不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

SNSでも何でもダメにする オラオラ族のオラオラ

2023-11-23 10:41:49 | 人間学


体調1cmくらいのハナアブくん
(銘匠光学 TTArtisan T&S 100mm f/2.8 MACRO 2X ティルト・シフトレンズ)


オラオラ族のオラオラとは?。
金欲、あるいは承認欲求を満たすために、
権威の威を借りて自分を大きく見せ、
自分を垂れ流してあらゆるプラットフォームを汚染し
際限なく場の破壊を繰り返す、
いい加減ウンザリさせられる人間とその行為の総称。

SNSが承認欲求厨の巣窟である。
ある程度予想はしていたが、まだ自分は甘かったようだ。
YouTubeはまだマシだ。
動画は1枚静止画を撮ればオラオラできるコンテンツではないので、
容易くオラオラ族がオラオラできる場ではない。
また、視聴する側になっても登録チャンネルとホームのオススメと言う形で、
AIによる選別が入るし、フィルター機能もまあまあ使えるので、
オラオラ族のオラオラまみれにウンザリすることはある程度回避できる。

だが、X(旧Twitter)とInstagramはひどいもんだ。
ポンと拾った拾い絵だろうが、AI作画だろうが、1枚画像があれば簡単にオラオラできる。
特に性質の悪いのは、一見すると名所・名物のPRをやっているかと見せかけて、

 私を見てぇ
 私を構ってぇ
 私ってすごいでしょ~
 フォローしてぇ
 いっぱい「いいね」してぇ
 そしたら有名になって、お金も稼げるかもぉ~。
 何より気持ちいいのよねぇ。
 自分を見てもらったり、知ってもらえるってぇ。

名所・名物の威に乗っかりながらオラオラするオラオラ族だ

私はカメラで撮ることに真摯に向き合ってる人を探す目的でSNSを利用しているが、
ちょっといい写真を撮ってるなとフォローをした連中(オラオラ族)の
オラオラオラオラァ~~~がズラ~ッと数件、いや数十件、あるいは数百件、
もしかすると底なしで場を埋め尽くされ、オラオラ族でない人に出会う場を奪う。

じゃぁ 辞めればいいじゃん。
おっしゃる通りだが、たまに同じ価値観を持ってるかもしれない人と、
DMでやり取りをして、それがいい出会いになることもあるので、
その道を閉ざすのはちゃうかなと。

だいたいの凡人をフォローしてくれるフォロワーは

 闇バイトの入り口
 国際ロマンス詐欺の入り口
 相互フォロー目的

であり、超々凡人で承認欲求のない、ボッチで変態の私の場合は、
その手の手アカのついてないフォロワーさんは多分数人である。

せいぜい1日1回かな、許容できるのは。
それ以上に場を埋め尽くすオラオラ族はフォローを解除していって、
純粋に撮影を楽しんでる人を見つけられるようにしよう。



今はありとあらゆる場に承認欲求を満たすためのネタ集めの一環として、
山のようにオラオラ族が押し寄せ、場を荒らしまわっている。
こういう連中は、オラオラを達成するためにルールやマナー、
地元民の迷惑などを全く顧みないコトが多いので、ウザイことをこの上ない。

ネタ集めの場を荒らし、ネタ披露の場も荒らす。

自分を認めてもらうことに心血を注ぐ寂しい人間に溢れてるんだね。
まあ、しゃ~ないか。
今ってあらゆるものが消費される時代。
それは人間も然り。
消費されてうんこにならないために、
一生懸命自己の存在をアピールし続けなければならない。

かわいそうに。


全人類総暇人化、全人類総俺様何様化

2023-11-18 07:56:09 | 人間学


小人閑居して不善をなす、至らざる所なし。
(暇でくだらない人間ほど、匿名だと、ろくでもないことしかしない)
 ※訳は現代風にアレンジ

紀元前500年くらい前の大学という書にこの一節があるらしいが、
人間はこの頃より全く進歩していない。
いや、というよりは、よりひどく退化する一方である。

自給自足に近い方の生活パターンを見ていると、
人が持てる時間のほとんどが食べることのために費やされることが見て取れる。
つまりこの頃に、この書で書かれているようなろくでもないことしかしない人間は、
まあ、いわゆるそう一生懸命働かなくても食っていける暇人だったということだ。

翻って現代を見てみよう。
テクノロジーの進化により、まあほとんどの人が暇を持て余している。
また、自由主義の旗のもと個人がやたらに尊重され人が皆俺様何様化している。
そしてSNS(苦情の電話も)は匿名で悪事が働ける。
かつてのTwitterはバカッター(バカ発見器)と言われたが、さもありなん。
今は愚か者ほど大活躍できる(と愚か者が思い込める)素晴らしい時代である。


自分が生きるために全く関わってない地域に起きているクマ駆除に対する苦情。
羽生結弦さんが離婚に至った経緯。
枚挙すればいとまがないが、
当事者でもないお前が裁判官のようにこ~しろあ~しろと、
批判・誹謗・中傷を浴びせる
一体お前ら何様?
うるせ~よ
黙ってろ!

こういうやつに限って、立場が変わると言うこと180度変えるし、
現実社会では何もできない、何もしていないクズのことが多い。

他人の縄張りにズカズカと入り込んで己の価値観を押し付ける俺様何様。
金のためにあえて炎上するようなことをやる金の亡者。
己の憂さを晴らすために人を傷つけて悦に入る愚か者。
暇な俺様何様が人類社会には溢れかえっている。
まあ、いっぺん滅んだ方がいいよ人間は。
昨今の人の命を平気で奪う人間の愚かな所業(各地の戦乱など)を見ていると、
80年前にバカ騒ぎ(とてつもない量の血を流して)をしてした反省をすっかり忘れている。
遠からず大きな事変が起きて人類自らが人減らしを行う羽目になるだろう。

こんなことを言ってると、
お前も暇を持て余して好き勝手言ってる俺様何様だろ!。
と思う方もいるだろう。
まあ、そういう方は思慮が浅く想像力に欠け思考停止に陥っている、
小人閑居して不善をなすタイプの愚か者である。

 ここは私の縄張りで他人が見る見ないの自由は保障されている。
 価値観は披露しているが上記の理由により押し付けてはいない。

 一方、他人の縄張りに要らぬコメントをしたり
 他人の縄張りで他人に自分の価値観を押し付けたり
 自分が自分の縄張りで他人に誹謗中傷されたりすることは
 被害者は避けようがない(余計な手間をかけずにと言う意味で)

自分が自分の縄張りで自己主張することと、
自分が他人の縄張りで自己主張すること、
その罪深さの差がわからないからこそ、
愚か者が愚か者のままでいられるわけだ。
周りから見れば、痛すぎる不幸で可哀想な奴だが、
本人はいたって幸せなので、もはや救いようがない。
しかも、かなり以前からこの手の思慮が浅く想像力に欠け、
本能だけで生きているケダモノのような愚か者が社会に増え続け、
今は道を歩けば愚か者に当たる時代になった。


おかげさまで私は変態かつ危険人物と理解していただけることが多いようで、
あまり他人に絡まれることは少ないが、
ごく稀に食いついてきたり噛みついてくる輩がいる。
バカッターでもYouTubeでもそうだが、
こういうやつはアカウントを持っていても自分のコンテンツは持っていない。
つまり、見るだけ勇者、言うだけ勇者の暇人で俺様何様なのだ。

どんな小さなことであっても、
何かに打ち込んで何かを成すというのは存外手間がかかる。
また、何かを成せる人間は、常に振り返り、より高みを目指す。
見るだけ勇者、言うだけ勇者の暇人で何様俺様とは違い
他人の縄張りに入って他人を荒らす暇がないのだ。

小人閑居して不善をなす、至らざる所なし。
(暇でくだらない人間ほど、匿名だと、ろくでもないことしかしない)
これが紀元前から全く進歩していない人間の愚かな本質である。


好きなことを仕事にすれば幸せになれる? そりゃ~考え違いです

2023-11-11 08:34:16 | 人間学


カメラを振り回す生活をしていると、
その辺の事情をよく知らない方から言われることがある。
好きなことやって収入を得られるんだから仕事にすればいいんじゃねと。

カメラを振り回しているからと言って写真が好きとは限らない。
カメラを振り回しているからと言って撮影が好きとは限らない。

私の場合は、今できないことをどうやったらできるようになるか?。
それを突き詰めることそのものが好きなのであって、
今はその目的を果たす手段が、たまたまカメラを振り回すことになってるだけで、
それがない場合はカメラを振り回す気にもならない。

同じ場所であっても課題があるうちは通うが、
新しい知見が得られなくなれば、その場所に興味は無くなる。
それがいかにきれいな景色の場所であってもだ。
撮り慣れてくるとルーチンワーク化してくる。
いわゆる作業と言うやつだ。
カメラを振り回すことが作業の域を出ないようになったら、
すっぱりカメラ趣味を辞めるかもしれない。

話が逸れたが
自分が好きに撮った成果物を勝手気ままに売って食えればいいが、
皆さんの家に他人が撮った写真があるかな?
ないっしょ。
日本人はお金を出して他人が撮った写真は買わない民族なのよ。
従って、このやり方では相当凄い人でないと食えない。
それに、このやり方で成功しているプロであっても好き勝手には撮ってないと思うよ。
だって買い手が欲しがるような絵面・写真を撮らなければならないでしょ。
例えば自分はキタリスの鼻っ面だけ撮りたいと思っても、
キタリスの鼻っ面だけの写真なんて誰も買わないだろう。

一方、顧客のニーズに応えて撮る場合は顧客のニーズが全てだ。
自分が嫌いな被写体だろうが嫌いな撮り方だろうが嫌いな仕上げ方だろうが、
とにかくニーズを満たしお金をもらわねばならない。

お金を得る手段なんてもんは割り切ってやるもんである。
好きでもない割り切ってやれるどうでもいいことだからこそ、
自分を殺し、ひたすらニーズに応えることに全力を尽くせるわけだ。
(それがプライドってもんである)
これが好きなことが仕事だったら、やり方の違いとかいちいち癪に障るだろう。
カメラを振り回してお金を得るようになったら、
嫌になってカメラを辞めるだろうね。


とにかく写真(映像でもいいが)を撮ることが好きで、
誰かの希望を叶えることが自分の幸せにつながるような人なら、
あるいはカメラで飯を食っていけるかもしれない。

自分は下手なので、はなから蚊帳の外だが、
ちょっとくらい撮るのが上手くたってプロにはなれない。
むしろ撮ること以外の人間力があってなんぼ。
飯のタネにするってのは、生半可なことじゃないのよ。


ということで飯のタネにもならないことに血を流してます。
人はこれを自己満という。






親(自分)が老い切る前に子のためにやらねばならないこと

2023-11-06 20:21:13 | 終活


会津は写真撮りには素晴らしい場所だ。
車で30分も走れば撮影の名所はザラにある。
行動半径を1時間圏内に広げれば名所は掃いて捨てるほどになる。
また会津の最大のメリットと言えば風水害に遭う可能性が低いことだ。

一方、会津のデメリットは寒さと雪。
晴れの日も霧が出ることが多く晴天率もかなり悪い。
ここ数年の気象変動を見ていると気象現象が極端化していることを痛感する。
とんでもないようなゲリラ豪雨に遭うことも珍しくなくなったが、
この状況は当然冬にも当てはまる。
全体的に暖かくなっているのは間違いないので
冬でも長期間雪が残ることはなくなるだろう。
ただし、雪が降る時は暖かく湿った重い雪(筆者は悪魔の雪と呼ぶ)が
ドカ雪で降るようになるだろう。

もはや過去の経験、あなたの常識は今後の地球環境には通用しない


この悪魔の雪の雪かきは想像を絶する大変なものだ。
雪かきの大変さは言わずもがなだが、車で道路を走るのも命がけだ。
ブラックアイスバーンは論外にしても、アイスバーンや圧雪路は、
除雪されていない轍のある重雪がある道路に比べれば屁でもない。
新雪の圧雪路などは夏と同じ感覚で走っても何の問題もないほどだ。
一方、重い雪は車の進路を簡単に曲げる。
轍にハンドルを取られると非常に危険なのだ。
近所の住民は高齢化が進み、70過ぎのジジババが重い雪に苦しむ姿を見ていると、
会津は老夫婦が二人で人生の終いまで住む場所ではないことは明白だ。

最近身の上が騒がしい。
40年勤めた会社の屋台骨が怪しくなってきた。
9月に実父が95歳で亡くなり、実母も90過ぎで痴呆に骨折ともう長くはないかもしれない。
会津に縛られる唯一の理由は義母の存在。
もう買い物等は介助がないと生きてはいけないレベル。
食も細く、いくつかの持病持ちで間もなく85になる。
こちらも老い先はそう長くはないだろう。

家土地は間もなく売ることが難しくなる負の遺産化する。
義妹たちは首都圏に住み、長男坊も関東住まい。
同居する次男坊も会津に長く住むつもりはない。
将来的に長男坊(次男坊)は片道3時間以上かけて、
満足に動けなくなった親の介助や、
空き家となった我が家や墓をどうにかせねばならなくなる。

親が将来、我が子に大変な面倒をかけてでも
今を変えることができないのは様々な事情がある。

生まれ育った故郷。
親しい友人知人。
家土地財産。
今を変えることの不確さへの不安。

将来、子が親の面倒や負の遺産の処理でジリ貧になることは確実だが
新しい地で新しい生活が必ず破綻するとは限らない。
だが、うまくいかないとは決まってはいない変化の方を嫌い、
将来の我が子のジリ貧をヨシとする。

終活の下手な親に当たる。
これもある意味親ガチャだ。

私は子が親の面倒を見るという考えは大嫌いだ。
これは親が将来的な子の負担を少なくしようとする努力を放棄する
実に便利な魔法の考え・魔法の言葉だからだ。

私の終活は子供にとっての負の遺産を整理し、
万が一自活がおぼつかなくなっても子供の負担を最小限にすること。

家土地財産を処分し、墓じまいをして会津の地を離れ
温暖な気候で身体への負担が少なく、生活コストもかからない、
子や義妹たちと近い位置に移住し、新しい生活を確立することだ。

親が財産や安心を保全するために子の将来を食い物にする。
そんな愚かなバカ親になるつもりはサラサラない。