2011年5月18日(木)
備中松山城は、岡山県高梁市の小松山山頂(430m)を中心に築かれた城郭である。
大和高取城、 岩村城とともに日本三大山城の一つで、天守の現存する山城としては、随一の高さを誇る。
城内には、天守・二重櫓・土塀の一部が現存する。
別名を高梁城(たかはしじょう)という。
この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応二年(1240)に有漢郷の地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により
臥牛山の主峰である大松山(標高470m)に砦が築かれたことに始まる。
現存する天守などは、天和三年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられている。
明治六年(1873)に廃城令が出されたが、あまりにも高い山上の建物ということで、取り壊されずに放置されていた。
昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。
鞴峠(ふいごだわ 290m)の駐車場まで車で行けるが、道は細く曲がりくねっている。
途中での車のすれ違いは容易ではない。同じような登城をした、観音寺城を思い出した。
なお、鞴峠の駐車場の収容能力は10台ほどしかないため、土日祝日は、麓からシャトルバスが運行されている。
松山城は、ここから約700m、およそ15分ほど坂道を登ることになる。
登城心得(その1)「松山城へは 右手の道を進むべし」に従って、右手の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b4/2de90e25ded3ff75d49041d2f7027cf2.jpg)
石段が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/cba0c771bdfb8d344ba37b8bcc7c557b.jpg)
緩いが、けっこう息が上がる。
登城心得(その2)「あわてず ゆっくり進むべし」
まったくそのとおり。ゆっくり上ることにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ea/09a14b6ce600f11a40d4d37867881c88.jpg)
まだまだ石段が続く。ゆっくり、ゆっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/36/751f2ac045550aa031bb5b43c550f96a.jpg)
中太鼓櫓跡
上り始めてしばらくすると、中太鼓櫓跡(標高355m)の石垣が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8f/ea479a77871ba2f08cf1378359a788ee.jpg)
小松山から南へ延びる尾根上にあたり、別名「上太鼓櫓」と云われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/16/2bea2ee7585187df876b76e794718d7a.jpg)
眼下に見える前山山頂の下太鼓の丸と小松山城(備中松山城)のほぼ中間に位置し、
戦略上の重要な拠点である。
城主の登城の際や有事の際に、山麓の御根小屋と天守とを太鼓で連絡する中継所のひとつだった、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/22/ae038f0030f7aa4953fbb43b5df62728.jpg)
さらに石段が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/16/2960ae4613428aa3e92516ebe2c1c389.jpg)
突然、大きな石垣が現れた。大手御門跡だ。
がっしりとして風格が感じられ、金山城の大手門跡を凌ぐ造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/79/d2baf2c65f48e2d594d9bce1393bd302.jpg)
大手御門石垣
天然の岩盤の上に築かれた高石垣群はただただ感動ものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/34/c78d5220bf546465cd989e824d4ce284.jpg)
足軽箱番所跡付近から見た登城道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/91/dbbe0a87ad3609fd56532b97902889c5.jpg)
三の平櫓東土塀
永年の風雪に耐えて残った現存の土塀で、国の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/033cf1589b3c661955c309c248cd3539.jpg)
四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b9/cfc8b1d2577b14fb2cecd78677c6bc32.jpg)
三の丸の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7b/3f1369e160c715a8128dd1ef979d51b7.jpg)
三の丸を過ぎて黒門跡付近を上る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/bf/54829ef65f191d304fdc599dfde3aa18.jpg)
最後の坂を上り、二の櫓門跡(鉄門跡)を過ぎると二の丸である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ef/6d58768a2c42cda536fec5155bafd7c3.jpg)
二の丸から六の平櫓(左)五の平櫓(右)を望む。
手前は復元土塀で、四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ce/de88acb0d65d61d50fa71fa81f2810ae.jpg)
二の丸から六の平櫓(左)五の平櫓(中央)天守閣(右)を望む。
五の平櫓と六の平櫓は復元されているが、天守閣は現存のものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8a/a9de292666e0504d8be2a402ee5ab840.jpg)
本丸南御門で登城料(300円)を払い本丸に入る。
天守の東脇に本丸東御門がある。本丸の勝手口にあたる。
本丸内で唯一の引戸の作りとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/df/179ed10f2492d9768e9993b104248c29.jpg)
天守閣
木造本瓦葺きで2層2階建ての構造になっている。
昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/1d/2ddddd5a7f82797cf8f8405dd8e5b646.jpg)
天守閣に入る前に天守閣の裏手に廻ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/7c/5efaf4f5c7170252f431bba37c3a6071.jpg)
二重櫓の正面脇に椀木御門がある。
本丸の裏門にあたり、降りていけば搦手門の前に出るそうだが、門は閉まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/8b/2b786c73116b207f1326b91cb2751ea8.jpg)
二重櫓(現存)
2層2階建ての構造となっており、昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a3/f78890af1901dee77e8a7976ee5ad42a.jpg)
二重櫓と椀木御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b6/4ae36d9919b589d67ad92907df451fd2.jpg)
天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/bc/0c244e61a6c36ff46d2a7c6c5a638557.jpg)
天守閣から五の平櫓(左)六の平櫓(右)を望む。
五の平櫓(左)六の平櫓(右)の間にあるのが、本丸南御門になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/15/9d1af1ddddddbfd09f1ad4d8916b37bc.jpg)
天守閣に入ると、そこは一階ではなく、天守閣と八の平櫓を結ぶ接続廊下ということだ。
階段を上ったところが一階となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/c2/40dc07016a040a7bedd000c0880348fd.jpg)
天守閣内部
大分古くなってはいるが、まだまだしっかりとした造りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d5/76bf547453b28535bfc6b307f1f64fc1.jpg)
武者窓(連子窓)
正方形の角材の角を外側に向けて並べて、外からは内が見えにくく、
内からは広角に敵兵の動きを見ることができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ee/e2afe0519ae0dc0af0689974960b888e.jpg)
天守閣内部に切り込みの囲炉裏があるのは、全国でも珍しい。
籠城時の城主の食事、暖房用に用いられたと云われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/24/c3d3e756ef9c478e77ea409af77ecd44.jpg)
階段を上ると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4c/a8b81d5a82d93f262639e96dda5af9f9.jpg)
御社壇
天和三年(1683)当時の城主水谷左京亮勝宗がこの城を修築した際、備中松山藩の守護として、
三振の宝剣に天照皇太神を始め、水谷氏の守護神羽黒大権現等十の神々を勧請し、
この御社壇に安置し、事あるごとに盛大な祭典を行い安康を祈った、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ca/04f38168494f468560f3bee4a8a26cbe.jpg)
装束の間
最上階の奥まったところに籠城時の城主一家の居室があった。
床下に石を入れて隙間のないようにし、忍びの者でも侵入できないよう工夫されている。
戦いに敗れ、落城の時の城主一家の死に場所でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/79/b5caf3316d045d46533488933321800d.jpg)
鯱瓦
頭部は虎、体部は背上に鋭い刺をもつ架空の海魚。
波を起こしてよく雨を降らす、との言い伝えから、防火の呪い(まじない)と考えられている。
その姿が勇ましく、反り返った姿が鉾を立てた形に似ていることから鯱鉾と言われる。
左右で一対を為し、口を開けた「阿」と口を閉じた「吽」とがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/55/4117dfe0fabd280f2dfaade035ab0e01.jpg)
五の平櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/85/e63aecfd46984fbc420c452a9dfb1a20.jpg)
六の平櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b1/eceb035c24b260c3a296c950c2f791b9.jpg)
本丸南御門から見た天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a8/9c6c9fc30a2dc0a76988405cbb3fa659.jpg)
下城の際にもう一度大手御門の高石垣が正面に見えてくるが、芸術品のような美しさを見せてくれる。
何度みても素晴らしい石垣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/5d/0eb2f1cc5babee75c12761ba2046c5d2.jpg)
登城心得(その3)「本日の登城 大義であった」
『ははぁ、大層満足でござりました』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c9/1771b28606aadaa26a40765c4f5c9eb3.jpg)
この日の登城はここで終わりである。
明日は急遽予定を変更して山陰を廻ることにし、米子に向けて岡山道(現在無料区間)・山陽道・
米子道(現在無料区間)をひた走った。
行く先は日本100名湯のある皆生温泉である。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
備中松山城は、岡山県高梁市の小松山山頂(430m)を中心に築かれた城郭である。
大和高取城、 岩村城とともに日本三大山城の一つで、天守の現存する山城としては、随一の高さを誇る。
城内には、天守・二重櫓・土塀の一部が現存する。
別名を高梁城(たかはしじょう)という。
この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応二年(1240)に有漢郷の地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により
臥牛山の主峰である大松山(標高470m)に砦が築かれたことに始まる。
現存する天守などは、天和三年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられている。
明治六年(1873)に廃城令が出されたが、あまりにも高い山上の建物ということで、取り壊されずに放置されていた。
昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。
鞴峠(ふいごだわ 290m)の駐車場まで車で行けるが、道は細く曲がりくねっている。
途中での車のすれ違いは容易ではない。同じような登城をした、観音寺城を思い出した。
なお、鞴峠の駐車場の収容能力は10台ほどしかないため、土日祝日は、麓からシャトルバスが運行されている。
松山城は、ここから約700m、およそ15分ほど坂道を登ることになる。
登城心得(その1)「松山城へは 右手の道を進むべし」に従って、右手の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b4/2de90e25ded3ff75d49041d2f7027cf2.jpg)
石段が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/cba0c771bdfb8d344ba37b8bcc7c557b.jpg)
緩いが、けっこう息が上がる。
登城心得(その2)「あわてず ゆっくり進むべし」
まったくそのとおり。ゆっくり上ることにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ea/09a14b6ce600f11a40d4d37867881c88.jpg)
まだまだ石段が続く。ゆっくり、ゆっくり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/36/751f2ac045550aa031bb5b43c550f96a.jpg)
中太鼓櫓跡
上り始めてしばらくすると、中太鼓櫓跡(標高355m)の石垣が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8f/ea479a77871ba2f08cf1378359a788ee.jpg)
小松山から南へ延びる尾根上にあたり、別名「上太鼓櫓」と云われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/16/2bea2ee7585187df876b76e794718d7a.jpg)
眼下に見える前山山頂の下太鼓の丸と小松山城(備中松山城)のほぼ中間に位置し、
戦略上の重要な拠点である。
城主の登城の際や有事の際に、山麓の御根小屋と天守とを太鼓で連絡する中継所のひとつだった、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/22/ae038f0030f7aa4953fbb43b5df62728.jpg)
さらに石段が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/16/2960ae4613428aa3e92516ebe2c1c389.jpg)
突然、大きな石垣が現れた。大手御門跡だ。
がっしりとして風格が感じられ、金山城の大手門跡を凌ぐ造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/79/d2baf2c65f48e2d594d9bce1393bd302.jpg)
大手御門石垣
天然の岩盤の上に築かれた高石垣群はただただ感動ものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/34/c78d5220bf546465cd989e824d4ce284.jpg)
足軽箱番所跡付近から見た登城道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/91/dbbe0a87ad3609fd56532b97902889c5.jpg)
三の平櫓東土塀
永年の風雪に耐えて残った現存の土塀で、国の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/033cf1589b3c661955c309c248cd3539.jpg)
四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b9/cfc8b1d2577b14fb2cecd78677c6bc32.jpg)
三の丸の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7b/3f1369e160c715a8128dd1ef979d51b7.jpg)
三の丸を過ぎて黒門跡付近を上る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/bf/54829ef65f191d304fdc599dfde3aa18.jpg)
最後の坂を上り、二の櫓門跡(鉄門跡)を過ぎると二の丸である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ef/6d58768a2c42cda536fec5155bafd7c3.jpg)
二の丸から六の平櫓(左)五の平櫓(右)を望む。
手前は復元土塀で、四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ce/de88acb0d65d61d50fa71fa81f2810ae.jpg)
二の丸から六の平櫓(左)五の平櫓(中央)天守閣(右)を望む。
五の平櫓と六の平櫓は復元されているが、天守閣は現存のものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8a/a9de292666e0504d8be2a402ee5ab840.jpg)
本丸南御門で登城料(300円)を払い本丸に入る。
天守の東脇に本丸東御門がある。本丸の勝手口にあたる。
本丸内で唯一の引戸の作りとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/df/179ed10f2492d9768e9993b104248c29.jpg)
天守閣
木造本瓦葺きで2層2階建ての構造になっている。
昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/1d/2ddddd5a7f82797cf8f8405dd8e5b646.jpg)
天守閣に入る前に天守閣の裏手に廻ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/7c/5efaf4f5c7170252f431bba37c3a6071.jpg)
二重櫓の正面脇に椀木御門がある。
本丸の裏門にあたり、降りていけば搦手門の前に出るそうだが、門は閉まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/8b/2b786c73116b207f1326b91cb2751ea8.jpg)
二重櫓(現存)
2層2階建ての構造となっており、昭和二十五年(1950)に国の重要文化財の指定を受けている。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a3/f78890af1901dee77e8a7976ee5ad42a.jpg)
二重櫓と椀木御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b6/4ae36d9919b589d67ad92907df451fd2.jpg)
天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/bc/0c244e61a6c36ff46d2a7c6c5a638557.jpg)
天守閣から五の平櫓(左)六の平櫓(右)を望む。
五の平櫓(左)六の平櫓(右)の間にあるのが、本丸南御門になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/15/9d1af1ddddddbfd09f1ad4d8916b37bc.jpg)
天守閣に入ると、そこは一階ではなく、天守閣と八の平櫓を結ぶ接続廊下ということだ。
階段を上ったところが一階となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/c2/40dc07016a040a7bedd000c0880348fd.jpg)
天守閣内部
大分古くなってはいるが、まだまだしっかりとした造りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d5/76bf547453b28535bfc6b307f1f64fc1.jpg)
武者窓(連子窓)
正方形の角材の角を外側に向けて並べて、外からは内が見えにくく、
内からは広角に敵兵の動きを見ることができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ee/e2afe0519ae0dc0af0689974960b888e.jpg)
天守閣内部に切り込みの囲炉裏があるのは、全国でも珍しい。
籠城時の城主の食事、暖房用に用いられたと云われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/24/c3d3e756ef9c478e77ea409af77ecd44.jpg)
階段を上ると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4c/a8b81d5a82d93f262639e96dda5af9f9.jpg)
御社壇
天和三年(1683)当時の城主水谷左京亮勝宗がこの城を修築した際、備中松山藩の守護として、
三振の宝剣に天照皇太神を始め、水谷氏の守護神羽黒大権現等十の神々を勧請し、
この御社壇に安置し、事あるごとに盛大な祭典を行い安康を祈った、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ca/04f38168494f468560f3bee4a8a26cbe.jpg)
装束の間
最上階の奥まったところに籠城時の城主一家の居室があった。
床下に石を入れて隙間のないようにし、忍びの者でも侵入できないよう工夫されている。
戦いに敗れ、落城の時の城主一家の死に場所でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/79/b5caf3316d045d46533488933321800d.jpg)
鯱瓦
頭部は虎、体部は背上に鋭い刺をもつ架空の海魚。
波を起こしてよく雨を降らす、との言い伝えから、防火の呪い(まじない)と考えられている。
その姿が勇ましく、反り返った姿が鉾を立てた形に似ていることから鯱鉾と言われる。
左右で一対を為し、口を開けた「阿」と口を閉じた「吽」とがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/55/4117dfe0fabd280f2dfaade035ab0e01.jpg)
五の平櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/85/e63aecfd46984fbc420c452a9dfb1a20.jpg)
六の平櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b1/eceb035c24b260c3a296c950c2f791b9.jpg)
本丸南御門から見た天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a8/9c6c9fc30a2dc0a76988405cbb3fa659.jpg)
下城の際にもう一度大手御門の高石垣が正面に見えてくるが、芸術品のような美しさを見せてくれる。
何度みても素晴らしい石垣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/5d/0eb2f1cc5babee75c12761ba2046c5d2.jpg)
登城心得(その3)「本日の登城 大義であった」
『ははぁ、大層満足でござりました』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c9/1771b28606aadaa26a40765c4f5c9eb3.jpg)
この日の登城はここで終わりである。
明日は急遽予定を変更して山陰を廻ることにし、米子に向けて岡山道(現在無料区間)・山陽道・
米子道(現在無料区間)をひた走った。
行く先は日本100名湯のある皆生温泉である。
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