考えるための道具箱

Thinking tool box

漫画家の知性。

2005-02-06 22:06:39 | ◎読
東京のフジテレビでは夜中に、小泉孝太郎が各界で活躍中の人たちにインタビューを繰り広げる「孝太郎ラボ」という、なんともすばらしい番組を放映している。インタビュアーのトラウマを思わせるコミュニケーション不全や、絶妙に最悪な間の取り方などをずっと見てるとだんだん気色が悪くなってくるのだが、まあそれはおいておいて、先週(日にちは忘れた)のインタビュイーは、浦沢直樹。浦沢もなかなか絡みにくくって困っていたようだが、まあこれもおいておいて、そのインタビューでわたしが関心/感心したのは、漫画家のインテリジェンスのあり方だ。言いすぎだとしたら知識経験といったことかもしれない。

彼はアシスタントの採用試験では、けっして「私の漫画観」を延々と熱く語る人を採らないという。そんな視野狭窄では困るし、むしろ漫画以外のことに高い関心がある人のほうが優秀な人が多く、そういった人のほうがアシスタントとして長続きするともいう。「なあ、おいそうだよなあ、すぐやめたやつもいるよなあ」と現アシスタントに同意をとりつつ、漫画を描く技術なんてのはあとからいくらでも習得できる、とまで言い切った。

浦沢直樹の作品は、いまや唯一無二ともいえるエンターテイメントをつくりあげているわけだが、『20世紀少年』にしても『Masterキートン』『パイナップルARMY 』にしても、その白熱のストーリーラインは、さまざまな角度の知のエピソードの集積であるともいえる。また『PLUTO』(※2)も、「地上最大のロボット」のリメイクとはいえたんなる焼き直しではなく、まさに正しい意味での換骨奪胎(※1)の最良の見本と言え、同作にとって本質的に重要なフィッシュボーンだけを見極めそこに新たな知見を肉づけしていっているといえる。要素構造の吸い上げ方、改良のバランスはまさにゴッドハンドだ。

いずれも「引用・援用」であり、ある意味では間テキストといえないことはないが、これを実現していくためには、広角なインテリジェンスの備蓄と、全体像がわかっているがゆえの取捨選択力・目利きが必要になる。

時同じくして、『ユリイカ2005年2月号』の特集「ギャグまんが大行進」。そこに掲載されちているいくつかのギャグ漫画評はそれこそ玉石混交だが(※3)、面白いのはやはり、しりあがり寿と春日武彦の対談だ。だらだらと行われた対話ではあるが、そこでは、ストーリーマンガだけではなく、ギャグマンガにおいても知を知ること、それがゆえの節度が大切であることが如実にあらわれている。わたしが直感的に感じた、漫画家の「知識経験」「知識範囲」というものの正体のヒントもある。

そもそもしりあがり寿は、わたしたちを真底震撼させる『弥次喜多 in DEEP』をはじめ、数々の作品において驚愕の知識経験を披露しているが、その構成要素のひとつに、ビール会社のマーケティング部門で培われた生活・生活者へのインサイトがあることは間違いないだろう。つまり、少なくとも「子ども」よりはものを知っているということだ。

もちろん、無垢な子どもの発想を無意識に表現できることこそが、ギャグ漫画の要諦であるという考え方もある。しかし、『ユリイカ』に掲載されているエッセイのなかのひとつで、その子どものセンスを高く評されている、おおひなたごうという漫画家を、いくら表象文化的な知見で解説されても、「まったく面白くないよなあ」と感じてしまうのは、わたしだけだろうか。

思えば、不条理ギャグ的な位置づけで、表面的には高い評価を受けていた作家は多いが(朝倉世界一、榎本俊二オなど)、わたしには、ひとつも面白いとは思えない。悪いが「不条理」でもなんでもなく、小学校の休み時間のドタバタしかみえない。

そして、その子どもの発想の最右翼が、鴨川つばめ(※4)だろう。かれこれいまから30年ほど前、まわりの友だちのほとんどが、毎週、チャンピオン誌上での『マカロニほうれん荘』の展開を心まちにしていたときでも、わたしはいまひとつ釈然としなかった。「ぜんぜん、おもろないねんけどなあ、おれは」ということだ。同時期に連載されていた『がきデカ』と一見同じようなドタバタにみえるのだが、わたしのなかでは大きく異なっていた。同じようなことをしりあがり寿も感じていたらしい。

春日 よくギャグマンガが語られるときに、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』以前以後ということが言われますけど、しりあがりさんはあれを面白いと思いますか。
しりあがり 実を言うと、そんなでもないと思ったんです。
春日 僕もそうでした。
しりあがり 『がきデカ』(山上たつひこ)は好きだったんですけど、鴨川つばめはもう一つこなかった。僕なりに思ったのは、鴨川つばめの世界の幼児性にいまいちついていけなかったんです。僕が小学2年のときに『ウルトラQ』が始まって、そこでアニメは子どものもので大人は実写だと決めちゃったんです(笑)。そうすると、どこかしらで男は成長して大人になるべきだというイデオロギーが刷り込まれて、中学生にもなると小説なんかでも純文学をわからないなりに読んだりしたわけです。


わたしの違和感をうまくいいあててくれている。そして同時に、知識を拡げていくということに気負いとなんら抵抗のない彼のビヘイビアもあれわれている。

さて。

もちろん、わたしはいま世の中に排出されている数多くの漫画家の実際のインテリジェンスのレベルを把握できるものではない。しかし、地頭の賢さがあふれていると感じられる漫画は確かに存在し、そういった漫画はやはり面白い。新しい知の扉を開いてくれるといえるかもしれない。
わたしが集英社系の漫画(※5)をほとんど読まないことや、最近の「ヤングマガジン」「スピリッツ」のほとんどの連載が稚拙にしかみえないことはここに起因するのだろうか。


(※1)換骨奪胎:古人の作った詩文について、あるいはその発想法を借用し、あるいはその表現をうまく踏襲して、自分独特の新しい詩文を作る技法(こと)。〔俗に、焼直しの意に誤用される〕(新明解国語辞典5版) ということで、決して骨抜きとかそういった意味ではないわけです。
(※2)ちなみに2月20日号の『ビッグコミックオリジナル』では、掲載号にもかかわらず『PLUTO』は残念ながら休載。もう、ずいぶん読んでいないような気がするなあ。
(※3)もちろんここで書かれているわたしの文章と比べれば、みんな「玉」なわけだが、ギャグ漫画を解説するという行為の無意味性を超えるのはひょっとしたら難しいかもしれない。以下は、掲載の評のうち「玉」かな?と思われるもの(あくまで私見)。「●世の中はどんどんいいかげんになっていく。それでも廻る。-いしいひさいち論」「●かわうそ化するポストモダン-吉田戦車から見た日本社会」「●モグラとサルの闘争-古谷実と反ブルジョア精神」「●『自虐の詩』を奇跡と捨て置くのではなく-小池田マヤ論」。ほかにもあるかもしれないがいまは未読。ただひとつ言えるのは、良い作品は良い評を生むということか。
(※4)鴨川つばめは『消えたマンガ家 ダウナー系の巻』(大泉実成、新潮OH!文庫)のラスト・ロング・インタビューのおいて、『マカロニ…』当時のタフさと精神への支障、これに起因する諦念などを連綿と語っている。そこにあるのは、実は繊細なインテリジェンスである。しかしいっぽうで、しりあがりの対談と異なり話が自分以外の知へと気軽に拡がっていないところはやはり気になる。まあ、このことが鴨川がダウナー系にカテゴライズされる理由かもしれないが。
(※5)じつは、週刊少年ジャンプは、うまれてこのかた一度も買ったことがない。集英社系で唯一家にある単行本は『SLUM DUNK』で、これは言わずもがなですね。そのため『SWITCH 2005年2月号』の「スラムダンク、あれから10日後--」は、購入をかなり迷っています。



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2 コメント

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う~ん長い。 (souisland)
2005-02-06 22:35:15
小泉孝太郎は最近見ないなぁと思ったらそんな所で活躍してたんですか…。

長いんでやっぱり中途挫折しました。(笑)

図書券1万円分の一冊で、白石一文さんの本

読んでみてください。(sou)
Unknown (urat2004)
2005-02-07 00:30:40
コメントをありがとうございました。&

おつかれさまでした。



●孝太郎ラボは、相手が志村けんなどのときは、インタビュイーのフォローでなんとか成立するのですが、そうじゃない場合は厳しいですね。人はよさそうなんですどねえ。



●「長さ」は課題ですねえ。いつも、ああこれじゃあ足りない、言い尽くせていないと、ついつい書きすぎてしまいます。少し方法を考えて見ます。

とはいえ、全文読んでいただくと、多少はしかけなども入れていますので、ぜひプリントアウトして(笑)読んでみてください。



●じつは女性の作家って、なぜか苦手で、かなり限定的です。OKなのは、川上弘美、小川洋子、金井美恵子、多和田葉子の4名です。でも考えてみれば彼女たちの文体はある意味男性っぽいんですよね。



●あ、例のものありがとうございました。聴いてのち意見をまとめます。

カシオペアの新しいのもできるだけはやく買うようにします。

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