ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

大震災に負けず 乙戸沼で元気を確認

2011年03月25日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2011年3月25日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第11回「乙戸沼周辺ウォーキング」に参加した。

東北関東大震災”の影響で会員の中には建物や家財道具が破損するなど被害を被った人もいたようだ。
会としては、いち早く向こう一カ月の行事を控えることを決めたが、会員の元気な姿を確認したいということから、
歩いて参加出来る近くの人のみを対象とし、急遽乙戸沼公園に集まることにした。
当初の計画は「足尾山ハイキング」で真壁城址に集まる予定であったが、ガソリン供給がままならず、遠出は避けたという次第。

この日、集合場所の乙戸沼公園には13名が集まった。
中には幸運にもガソリンが手に入り、車で駆けつけた人もいて、会長を喜ばせた。
話は2週間前の「浅草寺とスカイツリー」直後の大震災からの”脱出劇”に集中した。


とりあえずいつもの準備体操をして・・・


『ずっと家にいたから足が鈍ってしまったわ』


9時30分に赤塚公園に向けて出発。


こぶしの花が咲き始めている。


梅園公園の梅は既に盛期を過ぎていたが、逆に春近しを感じさせる。


穏やかな日差しを浴びながら赤塚公園の遊歩道を一周して・・・


力強く進む先頭の3人は、ブランクを感じさせない。


復路の梅園公園の東屋で休憩だ。
東屋は建て替えられたばかりで新しい。


『お一つどうぞっ!』
『ありがとう』


『やっぱ、こうやって歩くのは気持ち良いねぇ』
『元気が出るねぇ』


つくば市並木付近。


つくば市下広岡付近


土浦自動車検査登録事務所付近
常磐道が目の前を走るが、車はいつもより少ない感じ。
間もなく出発地の乙戸沼公園だ。


11時20分、乙戸沼公園に到着。2時間弱、予定通りだ。
整理体操をして・・・


バリケン・鳩も仲間入り?


『今日はお忙しい中本当に御苦労さんでしたっ!』



”東北関東大震災”から2週間、会では、いち早く向こう1カ月の活動を休止することにした。
震災の悲惨な状況が明らかになり、また東京電力福島第一原発の事故もこの先どうなるのか見通しが立たず不安が増す中、
会員の元気な姿をこの目で確認したい、ということでこの日のウォーキングとなった。
会長も皆さんの元気な姿に一安心といったところである。

この先、家でじっとしてるより少しでも歩いた方が良い、ということで、次回は4月8日(金)”洞峰公園”に集まり、
本格的なウォーキングに向けて足馴らしをすることを確認して解散となった。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次



”どぜう”に大満足 浅草寺とスカイツリー

2011年03月11日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2011年3月11日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第10回「浅草寺とスカイツリー」を巡るウォーキングに参加した。

この日は、”どぜう”料理を食べれるとあってか、35名が上野駅「パンダ橋口」に集まった。
例会としてはかつてない参加者である。


点呼を取り、2班に分かれ、10時ちょどに上野駅を出発。
先ずは浅草寺を目指した。


国道4号線を首都高1号上野線に沿って入谷方面に進む。


入谷の交差点で歩道橋を渡り、言問通りへ向かう。


西浅草三丁目辺り。


40分ほどで浅草寺に到着。
大勢の観光客で賑わっていた。外国人が多い。


とりあえずスカイツリーをバックに記念撮影だ。
スカイツリーの真下では、カメラに納めきれないので、浅草寺で撮ることに。


浅草寺本堂へのお参りは帰りに寄ることにして、スカイツリーを目指した。


隅田公園


隅田公園では、一部の桜の木が既に開花を迎えようとしていた。
この日はかなり暖かいが、それにしてもちょっと早すぎる。


言問橋から隅田川を望む。
気温も高く、”春うらら”という感じである。


言問橋からスカイツリーを正面に見ながら進む。


実物のスカイツリーを見るのも”どぜう”も初めて、という人も多く、次第に気分が盛り上がってきた。


業平橋の工事現場に到着。
目の前にスカイツリーがそそり立つ。現在609mとのこと、高いっ!!


スカイツリーをこの目にしっかりと焼き付けた。
思い思いに記念の一枚を納める。


浅草通りを戻る際、本所吾妻橋辺りからスカイツリーを見たところ。


駒形橋から、隅田川に浮かぶ屋形船が見える。
これから花見シーズンともなると、屋形船の出番である。


予定時間ぴったりに「駒形どぜう」に到着だ。
中は、昼食時で大変な賑わいだ。


定食は鍋定食と柳川定食の二種類だが、それぞれの好みで予約注文しておいた。
料理が出る前に、先ずはビールで喉を潤す。
ビールには、しっかりとスカイツリーが印刷されている。


鍋定食の前菜、豆腐とこんにゃくの味噌でんがくだ。
やや甘い味噌味が旨い。


鍋定食のどじょうは、一皿が一人前で、3~4人が仲よく一緒に食べることになっている。


ネギを山のように盛り、山椒と七味を適度に振りかけて食べる。
なくなると仲居さんが手際よくどじょうを皿ごと追加してくれる。
どじょうはあらかじめ柔らかく煮てあるので、丸ごと骨まで食べられる。
山椒の香りが程良く食欲をそそり、美味しい。


どじょうが数匹入っている味噌汁は味が濃い。
いつもの味噌汁とは一味違う。絶品である。


どじょうが初めての人も大満足、の様子。


『浅草に行ったらどじょうを食べたいっ』の気持ちが分かった。


こちらの人は、柳川定食で一杯やっている。


”どぜう”に舌鼓をうち、満足した後、再び浅草寺に向かった。
雷門辺りからもスカイツリーがよく見える。


雷門
ここでいったん解散し、自由行動で思い思いに買い物を楽しんでもらうことに。


仲見世通り。
いつ来ても大勢の人で賑わっている。


仲見世通りから宝蔵門を望む。


この日の無事を祈り、浅草寺本堂にお参りだ。


土産物も買い、仲見世通りを通り、雷門に向かう。


雷門をくぐり、浅草寺を後にした。


首都高1号上野線を渡ると、上野駅である。


赤いモニュメントを右に曲がると「パンダ橋口」だ。


この日はここで解散とし、後は自由行動とした。
『お疲れ様でしたっ!! 気を付けて帰りましょう』



この後、常磐線に乗り、帰路についた。
「浅草寺とスカイツリー」さらに”どぜう”に大満足の1日であった。


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日本100名城巡り No.13 白河小峰城

2011年03月06日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年3月6日(日)


この日は、キャンピングカーのバッテリー充電のため、かみさんと連れだって栃木県道の駅「どまんなかたぬま」に向かって
車を走らせていた。
東北道佐野ICまで来た時に急に気が変わり、100名城巡りをして行こうということになり、「白河小峰城」へハンドルを切った。

白河小峰城」は、単に白河城とも小峰城ともいう。
南北朝時代の1340年に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。
天正十八年(1590)城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、
蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配した。

駐車場から見た「白河小峰城」の三重櫓


いきなりの訪問で、予備知識も全く持ち合わせていなかったため、案内図がたよりである。


太鼓門は現在はなく、「太鼓門跡」の案内板があるだけだ。
当時は太鼓門の両側は堀があり、石垣の上に建てられていた。
明治後期まで石垣はあったようだが、現在は堀とともに何も残っていない。


二の丸(公園)の中を進むと「小峰城址」の碑が建てられている。


会津門辺りから見た小峰城の石垣




会津門は現在、公園の入り口になっている。


会津門を入った辺りから見た白河小峰城の石垣
下段が帯曲輪の石垣、上段が本丸の石垣である。


緩やかな曲線の石垣には何とも言えない美しさがある。
石垣の上には、戊辰戦争の追悼碑が建てられている。


清水門の西側から見た石垣
この上辺りに「月見櫓」があった。


清水門の手前から見た三重櫓


本丸への入り口、清水門


清水門の両側には堀になっている。これは右側にある堀。


清水門を入って左側へ進む。


櫻門跡の石垣


櫻門の石段を登ると・・・


広い本丸に出る。
本丸の一角に再現された前御門三重櫓をみることが出来る。


こうして見ると小さいながらもなかなかの櫓である。
一見天守閣のようにも見える。


多門櫓跡から二の丸を望む。


三重櫓の入り口


三重櫓入口から前御門と二の丸(公園)方面を望む。


三重櫓の中へ入る。
復元されて間がないようで新しい。


階段上り口に戊辰戦争の鉄砲の弾の跡が残っている板があった。
激戦地だった松並稲荷山の杉の木に鉄砲の鉛玉や弾痕が発見され、それを加工したものが使用されている。


最上階の3階はかなり狭い。


棟札には、平成二年四月に復元されたと記されている。


三重櫓から那須岳、旭岳方面を望む。


本曲輪から三重櫓を見る。
やはり桜の時期が似合うのだろう。


雪見櫓跡


寛永四年(1627)丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、
寛永六年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして寛永九年(1632)に完成した。
主な改修者である丹羽長重築城の碑が建てられている。


竹之丸から前御門と三重櫓を望む。


竹之丸から清水門の石垣を望む。
堂々とした美しい石垣である。


清水門から撮影した「白河小峰城」



「白河小峰城」を訪れ、復元されたものとは言え本丸の一角にそびえる三重櫓に、お城の美しさを再認識した。
実に堂々とした立派な石垣が強く印象に残った、今回の100名城巡りであった。


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旧水戸街道若柴宿 坂道探訪

2011年03月04日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2011年3月4日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第9回「旧水戸街道若柴宿の坂道」を探訪するウォーキングに参加した。


この日の集合場所、牛久沼揚水機場
真冬に逆戻りの冷え込みにも関わらず、22名が集まった。


真っ青な空が眩しい。
寒いので、いつもより入念に準備体操をして・・・


9時45分、出発だ。


佐貫駅へ通じる道。


佐貫駅で、体調を整えて・・・
佐貫駅はあまり利用したことはなかったが、駅前が広いのに感心した。


この日のコースを紹介してもらったOさんを先頭に若柴宿へ向かう。


江川を渡る。


若柴宿最初の坂道は、”足袋屋坂”だ。
坂の上り口に咲いたやぶ椿を見上げる。


足袋屋坂の特徴は、坂道の片側が大きくえぐれていて、木の根が張りだしているところだろう。
昨年下見をした時には草が生い茂っていたので、よく分からなかったが、根っこの力凄さが感じられる。


いったん足袋屋坂の上り口に戻り、”ねがらの道”を進む。
ねがらとは根がはびこるという意味だ。


やぶ椿のトンネルが続く。
今は舗装されて見えないが、昔は木の根があちこちにはびこっていたのだろう。


延命寺坂を通り過ぎ、旧水戸街道の緩やかな大坂を上ると、矢坂神社がある。
若柴宿の入口に当る。


この辺りは、旧街道だがけっこう車が多いので注意が必要だ。
さきほど通り過ぎた”延命寺坂”へ向かう。


梅の花が満開である。ほのかに梅の香りが漂ってくる。


延命寺坂から旧水戸海道へ戻り、案内に従って流坂へ進む。
流坂”もまた緩やかな勾配の坂道になっている。


鬮神社(くじじんじゃ)
当会にはくじに興味がある人は少ないのか、本殿(祠)まで出向いてお参りする人はまばらだ。


御手洗の池(おみたらしのいけ)
”おてあらい”ではない。


御手洗の池を過ぎると、鬱蒼とした竹林がある。


星宮神社


星宮神社は、常陸国太守平貞盛ゆかりの神社で、北斗七星や北極星が名前の由来になっている。


ここで軽い休憩を摂り、次の金龍寺へ向かうことにした。


若柴宿の名残だろうか、立派な構えの家が多い。
ひと際目立つ門構えである。


金龍寺参道の入り口


その真ん前に、若柴宿内にある唯一の飲食店”田舎庵”という蕎麦屋がある。
常に並んで待つほどの人気がある店だそうだ。
是非一度かみさんでも連れて訪れてみたいものである。


金龍寺の参道
参道の左側にはお墓がびっしりと並んでいる。


金龍寺は、元享元年(1321)新田義貞の創建、天真禅師の開基と伝えられている古刹である。
新田氏歴代の菩提寺として、はじめは上州新田郡(群馬県太田市)にあったが、
天正十八年(1590)義貞の子孫由良国繁が太田金山城から牛久に国替えになったときに、寺も一緒に移築された。


今も本堂内には新田家の仏壇が設けられ、本堂裏の薄暗い木立の中には、義貞以下、新田氏代々の墓が残っている。


静かに眠る新田家の墓に手を合わせ、金龍寺を後にした。


金龍寺を出て直ぐ”鍛冶屋坂”がある。


昔は、両側に鍛冶屋が並んでいたことから鍛冶屋坂の名が付けられている。
今は何も残っていない。細い坂道があるだけだ。


鍛冶屋坂を下り、”椿の小径”を足袋屋坂の方へ折り返す。


足袋屋坂まで戻り、元来た道を引き返し、再び江川を渡る。
風が冷たい。


佐貫駅で体調を整えて・・・
寒いとトイレが近くなるのは自然の摂理である。


後ろに見えるのは、2両編成の関東鉄道竜ヶ崎線だ。


皆で渡れば怖くない? 
『ちゃんと横断歩道を渡りましょうね!』(青なので信号無視ではない)


スタート地点の牛久沼揚排水機場が見えてきた。


12時5分、ほぼ予定どおりゴールだ。
いつもの整理体操をして、『はいっ、今日もお疲れ様でしたっ!』


いつもは、ここで解散となるのだが、この日は午後から「総会」が予定されている。
この後、みんなで揃って昼食に向かった。


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”春近し”を実感 鋸山ハイキング

2011年03月02日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2011年3月2日(水)

「健康ウォーキングの会」ベテランのK子さんから、”青春18キップを使って鋸山へ行こう”との提案があり、
有志を募ったところ、当会から13名が集まった。


この日朝、荒川沖駅05:27発の始発電車を待つ会員の皆さん。
まだ回りは真っ暗だが、元気一杯だ。


秋葉原辺りでようやく明るくなってきた。
06:37だから、まだ夜明け前である。


総武線、内房線を乗り継いで、09:25にようやく浜金谷に到着だ。
内房線の駅舎の屋根は青く統一されているようである。
ここまで4時間の長旅だったが、疲れの表情などは見えない。


予報は曇りだったが、あいにく小雨がパラつく天気に。
しかし、傘をさすほどではない。


ここで、いつもの準備体操!となる筈なのだが・・・この日はあいにくの天気で中止ということに。
09:40、鋸山を目指して出発~ッ!


10分ほど進んだところで、登山道は階段になる。


狭く細い階段が続く。


前夜はかなりの雨が降ったのか、濡れており、滑り易い。
注意が必要だ。


20分ほど登ると、観月台に到着した。


眼下に浜金谷の町が広がる。
東京湾フェリー港にフェリーが停泊しているのが見える。
向かいの3本の煙突が久里浜になる。


観月台からいったん下り・・・


また、上る。(海抜150m付近)


岩を削って階段状にしてあるので、上り易い。
また、この辺りの岩は砂岩で出来ているので、転んでも泥んこになることはない。


途中には、こんな看板が。
今はまだ安心だが、夏は気を付けないといけない。


しばらく上ると山頂へ向かう道と石切り場跡へ向かう道に分かれている。
せっかく来たのだから、と石切り場跡方向へと進む。


石切り場への途中から見た山頂。
石を切り出した跡が残っている。右側の突き出たところが”地獄のぞき”だ。
”まあ、後は似たような景色だろう”ということで、引き返し、山頂へ向かうことにした。
この判断が正しかったのか、間違っていたのかは、不明である。


山頂へ向かう道はだんだん狭く、また急になってきた。


切り通しのような道もあり、なかなか変化に富んでいて面白い。


鋸の歯のような山”だということが実感出来る。


関所”(管理所)へ通じる最後の階段を上る。


関所(管理所)が設けられ、通行税600円を払って中に入ると・・・
(30年ほど前だったか、課内旅行で来た時には、このような関所はなかったように記憶している)


百尺観音」を拝むことが出来る。
関所の外からは見えないようになっている。
世界戦争戦死病没殉難者供養のため、として、昭和41年に6年の歳月を費やして完成した、と案内に記されている。


百尺観音を通り過ぎて振り返って見た景色。
垂直の断崖に囲まれ、不思議な空間を生み出している。


百尺観音から7-8分で、山頂に到着した。
館山道が真下を通っているのが分かる。


山頂の展望台から見た”地獄のぞき
実際に立ってみると、恐怖感はさほど感じない。
見ている方がよほどスリルを味わえるのではないか。


こちらは、保田の市街地から館山方面を望む。
保田港に白い建造物が見える辺りが、この日のゴール「ばんや」だ。


サル、トンビには注意”の立て札が・・・


11時半を過ぎ、少しお腹が空いてきたので、昼食を摂ることに。


どこからともなく・・・上空にはトンビが舞い始めた。


ビクビクしながらの昼食だ。
注意はしていたのだが、ついに、ウィンナーを奪われてしまった人も。
手にけがをしなかっただけ良し、としましょう。


急に気温が下がって来たので、食後直ぐに下山開始だ。


日本寺は、千五百羅漢でも有名、である。
中華民国の懐安大中寺の八百羅漢を凌ぐもので、世界一の羅漢霊場として海外にも知られている、とのこと。
西国観音


百体観音


日牌堂


維摩窟


顔の一部や手の部分が欠けている羅漢様。
首のないものもかなり見られた。
この他にもまだまだたくさんの羅漢像や仏様が崖下に安置されている。
その数全部で1,553体、とのこと。


椿の花が鮮やかに咲いていた。春近し、を感じさせてくれる。


しばらく下ると、日本寺の大仏様が見えてきた。


高さ31.05mは、日本一の大仏様である。
正式には、”薬師瑠璃光如来”と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現わしたもので、
世界平和、万世太平の大象徴として復元されたもの、とのこと。


大仏様の隣に”お願い地蔵尊”が安置されている。


さまざまな願いが叶えられると尊崇を集め、小さなお地蔵様が無数に奉納されていた。


薬師本殿医王殿
日本寺の本尊である、薬師瑠璃光如来が祀られている。
昭和14年に不慮の火災により焼失したが、60余年を経て平成19年に再建された。


日本寺の本殿は、現在復興再建工事中で、一般には公開されていない。
仮本殿下の石段横には、”源頼朝公御手植え”の蘇鉄があった。
なんと樹齢800年だそうだ。


心字池(しんじいけ)を見ながら進む。
草書体の「心」を形どったところからこの名前がついている。


仁王門
偏額の「乾坤山(けんこんざん)」は韓国の王族 李鎔公の書、とのこと。


日本寺を後にし、元名海岸を歩いて保田に向かった。
帰りの電車の時刻を考慮して、日本寺から「ばんや」までの無料バスを利用する案もあったが、
早めの下山が功を奏し、歩いて「ばんや」へ向かうことにしたのだ。


当会では久しぶりの海岸ウォーキングである。
穏やかな波打ち際を歩くのは、爽快な気分になる。


13時20分に、この日のゴール「ばんや」前の土産物店に到着した。
土産の”ひもの”を買うためである。


めいめい、好きなひものを買い求めた。


試食がたまらなく美味かったので、鯖とギラ(ひいらぎ)のひものを買った。
晩酌のつまみにはもってこいである。


この後、無料バスで保田駅まで送ってもらい、帰路についた。



電車を待つ間のちょっとした時間だったが、男性陣は堪らずビールで喉を潤したことを、報告して〆にしたい。
当然のことながら、整理体操は、省略ということに。
鋸山山頂ではやや肌寒さは感じたが、穏やかな海岸線を歩いて”春近し”を感じた一日であった。


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