本当は楽しい英文法(オックスフォード1人暮らし日記)

中世の建物と若い学生の街-オックスフォードでクラッシックギターと向きあう第二の人生
今度は英文法をご一緒に!

鎌原村観音堂に思う―家族とは?

2008-11-13 23:06:59 | Weblog
ケイトから手紙がきて、来年7月に結婚式を挙げるということで今から日を押さえておいてということです。 イギリスでは結婚式などにはよくこんな前触れのお知らせをするのです。 特に長い夏の休暇のころは早くに言っておかないとバカンスを決めてしまわれるからでしょう。

そんなわけで私の最後の「オックスフォード一人暮らし」は6月になる予定となりました。 

昨年だか、私が居るころニュースで言っていたのですが、 イギリスでは一緒に暮らしていても籍を入れていない夫婦の割合が50%を超えたそうです。 私の周りでもケイトをはじめ籍を入れていないカップルは多く、 彼らはお互いをボーイフレンド、 ガールフレンドと呼ぶので初めのころはややこしくて戸惑いました。 しばらくするとそれは日本で言う内縁の関係ということが判ってきましたが。 でもケイトのようにいずれは正式な式を挙げる人も多いのでしょう。

あちらでは近年、籍というような枠にとらわれない家族という考え方が広まっているようです。 日本ではまだまだ受け入れられないかもですが、でも最近お父さんがワンちゃんでお兄さんは黒人でという変な家族構成の携帯電話のコマーシャルがけっこう面白いですよね。 

家族ということで、 最近考えさせられることがありましたs。

北軽井沢のサマーハウスからいつも買い出しに山を下って行く道にかわいいパン屋さんを見つけました。 車で走ると見過ごしてしまう小さなお店で、 いつも目印が傍の「観音堂」の看板でした。 立松和平著 絵物語浅間を読むまではここが浅間山が噴火した天明三年、 村人が火砕流に追われ必死に逃げ登った「観音堂」の丘だったとは知りませんでした。


観音堂
観音堂


パンを買ったついでにいつも採れたての野菜を買っているスタンドの横にあるのがその記録を展示したり、 映画を放映している資料館でした。 絵本のお話が実話であったことをこの資料館で知りました。 

観音堂


村人の生死を分けた観音堂への石段は、 今は15段しか地表に出ていません。 これより上に逃げた人は助かり、 そうでない人はうずまりました。 土石流の層の深さは6mもあるそうです。 老女と彼女を背負った若い女性、 階段に折り重なったこの二つの骸骨が発掘された時の写真も展示してありました。 あと数段で15段目というところでした。 これはお話では主人公の友達とその姑ということになっていますが、 老いた母をおぶって逃げてきた娘だったかも知れません。

さらに私を驚かせた実話はこの後です。 生き残った90人余りの村人は全員が家族をそれぞれ失っていました。 突然の火砕流に一緒に逃げる暇もなかったのです。 夢中で観音堂に逃れた人々はやがて家族が死んだことを知り、絶望します。 村が崩壊する寸前、 近くの村のリーダーたちがこのように説得したそうです。

このような災害で生き残ったのは前世から因縁で繋がっていたからだ。

このように説得し、 生き残った人々の中から若い男女を選んで新たに結婚させ、 そこへ生き残った老人の男女を舅姑として組み直して配分し、 生き残った子供たちを彼らの子供として配分したのです。 つまり、 他人同士を結びつけて疑似家族を作り、 それで村の存続をはかったというのです。

そんな家族が可能なのでしょうか? でもこれは事実。 この観音堂が見下ろす、 鎌原(かんばら)村に天明3年に実際に起こったことなのです。

枠を無視しても一緒に住んだ時間や愛情を重しとして「家族」とする考え方もあれば、 枠を先に無理やりに作ってでも「家族」を構成し、生き延びてゆく手段とするという考え方もあったのです。

毎年8月の噴火の慰霊祭には今も村の住民が集い、 命をつないでくれた先祖に対する供養をされているそうです。 ご詠歌をうたう村人の頬に今も涙が伝うのを資料館の映像でみました。 愛だなんだって、 甘っちょろい、 子孫へ命をつなぐこと、 その究極の家族の姿を思って改めて見るといつもの浅間山がちょっと神の山のように見えるのでした。