宴乃桜/徒然お箏日記

お箏弾き「宴乃桜」の日記です。

師匠に嫌われる弟子

2012-05-29 23:56:45 | Weblog
この事は、師匠に嫌われるというより、私に嫌われる、という方が当たっています。

今習っている曲がまだ未完成なのに、
「次は何の曲をするんですか?」
と聞いた不心得者がいました。

本人は色々弾きたいのでしょう。

しかし。

私は本当にこういう不真面目な移り気な、よそ見するのが大嫌いです。これがものを習う者の態度でしょうか。習う者は、今与えられている曲をただひたすら一生懸命毎日練習して、その曲を上げる事だけを見つめるものです。それが習う者の態度です。

この場合軽いセリフではありませんでした。聞こうと用意して来た質問だった。

その点うちの男弟子の眉さんはまさにそれが出来ています。一徹に稽古して、与えられた曲に対して真剣です。息抜きに別の曲をしているかもしれませんが、それはあくまで息抜き。すべき事はちゃんとやる。手抜きしない。ありがちな、「これでいい、と自分で判断する」事もしません。本当に天晴れな心がけ、立派です。

この人は遠い所から何時間もかけて習いに来るのだから、出来るだけ、ありったけ、と本当に細かくうるさくいっぱいいっぱい注意します。重箱の隅を箸じゃなく針でつついたように言います。

でも彼は次回の稽古では必ずやり遂げて来ます。私の注意する事を全部書き留めて帰って練習して来るから、私の方が自分が注意した事を、彼の演奏を見て思い出したりするほどです。
こういう人格だからこそ今日の眉さんがあるんです。

それに引き換えあれがしたいこれがしたい、あれも弾きたいこれも弾きたいと弾き散らかして目移りして落ち着きのない、あれは芸の道を何だと思ってるのか。馬鹿者め。少しは眉を見習え。

そして私がその不心得を諭しているのに耳を貸さず、曲名まで言い出し、自分が言いたい事を言い切ろうとするから、とうとう雷が落ちました。私も久しぶりに
「馬鹿者が!」
と叫びました。
「何を言うか!馬鹿も休み休み言いなさいよ!自分を知りなさい!」
と口を極めました。あきれ果てる。寝言は寝て言うもんです。あれはなぜこうまで私を怒らせるんでしょうか。

これは全て日頃です。

常日頃礼儀をわきまえず、口ばかり先に開く。
稽古中
「もう一度初めから。」
と言えば、
「え?もう一度初めから?」
と聞き返す。
「では一人でやってみて。」
と言うと
「え?一人でするんですか?」
とこうです。

私は礼儀をわきまえないのが一番嫌いだから、そろそろ我慢の限界です。

日頃が大事。日頃礼節わきまえてきちんと真摯な態度で臨んでるなら少々の失言も許されるでしょう。私はよくよくでないと人の失敗を突っ込んだりしないつもりです。が、心得違いを師匠に諭されてるのに聞こうともせず、まだしゃべり通そうとするような厚顔にはもう辟易です。

そのうち社中は一人減るかもしれません。

師匠に好かれる弟子、嫌われる弟子

2012-05-29 03:20:49 | Weblog
私も含め、多分どの先生も同じだろうと思う事です。

師匠に好かれる弟子とは、

■「はい」と返事をする弟子。

■自己練習をよくする弟子。

■楽器や爪を大事にする弟子。

端的に言えばこの3つ位じゃないかと思います。
それに加えて何かがあるかは先生によると思いますが。

「はい」と返事をするというのは、本当に大事な事です。当たり前の事ですが、今はそれが出来ない人が多いです。「うん」だの「え?」だのと返事をする。私が見ててもお母さんに「はい」と返事をする子はめったにいない。びっくりです。
私が子供の頃は「はい」と言うのが当たり前で、「うん」だの言ったら母にほっぺだをねじり上げられて頭を嫌というほど叩かれました。頭は熱くなるほど痛かったし、ほっぺたはちぎれるかと思うほど痛かった。ものの善悪は体で教えられました。
今でも私も弟も、母には「はい」と言います。

自己練習をするのも当たり前。自分の為に習いに来ているのだから練習して来るのは当然の事、練習せずに先生の前に出て来るのは筋違い、横着です。行けば何とかなると思うのでしょうか…?私にどう思われるかとか考えないのかしら。

またお家の人が、うちの子は練習しない、と私に言うのもちょっと驚きます。言う相手が違いますね。不愉快です。それは家族間で言う事で、先生に向かって言う事じゃない。私に聞かせて何の得があるのか…?子供の価値や評価を落とすだけの損な発言なのに…。
かばって言い訳しているつもりでしょうか?だったら逆効果です。益々私の心の中の評価が下がる。
うそでも「練習はしているけど出来ません。練習が足りません。」と言った方が好感持てます。
昔、よく練習するし私をよく観察してた中学生が
「先生は練習する子が好きなんよ。」
とお母さんに言ったとか。
その通りです。

今の子供はそんな洞察力を持った子もいないのかと思います。

私は昔人間です。昔の先生に習ったから。
だから真面目にこつこつし、稽古や楽器に畏敬の念を持つのが当たり前という感覚です。お箏をまたいだり、爪を外してその辺に置きっぱなしにするようなのはもはや論外です。

お箏をまたがないというのはすぐ出来るのに、爪を外したらすぐ爪箱に入れよというのは、今の子供はなぜかなかなかなかなか出来ません。部活生もそう。それがなぜなのか、どう考えても私にはわからないんです。なぜ爪を大事と思えないのか…。爪がなかったらお箏は弾けないのに…。どうしてもわからん…。
わかりたくもないですけどね。

爪は指に挿してあるか、爪箱に入れるかどちらかにせよ、と何年言っても出来ません。私は楽譜に爪を乗せて持って来るのも嫌いなんです。

でもやっぱりそういう子は上達はしていません。そういうものでしょう。

苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けるのが師匠というものなんでしょうね。

何年言われても出来ないのもなぜかわからん。普通は一回言われたら気をつけて習慣づけるものでしょう。

私が中西先生にお習いに上がってた頃は、周りには誰一人そんな不心得者はいませんでした。誰でもみんな先輩を立て、控え目で、お箏や爪は大切に大切にしていました。

時代は変わったものですね…。

でも、苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けます。それが仕事じゃ。