ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

早いもので 満1歳を迎えました

2009年08月28日 | ウマさんちのメモリアルデイ
2009年8月28日(金)


早いもので、孫が8月11日に満1歳の誕生日を迎えました。
学園イーアスの「Studio Alice」で記念写真を撮ったのがこの日出来上がったので紹介します。
「Studio Alice」からはファイルをメモリなどで貰うことは出来ないので出来上がったアルバムを直接デジカメで撮りました。


スタジオでは録画はOKなのですが、デジカメは禁止されています。
いろんな衣装や小道具を使って撮影できます。


このような表情を撮るのは結構難しいものですが、さすがプロですね。
一瞬の表情を逃しません。


このまますくすくと育って欲しいと願っています。

椎林叢に囲まれた 20番札所「西明寺」

2009年08月27日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年8月27日(木)


真岡に行くことになり、少し時間があったので、益子町の20番札所「西明寺」にお参りすることにした。
人里をやや外れ、曲がりくねった坂道の先に、西明寺があった。
参道入口の納経所の向かいには、天然記念物の樫の木が覆い茂っていた。


一見茶店のような萱葺き屋根の納経所も風情がある。
「関東ふれあいの道」の通過点になっている。


納経所前の土産物を並べている棚を囲むように五円玉がぶら下げられていた。
何かのお呪い? それとも鳥よけ? なのだろうか。


石段の上に僅かに楼門の屋根が見える。


西明寺周辺は椎林叢(しいりんそう)と言われ、椎・樫・椿など暖地性常緑広葉樹林が見られる。
参道石段の左右にある周囲2mを越す椎林が、昭和32年に栃木県の天然記念物に指定されているとのこと。


西明寺の楼門は、室町時代明応元年(1492年)の建立で重要文化財に指定されている。
右の写真は内側から見たところ。屋根には草が生えており年輪を感じさせる。
 

楼門のすぐ横には三重塔が建てられている。
これも室町時代天文7年(1538年)の建立で重要文化財に指定されている。
関東甲信越四大古塔のひとつとして有名だそうだ。


本堂から楼門と三重塔が並んで建っているのが見える。
屋根が対照的だ。


鐘楼は二階建てになっており、梯子が外されていたので、残念ながら鐘を撞くことは出来なかった。


楼門をくぐると右手に質素な造りの閻魔堂(えんまどう)がある。


堂内には閻魔大王以下、地蔵尊、奪衣婆、善童子、悪童子の五つの像が鎮座しているそうだが、見えたのは三つだった。
閻魔大王はどことなく愛嬌のある顔をしている。


本堂の歴史は古く、幾度となく兵火に遭ったが、現況のものは元禄14年(1701年)に再建が行われたとある。


本堂内部はいろんな彫刻が施されている。
本堂厨子は重要文化財に指定されている。本尊は十一面観世音菩薩である。


天井には千社札がびっしりと貼られている。
よく貼り付けたものだと感心する。昔の人は身が軽かったのだろう。


雑踏を離れ、自然林の中に佇む境内に立つと、何となく気が落ち着く。
「西明寺」は、また訪れてみたい場所のひとつである。


2009坂東33観音霊場巡りの目次

烏山念仏堂から蘆花恒春園へ

2009年08月25日 | ウマさんの「KDD友歩会」
2009年8月25日(火)

KDD遊歩会」定例ハイキングに参加した。
今回は、烏山念仏堂から蘆花恒春園を散策する歩程約4Kmのコースである。
真夏の暑い日差しを受けながらの行程でもあり、年配の方も多いので昼食前に解散という予定になっている。

集合場所は京王線「芦花公園駅」で、


芦花公園駅から少し離れたところに小さい公園のような場所がある。
ここが、この日の集合場所で32名の参加があった。


参加者が揃ったところで出発。芦花公園団地の中を歩く。


ほどなく「烏山念仏堂・薬師堂」だ。ちょうど工事中で中には入れなかった。


烏山念仏堂・薬師堂のすぐ近くに「烏山神社」がある。
烏山念仏堂・薬師堂の分までお参りして行こう。


神輿泰安庫内には、九つの神輿が保管されていた。
全部揃ったところを見れればさぞかし壮観なことだろう。


世田谷文学館」に到着も10時の開館には少し早かった。


見事な錦鯉達がお出迎えだ。しばしの間、鯉を見ながら開館を待った。


1階には世田谷在住の作家の常設展が、2階では特別展が観覧できる。
堀内誠一の”旅と絵本とデザインと”が展示されていた。
ここで40分ほど館内を観覧したが、じっくり見るにはもう少し時間が必要だ。
(内部は撮影禁止)


世田谷ならではの緑の生い茂った庭を評価しながら住宅地を歩く。
(あまり覗き込むと不信に思われますよ!)


蘆花恒春園
明治・大正の文豪徳富蘆花が明治40年、永住の地として移り住んだ場所である。


綺麗に手入れされた竹林が印象的だ。


徳富蘆花・愛子夫妻の墓


萱葺き屋根の愛子婦人の居宅。
この他、梅花書屋、秋水書院などの建物が残されている。


蘆花が来訪した客を見送りに行ったところに大きな杉の木があったことから、わかれ杉と言われたそうだ。
今は枯れてしまって、切り株だけが残されている。


環状八号線(環八)通りに沿って歩く。
歩道が狭いので自転車などが通るたびに通路を譲る。


世田谷のど真ん中にも無人の野菜売り場があるのだと妙な感心をした。


大好物のにがうり(ゴーヤ)を土産に買った。
これで百円、は安いのではなかろうか?


12時ちょっと過ぎ、「芦花公園」駅前に到着し、世話人の挨拶で解散となった。


この日の気温は30度をちょっと下回ったので、暑さは思ったほどは感じられなかった。
一汗かいた、軽い散歩といったところであろうか。


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鐘楼からの眺めが一服の絵 10番札所「岩殿観音」

2009年08月03日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年8月3日(月)


この日参拝したのは、10番札所「岩殿観音」である。

表参道の整然とした石畳が続く。(山門から見たところ)
土産物店などが一軒もないのが落ち着いた静寂な雰囲気を醸し出しているのかも知れない。
最近は寺の裏手の県道側からの人が殆どで、こちらの参道を通って参拝する人は少ないそうだ。


石畳の先の石段を上ると仁王門だ。


迫力がある仁王尊金剛力士像


仁王門の後ろには約100段ほどの急な石段が続く。


石段を上ると緑に囲まれた庭が広がっている。
セミの鳴声が境内に響き渡る。


最近はお参りの前に鐘をつくのが手順になっている。
草葺き屋根の鐘楼は、元禄15年(1702年)に建立されたと伝えられるもので、東松山市内では最も古い建造物として、市有形文化財に指定されているそうだ。
銅製の梵鐘は、元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、埼玉県指定有形文化財になっている。


鐘楼からは参道の家並みを一望できる。
「山寺」を思い起こさせるような景色で、一服の絵になる眺めだ。


観音堂は落ち着きのある佇まいである。


観音堂の欄干に太子像が鎮座している。
四国では、通常本堂とは別に太子堂があり、中に太子像が祀られている。
しかし、坂東観音霊場では太子堂は珍しく、このように本堂脇に像があるのが一般的なようだ。


境内から見ると、山門、参道が一直線となっている。


坂東33観音霊場巡りは、ようやく3分の2が終わったところだ。
地理的な理由で、まだ神奈川県の8霊場がひとつも参拝していないで残っている。
何とか早い時期に残りの霊場を巡りたいものである。


2009坂東33観音霊場巡りの目次

小雨に煙る観音堂 9番札所「慈光寺」

2009年08月02日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年8月2日(日)


この日の最後は9番札所「慈光寺」である。
群馬県から埼玉県に差し掛かる辺りから次第に雨足が強くなってきた。
戻り梅雨にしては、既に8月に入ったというのに長すぎる。


「慈光寺」へと通じる山道を登った駐車場脇に「慈光寺」の案内図がある。
全山「慈光寺」という感じでかなり広い範囲に建物がちらばって建てられている。
全体が埼玉県の重要遺跡に指定されている。


山門に入る前に少し坂を下って鐘楼を見に行ったが、あいにく撞くことはできなかった。
銅製の梵鐘は、鎌倉時代寛永三年(1245年)の作で、国指定の重要文化財となっている。


可愛いらしい山門が我々参拝者を迎えてくれた。


ほっと一息つきたいところだが、本尊の観音堂は、さらに5分ほど坂を登ったところにある、と案内が示されている。
また、参拝後に朱印するようにとの案内が貼られている。


息をきらしながら石畳の坂を上る。
石段は雨に濡れて滑りやすい。
 

石段を上りきると、忽然と雨に煙る観音堂が現れた。
とても幻想的な雰囲気である。


足元に賽銭入れがあるのは珍しい。


参拝を終えた後、高齢の御住職のお説教を聞きながらの朱印は、印象に残る。
御住職の話では、ここの千手観音の向って右の掌は裏を向いていて、子を背負う手であると言う。
ありがたく尽きることのないお説教を聞くには若干の忍耐が必要だ。



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