活がある。 毎日するべきことをきちんとして、 こつこつと練習をしてゆこう。 それにしてもちょっと家にこもりすぎかな? 出かける用事もないし。 

以前の会社に連絡しました。 元のスタッフがみんないて私のことを覚えていてくれました。 ぼちぼち「英語の先生」再開です。 オックスフォードに戻る資金稼ぎもあるけれど、 少しは外の社会とも繋がっておきたい気持ちもあるんです。




アイ・アム大向こうさん

2006-09-08 10:19:53 | Weblog
9月6日付の日本経済新聞の「文化」の欄にこのタイトルでロナルド・カヴァイエ氏が寄稿しておられた文を読んで驚きました。

このブログにもいつか書いた歌舞伎の英国公演で聞えたあの「成田屋!」「十一代目!」の掛け声の主は実はこのカヴァイエ氏、英国人だったとは

国外とはいえ、本物の歌舞伎公演ですから、 衣装や鳴り物、 もちろん役者さんには何の文句もありません。 また、舞台もわざわざ日本から板を運んでこられると聞きましたから、 遜色は無いのです。 とはいえ、 劇場そのものの雰囲気はどうしてもちょっと違和感があります。 幕開き前の緞帳の豪華さを愛でながらのうきうきした時間は望むべくもなかったのですが。 

暗闇の幕開けからパッと光りが入って、 藤娘の舞台が見えたとき「成田屋!」の見事な掛け声で一瞬で私は東京の歌舞伎座にスリップしておりました。 さすが歌舞伎公演、 「大向こうさん」も連れてきてるんだと思っていたのです。

子供の頃、歌舞伎に行くと必ずここぞというところでこの掛け声がかかり、 母がよく「これは玄人さんよ、素人では難しいのよ。」 と教えてくれました。 「ゥ待ってました!」と入るアウフタクトの「ゥ」がなんともいえない間なんです。 時にはこの玄人さんにつられて、 一般人も掛け声をかけるのですがなんとなく間がはずれていて場内の笑いを誘ったりしていたものです。

しかし文を読んでみると、 この方、ただの「ガイジン」ではなく、日英を往復して歌舞伎に関するお仕事をしておられる「通」の方だったのです。 やっぱね。



去年の秋に日本に来てはじめて私達夫婦と奈良・京都を訪問、 又私と歌舞伎を観たケイトはすっかり日本文化のとりこです。 京都は主人のホームタウンですし、 歌舞伎は私が演目も選び、 「3階立ち見で1幕だけ」などという「ガイジンコース」ではなく、 きちんと良い席で全幕観てもらったのですから、 当然の成り行き?でしょうが。


このあいだのNHKの「英語でしゃべらナイト」という番組で、 京都に住む日本文化の達人の「ガイジン」たちの特集がありました。 

加茂川からの川風と坪庭を利用した町家を復元し、クーラー要らずの「日本の知恵」を実現した家にお住いの方、 茶の湯に親しみ、お手前も見事な方、そして芸者遊びの真髄を見せてくださる方。 その方が「まだまだ私など青いですから」といわれたそのこなれた日本語に驚嘆しました。 出来ればケイトにビデオに撮って送ってあげたかったほどです。

日本のよさを外国の人から教えられる、ちょっと皮肉ですけれど。 私が英国のよさを言うのも案外英国人より深く見ているかも??? 他国の文化を見ることで自分を鏡で見ているように自国が見えてくるというのは本当のようです。

今年もケイトが10月にやってきます。 一緒に歌舞伎が観たいとのことで、私はまた楽しい演目選びに入ろうとしています。