自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

私の戦後70年~農業と地域と憲法の破壊を許すな

2015-08-17 16:21:01 | 自然と人為
 日本の終戦時、私は2歳3ヵ月であったので自宅から10数キロの福山の空襲(1945年8月8日)を経験している。記憶は確かではないが 灯火管制で暗い外側の部屋のカーテンをそーっと開けて、「福山が焼けている、空が真っ赤よ」と母が言っていたのを思い出す。後から聞いた話を私の経験のように思っているのかも知れないが、飛行機の大編隊が飛ぶ空も幼少の思い出だ。記憶の事実は曖昧だが戦争を幼少期に経験し、戦後の貧しい生活も経験していることが、私の心を育てたことは間違いないと思う。

 私の生きる環境は戦後70年で急激に変化してきた。まず、戦後10年は貧しかったけれど、親は農業や商業、下駄の街の家内工業で一生懸命働き、子供は大人の優しい視線を感じながら地域で遊ぶ「子供の世界」があった。アマゾンのメイナク族の子供達と同じ世界が私たちにも確かにあったと思う。小学校1年生の時にはお正月に登校して校庭で校長先生の話を聞き、ミカン2ついただいて帰ったのがとても嬉しかった印象が残っている。また、東京から疎開していた同級生の女の子は2年生になると帰ってしまった。
 そして丘の上の中学に通うようになって、長い物干し竿のテレビのアンテナが一つ二つと立つのを数え、駅の近くのバス停に置かれたテレビの雪が降るような相撲の土俵画面で「吉葉山」を応援した。子供の頃は「サラリーマン」という人種が居ることさえ知らず、中学校を卒業して集団就職で大阪に行く同級生を見送り、この世に親と遠く離れた仕事と生活があることを知った。高校では楽しい学園生活の青春を楽しみ、長男が家業を継ぐ常識を疑いもせず、家業のために苦手の理系の農学部に進み、卒業後に家業を手伝いに帰ってきたが、その高校、大学卒業までの約10年間、戦後20年(1965年)で世の中は大きく変化していた。

 それから50年、戦後70年の今、親子3代で絆ぐ家族や地域の愛よりもお金の糸でつながる社会になり、自然や人との関係が希薄になり、高齢化が進む一方で生まれる子供も少なく、かつては「うさぎ小屋」に大家族で暮らしたが、老夫婦二人暮らしから老人一人へと生活の場の過疎化が進み、家を守ることが家族と地域の絆である原点が消失しつつある。その一方で原発や核の抑止力を必要とするグローバル化と称する大資本の寡占化と金融資本の支配が進み、アフリカや中近東等の世界の戦争を生み(NHK 戦後70年を越えて:2015年8月15日より)、政治は国民主権からもギリシャや日本のように国家主権からも遠ざかりつつある。集団で生きてきた生物である人類は、文明の家畜化から文明による絶滅の危機に向かい始めたのではなかろうか。

 人類も生物であり、弱肉強食は本能だと肯定する立場もあるだろう。しかし、支配者になることを誇りとし、支配者に従属することを喜びとするヤクザの世界でも親分は子分に信頼されなくては親分にはなれない。しかも暴力団はそれぞれの掟のもとに抗争を繰り返し、国の掟の裏側で生きているが、近代国家は憲法の掟のもとに共同体を維持している。政治家は「天下の支配者」になることだと「国民主権」を忘れた夢を持つにしても、政治家も官僚も憲法という掟を守る義務がある。この義務を守らなければ公職追放だという厳しい責任感に欠ける曖昧さが日本文化の大きな欠点ではなかろうか。

 しかし、我々は自然がなければ生きていけないし、人と人の絆がなくても生きていけない。今、なぜ戦争の準備を進めるのであろうか。アーミッシュの純粋な少女は後輩達を助けるために自らの命を差し出した。これに対して、”絶対悪”の武力を抑止力と言い、環境を汚染し続ける”原発”を産業のために必要だと言う日本の政権の愚劣さは前回のブログでも嘆いた。大切なことなのでもう一度言う。
 「集団的自衛権で国民を守る」と嘘の説明をして、「本音は法案が通ってから言え」と、安保法案を強引に国会で通そうとする一方で、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と、首相の戦後70年談話で言いながら、アメリカの武力による世界支配に積極的に加担する矛盾をさらけ出している。公明党は自民党の政策の歯止めのために政権に入ったのではないのか政治家の夢として天下を支配したいが単独では政権が取れないので、自民党と共に「政治の現実の中で責任を持つ」とは本音は国民主権から国民支配への準備を進めたいことが見え見えではないか。
 赤字部:サンデーモーニング(2015年8月16日)を引用

 我々がいつまでも平和に生きていくためには、農業を産業ではなく生活の原点に置き、人と人が助け合う地域社会を構築し、憲法を守って政治が国民を支配することを許さず、戦争と飢餓とは無縁で安全で安心な共同体を我々で守らねばならない。残念ながら人を支配することがその人の力量だと思う伝統のある日本では、歴史は姿を変えて繰り返す。戦後70年にして生活と政治の原点を見直さねばならない状況が、今、「安保法案」で迫っている。

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 これまでの自他分離の視点から自他同一の視点へ、部分から全体へ、単一目的から多目的へ。ホリスティック教育ホリスティック医学、そしてホリスティック管理 (1)(2)へとパラダイム転換しなければ、新しい希望の道は見えて来ない。かつて斉藤晶さんはパラダイム転換によって、自らを呪縛していた開拓時代の境遇から解放された。自然や人を征服したり利用するという狭い視点の利己的な考えではこの状況は益々悪化していく。自然や人を自分と一体と考える広い視点と自他同一の感性こそがこの状況の打破のために求められている。

初稿 2015.8.17.


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