ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.42 掛川城

2010年10月10日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月10日(日)


3連休を利用して、東海道沿いにある100名城を巡ることにした。
2日目の10月10日、 日本100名城のひとつ「掛川城」を訪れた。


この日は出来るだけ城巡りをするつもりで8時30分には掛川城に近い市街地に入った。
しかし、この日は掛川市の祭りと重なっていたため、駅前のほとんどの駐車場で断られ、
代わりに城から少し離れたJAの駐車場を案内された。やむを得ない。

JA近辺から掛川城が見える。

       5分ほど歩くと、城に通じる柱が4本の四足門に着いた。
       
              四足門は、掛川城本丸に通じる重要な門である。
              城の調査では門の跡は見つかっていないが、正保城絵図を元に復元された。
              
                     四足門をくぐると掛川城天守閣が目に入る。
                     
              
天守閣の開場は9時。少し早く着き過ぎたので、近くを散策してみた。
大手門は、当時より城に60mほど近くに平成7年に復元された。
掛川城の表玄関に相応しい本格的な櫓門である。

       大手門から天守閣を望む。
       途中にある火の見櫓がやや目障りではある。
       
              逆川に架かる大手橋から天守閣を望む。
              


城を撮影していると、山車が動き出した。



祭りの始まりだ。


9時を回ったので、城内に入った。
やはり目の前で天守閣を見上げると迫力が違う。
天守への階段は急である。足元には気をつけたい。

       天守台の脇に”霧吹井戸”が現存する。
       西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河の今川氏真は、
       重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込んだ。
       この城を落とそうと家康が攻撃を仕掛けた際、井戸から立ちこめた霧が
       城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったと言う。
       以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになった。
       


いやぁ~、素晴らしい眺めだ。
新幹線からは時々天守閣を眺めていたが、天守閣から見るのは初めてである。
町の動きが手に取るように分かる。




町のあちこちの橋の上で山車がすれ違うのが見える。

       しばらくは対峙しているが、特に揉めたりせずすれ違っている。 
       
              太鼓櫓
              城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった。
              
                     御殿
                     城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された。
                     国の重要文化財に指定されている。
                     

掛川城天守閣に据付られている原寸大の
青銅製で重量は200Kgとのこと。

       城の展示品としてはお馴染の鎧甲冑
       
              山内一豊の騎馬像
              

天守台の脇に御殿への通用口がある。

       御殿の庭から天守閣を見上げる。
       なかなか絵になる。
       

御殿の玄関

       御殿の玄関を入ると、目の前に黒漆塗りの甲冑が。
       
              部屋は用途に応じ約20部屋に分かれている。
              対面儀式が行われる書院棟は、御書院上の間と、
              謁見者の控える次の間、三の間から成る。
              
                     御書院上の間
                     御書院は城主の対面所で上の間はその主室にあたる。
                     
                            小書院は御書院上の間の奥にあり、城主が政務を離れて
                            くつろぐ私的な部屋である。
                            
                                   天守閣側の廊下部分。
                                   

竹の丸」は掛川城の出入口の一つ。
掛川城の北郭にあることから、本来「北の丸」と称すところ、
竹林が生い茂っていたことから「竹の丸」と呼ばれるようになった。

       掛川特産の「葛布」を扱った松本家が、明治36年に建てた豪邸。
       
              市内を練り歩いてきたと思われる山車とばったり。
              掛川の山車は、笛・鐘・太鼓の他、三味線があるのが特徴だ。
              


祭りの真っ最中である掛川市内をもう少し観て行きたかったが、
時間が無いので次の目的地、長篠城に向かった。


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