フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



(写真は、6月10日の対カタール戦 宇佐美毅撮影

 2010年南アフリカワールドカップ大会出場国を決めるアジア最終予選が終了しました。
 アジアの出場国は4.5国。アジアの上位4か国が出場権を獲得し、5番目の国はオセアニア地区の第1位国とプレーオフ(出場決定戦)をおこないます。
 アジア最終予選は2組に分かれて各2試合の総当たり戦(ホーム&アウェイ)をおこない、A組はオーストラリアと日本が、B組は韓国と北朝鮮が出場権を獲得しました。各3位のバーレーンとサウジアラビアがプレーオフ出場をかけて対戦することになりました。
 アジアは韓国・日本中心の東アジア勢とサウジアラビア・イラン中心の中東勢の力が拮抗していたのですが、今回本大会の出場権を獲得した4チームに中東勢はなく、アジアの勢力図に変化が起こっています。オーストラリアがアジア枠に入ったことと、北朝鮮がJリーグ育ちのチョン・テセやアン・ヨンハの活躍で躍進したことから、中東勢が押し出された格好になりました。
          
 ところで、日本の最終予選の戦いぶりをどのように評価するべきでしょうか。
 日本は最終予選8試合のうち2試合を残した時点で2位以内を決定し、出場権を獲得したのですから、その点だけ見ればおおいに満足のいくものと言えるでしょう。しかし、ワールドカップに出場するだけで満足しているのではなく、ワールドカップ本大会で上位に入ることを目標にしている日本であるならば、ただ、出場権を獲得して喜んでいるわけにはいきません。特に、バーレーン(世界ランク70位)、ウズベキスタン(78位)、カタール(94位)、という世界ランクの低い3か国に苦戦し、なかなかしっかりと勝ちきることができなかったことが大きな反省点として挙げられます。
 もちろん、世界ランクは実力の目安に過ぎませんが、それにしても下位3チームに苦戦している日本の今後が明るいとは言えません。
          
 今年からアジア枠に入った(それまではオセアニア枠だった)強豪国オーストラリアには1分け1敗。ウズベキスタンとカタールにはホーム日本で引き分けと、日本は苦戦続きでした。オーストラリアしか強豪国がいなかったという組み合わせの幸運に助けられた面も否定できませんし、下位3チームが星をつぶしあってくれたおかげで、2位争いをするチームがなかったという状況も日本に有利に作用したと言えるでしょう。その意味では、最終予選では満足いく戦いができていませんでした。
 この結果を岡田監督の責任にするマスコミの論調もありますが、私が必ずしもそうは思いません。岡田監督でなければもっと強くなるという根拠は何もありませんし、また前任者のオシム前監督と岡田監督の目指すサッカーは、表現は違っていても大きな差異はありません。
 オシム前監督は「人もボールも動くサッカー」と言い、岡田監督は「連動性」と言いますが、いずれも日本人の体格的なハンディキャップを運動量と組織的な動きで補おうとするサッカーを目指しています。
 もし、オシム前監督と岡田監督の差があるとすれば、フォワードの起用法でしょう。オシム監督は高原直泰のようなオールラウンド型や巻誠一郎のような高さと強さ型のフォワードを好んで起用しました。それに対して岡田監督は玉田圭司・田中達也・大久保嘉人のような小柄でスピードのあるタイプのフォワードばかりを起用しています(最近は岡崎慎司を起用)。
 面白いことに、(おそらく礼儀として)後任者に意見をほとんど言わないオシム前監督が、6月16日付朝日新聞(朝刊)に掲載されているように、岡田監督のフォワード起用法だけははっきりと批判的に語っています。

 「現在の世界の流行は前線に身長の高い選手がいることだ。小さな選手だけでは世界を驚かすのは難しいと思う。(略)67㌔の玉田に対してイングランド代表DFテリーは90㌔。1対1の戦い方は学べるが、そうそう単純なものではない。いくら勇敢だったとしても、駄目なもの駄目なのだよ。小さなトヨタの車を運転して市電にぶつかったらどうなるかは目にみえているだろう」(オシム前監督)

 この点だけは、オシム前監督と岡田監督の戦術・選手起用法が違っていると言うことができるでしょう。しかし、大きな方針においては、オシム前監督と岡田監督は同じサッカーを目指していると言っていいと思います。
          
 ただし、今回明らかになった大きな問題点の一つは、メンバーが変わるとチーム力がかなり落ちるということです。
 たとえば、6月6日のウズベキスタン戦と6月10日のカタール戦とでは、守備的ポジションに入る選手がかなり代わりました。ゴールキーパーの楢崎とセンターバックの中沢・闘莉王だけが変わらなかったものの、ボランチは遠藤・長谷部から阿部・橋本に、サイドバックは駒野・長友から内田・今野に、それぞれ交替。この結果守備の連携が悪くて、得点をとられた場面以外にもしばしばピンチを招いていました。攻撃陣も同様です。
 これは、日本の長所と短所が表裏一体であることを示しています。日本は「連動性」を重視し、全部のプレーヤーが常に動きながら連動して守備と攻撃を形成することを目指しています。しかしそれは、クラブチームのように、選手同士の考えや動きのタイミングがお互いにわかりあっていなければできないことです。国の代表チームは一緒に練習する時間がクラブチームに比べてどうしても短くなり、しかもメンバーが変化すれば余計に「連動性」が難しくなっていきます。
 ワールドカップ出場権を獲得してから、本大会まであと1年。この間に代表チームが掲げる「連動性」をどれだけ高めていけるか。これは監督や選手だけの努力ではできません。協会レベルでどのような強化策をとるか。具体的には、代表チームの合宿や強化試合をどのくらい有効に設定することができるか。それを含めて日本サッカーが問われていると考えるべきでしょう。そうした周到な準備なしに、監督と選手にだけ責任を押しつけて、ワールドカップ本大会で好成績を望むことはできません。
 その点を重視しながら、今後も日本代表チームの動向を真剣に見続けていきたいと思っています。
          



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 湯河原で螢を見ました。
 湯河原へは何度も行っているのですが、この季節に行って螢を見るのは初めてです。それも当然で、6月というのは大学がとても忙しい時期で、通常は出かけるのはなかなか困難です。
 しかし、何度も行っている湯河原で螢が見られるというので、今年はかなり無理をして、週末に湯河原に出かけてきました。期待通りに螢がたくさん見られて、無理してでも行ったかいがありました。
          
 螢に関しては、以前にも書いたことがあります。(→
「螢(ほたる)」
 その時にも書きましたが、私は子どもの頃に螢を見た記憶がありません。両親の話によれば、子どもの頃に見たことはあったはずなのですが、まだ幼くて覚えていないのです。それで残念に思い、2年前に椿山荘で螢を見てきたのでした。
 椿山荘も今回の湯河原も完全な自然の螢ではなく、どちらも幼虫を飼育して、それを放流しています。ただ、椿山荘という敷地の中と違い、湯河原の方は河川に放流した螢が公園・河川の付近を飛び回っており、そういう自然に近い螢のようすを見られたことは嬉しいことでした。(ただし、螢の幼虫を飼育して放流することは自然の生態系に良くない、という指摘もあります。)
 私は近年村上春樹の研究をしていますが、村上春樹にも「螢」というタイトルの作品があります。『ノルウェイの森』の原型となったことで有名な短編で、「螢」というタイトルが、このノスタルジーを込めた作品にふさわしいという気がします。
 螢が舞うのはたしかにそれ自体が美しいのですが、どこか私たちの心の中にある郷愁を誘うところが、多くの人々を螢を見に訪れさせる要因になっているのでしょう。完全な自然のままではない螢を見ているという一沫の後ろめたさを持ちながら、さまざまな思いを持って短い間、螢の舞う様子に浸ってきた週末でした。
          
 



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 早稲田大学大学院(教育学研究科)の金井景子ゼミで、私と千田洋幸さんの編著『村上春樹と一九八〇年代』を取り上げていただきました。そして、私もその会に参加してきました。
           
 早稲田には学会などで何度も行っていますが、授業やその延長としての研究会に出席するというのは初めてです。考えてみると、早稲田に限らず、他大学の授業に参加する機会というのはあまりないもので、何か特別の目的がないとそういうことにはなりません。1995年に「ヨーロッパの日本研究視察」をテーマに在外研究期間をもらったので、その時はヨーロッパのいくつかの大学の授業を見学しましたが、そういうことでもない限り、他大学の授業に出席することはありません。
 今回は、金井景子さんの大学院のゼミで『村上春樹と一九八〇年代』を取り上げて、その合評会のような形をとるため、その本の編者として金井ゼミに呼んでいただきました。博士課程(大学院後期課程)修士課程(大学院前期課程)の両方に、村上春樹研究をしている院生さんがいるということで、この本を取り上げることにしていただいたようです。
 金井さんのゼミで、参加される教員も金井さんだけと以前は聞いていたのですが、近現代文学を専門とする他のスタッフ、千葉俊二さん・石原千秋さん・和田敦彦さんも参加してくださることになり、また、『村上春樹と一九八〇年代』執筆者の藤崎央嗣さん・矢野利裕さん・田村謙典さんも参加して、思っていたよりも大きな合評会になりました。
 院生さんたちからは本の内容に関する質問をいろいろいただき、私や他の執筆者が回答する形を最初はとりました。最初の発表者となった院生さんお二人は、御自身が村上春樹研究をしていることもあってよく本のことも勉強してくれていました。お二人とも、村上春樹の個々の作品の読解というよりも、村上春樹という作家の軌跡を長いスパンで追究しようとしているようなので、そういった観点から『村上春樹と一九八〇年代』を読んでくれていると感じましたし、何か今後の研究に役立つことを見つけていただければ幸いです。
             
 早稲田の教員の方たちからも御意見や御質問をいただきました。石原さんや和田さんからは厳しいコメントもいただきましたが、私としては、こうして取り上げて批評していただいたことに感謝したいと思っています。
 ちなみに、「研究者というものは」と一般化できるかどうかはわかりませんが、「けなされる」ことよりも「無視される」ことの方がつらいと感じる人種のように思われます。実際に、『村上春樹と一九八〇年代』を出版した後に、「私の論文がこの本の研究史に取り上げられていないのはどうしてでしょうか?(当然取り上げられるべきだと思いますが?)」という問い合わせが何件かありました。私が書いた論文と同じテーマで論文を後から書いていながら、私の論文にまったく触れていないという論文を見ると、私も気分が悪いことは確かです。
 一方で、今回のように院生ゼミの日に合わせて他の教員まで出席してくださって、本への厳しい指摘をしていただけるのは本当に有り難いことだという気がしました。『村上春樹と一九九〇年代』が出せるかどうかはわかりませんが、私を含めた執筆者の今後に活かしていきたいと思っています。
             


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 (写真は音楽担当のエルトン・ジョンとビリーを演じた主演3人)

 今年の3月、ニューヨークとワシントンに行った際に、ブロードウェイでミュージカル『ビリー・エリオット』と『ヘアー』を見てきたことが以前に書きました。
 →
「ブロードウェイで『ビリー・エリオット』を見る」
 → 「ブロードウェイで『ヘアー』を見る」
          
 その2本の作品が、すぐれたミュージカル作品に与えられるトニー賞を受賞しました。特に『ビリー・エリオット』は、もっとも名誉と言われる作品賞の他、演出賞・脚本賞・主演男優賞など10部門を受賞。『ヘアー』もリバイバル作品賞を受賞しました。
 賞を受けたら良い作品という権威主義に乗るつもりはありませんが、数多いブロードウェイ作品の中から自分が選んで見てきた作品が、高い評価を受けるのはやはり嬉しいことです。
          
 特に『ビリー・エリオット』は、ダンスに熱中する炭坑町の少年が主人公で、ミュージカルでも13~14歳の3人の少年が交替で主人公を演じていました(→
「MeetTheCast Billy」 )。私が見た時は3人の中のTrent Kowalik君が演じていて、他の2人を見ることはできませんでしたが、それでもたいへんなダンスと演技の実力であることはよくわかりました。今回トニー賞の主演男優賞は3人で受賞したことからも、3人全員のダンスと演技が評価されたことが明らかで、この作品を見ておおいに楽しんだ私としては嬉しい出来事でした。
 数多いブロードウェイ・ミュージカルの中で、悩んだ末に選んで自分が見てきた『ビリー・エリオット』と『ヘアー』が名誉ある賞を受け、ちょっと幸せな気持ちになったトニー賞報道でした。

※『ビリー・エリオット』と『ヘアー』を見る際に、チケットをインターネット経由で公式サイトから購入したので、それぞれトニー賞受賞を祝うメールが届いていました。『ビリー・エリオット』の方から来ていたメールも、ここで紹介しておきます。
          

WINNER! 10 Tony Awards Including Best Musical

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     Last night, Billy Elliot danced away with the hearts of millions and 10 Tony Awards, including Best Musical and Best Leading Actor in a Musical for David Alvarez, Trent Kowalik and Kiril Kulish. After opening the ceremony with a high-flying performance of "Electricity" alongside composer Elton John, the cast of Billy Elliot wowed the crowd with a powerful rendition of "Angry Dance."

Congratulations to the entire company of Billy Elliot the Musical on their well-deserved X Tony Awards.

WINNER!

Best Musical
Best Performance by a Leading Actor in a Musical, David Alvarez, Trent Kowalik, and Kiril Kulish
Best Book of a Musical, Lee Hall
Best Performance by a Featured Actor in a Musical, Gregory Jbara
Best Direction of a Musical, Stephen Daldry
Best Choreography, Peter Darling
Best Orchestrations, Martin Koch
Best Scenic Design of a Musical, Ian MacNeil
Best Lighting Design of a Musical, Rick Fisher
Best Sound Design of a Musical, Paul Arditti



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 『サンデー毎日』(6月21日号) の取材に協力しました。
          
 先日このブログでも、村上春樹の新刊書『1Q84』(新潮社)について書きましたが、発売前に予約だけで40万部を越え、その後の1週間で
100万部に迫る勢いで売れるという異常な状況になっています。それに関連して、『サンデー毎日』では、「『1Q84』バカ売れ 読まずに済ます村上春樹」という記事が掲載されました。村上春樹作品を好きで読んでいる人はいいとしても、これだけ社会現象化すると、読んでいない人も村上春樹作品のポイントくらい知っておきたい、と思うのは当然のことでしょう。
 この記事に関して、記者さんからコメントを求められたので、私の村上春樹作品に対する見方や新作『1Q84』のポイントをお答えしました。その一部が、本日(6月9日)発売の『サンデー毎日』(6月21日号)に掲載されています。
 もちろん、短いコメントですから、論文を書くようには自分の考えを伝えることはできませんが、その分、普段は文学作品にあまり関心のない方に日本文学への関心を持ってもらえるきっかけになったら、有り難いことだと思います。
           
 それから一つ感じたことですが、雑誌の記者さんというのは何でも勉強しているということ。今回は五十嵐英美さんという女性記者さんからの取材だったのですが、この方が、村上春樹作品だけでなく、私の論文「村上春樹は日本文学に何をもたらしたか」( 『村上春樹と一九八〇年代』 所収)を読んでくださっていたのには驚きました。紀伊国屋やジュンク堂にも平積みされていた本とは言え、かなり専門的な研究書です。雑誌の記者さんがこうした専門的な研究論文まで読んだ上で取材している、というのには感心させられました。
 私が中央大学で教えている学生たちにも、マスコミや出版社で働きたいという学生は多いのですが、そのためにはさまざまな分野の勉強をしなければいけないということを教えられました。
          



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(写真は南アフリカ大会のメイン会場・サッカーシティ)

 サッカーの日本代表チームが、ウズベキスタンを1対0で破り、ワールドカップ南アフリカ大会の出場権を獲得しました。これで4大会(1998フランス、2002日韓、2006ドイツ、2010南アフリカ)連続の出場となります。
          
 4大会連続ということで、今の若いサッカーファンには、日本代表がワールドカップに出場するのが当たり前のように感じられるかもしれません。しかし、私のように50歳を越えたサッカーファンには、むしろワールドカップ出場など叶わない夢のようだった、その前の年月の方がはるかに長く感じられます。
 日本が初めてワールドカップ出場権を獲得したのは1997年11月16日。その頃、アジアの出場権はわずかに3か国にしか与えられていませんでした。日本は上位2か国に入ることができず、最後のワールドカップ切符をかけて、マレーシアのジョホールバルでイランと対戦。この試合を劇的なVゴールで勝利して、日本は初めてのワールドカップ出場を決めたのでした。
 しかし、このときまでに日本は数え切れないほどワールドカップ予選の厚い壁に跳ね返されてきました。その頃の日本には、ワールドカップなどは遠い遠い夢のような存在だったのです。
 フランス大会より前にワールドカップにもっとも近づいたのが、その4年前の1993年の最終予選。いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれた大会です。10月28日のイラン戦で、あとわずかの時間を守りきればワールドカップ・アメリカ大会に出場できるはずだった日本代表ですが、そのロスタイムに失点して、日本初のワールドカップ出場権が指の間からすり抜けていってしまいしました。そのときテレビで見ていた私は、衝撃で抜け殻のようになってしまったことを記憶しています。
          
 考えてみると、日本のワールドカップ出場権が決まる重要な試合は、ここ数大会いつも海外でおこなわれてきました。94年アメリカ大会を逃した「ドーハの悲劇」はカタール、98年フランス大会出場を決めた試合はマレーシアのジョホールバル、02年日韓大会は開催国なので予選はありませんでしたが、06年ドイツ大会出場を決めた試合はタイのバンコク(無観客試合)、そして今回の10年南アフリカ大会を決めた試合はウズベキスタンのタシケントでおこなわれました。その意味では、日本はまだ日本国内でワールドカップを出場を決めたことがありません。
 実は今回は、最終予選の次の試合(横浜国際競技場でおこなわれるカタール戦)のチケットを持っていたので、もしかしたら日本がワールドカップを初めて国内で決定する歴史的な試合の目撃者になれるのではないかと期待していたのですが、それは残念ながら実現しませんでした。これはまた今後の大会に期待したいと思います。
 ちなみに、オリンピックの方の出場決定試合は、前々回のアテネ大会も前回の北京大会も、日本国内で出場を決めており、私のその両方の試合を実際に見に行っていました(プチ自慢!)。オリンピック決定試合は2回も見られたので、生きている間に1度はワールドカップ決定試合もこの目で見てみたいものです。
 今日の試合も課題はいろいろ残りますが、今日のところはワールドカップ出場を決めた喜びに浸り、本大会への課題についてはいずれあらためて書いてみたいと思います。
           



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 村上春樹の新しい小説『1Q84』(いちきゅうはちよん)が出版されました。刊行前から数十万部の予約が殺到したということで、大きな話題になった新作です。私は文学研究者なので、この作品への考えはいずれ「論文」の形で書こうと思いますが、ここでは印象を少しだけ書いておきます。
          
 まずこのブログ記事のタイトルに「総力戦」と書きましたが、この言葉は私の言葉ではなく、村上春樹自身が「長編は総力戦」という言い方をしているのを使ったものです。作家には短編が得意な人と長編が得意な人がいるものですが、村上春樹は短編・中編・長編を使い分けており、その意味ではごく貴重な、短編・中編・長編のすべてに優れた作家です。その村上春樹自身が「長編を書くのは総力戦」という言い方をしています。
 ですから、村上春樹の長編はすべて「総力戦」なのですが、中でもこの『1Q84』という作品はその印象が強いものになっています。それは、「二つのストーリーが併行して進行する」「現実と異なる世界に迷い込む」「カルト宗教を描く」「邪悪なものの権化のような存在を描く」「子どもの頃の初恋相手を思い続ける」「ものを書く人間の成長を描く」……といった、これまで村上春樹が追究してきたテーマをこの作品に注ぎ込んでいるからです。
 ただし、だからよい作品になっているかどうかは断定できません。これまで追究してきたテーマを注ぎ込んでいるからこそ、一度読んだ話をまた読むような既視感もないわけではありません。読んでいて面白くて一気に読まされましたが、最後まで読んでみると、「これで終わりなの?」という物足りなさはかなり残りました。
 村上春樹作品はどれも「謎が解き明かされない」ことが多いのは確かですが(→これに関しては私と千田洋幸さんの共編著 『村上春樹と一九八〇年代』 の中で書いたことがありますのでそちらを参照してください)
、それにしても、この作品には他の作品以上の物足りなさが残りました。『ねじまき鳥クロニクル』のときのように、後から書き足されるという可能性もあります。
          
 その点も含めて、いずれこの作品に対する私の考えを論文化してみたいと思っています。



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