おいしkxtuta
ここはわたしの地元の教会
ここを会場に、没37年の先の妻、没15年の息子の記念会をした。
死んだのに、どうして記念会というか? その問いがあるかもしれない
亡くなるとは、
そのそも地上に命をくれた方の元に戻るからだ。
だから、「天国への凱旋記念」という人もいる。
読みにくいがこれが当日のプログラム
聖書の言葉、祈り、讃美歌、そしてメッセージで
構成されている。
本来なら、遺族代表の立場だが、この時は
メッセージをした。その骨子は、「死んで終わりではない。死は
永遠の命への通路に過ぎない」、と死を相対化した。
私の姉と兄、、、甥っ子、姪っ子も参列してくれて
精一杯、賑わった。 兄弟は皆、「腰が痛い」「膝が痛い」
「目が見えなくなった」と様々な病気を抱えている。
どこにもある光景であるが、こうした高齢化が、今年で
最後、と決断した理由である。私も血液の癌で視界不良でもあるので、、、
亡くなった妻も息子も「いいよ、ありがとう」と言ってくれるに
違いない。
ここはわたしの地元の教会
ここを会場に、没37年の先の妻、没15年の息子の記念会をした。
死んだのに、どうして記念会というか? その問いがあるかもしれない
亡くなるとは、
そのそも地上に命をくれた方の元に戻るからだ。
だから、「天国への凱旋記念」という人もいる。
読みにくいがこれが当日のプログラム
聖書の言葉、祈り、讃美歌、そしてメッセージで
構成されている。
本来なら、遺族代表の立場だが、この時は
メッセージをした。その骨子は、「死んで終わりではない。死は
永遠の命への通路に過ぎない」、と死を相対化した。
私の姉と兄、、、甥っ子、姪っ子も参列してくれて
精一杯、賑わった。 兄弟は皆、「腰が痛い」「膝が痛い」
「目が見えなくなった」と様々な病気を抱えている。
どこにもある光景であるが、こうした高齢化が、今年で
最後、と決断した理由である。私も血液の癌で視界不良でもあるので、、、
亡くなった妻も息子も「いいよ、ありがとう」と言ってくれるに
違いない。