不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

身体のケアは貯蓄に似ている

2023-08-30 08:00:46 | 終活

人はいずれ老い、衰え、死ぬ。
コレは避けられぬ定め(運命)である。

私の腎臓は機能が半減しているそうだ。
寿命まで人工透析をしたくなければ、
食塩摂取量は7.5g/日に抑えなければならない。

ヘビースモーカーが必ず肺がんになって必ず短命とは限らないように、
人の臓器の耐性には個人差がある。
塩分よる腎臓の寿命然り、糖分による膵臓の寿命然り、酒による肝臓然り。
残念ながら、私の腎臓は私の生活スタイルで私の寿命まで耐えられないものであった。

仕事や人生においてストレスとは無縁ではいられない。
このストレスをどうやって発散するかは人によって異なるが、
私は食と自堕落な生活で発散する人だったようだ。

健康を維持するために身体に悪いことを我慢するのは貯蓄にしている。
将来のために今を我慢して健康を維持し安らかに人生を終えるために
健康を食いつぶさないよう節制して生きる。
貯蓄と一緒で人生の終いには使い果たすのが理想だがそううまくはいかない。
あるものは借金が勝り(いわゆる生活習慣病になるということ)
あるものは貯金を残して死ぬ(ビビリ~で燃え尽きない人生)。

どれが幸せかは人によって異なるので一概には言えないが、
私個人としては聖人君主的な生活で燃え尽きずに人生を終えるのは、
不甲斐ないと感じるタイプだ。

生きたぁ~と言う証は燃え尽きてなんぼである。

が、ここで問題になるのは己の寿命だ。
だいぶ気を付けるようになったとはいえ今の食生活(食塩摂取量10g程度)では、
貯金を使い果たして借金生活(人工透析)になるかもしれない。
かと言って生きる意味を見失うほど節制をして財産(健康)を余して死ぬのも

 なんだかなぁ~

である。

それに健康に何の問題がなくても、他の死因で死ぬ人も少なからずいて
自分もその口かも知れないと考えると、人生先を見据えてよりも

 今を楽しく生きる方が大事じゃね?

最近、燃えつきたと実感できる人生を過ごすための資本としての健康
これを取り戻すために医者通いをしているが、
行かなくて済むのが吉が医者と言うものである。

お金も健康もあの世には持っていけないし
さりとて人生の終いに週3回ベッドに6時間・・・・
これもどう考えてもいい人生だったとは言えない

 貯蓄が過ぎて棺桶の中で後悔するか?
 散財が過ぎてベットの上で後悔するか?

スーパーで塩っけたっぷりの総菜を前に、
今日も苦悩が続く我が腎生(人生)である。


本日のお写真

【藍色の空に浮かぶ月】

普通に月を撮ると背景は漆黒の闇となる。
どうしても世に腐るほど溢れているただの月並みな月のお写真になってしまうのである。
これは月が明るすぎるので月を適正露出にすると明暗差で背景が黒く潰れるためだ。
この写真はSNSにごまんとあるような作り物ではない。
青空に月がある時に月を適正露出に合わせたときにだけ青空が藍色になる。


見た目に近い色が出したいのなら、月の明るく撮ればいいし、


もっと昼の月感を出そうと思ったら月を白飛びさせばよい。

月とはそれほど明るいのである(しかもこれでも半月強である)。
まあ、青空に月か浮かんで見えるんだから当たり前と言えば当たり前であるが・・・。

なんでも話題にしなければ回らない今の世では、
やれブルームーンだとか、今年最大の月だとかもてはやされているが、
まあ、ただの漆黒の闇浮かぶただの満月であり、
70歳まで生きるとしたら約900回ある満月の一つにしか過ぎない。

あっ あと163回見たら・・・・人生終わりか ( ̄▽ ̄)


一億総カメラマン時代、残すのは誰でもできますが魅せるのは?

2023-08-12 08:52:44 | ニコンバカ一代福島支部

修業。
仏の悟りの求めて実践することは「修行」。
修業とは学問な技芸などを習い修めること。

一般的に修業には師匠がいることが多いが、
師はいない。
師は、自分が魅せるために捉えるべき被写体によって異なる。
場所、季節、天候、時間、方角、距離、大きさ、時間軸。
これにより、
ボディ、レンズ、静止画、タイムラプス、動画の組み合わせを決める。

SNSでの見返りも求めない人間が、
何をよりどころに金と時間を費やし修業に勤しむのか?

好きな動画作って遊ぶためですねぇ




ちなみに、子供の頃カブトムシやクワガタムシの虫取りに奔走したが、
ガキながらに虫取りをやる目的は大きく分けて二つの潮流があった。

 ❶実利を得るため
   ペット店に売ってお金を得る
   仲間内でスゲェ~と褒められる

これは今のSNS厨の目的と同じで人間の欲望の本質である。

 ❷どこの何がいるか脳内情報に残し、己の脳内情報の価値のみを高める
    

実は私は❷派。
撮影も一般人とは目的が異なる。


私の目的とは?
 なんかよう知らん名も知れね奴が
 サッときて
 サッと撮って
 「ははん」と言って去る
ようになること



バンクシ―の生き方って
かっこいいよねぇ~


真夏の怪! 裂けた尻は裂けてないと治らない カギは蹲踞にあり

2023-08-06 07:01:00 | 


2023.7.30 二市一か村 日橋川川の祭典(福島県喜多方市塩川町)。

大きな花火大会が解禁された2023年。
SNS界隈も花火の作品で溢れている。
大きな花火大会を映したモノは、それは見事で美しい。
だが、その手の作品に心は踊らないし、その手の花火を撮りたいとも思わない。
それはその場に行けば誰でも残せる工夫のない作業と化しているからだ。
もっとも、お人払いが大好きなボクにとって人混みに出向き、人の波にもみくちゃにされ、
ガチャガチャと騒々しいことに耐えて、その場行く・その場にいることが不可能に近いのだが。

見事でキレイでイイネ沢山もらえれば何でもいいSNS厨と違い、
撮るのに手応えを感じなければやる気が出ない(特に作業はキライ)
それに花火だけ撮ってもつまらんし。

花火と裂けた尻。
なんか関係あるのか?と思ったあなた。

 全く関係ございません。


8月4日 金曜日。
今度こそ、これで最後の通院。
尻、治ったねぇ~ で大腸カメラいつ入れる?
そんな流れになるハズだった我が尻。
が、またまた硝酸銀で尻の一部を焼かれ、
尻の穴に指突っこの卒業も持ち越しである。
(いつまで指グリをやられるのだろうか?)
しかもグリグリ深さと強度が増して容赦なしで痛かったぞ
人の好みは千差万別であり、いろんなフェチがあることも存じてはいるが、
あれが気持ち良くなることは絶対にないだろう。

 ケツが丈夫なのも考えもんである。
 (用途外の使用は法律で固く禁止されております)

で、普通に考えれば裂けた尻がくっついたら治る。
そう考えるであろう。
だが、裂けていなければならないところは裂けていなくてはならない。
その裂けていなければならないところも含めて大きく尻を裂いたのだが、
裂けているところは裂けてままで皮膚が再生されなければならないのだ。

 えぇ~~い ややこしい。

分かりやすい例えで言えばアコーディオンを考えればよい。
あれはヒダヒダがあるから空気を貯めたり吐き出したりして音が出せる。
もしヒダヒダがくっついたら(裂けていなければ)伸び縮みできないから音は出ない。
尻の穴も同様だ。
ヒダヒダがあるから伸びたり縮んだりして排便と封止が完璧に両立できるのだ。
広がれば表面積が稼げ、縮まればコンパクトになる。
通常時の尻の穴に比して特大のお便さんが出せるのは、この魔法のおかげである。
つまり、元々裂けていた部分は裂けたままで皮膚が再生され
ヒダヒダが維持されていなければならないのだ。

だが、皮膚のない組織が密着していると、くっついたまま組織が再生される。
一見問題なさそうだが、ヒダヒダでなければならないところがくっつくと、
お便さんが通る時、また裂けてヒダヒダに戻ろうとするのだ。
そこにバイキンマンが悪さして避けたところに不良肉芽が発生し硝酸銀の出番と相成るわけである。

どうもワシ、大事大事し過ぎてくっつけておくからいつまでも治らないという、
小心者ならではの罠に陥っていたようである。

で、主治医に命じられたのが定期的に蹲踞(そんきょ)をすること。
お相撲さんが股を開いて腰を下ろすあの姿勢だ。
立っていても座っていても寝ていても尻はすぼまる方向になり、
ヒダヒダがくっついてしまう。
そこで定期的に尻を広げ、裂けたまま皮膚を再生させようというのだ。

ちなみ、昨日ある方と楽しい時間を過ごしたが、
お楽しみ中も定期的に蹲踞して股裂きならぬヒダ裂きを欠かさなかったのは
ナイショである。


地球の反撃の始まり 人類駆逐計画

2023-08-05 05:53:58 | 事件・事故・災害


2023年8月1日。
あ~ 地球が怒っている。
そして、まあ反省するはずもない人類に対し、
運の悪いヤツから順に痛い目に合わせる段階を超え(いわゆる災害に遭うというやつ)
やがて人間同士に殺し合いをさせる地球の復讐劇が見える。
(これから訪れる本当の意味での食糧難は間違いなく人間同士の醜い争いに発展するだろう)

自分が生きているうちは、運が良ければまだ平穏に暮らせるだろうが、
その先は無理だろうね。

かわいい孫娘と縁を断って数年経つ。
今は、あの娘がどのように暮らしているかもわからない。
会えなくなった時はつらかったが今ではよかったと思っている。
あの娘が辛い目に遭うところを目の当たりにしなくて済む。
あの娘が泣き叫ぶ姿を見なくて済む。
知らなければつらくはならない。



すべての会津盆地に住む人間を寝不足に陥れたあの雷は、
ただの物理現象の結果なのか、
地球のしっぺ返しなのか、
神の裁きなのかはわからない。

ただ、一つはっきりしたことは、
平穏無事に暮らせない時代の幕開けであるということだ。
そしてそれは、
気のせいでも、
妄想でも、
考えすぎでもない、
疑うことも間違う余地もない判然たる事実であると。