12月20日月曜日、朝6時45分…いつも目覚ましが鳴る時間、その日は電話が鳴った。寝ぼけて切ること2回、ようやく電話だということを理解した。弟からの電話…かけ直してみると弟は涙声で『ばあちゃんが死んだ。』と告げた。理解できずに『誰の?』と聞く、『おりたちの』と弟は言った…
自分達のばあちゃんは、父方はもう亡くなっているので一人しかいない。でも、具合が悪かったとも聞いていなかったので、本当にびっくりした。
…と言うか、現実味がなかった。それでも、支度をして弟と共に長野へ向かった。
長野県下伊那郡天龍村平岡折立…現存9戸、並みの田舎では無い、超超ど田舎に母方の祖父母は住んでいる。
コンビニはおろか、店など辺りには無い。買い物は車で20分程のところにようやく小さな個人商店が数軒といった具合…そんな集落で専業農家を営む祖父母が、母のそして僕のルーツである。
母は4人兄弟、全員高校だけでなく大学も出ている。そのお金を平地など一切無い山奥で専業農家だけで賄っていた。どれ程の苦労だったかは想像もつかない。現金で収入を得るために、祖父母は養蚕をしていた。それこそ僕が小学校を卒業する頃までだろうか。『お蚕さま』の独特な匂いを今も懐かしく思い出す。
夏休み等で遊びに行くと、湧水で冷したスイカを出してくれた。帰るときには、お小遣いと山ほどの野菜を持たせてくれた。山道で車酔いする僕にばあちゃんの梅漬けは効果覿面だった。
そんな祖父母から今では4人の子供に9人の孫と広がった。ひ孫も6人いる。なかなか一堂に会するときは無いけれど…
そんな一堂が会する時が、まさかばあちゃんのお別れになるとは思いも寄らなかった。
ばあちゃんは誰にも迷惑をかけず逝きたいと言っていた。そして、本当に誰にも迷惑をかけず、お別れも言わず静かに逝ってしまった。
ばあちゃんはいつものように夕食を食べ、風呂に入り、テレビを観て20時には床についた。そして、23時頃にトイレに行った。トイレから帰り床に入りまた眠った。じいちゃんがその20分ほど後にトイレに行き、床に戻ったときには息がなかった…
じいちゃんは救急車を呼び、心臓マッサージをしたらしい…
でも、ばあちゃんは本当に眠るように、安らかに逝ってしまった。ばあちゃんの死に顔には苦しんだ様子もなく、本当に眠っているとしか思えない位だった。
でも、ばあちゃんに触れたときの冷たさが現実を物語っていた。
ただただ悲しくて、泣いた。ばあちゃんは余り語らなかったけど、いつもニコニコしていて、優しかった。ばあちゃんの作る炊き込みご飯、芋じんは最高に旨かった。
ばあちゃんが10人兄弟の一番上だったなんて話、亡くなって初めて聞いたし…
享年83才…長生きだったと思うけれど、まだまだ居て欲しかった。
今まで本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。今までいっぱい苦労した分、天国でゆっくり休んで下さい。
自分達のばあちゃんは、父方はもう亡くなっているので一人しかいない。でも、具合が悪かったとも聞いていなかったので、本当にびっくりした。
…と言うか、現実味がなかった。それでも、支度をして弟と共に長野へ向かった。
長野県下伊那郡天龍村平岡折立…現存9戸、並みの田舎では無い、超超ど田舎に母方の祖父母は住んでいる。
コンビニはおろか、店など辺りには無い。買い物は車で20分程のところにようやく小さな個人商店が数軒といった具合…そんな集落で専業農家を営む祖父母が、母のそして僕のルーツである。
母は4人兄弟、全員高校だけでなく大学も出ている。そのお金を平地など一切無い山奥で専業農家だけで賄っていた。どれ程の苦労だったかは想像もつかない。現金で収入を得るために、祖父母は養蚕をしていた。それこそ僕が小学校を卒業する頃までだろうか。『お蚕さま』の独特な匂いを今も懐かしく思い出す。
夏休み等で遊びに行くと、湧水で冷したスイカを出してくれた。帰るときには、お小遣いと山ほどの野菜を持たせてくれた。山道で車酔いする僕にばあちゃんの梅漬けは効果覿面だった。
そんな祖父母から今では4人の子供に9人の孫と広がった。ひ孫も6人いる。なかなか一堂に会するときは無いけれど…
そんな一堂が会する時が、まさかばあちゃんのお別れになるとは思いも寄らなかった。
ばあちゃんは誰にも迷惑をかけず逝きたいと言っていた。そして、本当に誰にも迷惑をかけず、お別れも言わず静かに逝ってしまった。
ばあちゃんはいつものように夕食を食べ、風呂に入り、テレビを観て20時には床についた。そして、23時頃にトイレに行った。トイレから帰り床に入りまた眠った。じいちゃんがその20分ほど後にトイレに行き、床に戻ったときには息がなかった…
じいちゃんは救急車を呼び、心臓マッサージをしたらしい…
でも、ばあちゃんは本当に眠るように、安らかに逝ってしまった。ばあちゃんの死に顔には苦しんだ様子もなく、本当に眠っているとしか思えない位だった。
でも、ばあちゃんに触れたときの冷たさが現実を物語っていた。
ただただ悲しくて、泣いた。ばあちゃんは余り語らなかったけど、いつもニコニコしていて、優しかった。ばあちゃんの作る炊き込みご飯、芋じんは最高に旨かった。
ばあちゃんが10人兄弟の一番上だったなんて話、亡くなって初めて聞いたし…
享年83才…長生きだったと思うけれど、まだまだ居て欲しかった。
今まで本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。今までいっぱい苦労した分、天国でゆっくり休んで下さい。