2011年2月19日(土)
大田市の金山城を後にし、次に向かったのが、「足利氏館」である。
足利氏館は、近世城郭の原始を示しており、足利氏宅跡として大正十一年に国の史跡に指定されている。
足利学校と隣接する鑁阿寺(ばんなじ)は、何度か訪れたことはある。
Car Naviに従い、「足利氏館」を探して鑁阿寺と足利学校の回りをぐるぐると2回ほど回ってしまった。
しばらくして、鑁阿寺が「足利氏館」そのものだったことに気がついた。
足利学校と鑁阿寺の案内はいたるところに見られるが、「百名城」の案内はどこにも見当たらなかった。
もしかしたら見落としていたのかもしれないが、それにしてもちょっと淋しい感じがする。
もう少し看板・案内板が欲しいものである。
国道293号線(昭和通り)の歩道橋から見た足利学校
裏門越しに見た足利学校の方丈。
足利学校の”入徳門”
この日は、入門はせず「足利氏館」(鑁阿寺)に向かった。
洒落た店が立ち並ぶ大門通りの先に、鑁阿寺の山門(仁王門)が見えてきた。
”鑁阿寺”の”仁王門”
風格のある建物で、歴史を感じさせる。
仁王門は室町時代の建物で、栃木県の文化財に指定されている。
太鼓橋は江戸時代の造りである。
太鼓橋の脇に”史跡 足利氏宅址”の石碑が建てられている。
この前の道路を通り過ぎた時に目にしていたのだが、”足利氏館”は別だと思い込んでいた。
仁王門が太鼓橋の屋根に接近しすぎているため、見ずらい。
仁王門の先に本堂が見える。
境内の案内図
足利氏宅跡は、東西南北4つの門に囲まれている。面積は、12,300坪で四周に壕と土塁が巡らされている。
平安時代後期、源氏の祖、八幡太郎源義家の子義国、その子足利義康(足利氏祖)の二代にわたって堀と土手を築いて邸宅とした。
大正11年に境内全域と堀の外側の歩道全体が国の史跡に指定されている。
鐘楼は、鎌倉時代初期、建久七年(1196)足利義兼の建立で、国の重要文化財に指定されている。
”本堂”(大御堂)も鐘楼と同時期の建久七年(1196)足利義兼の建立で、国の重要文化財に指定されている。
本尊は源氏相伝の守本尊である大日如来である。
多宝塔と銀杏の大木
目通り9m、樹高30m、推定樹齢は550年、縁結びの御神木と言われている。
最近は樹勢がとみに衰えてきたそうである。
他にもいくつかの門や建物があったが、時間もあまりないことから”足利氏館”を後にした。
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大田市の金山城を後にし、次に向かったのが、「足利氏館」である。
足利氏館は、近世城郭の原始を示しており、足利氏宅跡として大正十一年に国の史跡に指定されている。
足利学校と隣接する鑁阿寺(ばんなじ)は、何度か訪れたことはある。
Car Naviに従い、「足利氏館」を探して鑁阿寺と足利学校の回りをぐるぐると2回ほど回ってしまった。
しばらくして、鑁阿寺が「足利氏館」そのものだったことに気がついた。
足利学校と鑁阿寺の案内はいたるところに見られるが、「百名城」の案内はどこにも見当たらなかった。
もしかしたら見落としていたのかもしれないが、それにしてもちょっと淋しい感じがする。
もう少し看板・案内板が欲しいものである。
国道293号線(昭和通り)の歩道橋から見た足利学校
裏門越しに見た足利学校の方丈。
足利学校の”入徳門”
この日は、入門はせず「足利氏館」(鑁阿寺)に向かった。
洒落た店が立ち並ぶ大門通りの先に、鑁阿寺の山門(仁王門)が見えてきた。
”鑁阿寺”の”仁王門”
風格のある建物で、歴史を感じさせる。
仁王門は室町時代の建物で、栃木県の文化財に指定されている。
太鼓橋は江戸時代の造りである。
太鼓橋の脇に”史跡 足利氏宅址”の石碑が建てられている。
この前の道路を通り過ぎた時に目にしていたのだが、”足利氏館”は別だと思い込んでいた。
仁王門が太鼓橋の屋根に接近しすぎているため、見ずらい。
仁王門の先に本堂が見える。
境内の案内図
足利氏宅跡は、東西南北4つの門に囲まれている。面積は、12,300坪で四周に壕と土塁が巡らされている。
平安時代後期、源氏の祖、八幡太郎源義家の子義国、その子足利義康(足利氏祖)の二代にわたって堀と土手を築いて邸宅とした。
大正11年に境内全域と堀の外側の歩道全体が国の史跡に指定されている。
鐘楼は、鎌倉時代初期、建久七年(1196)足利義兼の建立で、国の重要文化財に指定されている。
”本堂”(大御堂)も鐘楼と同時期の建久七年(1196)足利義兼の建立で、国の重要文化財に指定されている。
本尊は源氏相伝の守本尊である大日如来である。
多宝塔と銀杏の大木
目通り9m、樹高30m、推定樹齢は550年、縁結びの御神木と言われている。
最近は樹勢がとみに衰えてきたそうである。
他にもいくつかの門や建物があったが、時間もあまりないことから”足利氏館”を後にした。
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