ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

阿見飛行場と霞ヶ浦湖畔散策

2012年03月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年3月30日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
2012年第11回「阿見飛行場と霞ヶ浦湖畔」を散策するウォーキングに参加した。

この日は、午後から”総会”が開催されるとあって、
第一集合場所の乙戸沼公園には28名が集まった。
会長も『いつもこのくらい集まってくれると良いんだけどなぁ』
同感である。


車7台に分乗し、阿見町舟島ふれあいセンターに向かった。
舟島ふれあいセンターは、霞ヶ浦湖畔に都市計画された閑静な高級分譲地
ガーデンシティ湖南」にあり、洒落た建物である。


久しぶりの30名近い参加者に、会長の掛け声にも力が入る。
『思いっきり空を見上げて~っ』


『腰を落として~っ』


予定通りの9時30分に阿見飛行場目指して出発!!


『今日は久しぶりだなぁ』
思わず力が入るほどの張り切りようだ。


特別養護老人ホーム”阿見こなん”前を通過。
団地内に特別養護老人ホームがあるのは、将来を見据えてのことなのだろう。
「新型特別養護老人ホーム」と呼ばれるユニット方式を採り入れた、全室個室型の最新施設で、
平成22年7月に完成し、理想の個別ケアを目指している、そうである。


南平台団地(ガーデンシティ湖南)の中を通り・・・


谷津橋を渡ってガーデンシティ湖南をいったん後にする。


団地を一歩離れると”田舎風”の景色に変わり、何となく落ち着く。


都内では明日にも桜が開花しそうという時期に梅が満開である。
例年より1カ月近く遅れているが、あと1週間もすれば、梅と桜が同時に楽しめるかも。


里山の竹林を抜けると・・・


視界が開けて広い台地に出た。


前方に「阿見飛行場」が見えてきた。
左側は滑走路である。


セスナ機が並んでいる。


東京航空阿見飛行場
昭和55年に完成した、軽飛行機専用の飛行場で、近距離の遊覧飛行を始め、
放送宣伝・航空写真撮影・スカイダイビング等に利用される。


金網越しに覗いてみると・・・
『可愛らしい飛行機ねぇ』


『一度乗ってみたいゎ』
遊覧飛行は、大人2,600円、子供1,800円で6-7分は飛べるそうだ。


シートで覆われ、係留されているセスナ機の横をとおり、飛行場を取り巻く道路を進む。


幅60m、長さ720mある滑走路は、自動車の走行シーンの撮影にも利用出来る。


『飛び立つところを見たかったわね』
ちょっと残念そうな表情だ。


飛行場を離れると、周りは田んぼに変わる。


阿見町島津付近


10時10分、出発して約40分、ここで一休み。


お茶タイムの始まりだ。
それぞれ持ち寄った飴やお菓子やチョコが配られる。
血糖値が高いのを気にしながら、『せっかくいただいたものだから・・』
と食べてしまう意志の弱い管理者なのである。


国道125号線を横断して、


赤い帽子を被せられたお地蔵さんが見守る中を進む。


間もなく霞ヶ浦だ。


10時25分、霞ヶ浦湖畔に到着。


湖畔の土手を土浦方面へ進む。


正面やや左からの北風が強く、思ったように気温が上がらない。
『寒いわねぇ、天気予報当ってんのかしら?』
気温が上がるのは午後になってからのようだ。


筑波山が霞んで見える。


霞ヶ浦湖畔を2Kmほど歩き、左へ折れて再び国道125号を渡る。


当会発足時からの会員K子さんたちも、久しぶりのウォーキングを楽しんでいる。


満開の白梅から微かに梅の香りが漂う。
『良い匂いねぇ』


阿見町立舟島小学校
この小学校周辺は桜の名所だとか。


11時ちょうど、小学校に隣接した小さな公園に到着。


ここで時間調整のため、小休止だ。
温かいお茶が恋しくなるほどの気温である。


ガーデンシティ湖南の「島津の杜公園」を進む。


ガーデンシティ内に親水公園があるとは羨ましい。


バスが走る公園大通りを反時計回りに進む。
南平台北バス停、


南平台西バス停と通り、


南平台南バス停付近
大きくて立派な家がず~っと続く。高級住宅地を実感する。


「水彩の池」が見えてきた。
『なかなか良い眺めだねぇ』


上空にセスナ機が飛んでいる。
遊覧飛行で阿見飛行場から飛び立ったようだ。


「水彩の池」を囲むように高級住宅が立ち並ぶ。
どこかヨーロッパを思わせるような風景である。
都市景観大賞を受賞したそうだが、納得である。


間もなく舟島ふれあいセンターだ。


11時25分、舟島ふれあいセンターに到着。
午後からの総会にはちょうど良い時間だ。


整理体操をして、
『はいっ、今日もお疲れ様でしたっ!』


約2時間の歩行で、万歩計は12,000歩を計数していた。
阿見飛行場で飛行機が飛び立つのを見ることが出来なかったのは少し残念であった。
霞ヶ浦湖畔の春爛満を期待したが、気温はあまり上がらず、逆に寒い思いをしてしまった。
次はもう少し春本番になって歩きたいものである。
午後からの”総会”には参加者のほぼ全員と総会だけの会員を含めた37名が参加し、
盛況のうちに終了したことを追記しておきたい。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
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「関東ふれあいの道」(東京)No.1 「湖のみち」(その2)

2012年03月25日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年3月25日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだったし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第二回目のこの日は、コースNo.1「湖の道」の残り半分(梅の木平~小仏城山)を歩くことにした。
梅の木平から小仏城山を目指し、小仏峠を経由して小仏バス停までを歩こうと言うものである。
高尾山口からコースの始発点「梅の木平バス停」まではバスの便が悪いことから、歩くことにした。

常磐線荒川沖を朝一番の電車に乗り、上野から山手線で東京駅へ。
東京駅からはちょうどうまい具合に中央線快速高尾行きがある。
高尾までの約1時間5分、ゆっくり座って行けるのが嬉しい。
この日の参加者は11名。
「健康ウォーキング同好会」と「まゆみの会」のメンバーが半々だ。


高尾から京王線に乗り換え、8時16分、高尾山口駅に到着。
『今日の天気は最高ですねぇ』
皆さん、天気同様笑顔に溢れている。


準備体操ができる適当な場所を求めて国道20号線を進む。


高尾山入口交差点脇に小さな駐車場があったので、そこで準備体操をすることに。
この日は久しぶりの快晴で、見上げる空が眩しい。


両会のいつもの体操なので、息もぴったりである。


8時25分、先ずは「関東ふれあいの道」出発点の「梅の木平」を目指して出発!!
高尾山口から梅の木平までのバスは本数が少なく、ちょうど良いのがないため歩くしかないが、
軽い準備運動のようなものだ。


前方に高速道路の複雑な造形が見えてきた。
今日(3月25日)の15時に”圏央道高尾山IC”が開通するとの電光表示が見えた。


式典会場の看板
今日ここで、式典が催されるのだ。


高速道脇の地下道をくぐると・・・


前方に本来の出発点、梅の木平バス停が見えてきた。


『1日3本しかないんだ』
『利用する人がそれだけ少ないということなんでしょうねぇ』


「関東ふれあいの道」は、道路の反対側である。
横断歩道が見つからないため、車の来ないのを見計らって反対側へ移動。


国道20号線脇に「関東ふれあいの道」の標識があった。
大垂水峠まで8.3Km、小仏城山まで10.1Kmとある。


しばらく歩くと、会席料理「うかい竹亭」の前に差しかかった。
自然の風情が残る静かな佇まいは”奥高尾の隠れ里”と言われているそうだ。


南浅川の支流のまた支流に沿った道を進む。


前回、雪でぬかるんだ山道に悪戦苦闘したため、今回もスパッツを付けて、準備は万全だ。


杉林の中を進む。


高尾グリーンセンターの看板が。
蛇のマークは何を意味しているのだろう?
この先蛇が出るとでも言うのだろうか?


高尾グリーンセンター
自然とのふれあいや学びの場に適した環境で、グループ各種研修のための施設として、
宿泊や日帰りの施設利用(バーベキュー等)が可能、とのこと。
門は閉じられていた。


一般車両通行止の先に、東屋があった。
先ほど我々を追い越したグループが休憩していた。
『何? そっちは埼玉から? こっちは茨城だっぺよ~っ』


高尾山口を出発してかれこれ1時間、早めの小休止で水分補給だ。


『オレンジ? それともパインにする?』
『いやぁ これはどうも、ご馳走さま~っ』


しばらくは緩やかな上りが続く。


身体が温まり、息が上がってきた。


9時50分、高尾山口から1時間25分で梅の木平分岐点(三沢峠)に到着。
左側は神奈川県の「関東ふれあいの道」”峰の薬師へのみち”となっている。


三沢峠の指導標をバックに証明写真を撮り、次の撮影ポイント”大洞山”へ向かった。。


道が二つに分かれているところが何か所かあった。
一方は本道で、やや上りのある道だが、上りが苦手な人は、もう一方の”まきみち”を選ぶ。
大して距離は違わないので、どちらを進んでもあまり変わらないようだ。


三沢峠を過ぎると杉の林が多い。


杉林が途切れ、木々の隙間の向こうに雪を被った丹沢の峰が見える。


城山湖も見える。


杉林の様子(その1)


杉林の様子(その2)


杉林の様子(その3)


杉林の様子(その4)


行儀良く一列縦隊で進む。


突然視界が開け、このコース最高のビューポイントに。
丹沢の峰々と津久井湖が美しい。『素晴らしい眺めだわぁ』
しかし、道は人一人がやっと通れるほど狭く、後ろに続く人を”とおせんぼ”するため、
ゆっくり立ち止まって見惚れている余裕はない。
ベンチが並べられてあったが、あいにく先客で満席だった。
先に進むしかない。


11時ちょっと前に中沢峠に到着し、小休止。
大垂水峠まで2.4Km、城山まで4.2Kmの表示がある。
弁当は大垂水峠で摂ることにした。あと1時間ほどだ。


中沢峠を過ぎた辺りから上りが少し急になった。
『息がきれる~ッ』


『大垂水峠はまだなの~?』
まだ中沢峠を出て10分しか経っていない。


コンピラ山(514m)だ。


”リュック掛け”なるものを初めて見た。


熊笹に覆われた道を進む。


この坂を上れば大洞山(536m)だ。


撮影ポイントは大洞山の標識前が指定されている。
全員の証明写真を撮り終え一安心だが、うまく撮れているかは定かではない。


大洞山から大垂水峠へは下るだけである。


何と、自転車で登山している人に出会った。
駆け足している人は何人か見掛けたが、自転車を押している人は初めて見た。


大洞山から15分ほど下って行くと、眼下に国道20号線らしき道路が見えてきた。


大垂水峠橋を渡る。


大垂水峠橋は、国道20号線を跨いでいる。


弁当を広げるに相応しい場所を求めて、さらに進む。
『まだ弁当にしないのぉ?』 皆さん相当お腹が空いてきたようだ。
『もう直ぐですよぉ』


沢沿いの日当りの良い場所を見つけて、早速弁当を広げた。


カップ麺を美味しそうに食べるKさん。
『身体が温ったまるよ~っ』


お腹を満たし、12時30分、小仏城山を目指す。


大垂水峠から小仏城山までの約1時間は上りの連続である。


平なところに出ると、一息つけるので嬉しい。


美しい杉林と、


急な登りが交互に続く。


振り返って見るとなかなかの眺望に気づかされる。
『なかなか良い眺めだねぇ』


最後の階段を上ると・・・


小仏城山に到着だ。
『やっと着いたわねっ』


小仏城山山頂(670m)で一休み。


2週間前は深い雪で真白に覆われていたが、この日はその面影すら見られない。
『やはり春なんだなぁ』、と感じさせられた。


天狗の彫り物の後ろは高尾山だ。


遠くに見える高層ビル群は東京方面か?


本来の指定コースは、高尾山口方面へ進むことになるが、小仏城山から高尾山口は
前回歩いているので、小仏峠経由で小仏バス停へ向かうことにした。


小仏峠経由で小仏バス停は下りのみである。


下りは予定時間より早くなることが多いので、急ぐことはない。
ころんだり膝を痛めたりするので、ゆっくりと下る。


小仏峠付近の茶屋跡から、


相模湖とほんの少しだけ富士山が見えた。


雪を被った頂上付近の富士山だったが、やはり美しい。
『今日は、天気にも恵まれて、来て良かったわねっ』


小仏峠560mとあるが、地図では548mと紹介されている。
信楽焼の狸の置物が印象的である。


視界が開けた場所からは、都内の市街地が見える。


霞んでいて分かりにくいが一段と高いのはスカイツリーだ。


小仏峠から小仏バス停への下りはかなり急で、つま先が痛くなってきた。


採石をばら撒いた道は歩き難い。


小仏峠から25分ほど下ると舗装された道路に出た。
ここは山登りする人専用の駐車場になっているようだ。


やっぱり舗装道路は歩き易い。
後はバス停まで下るだけである。


14時40分発の高尾駅北口行きバスがちょうど出発するところだった。
直前に1台出たのでこのバスは増発便らしい。
それだけ利用者が多い、ということである。
30分後のバスでも良かったが、せっかく間に合ったので乗り込んだ。


20数分で、高尾駅北口に到着。
駅は大勢のハイカー達で混雑しており、適当な場所もないので整理体操は省略。


15時15分発の特別快速で東京へ向かった。
神田までの約1時間、ひと眠りする人も。
『今日は、朝早くからお疲れ様でしたっ!』

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またしても雨! 高崎自然の森周辺

2012年03月23日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年3月23日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
2012年第10回「高崎自然の森周辺」を歩くウォーキングに参加した。

今回の”高崎自然の森”はつくば市高崎にある森が、”自然環境の保全と緑の育成、
人と自然とのふれあい
”を目的に地域の里山が開放されている。
その周辺は、牛久沼にも近く田んぼに囲まれたのどかな風景が広がり、自然が溢れる
コースとなっている。

この日は”お昼前後から雨”の予報があり、開催が危ぶまれたが、”多少の雨は中止せず”
の方針に則って実施の運びとなった。
第一集合場所、乙戸沼公園には12名が集合。
この日がお試し参加となった新入会員3名も元気に姿を見せた。


車3台に分乗し、つくば市茎崎の高崎自然の森に向かった。
直行した8名と合せて20名の参加には、『予想外だねぇ』と会長もびっくり。


『うぅ~んと背伸びして~っ』


『思いっきり空を見上げて~っ』
いつもに比べて入念に準備体操をして・・・


ほぼ予定通りの9時32分に出発となった!!


野鳥の森」辺りを進む。
久しぶりの参加で話しに夢中の様子。


先導役は、いつものOさんだ。


先日下見をして準備万端、今日も張り切って先頭を歩く。


「高崎自然の森」を抜け、森を取り囲むように整備された農道を進む。


農道は滅多に車が通らないので安心して歩ける。


道路いっぱいに広がって歩くのは本当に気持ちが良い。
解放された気分になる。


牛久沼へ注ぐ源流の一つ、稲荷川だ。
前方が牛久沼に繋がっている。


九万坪の森を抜けると・・・


大きな道路になり、道の両側を歩く。
九万坪という地名は珍しいというか面白い。
地名の由来を知りたいものである。


九万坪の台地から谷田川へ通じる坂を下り・・・


下ったところで水分補給のため最初の小休止だ。


お試し参加の新人もご挨拶代わりのお菓子を配る。
『どうぞ よろしくっ!』
『どうもどうも』『ごちそうさまっ』
これでもうしっかりと顔なじみ、新しい仲間の誕生である。


谷田川に沿った農道を進む。


どきどきこんな車が通る。
のどかである。


谷田川の土手に出た辺りで雨がポツポツと・・・・
何とかゴールするまで持ち堪えて欲しい、と願っていたのだが、ついに降り始めた。
ショートカットすべきか迷ったが、小降りのため予定のコースを歩くことにした。


大した雨ではないが、冷たい雨はせっかく温まった身体が冷えてしまう。
女性陣は素早くカラフルな傘の花を咲かせる。


一方男性陣の中には、『まだまだ傘の出番じゃない』と言う人も。


谷田川に沿って1Kmほど進むと、前方に茎崎橋が見えてきた。


茎崎橋の袂で隊列が揃うまで待っているところ。


牛久方面に向かう県道46号線
路面が大分濡れてきた。


車の多い県道46号線を避け、八坂神社方面へ向かう。


11時ちょと前、八坂神社に到着。
快調なペースである。


八坂神社拝殿
御祭神は素盞嗚命(スサノヲノミコト


今日も無事に歩けた感謝を込めて、お参りは欠かせない。


本殿は、別の建物で覆われている。


稲荷川に架かる橋の辺りは歩道がないため、一列縦隊で整然と歩く。
前方に見える建物は、「みのり幼稚園」


再び周りが田んぼの農道を進む。
やはり車が通らない道はストレスがないので安心感が違う。


「高崎自然の森」に戻り、「水辺の森」を進む。


水生植物が咲く頃に歩いてみたい。
少しだけ雨脚が強くなってきたが、もう直ぐゴールだ。


ほのぼの広場」を抜けて・・・


11時30分、「高崎自然の森」出発地に到着。


いつもだと整理体操だが、あいにくの雨で中止となった。


『ここんところ、雨に祟られっ放しだなぁ』
会長もぼやくことしきり。
今月は既に3月2日、17日と2回も雨で中止となり、前々回も雨の中のウォーキング、
と立て続けに雨に泣かされている。

しかしまあ、途中までは雨にも降られず、最後まで歩けたのは良しとしましょう。
『今日も雨の中、お疲れ様でしたっ!』

ちょうど2時間の歩行で、万歩計は13,000歩を越えていた。
この日は「高崎自然の森」周辺を歩いたが、「高崎自然の森」には「野鳥の森」を始め、
「桜の森」、「四季の森」、「あそびの森」などがある。
また、新たに「茎崎こもれび六斗の森」とを結ぶ樹齢100年を超す大けやきの森を抜けるコースも
整備されたことが案内されていたので、是非一度歩いてみたいものである。


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成田街道を歩く 第2回 船橋宿から大和田宿へ

2012年03月22日 | ウマさんの「成田街道」を歩く
2012年3月22日(木)


「成田街道を歩く」の第2回目となるこの日は、船橋宿から大和田宿までの約14Kmを歩いた。
実際に歩いたのは東武船橋駅から京成大和田駅までで、歩いた距離はもう少し長い。

出発地の東武船橋駅には、12名が集まった。
旧水戸街道も含め、これまでで一番多い参加者となった。


9時5分、大和田宿を目指して出発!


京成船橋駅付近


船橋の繁華街を抜けてちょっと近道をしたつもりだったが・・・
道祖神社をなかなか見つけることが出来ず、街中をいったり来たり。
近くを歩いている人に聞いてみたが、いまひとつ正確な場所が分からない。


何とか道祖神社を見つけることが出来た。
ビルの谷間にひっそりと鎮座してため、見つけるのに少しばかり時間を要した。


道祖神社本殿
道祖神は、村境や辻に祭られ、町や村に悪霊や悪疫が入るのを防ぐ神だった。
また、非常に古くから信仰され、様々な祈願に応える神様になった。


なぜか三峰神社が。
”盗難除け”の御利益がある、そうだ。


次に訪れたのは、道祖神社から100mほど離れた御蔵稲荷神社
こちらは真っ赤な鳥居と、


これまた真っ赤な本殿が印象的で、直ぐに目に付いた。
その昔、飢餓に備えて穀物を蓄えておく郷蔵(ごうぐら)を建てた。
そのお蔭で当地では延宝、享保、天明の飢饉にも餓死した者はいなかった。
村人はその恩に報いるために、神社を祀るようになったと言われ、これを御蔵稲荷
おくらいなり)と呼ぶようになった。


神社の隣に避寒桜が咲いていた。
この時期に桜を観れるとは思っていなかったので、思わず見惚れる皆さん。


少し戻って、真言宗不動院を訪れた。


もとは延享三年(1746)夏の大津波犠牲者供養のため建立されたもので、座像は高さ1mほどだが、
親しみを込めて「大仏」と呼ばれている。
年1回(2月28日)の供養を欠かさず、文政八年(1825)以降からは漁場争いで投獄され、
腹を空かせて獄死した漁民総代二人(仁右衛門、団次郎)のため、大仏の顔に
ご飯を塗るようになったという。


浄勝寺
明応五年(1496)創建の古刹
徳川家康と当寺の専誉大潮(大超)上人は旧知の間柄であったといわれ、
徳川家康から御朱印十石を拝領し、幕府から朱印地を与えられた。
芝増上寺の末寺となっている。
往時は七堂伽藍を有する大きな寺で、敷地も広かったが、幕末からしばしば火事に見舞われ、
明治期だけで3回も焼け、本堂と鐘突堂だけになってしまった、そうである。


浄勝寺の裏に専修寺がある。
浄勝寺の別院となっている。


明治天皇船橋行在所あんざいしょ)の碑
明治天皇は陸軍の演習や牧畜耕転(ぼくちくこううん)事業をご覧になるためにたびたび千葉県を訪れた。
明治六年から同四十五年までの間に計10回在県された、とのこと。
最初に千葉県を訪れて、一日目に昼食を摂ったのが、この地(現在の千葉銀行船橋支店の位置)
ということである。
その後もしばしば山口宅(船橋)を利用され、計10日宿泊した、そうである。
千葉県の指定遺跡になっている。


海老川橋
昔は川幅がはるかに広く、水量も多かった。
そのためか、徳川家康の出現までこの海老川橋に橋梁はなかった。


日本武尊が東征のさい、漁民の船を並べて橋渡ししたとの言伝えがあり、
船橋の地名の由来になっている。


泉重千代翁120歳の時の手形のレリーフがあり、”長寿の橋”とも呼ばれている。


船橋大神宮の鳥居が見えて来た。


石段を上ると・・・


御神輿が鎮座している。


社殿
正式名称は、意富比神社(おおいのじんじゃ)と言い、船橋大神宮の通称で親しまれている。
伊勢神宮の御厨である。


この日の安全を祈願


色んな神社が祀られている。
これはほんの一部だが、よくぞこれだけ神様が集まったものだと思う。
水天宮、稲荷神社、秋葉神社・古峯神社、八坂神社、八劔神社、金刀比羅社


香取神社・鹿島神社、祓所神社・春日神社、玉前神社・安房神社、天満宮、
八幡神社、竈神社、龍神社、道祖神社、客人神社、多賀神社・・・


船橋駅を出発して1時間5分、身体が充分に温まってきた。
道端で、調整のため一休みだ。


地蔵堂


安政年間に疱瘡(ほうそう)が流行したため祀られた。


成田街道入口交差点
丸い輪宝を上に乗せた道標がある。


一番右の石には”右なりた道”と刻まれている。


新京成線の踏み切りを越えてしばらく進むと・・・


御嶽神社があった。
延宝四年(1676)の創建と伝えられ、以前は蔵王権現と称されていたが、
明治初期の神仏分離に伴い現在の社名に改められた。


長い参道の先に・・・


いわゆる社殿造りではない、本殿があった。
しめ縄が掛けてあるので、本殿だと分かる。


風に吹かれて松ぽっくりが落ちてきた。
随分でかい!! こんなのに当ったら大変だ。
北米原産の大王松だろうか?


そろそろお腹が空いてきた。
道路脇のファミレスが気になる。
焼肉の美味そうな匂いが漂ってくる。


陸上自衛隊 習志野駐屯地 第一空挺団の正門
隊員がものものしく検閲をしていた。
写真を撮るのもはばかられるほどだ。


丸亀製麺は相変わらずの人気。
店内の行列が見える。


幸楽苑も素通りである。
八千代緑が丘のイオンモールまで我慢だ。


こちらは習志野駐屯部隊演習場
ここから国道296号線に沿って1.2Kmほども長い塀が続く。


習志野駐屯部隊演習場の先に八幡神社があった。
新木戸の鎮守で、吉橋霊場第67番札所になっている。


本殿へお参りし・・・


八千代緑が丘のイオンモールに到着したときには12時30分を過ぎていた。


2Fのレストラン街へ直行だ。
めいめい好みのものを注文。


『お腹が空いているから、美味しいねぇ』


自分は親子重を注文した。
これで750円はまあまあリーズナブルである。


お腹も一杯になり、元気を取り戻して、13時25分、イオンモールを後にした。


道路脇に様々な石搭が並んでいる。


馬頭観世音碑


二十六夜講塔、牛魂碑


出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)巡礼講塔
出羽三山の巡礼講塔をあちこちの神社で見かけた。
この辺りでは一つの流行になっているようだ。


石搭群の隣に小さな神明社があった。
案内板など何もないため、詳しいことは分からないが、
毎年10月9日に、昼食前にお参りした大和田新田上区の八幡神社と一緒に
”ココノカマチ”(九日祭りの意)が行われるそうだ。


石塔群
車の通行が多いため道路を渡ることができず、反対側から撮影したもの。
子安講中、女人講中などの文字が見える。


さわ田茶屋
戦後最初の首相東久邇宮殿下(ひがしくにのみやでんか)の市川の別邸(昭和初期に建造)
を昭和39年に移築したもので、風格を感じる。
街道筋に平成11年開業した蕎麦を中心とした食事処となっている。


圓光院
真言宗豊山派の寺院


慶長十五年(1610)に羅漢寺が移転して創立されたと云われる。
吉橋霊場第5番札所となっている。


圓光院の国道296号線を挟んでちょうど向かい側に長妙寺がある。
日蓮宗の寺院で、寛永三年(1626)の創建と伝えられる。


境内の梅が満開になっていた。


本堂左手に「八百屋お七の墓」と伝えられる墓がある。
お七は、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。
16歳(満14歳)という幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、火刑に処されたことで知られる。
一途な悲恋として井原西鶴によって取り上げられ、後に浄瑠璃など芝居の題材となった。


医王山薬師寺の門


真言宗の寺院で、吉橋霊場代59番札所となっている。


東日本大震災後既に1年を過ぎているが、今なお荒れた感じのするお寺である。


時平神社(萱田)
平安時代、右大臣菅原道真を失脚させたときの左大臣藤原時平に由来する神社。


「下総三山の七年祭」(船橋市三山にある二宮神社と、船橋・千葉・八千代・習志野の
各地にある9社の神輿が7年に一度(丑年と未年)勢揃いするお祭り)には
時平神社(大和田)と交替で神輿を出す、という。
青い瓦葺屋根は初めて見た。


獅子口(棟の両端や降棟先端を飾る瓦)がある屋根も珍しい。
獅子が逆立ちをしている。


京成本線が見えて来た。


15時5分、この日のゴール京成大和田駅に到着。
船橋駅を出発してちょうど6時間、万歩計は25,000歩を越えていた。


さすがに皆さん、やや疲れ気味の様子だ。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたっ!』



次の第3回目は約1カ月後の4月26日、今日の続き大和田宿~佐倉宿を歩くことになる。
皆さんとまた楽しく歩きたい。

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「関東ふれあいの道」(東京)No.1 「湖のみち」(その1)

2012年03月11日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年3月11日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだったし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

本年1月中旬、東京都へ「関東ふれあいの道」のコース地図を送ってもらい、準備を開始。
東京都のコースは7コースからなり、全てが山の尾根歩きで距離もかなり長かったため、
最初の案では尻込みする人が続出。
そのため、あるコースを2回に分けたり、重複する区間(高尾山口から小仏城山)の2回目は
省略するなど、参加し易いようアレンジした。

最初は数人集まれば、と思っていたのだが、次第に希望者が増え、最終的には18名にも
上る状況となった。

第一回目のこの日は、コースNo.1「湖の道」の半分を歩くことにした。
相模湖からバスで千木良(ちぎら)まで行き、千木良から小仏城山を経て
高尾山口までを歩こうと言うものである。

日曜日にしたのは、ホリデーパスが利用できるからとの単純な理由だが、
ホリデーパスは3月11日が最後で、次週からは「休日お出かけパス」に名称を変え、
料金は2,600円となり、実質300円の値上げのようなものである。

この日は10名が参加することになった。
第2回目からはもっと増えるのは確実で、世話役としては嬉しい悲鳴を上げたくなる状況である。

荒川沖を朝一番の電車に乗り、山手線で上野から東京へ。
東京駅の中央線ホームへ向かうところ。


東京駅1番線ホームで中央線快速高尾行きを待つ。


ホーム向かい側は、東京駅の改修工事が行われており、その一部が垣間見える。
完成は平成24年6月10日の予定とのことで、今から楽しみである。


中央線車内は日曜日の7時前ということもあって、空いていた。


高尾で甲府行きに乗り換え、次の相模湖へ到着したのは、8時10分。
うまい具合に神奈中三ヶ木行きバスが待っていた。


相模湖駅前からほんの5分ほどで出発地の千木良に到着した。


千木良バス停近くの空き地で準備体操をして・・・


小仏城山を目指す。


最初に東京都のコースを提案した女性陣が先頭を歩く。


実はここから仏城山までは「東海自然歩道」である。
小仏城山から高尾山口までが「関東ふれあいの道」になっている。


小仏城山への登山口


体調を整え、8時45分、いよいよ登山開始だ。


暫く急な登りが続く。


先導役はこの辺り一帯を知り尽くしたベテランのKさんにお願いした。
一人も落後者を出さないようにと、ゆっくりとしたペースで進む。


お地蔵さんが見守る。
頭の部分のないお地蔵さんをたまに見かけるが、胴体のないお地蔵さんは珍しい。


20分ほど登ると身体が温まってきた。
上着を脱がないと堪らない。


登り坂は次第により急になってきた。


道標に従って進む。


分岐点などには必ずと言っていいほどこのような道標が整備されているので心強い。
地図は持って来なくても良かった。


杉林は管理人の好きな風景の一つである。


上り始めてちょうど1時間、軽い休憩を摂る。
すれ違った人から、『頂上は真っ白だよっ』と聞かされ、
『本当?』と俄かには信じることが出来なかった。半ば半信半疑だ。


休憩後、5分ほど進むと、何やら白いものが。
『やっぱり雪は降ってるんだぁ』
しかし、ほんのちょっぴりで、今にも融けそうな感じである。


次第に雪の量が多くなってきた。
『そこそこ降ってるねぇ』


城山まで0.3Kの地点を過ぎると・・・


結構な雪である。
『良い想い出になるわねぇ』


雪を踏みしめる音が心地良い。


『真っ白って本当だったんだ』
前日降った雪が思わぬプレゼントになったようで、皆さん興奮気味である。


10時08分、小仏城山の頂上が見えて来た。


茶屋の椅子・テーブルもかなり雪が積もっている。
茶屋の主人が雪搔きをやっていたが、今の時期こんな雪は初めてのことらしい。


10時10分、登り始めて1時間30分、小仏城山山頂(670m)の分岐点に到着した。


天狗の木像の後方右側が目指す高尾山だ。


案内板に見入る。
『ここからが”関東ふれあいの道”なんだね』


小仏城山から高尾山は殆ど下りになる。


下りは楽な筈なのだが・・・


雪が解けた跡は泥んこで歩き難いことこの上ない。
ころばないように細心の注意を払って下る。


小仏城山から約10分で一丁平に到着


一丁平からの眺望は今一つだ。


毎週のように高尾山を訪れていると言うK子さんも、
『今日の天気は残念だわねぇ』と同情しきりである。


一丁平園地で体調を整えて・・・


さらにぬかるみの道が続く。
『砂利でも敷いておいてくれれば良いのにねぇ・・・』
『おかげで靴が泥だらけになっちゃったわ』


しかし、そんな状況にも負けず、皆さん元気いっぱいである。


一丁平を過ぎた辺りから次々とすれ違うようになってきた。
『こんちわっ』『こんにちわ~っ』


道が三つに分かれている。


どの道を通っても高尾山へは通じるとのことだ。
K子さんによると両側は巻道で坂が少なく楽だそうだが、真ん中の道を進むことにした。


11時25分、もみじ台のお茶屋を通過。
そろそろ昼時のためか、どこもお客で一杯である。


K子さんによると、天気の良い日はここから富士山が見えるそうだが・・・


高尾山頂へ通じる最後の石段を上る。
けっこう長い階段だ。


11時35分、高尾山頂上(599m)に到着した。
登り始めて約3時間の行程だ。
かなり遅いペースだが、Kさんのおかげで疲れは全く感じない。


山頂は日曜日のため人がいっぱいである。


ベンチは全て塞がっていたが、何とか空けて貰い、弁当を済ませることが出来た。


昼食を済ませ、後は高尾山口を目指して下るだけである。


高尾山薬王院の最上部にある不動堂
もともとは現本堂の位置にあった護摩堂を明治43年頃に移築し、不動堂とした。
建築様式から寛永年間(1624~1643)に建立されたと推定されている、とのこと。


薬王院本社(飯縄権現堂)は、享保十四年(1729)の建立。
江戸中期の社殿建築として組物・彫刻など、希に見る優れた建築との評価だ。


薬王院本社への石段と鳥居


薬王院本堂は、御本尊薬師如来・飯縄大権現様を祀っている。


線香で身体を清めてお参りしていこう。


薬王院仁王門
仁王像が安置されている。


火渡り祭のポスターがあちこちに貼られている。
毎年3月の第二日曜日に高尾山麓の自動車祈祷殿広場にて火渡り祭が行われる。


薬王院山門
堂々たる構えである。


参道にはおびただしい数の寄進者の名札が並んでいる。
『この人あの有名人じゃない?』


男坂の108段の石段を下る。


浄心門
「霊氣満山」という扁額が掛けられている。


たこ杉のすぐ隣に「開運ひっぱり蛸」がある。


たこ杉


『新宿はこっちの方角かな?』


少し晴れ間ものぞく天気になってきたが、この日の眺望はいまいちだ。


ケーブルカーには乗らず、歩いて下る。


ケーブルカー駅から下ること50分、


高尾山ケーブルカー山麓駅に到着だ。


せっかく来たついでに”火渡り式”を観て行こう。
人の列について国道20号を梅の木平方面へ数分進むと・・・


大勢の人が集まっていた。


それにしてもすごい人である。


まだ火渡り前の式が行われているようだが、中の様子は全く見えない。
(両手を伸ばしてカメラを頭上に構えて適当に撮った)


弓で四方に矢を飛ばしている。


背伸びしても殆ど観ることは出来ないし、火渡りの行はなかなか始まりそうにない。
これだけの人が集まっていたんだ、ということを土産話しのタネに引き返すことにした。


京王線高尾山口駅の改札口付近で、靴に付いた泥を落としているところ。
泥んこの靴で電車に乗るのは気が引ける。マナーであろう。


JR高尾駅のホームに天狗の像が建てられている。
朝は乗り替えで気が付かなかった。


ベンチでしばし電車を待っているところ。


神田までの約1時間、雪のことや次回の話しで盛り上がった。
『今日は、朝早くからお疲れ様でしたっ!』



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コメント
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