私も含め、多分どの先生も同じだろうと思う事です。
師匠に好かれる弟子とは、
■「はい」と返事をする弟子。
■自己練習をよくする弟子。
■楽器や爪を大事にする弟子。
端的に言えばこの3つ位じゃないかと思います。
それに加えて何かがあるかは先生によると思いますが。
「はい」と返事をするというのは、本当に大事な事です。当たり前の事ですが、今はそれが出来ない人が多いです。「うん」だの「え?」だのと返事をする。私が見ててもお母さんに「はい」と返事をする子はめったにいない。びっくりです。
私が子供の頃は「はい」と言うのが当たり前で、「うん」だの言ったら母にほっぺだをねじり上げられて頭を嫌というほど叩かれました。頭は熱くなるほど痛かったし、ほっぺたはちぎれるかと思うほど痛かった。ものの善悪は体で教えられました。
今でも私も弟も、母には「はい」と言います。
自己練習をするのも当たり前。自分の為に習いに来ているのだから練習して来るのは当然の事、練習せずに先生の前に出て来るのは筋違い、横着です。行けば何とかなると思うのでしょうか…?私にどう思われるかとか考えないのかしら。
またお家の人が、うちの子は練習しない、と私に言うのもちょっと驚きます。言う相手が違いますね。不愉快です。それは家族間で言う事で、先生に向かって言う事じゃない。私に聞かせて何の得があるのか…?子供の価値や評価を落とすだけの損な発言なのに…。
かばって言い訳しているつもりでしょうか?だったら逆効果です。益々私の心の中の評価が下がる。
うそでも「練習はしているけど出来ません。練習が足りません。」と言った方が好感持てます。
昔、よく練習するし私をよく観察してた中学生が
「先生は練習する子が好きなんよ。」
とお母さんに言ったとか。
その通りです。
今の子供はそんな洞察力を持った子もいないのかと思います。
私は昔人間です。昔の先生に習ったから。
だから真面目にこつこつし、稽古や楽器に畏敬の念を持つのが当たり前という感覚です。お箏をまたいだり、爪を外してその辺に置きっぱなしにするようなのはもはや論外です。
お箏をまたがないというのはすぐ出来るのに、爪を外したらすぐ爪箱に入れよというのは、今の子供はなぜかなかなかなかなか出来ません。部活生もそう。それがなぜなのか、どう考えても私にはわからないんです。なぜ爪を大事と思えないのか…。爪がなかったらお箏は弾けないのに…。どうしてもわからん…。
わかりたくもないですけどね。
爪は指に挿してあるか、爪箱に入れるかどちらかにせよ、と何年言っても出来ません。私は楽譜に爪を乗せて持って来るのも嫌いなんです。
でもやっぱりそういう子は上達はしていません。そういうものでしょう。
苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けるのが師匠というものなんでしょうね。
何年言われても出来ないのもなぜかわからん。普通は一回言われたら気をつけて習慣づけるものでしょう。
私が中西先生にお習いに上がってた頃は、周りには誰一人そんな不心得者はいませんでした。誰でもみんな先輩を立て、控え目で、お箏や爪は大切に大切にしていました。
時代は変わったものですね…。
でも、苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けます。それが仕事じゃ。
師匠に好かれる弟子とは、
■「はい」と返事をする弟子。
■自己練習をよくする弟子。
■楽器や爪を大事にする弟子。
端的に言えばこの3つ位じゃないかと思います。
それに加えて何かがあるかは先生によると思いますが。
「はい」と返事をするというのは、本当に大事な事です。当たり前の事ですが、今はそれが出来ない人が多いです。「うん」だの「え?」だのと返事をする。私が見ててもお母さんに「はい」と返事をする子はめったにいない。びっくりです。
私が子供の頃は「はい」と言うのが当たり前で、「うん」だの言ったら母にほっぺだをねじり上げられて頭を嫌というほど叩かれました。頭は熱くなるほど痛かったし、ほっぺたはちぎれるかと思うほど痛かった。ものの善悪は体で教えられました。
今でも私も弟も、母には「はい」と言います。
自己練習をするのも当たり前。自分の為に習いに来ているのだから練習して来るのは当然の事、練習せずに先生の前に出て来るのは筋違い、横着です。行けば何とかなると思うのでしょうか…?私にどう思われるかとか考えないのかしら。
またお家の人が、うちの子は練習しない、と私に言うのもちょっと驚きます。言う相手が違いますね。不愉快です。それは家族間で言う事で、先生に向かって言う事じゃない。私に聞かせて何の得があるのか…?子供の価値や評価を落とすだけの損な発言なのに…。
かばって言い訳しているつもりでしょうか?だったら逆効果です。益々私の心の中の評価が下がる。
うそでも「練習はしているけど出来ません。練習が足りません。」と言った方が好感持てます。
昔、よく練習するし私をよく観察してた中学生が
「先生は練習する子が好きなんよ。」
とお母さんに言ったとか。
その通りです。
今の子供はそんな洞察力を持った子もいないのかと思います。
私は昔人間です。昔の先生に習ったから。
だから真面目にこつこつし、稽古や楽器に畏敬の念を持つのが当たり前という感覚です。お箏をまたいだり、爪を外してその辺に置きっぱなしにするようなのはもはや論外です。
お箏をまたがないというのはすぐ出来るのに、爪を外したらすぐ爪箱に入れよというのは、今の子供はなぜかなかなかなかなか出来ません。部活生もそう。それがなぜなのか、どう考えても私にはわからないんです。なぜ爪を大事と思えないのか…。爪がなかったらお箏は弾けないのに…。どうしてもわからん…。
わかりたくもないですけどね。
爪は指に挿してあるか、爪箱に入れるかどちらかにせよ、と何年言っても出来ません。私は楽譜に爪を乗せて持って来るのも嫌いなんです。
でもやっぱりそういう子は上達はしていません。そういうものでしょう。
苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けるのが師匠というものなんでしょうね。
何年言われても出来ないのもなぜかわからん。普通は一回言われたら気をつけて習慣づけるものでしょう。
私が中西先生にお習いに上がってた頃は、周りには誰一人そんな不心得者はいませんでした。誰でもみんな先輩を立て、控え目で、お箏や爪は大切に大切にしていました。
時代は変わったものですね…。
でも、苦々しい思いをしながら、何年も何年も言い続けます。それが仕事じゃ。