ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.46 長篠城

2010年10月10日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月10日(日)


日本100名城のひとつ「長篠城」を訪れた。


長篠城跡に到着すると、先ず目に付くのが、「長篠城史跡保存館」だ。
史跡保存館は、後でゆっくりと見学することにして、本丸跡地に向かった。

       本丸跡地入口
       
              本丸跡地前の長篠城縄張り概図
              本丸後ろは左を三輪川(現宇連川)、右側を寒狭川(現豊川)が
              流れており、天然の要害となっているのが分かる。
              

本丸入口の左側に本丸を囲む土塁が保存されている。

       土塁を上がると、長篠城址の碑が建てられていた。
       
              さらに進むと稲荷神社の鳥居があった。
              
                     土塁の突き当たりに稲荷神社跡があった。
                     長篠城が文化財に指定されたことから、稲荷神社を
                     別の場所に移設した、とある。
                     つい最近までここに稲荷神社があったのだ。
                     
                            土塁のすぐ脇をJR飯田線が通っていて、ちょうど電車が
                            通過するところであった。
                            


本丸跡は広い公園のようになっている。



JR飯田線の後方の山には、武田軍の5つの砦があり、武田軍本隊が設楽原へ進出した後、
長篠城の押さえとして、部隊が陣を敷いて残っていた。
しかし、徳川軍の酒井忠次が東三河の軍勢を率いて裏山に回り、夜明けを待って砦を奇襲しが。
武田軍も激しく応戦したが、多数が討ち死にした。
背後の砦から火の手が上がるのを見た武田勝頼は、冷静さを失い、本隊に総攻撃を指令し、
無謀にも設楽原で馬防柵を組んで鉄砲を構える織田・徳川軍に突入していったのである。


史跡保存館に寄ってみた。
史跡保存館入口でいきなり写真のようなものが目に入った。
鳥居強右衛門(すねえもん)は、長篠城が武田軍に取り囲まれた際、
城を抜け出し、織田・徳川に援軍派遣要請の使者を申し出た人物で、
長篠の合戦では欠かせない烈士である。
城を抜け出た強右衛門は、家康・信長援軍の約束を得て城に戻る途中に、
武田軍に捕らえられてしまう。
武田軍から、城に向かって「援軍は来ないから降伏せよ」と呼ぶことを
強いられたが、強右衛門は「援軍既に本野ケ原に到着」と叫び、武田軍を
激怒させ、磔にされ殺されてしまった、という絵物語である。

       保存館の入口はあまり広くはない。
       右側の窓口で入館料210円を払って中に入る。
       100名城のスタンプもここの窓口に置いてある。
       
              正面長椅子の右側で織田・徳川軍の鉄砲隊の射撃を再現した様子が
              VTRで放映されている。
              

30人ほどが一つの隊を組み、馬防柵を挟んで3班に分かれて交代で射撃した。
これでは、最強と言われた武田騎馬武者もたまったものではない。


内部には長篠の合戦にまつわる資料等が陳列されている。
鳥居強右衛門の磔の様子

       長篠篭城のときに使った血染めの陣太鼓
       奥平家の第一の家宝であった。
       
              長篠の合戦で使われた鉄砲
              
                     設楽原決戦の織田・徳川軍と武田軍の布陣
                     
                            鎧兜甲冑
                            


武田軍の5つの砦が、徳川軍東三河の軍勢に夜明けに急襲され、多数の武将が討ち死にしたのに始まり、
当時敵なしと言われた武田軍騎馬武者が、設楽原における織田・徳川軍との決戦で敗れるという結果に至る
までには、時間にして半日程度であった。
武田軍の油断と過信の結果だと思われる。
この戦さによって、その後、武田家は衰退・没落していき、織田・徳川の世の中になっていった。
日本の歴史上重大な意味を持つ戦いであった。
もし違った結果になっていれば・・・・そんなことを考えながら次の目的地、岡崎城へ向かった。


ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本100名城巡り No.42... | トップ | 日本100名城巡り No.45... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「日本100名城」巡り」カテゴリの最新記事