フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 ワールドカップ南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦で、日本はパラグアイと対戦し、延長戦でも決着がつかず、ペナルティキック戦で敗退しました。残念でしたが、日本の健闘を讃えたいと思います。
               
 先日、岡田武史監督をオシム前監督と比較して「現実主義者」を論じましたが、その後、新聞に岡田監督と次のようなコメントが出ていました。

好きなサッカー、理想のサッカーはある。しかし、日本代表監督として勝つことを考えている。自分たちの力と相手の力を考えて戦う。(岡田武史)

理想よりも現実。ふるえるような真剣勝負のすごさを見せてくれました。
               
日本のワールドカップはここで終了しましたが、これからベスト8のチームが対戦します。ワールドカップはまだ続きます。




(ウサミのつぶやき①)
パラグアイ戦の前に、解説者の北沢豪が「日本が勝ちます。ただし、条件があって、日本が先取点を取れば、です。先取点を取られると苦しいです。」と予想していました。??? 当たり前じゃないの。それで解説者と言えるんでしょうか?そんなことなら小森純の方がよっぽどエライぞ。

(ウサミのつぶやき②)
パラグアイ戦の直後のインタビューで、監督にも選手にも判で押したように「あと一歩、何が足りなかったと思いますか?」と質問していた。それって、試合を見る前から決めておいた質問でしょう。PK戦の後に聞くことでしょうか。もっと試合展開や選手個々を見て、それに合った質問ができないんでしょうか。インタビュアーもっと勉強しなさい。



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 4月開始のテレビドラマも月9以外はすべて終了しました。その後の感想を追加しておきます。今回は初回視聴率と最終回視聴率の関係から見てみました。

『月の恋人』 (フジ、月9) 
まだ終了していませんが、初回視聴率22.4%→第6回13.4%。
リン・チーリンしか見るところがありません。
           
『絶対零度』 (フジ、火9) 
初回視聴率18.0%→最終回12.8%
前に予想した通り、ちょっと飽きがきました。
          
『ジェネラル・ルージュの凱旋』 (フジ、火10)
初回視聴率12.4%→最終回15.1%。
物語内の謎解きよりも、キャスティングの理由の方がよっぽど大きな「謎」と書きましたが、見るうちに慣れてきたのかもしれません。
          
『臨場』 (テレ朝、水9) 17.7%
初回視聴率17.9%→最終回17.0%。
刑事ドラマは、巨人戦の野球中継もない、水戸黄門のないテレビの世界でその位置を継いだもの。固定ファンはいつも変わりありません。視聴率も安定的です。
          
『Mother』 (日テレ、水10) 
初回視聴率11.8%→最終回16.3%
今クール最高のテレビドラマでした。とにかく、人物がよく描けています。
視聴率の上昇もうなずけます。
この作品についてはまたあらためて書きたいと思います。
 
         
『同窓会 ラブ・アゲイン症候群』 (テレ朝、木9) 
初回視聴率14.8%→最終回17.8%
同窓生7人の最後を見届けようと最終回は視聴率上昇。
ただし、途中はかなり視聴率が下がってました。

          

『素直になれなくて』 (フジ、木10) 
初回視聴率11.9%→最終回10.8%
「恋愛ドラマの神様」北川悦吏子にしてこの視聴率。
最終回前には10%割れも。
「視聴率=作品の出来」ではないとしても、古いドラマを見ているようでした。
           
『ヤンキー君とメガネちゃん』 (TBS、金10) 
初回視聴率13.6%→最終回10.6%
マンガ原作のわりには「はじけかた」がイマイチではないでしょうか。
仲里依紗は何の役をやってもそれらしく見えるのですが。
          
『タンブリング』 (TBS、土8) 
初回視聴率10.5%→最終回7.6%
途中では視聴率4.0%の回も!
そんなに悪くないのですが、昔からの学園ドラマのパターンがあまりにもそのまま過ぎます。イケメン揃えればいいわけではありません。
          
『怪物くん』 (日テレ、土9) 14.9%
初回視聴率17.5%→最終回13.7%
ごめんなさい、1回も見ていません。
          
『新参者』 (TBS、日9) 16.5%
初回視聴率21.0%→最終回18.0%
下町人情を入れた刑事ものとして安心して見られました。
でも、途中の視聴率はずっと12%台でした。
           



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 (写真は日本対デンマーク戦のあったルステンブルクのスタジアム)

               
 ワールドカップ南アフリカ大会において、日本がグループリーグE組を突破し、決勝トーナメント進出を決めました。
 私は以前から日本チームを応援していますが、自分のブログで、日本の突破可能性を「10%」と予想していましたので(→ 「W杯グループリーグ突破予想」 )、日本チームにおわびしなければいけないかもしれません。ただ、ブックメーカーによる日本の優勝予想オッズ順は、開幕前で32チーム中の28位。日本より下に見られていたチームは、アルジェリア、ホンジュラス、ニュージーランド、北朝鮮の4チームだけ。
 その意味では、日本のグループリーグ突破は、世界的に見ても大きな「番狂わせ」と言えるでしょう。
               
 ところで、開幕前は岡田武史監督を「ボロクソ」にけなしていたマスコミが、ワールドカップで日本代表が成功したら手のひらを返したように賛美し始めたのは、世の常ということでしょうか。
 私は 「岡田ジャパンは間違っていない」 というブログを書いていますし、基本的には岡田支持ですが、ここで岡田監督と前任者のイビチャ・オシム監督を比較してみたいと思います。
 オシム監督の病気退任を受けて岡田監督が日本代表監督になったのですから、協会の評価が岡田監督よりもオシム監督の方が上であることは明らかです。世間の評判もほぼ同様で、岡田ジャパンの結果が出なかったときには、「オシム監督が続けてくれていたら」という論調のコメントをよく聞きました。
 私が考える、オシム監督が岡田監督より優れている点は、「豊富な監督経験」「サッカー哲学」「
カリスマ性」の3点です。しかし、岡田監督の方が優れている点もあると私は考えています。
               
 オシム監督と岡田監督のもっとも大きな違いは「理想主義者」と「現実主義者」という点でしょう。オシム監督はサッカーに独特の理想と哲学があり、それが彼の大きな魅力となって「カリスマ性」を生んでいます。
 その反面、ペナルティキック勝負になるとピッチから姿を消してしまうなど、オシム監督には信じられないような一面もあります。サッカーに独特の理想と哲学を持つオシム監督には、運が大きく左右するようなペナルティキック勝負など許し難いのでしょう。
 しかし、それは「結果」だけが重要と考える勝負師として「監督」を見るなら、職場放棄と見られても仕方ない行為だと私は思います。岡田監督なら、ペナルティキック勝負に勝つための情報収集と作戦を徹底して練り上げるでしょう。「サッカーとはどうあるべきか」という「理想」とは別に、現実に「ペナルティキック勝負」という勝敗決定方式があるのなら、それに勝つためにできる限りのことをする。そういう考え方が「現実主義者」の発想です。
 岡田監督のそういう「現実主義者」ぶりをよく示すのは、勝つためになら選手も戦術も、たとえ試合直前でも入れ替えるという姿勢です。今回のワールドカップ開幕直前までシステム変更を試み続け、最終的には、阿部勇樹のアンカー(センターバックとボランチの間のポジション)起用、本田圭佑のフォワード(それもワントップ)起用という、それまでしてことのないシステムで開幕戦を戦い、それを成功させました。
 こうしたぶっつけ本番的な戦術は大きな「賭け」でしたが、それを成功させたのが、勝つためにはあらゆることにとらわれないという、岡田監督の徹底した「現実主義者」ぶりだったと言えます。
             

 その分、「岡田監督のサッカーは面白くない」という評判もわかります。岡田監督は、勝つためには相手の長所を徹底して消すことを目指しますから、お互いに長所を発揮できない「面白くないサッカー」に試合を持ち込むこともあります。(ちなみに中田英寿は、日本の第1、2戦を見て、「守ってばかりのサッカーに日本の未来はない」と酷評していました)
 もっとも「面白くないサッカー」が勝つための近道ならそれを目指す、というのが岡田監督の姿勢です。オシム監督のサッカーの魅力に比べれば、岡田監督のサッカーが面白くないのは当然かもしれず、そもそも「面白い」かどうかなどより「勝つこと」だけを求めるのが「現実主義者」の発想なのです。 「理想」と「現実」。どちらが重要かというのは、もう個人の主観や好みや考え方の問題です。しかし、親善試合と公式戦はまったくの別物。ワールドカップという究極の公式戦で結果を出した岡田監督のサッカーを「面白くない」と批判することは、もう簡単には出来なくなったように思います。
             


6月29日追加
遠藤保仁に似てると書き込みのあった立花兄弟です。



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 タイトルの「アテネ経由南アフリカ行き」は飛行機の話ではありません。
 アテネ・オリンピックのメンバーがワールドカップで活躍しているという話です。

 ワールドカップ南アフリカ大会の第4日目、日本がカメルーンに「1対0」で勝利しました。この勝利に関して、多くのコメントが書かれるでしょうから、ここでは少し別の角度から書きましょう。
 今回のレギュラーメンバーのうち、DF闘莉王、駒野、MF阿部、大久保、松井の5人は、実はアテネ・オリンピックの日本代表メンバーでした。直前の試合のケガがなければ先発したであろう今野泰幸選手も、同じくアテネ・オリンピックの主力メンバーです。その時の監督だった山本昌邦は「アテネ経由ドイツ行き」という目標を掲げ、アテネ・オリンピックのメンバーがその2年後のワールドカップ・ドイツ大会の主力になるという狙いを持っていました。
 ところが、アテネ・オリンピック世代の前の世代はいわゆる「黄金世代」。中村俊輔、高原直泰、稲本潤一、小野伸二ら、ジュニア時代から世界で活躍してきた世代で、アテネ世代の選手たちは、この「黄金世代」の選手たちに比べて見劣りすると言われ、「谷間の世代」とまで呼ばれたのでした。
               
 しかし、世代交代のないチームに発展はありません。下の世代に脅かされてはじめて上の世代も本当の力を発揮するもの。山本昌邦監督の「アテネ経由ドイツ行き」はほとんど実現しませんでしたが、「アテネ経由南アフリカ行き」という形で山本監督の理想が少しずつ実現していったと言えるのでしょう。私はアテネ・オリンピックの出場決定試合も国立競技場で観戦していましたし、以前からアテネ世代の選手たちを応援していたので、そのことは嬉しく思います。
 ちなみに、FW1トップで器用された本田圭佑選手ばかりが注目されますが、本田のFW起用は、岡田監督が選手を選ぶ以前から私が主張していたことです(プチ自慢です → 「私が選ぶW杯代表メンバー」 )。どうも岡田監督は私のブログを見ていたようです。
 たしかに本田もよく得点を決めましたが、チーム全体としては、アテネ世代の選手たちが活躍しました。この世代がようやく黄金世代を脅かしたことによって、チームの競争が激しくなり、それがチーム力の向上をもたらしました。中村俊輔のポジションが松井大輔選手に奪われたことが、その象徴的な出来事です。
 とは言え、まだ1試合勝利しただけ。その日本の勝利も、多分に幸運が味方した面がありました。本田のトラップが偶然足下の絶妙な位置に止まったように見えましたし、カメルーン選手のシュートがゴールポストに嫌われるなど、結果が逆になっていても全く不思議のない試合内容でした。ただ、応援していたアテネ・オリンピックのメンバーが日本代表の主力となってワールドカップで海外初勝利をあげたことは、心から嬉しく思いました。
          
     

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 神奈川県立相模原高校と埼玉県立所沢高校の生徒さんを対象に、教養講座として特別授業をしてきました。場所は中央大学です。
 近年、こうした高校と大学の連携授業が増えてきています。以前は「進路指導」とか「就職指導」という表現で、卒業という「出口」に絞って指導をおこなっていました。現在は、「出口」だけではなく、それを含めた自分の人生全体を計画していくという意味で、「キャリア教育」「キャリアデザイン」といった表現が使われるようになっています。
 そのため、高校と大学に限らず、卒業後の進路先となる学校や社会体験などを重視するようになっています。そのため、私のような大学教員も、高校生の前で授業をする機会が増えてきました。今回の相模原高校と所沢高校の生徒さんに授業したのも、そういう趣旨と考えています。
               
 ただ、こうした特別授業も、ただすればそれでいいというわけではありません。私たち大学教員の側も、1回きりの授業で大学の勉強のエッセンスが伝わるように工夫しなければいけませんから、通常の大学の授業とは異なる配慮が必要になります。
 また、高校側も、生徒さんたちが大学の授業を体験して何を考え、それをどう人生設計に結びつけていくか指導する必要があります。その点で、高校の中には、「他の高校もやってるからウチも一応それらしいことをしておかないと」というだけで、形だけ大学の教員の話を聞かせてあとは何もしない、という学校がないわけではありません(そういう学校は話してみればすぐわかります)。
 その点、今回授業に来ていた相模原高校と所沢高校の生徒さんたちは、話を聞く態度も立派ですし、意欲を持って来てくれているのがよくわかりました。また、両校ともに「高大連携教育」という意識のもとに、総合的な取り組みをしていることを知りました。
 たとえば、相模原高校の場合、「総合的な学習の時間」という単位として設定しており、①大学の「学部・学科ガイダンス」を2講座以上、 ②大学授業を体験する「教養講座」を3講座以上、 ③やや専門的な授業を体験する「演習講座」を1講座以上、受講し、さらにその内容をノート・レポートの形で提出して、プレゼンテーションに備えるとのことでした。こうした取り組みをしてもらえるなら、私たち大学教員にとっても、協力させていただく甲斐がおおいにあるという気がします。
               
 1回だけの特別授業というのは、担当する私たち大学教員にとってたいへん難しいものはありますが、高校のこうした熱心な取り組みに対しては、今後もぜひ協力させていただきたいと感じました。





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 写真は2006年ワールドカップドイツ大会、日本対ブラジル戦の終了後。
 日本のグループリーグ敗退が決まりファンに挨拶する選手たち。

 サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会がいよいよ開幕します。オリンピックをしのぐとも言われる世界的イベントの開幕に、サッカーファンならずとも気持ちが高揚する時期かもしれません。ましてやサッカーファンの私は、これからしばらく落ち着かない日々が続くことになります。(→私のサッカー関連サイト 「サッカーとW杯の頁」
               
 その一方で、日本代表の成績はふるいません。これには複雑な気持ちを持っています。
 若いサッカーファンにはわからないと思いますが、日本がワールドカップに初出場した1998年フランス大会まで、日本代表はワールドカップ予選で敗退し続けました。初参加は1954年スイス大会の予選(私が生まれる前の話です)。それ以来、不参加の年も含めて、実に44年を経てようやく日本はワールドカップ出場を果たしたのです。
 私は、1968年メキシコオリンピック以来のサッカーファンなので、日本代表がワールドカップ予選で負け続けた歴史を嫌というほど知っています。ですから、4大会連続でワールドカップに出場し、出場するのが当然のようになっているということ自体が、過去の歴史を考えると夢のようです。だから、本大会で負けてよいというわけではありませんが、本大会で簡単に勝てるほど世界レベルは甘くはないと言うべきでしょう。
 そもそも、以前のワールドカップの出場国は24か国。今は36か国。また、FIFAの政策もあって、アジア・アフリカなどのサッカー後進国には多めの出場枠が割り振られてきました(今はアフリカのレベルは飛躍的に上がりましたが)。そこで4大会出場を決めたからといって、日本が世界と対等に戦えると思う方が間違っています。
               
 日本代表・岡田武史監督への批判の強まっていますが、私は基本的には監督批判をしません。監督としての選手起用や戦術などの考え方は千差万別。信じて任せるしかありません。(→ 「岡田ジャパンは間違っていない」
 ただ、気になることがあります。私は、岡田監督を「建前の人」だと思っています。監督として情に流されやすいから、「監督は選手と親しくしない」といった建前を貫く人です。「監督はチームが勝つこと以外の理由で選手起用してはいけない」という建前を貫くためにはどんな有名選手でも過去に実績のあった選手でもチームから外します。そして、「監督は結果がすべて」という建前を貫いて、フランス・ワールドカップ3戦全敗の責任をとって(慰留されたにもかかわらず)自ら辞任しました。それらは岡田という監督の姿勢ですから、それはそれで何も言うべきことはありません。
 ですから、今回のワールドカップ選手選考にあたっても、落選した選手へのコメントはいっさい拒んでいました。
 それなのに、最近岡田監督の「建前」が揺らいでいるように見えます。
 まずは、「進退伺発言」。日本サッカー協会会長に「監督を続けていいか」を尋ねたという発言。「建前の人」であれば、監督は全責任を負って戦うべき立場であり、そんなことは(会長に尋ねたとしても)マスコミに言うべきではありません。
 もう一つは、ワールドカップ強化試合最終戦の対コートジボアール戦後のインタビューで、「この試合で戦える選手と戦えない選手がはっきりした」という発言。まだ選手選考中ならまだしも、最終メンバー登録が終わった後でこの発言は考えられません。名前をあげなかったものの、「責任はすべて監督」という建前を貫いてきて、選手批判をけっしてしなかった岡田監督らしくない発言でした。
 こうした発言の連続に岡田監督の迷いや悩みの深さを感じます。
               
 もっとも、ワールドカップの醍醐味は自国の代表戦だけではありません。日本代表への日本人の盛り上がりは今ひとつですが(代表戦の観客動員に顕著にあらわれています)、その一方でワールドカップそのものは多くの日本人の関心を集めています。
 ナショナリズム的な応援から、サッカーそのものを楽しむことへ。日本人の関心が日本代表からワールドカップ全体へ変化しているとすれば、それはそれで日本のサッカー文化の成熟をあらわしているのかもしれません。
 私も日本代表を応援しつつ、ワールドカップという世界最大のスポーツイベントそのものを楽しんでいきたいと思っています
(ああ、これから2ヶ月近く仕事が手につかない。どうすりゃいいんだ……)

        
       
               



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 中央大学の市ヶ谷田町キャンパスというところへ行ってきました。
               
 大学のキャンパスには、1箇所に集中しているところと、何箇所にも分かれているところがあります。欧米の大学に行くと、大学と街が一体化していて、大学キャンパスの建物と街の建物と区別がないように見えるところがあります。
 日本の大学の場合、大学の中と外は塀によって明確に区分されていますが、それが1箇所に集中しているか分散しているかは、大学によってまちまちです。
 中央大学の場合は、文系全学部が集まる「多摩キャンパス」しか知らない人も多いでしょうし、少し知っている人でも、「多摩キャンパス」と理工学部のある「後楽園キャンパス(文京区)」の2箇所くらいしか知られていません。しかし、もともと中央大学のあった場所に「駿河台記念館」を残していますし、近年は都心に「市ヶ谷キャンパス」を、そして今年から「市ヶ谷田町キャンパス」を開校しました。ちなみに、「田町」というのは山手線の「田町駅」と紛らわしいかもしれませんが、「市ヶ谷」駅近くに「田町」という住所があり、そこに建物を買ったことから「市ヶ谷田町キャンパス」と呼んでいるようです。
 先日、その「市ヶ谷田町キャンパス」の開校式があり、それに出席してきました。
               
 これは、単に中央大学の敷地が増えるということではなく、中央大学の組織が多様化していることと関係があります。今までは、「学部=大学院」というのがセットになっており、「法学部=大学院法学研究科」「文学部=大学院文学研究科」というセットで組織化されていました。しかし、近年は「ロースクール(法科大学院)」「ビジネススクール(戦略経営研究科)」「アカウンティングスクール(国際会計研究科」などの専門職大学院が設置されました。これらの大学院は学部とセットにならずに、大学院だけで運営されています。
 こうした新しい組織が設置されていくにしたがい、これまでとは異なる新しいキャンパスが開かれていったということになります。こうして、時代に即した新しい組織、新しいキャンパスが増えていくことは、大学として必要なことでしょう。
 その一方で、組織が増え、キャンパスがあちこちに点在することになると、大学としての一体感や協調しての運営が難しくなる面もあります。大学が発展していくことは望ましいことですが、これまでの大学が持っていた良い面を失わないように、学生・教職員・卒業生が協調していけることを心から願っています。
               



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