2011年2月19日(土)
大田市の北約2Kmほどの金山に築かれた金山城は、文明元年(1469)から天正18年(1590)まで
難攻不落を誇った名城、と謳われている。
昭和九年(1934)に城跡として国の史跡指定を受けている。
金山城は、一部復元整備が行われ、現在「金山自然公園」として市民に親しまれている。
山頂近くの駐車場から地図に従って進むことにした。
往きは茶色で記された道を進み、白で示された道を戻ることにした。
本丸(新田神社)まで500mほどあるだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/df/7748114b29fbeab81778cc026edfe3c6.jpg)
城の入り口には休憩所のような東屋が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f7/609797d9f4d13b49f5d020f247b385a7.jpg)
東屋の横に、”史跡 金山城跡”の碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a4/8f9401c854b7f310310b18bf54bf72d6.jpg)
道が二俣に分かれているので、左側の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0d/187fc329199e64d1cfb55dc38367b664.jpg)
一段高い場所からの眺望。足利市方面か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/92/8f857cdf31bf3d7e5f5f6a4ac7a9075c.jpg)
”西矢倉台西堀切”
本丸まで4つの堀切があり、一番西に掘られている堀切。
この堀切は、敵の侵入を防ぐとともに、通路としても利用されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/c5/8f6340051cdd7ecfdc4c1ffe63dca6a9.jpg)
西矢倉台西堀切に架かる土橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e1/2899cd351db73216d175d51783a4a635.jpg)
本丸へ向かう二番目の堀切、”西矢倉台下堀切”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/78/d367624c826043d3551513d28c32ed5d.jpg)
”馬場下通路”
物見台下からこの先の竪堀までは石敷になっている。
正面(南側)は奥の通路を隠すとともに、敵を威圧するため石垣土塁になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/99/2c49af64e2cd5ce6ebb60cfd82a2c5fe.jpg)
馬場下通路の先には、物見台へ続く木橋が架けられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a1/11158c6f4b5a02b4cf4fe53b961e62c4.jpg)
”物見台”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/8b/8093840471a991f2a4163a3d5e1ec28e.jpg)
物見台からは、金山城の周辺が見渡せる。
写真右の白い筋のように見える「北関東道」の先(左手)は伊勢崎市方面。
手前に見えるのが、「ぐんまこどもの国」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/644824ef6fe9c2380c0e87dca2388201.jpg)
”馬場曲輪”から大手虎口方面を望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/88/097bcab707b87453d32103750c0318b8.jpg)
馬場曲輪の一角に建てられた、休憩所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7e/c819701ca6d933af30cc8d5e02bbc322.jpg)
大手虎口の手前にある”月の池”
上下二段の石垣で囲まれており、平坦な部分から約2m下に別の石垣がある。
池の底は粘土層になっており、水が溜まるようになっている、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e4/e2c1496d1741c894a4fcc1a27b3fbdd0.jpg)
”大手虎口”
金山城の一大防御拠点として、また象徴的な場所として、最も重要な虎口であった。
通路の両側は、水はけが良いように、排水溝が掘られている。
大手通路の両側上段は、各種の曲輪があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/4f/2839afa7760d1e06dce561b03d489c4d.jpg)
反対側から”大手虎口”を見たところ。
下部の石垣は当時の石のまま、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/52/e3cd467bc4d9aa4f4bf1e6a3d97405c9.jpg)
石垣の上部は復元されたもの。
後でわかるように、と間に鉛板を挟んでいるが既に見分けがつかない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/92/c3734c325f934b23782713642d1e18d6.jpg)
南曲輪から見た大手虎口の石垣土塁風景。
関東地方の中世戦国期の城郭は、土手のように土で築くのがほとんどだが、
この金山城の土塁は石垣で造られているのが特徴、と紹介されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/77/38c601da70d7879984853edc8b0cd0a2.jpg)
武器弾薬庫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b8/3e521bb0727c0fc262371d9a50718078.jpg)
台所曲輪の一角には井戸がある。
井戸の深さは20mほどあるそうだ。覗いてみたが、暗くてよく見えなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c8/6abd027663d07ea01ec9a285fcb6c03d.jpg)
かまど(復元)も発見されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/15/888763cb801676b75a8ab617e4348f3b.jpg)
金山城の象徴的な場所の一つである”日の池”
直径15mx16.5mの円形で、まんまるい。
生活用水以外に”戦勝”や”雨乞い”祈願を行った儀式の場所であった。
また、平安時代の遺物も発見されていることから、築城以前から神聖な場所であった、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/66/423eca7d82089e8d9ab4803936b5835b.jpg)
”南曲輪”に建てられた、「日本百名城」の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/67/5393f1ffd488496e3c207af6d0733ded.jpg)
”実城”から本丸へと進むと、これも金山城のシンボル的なケヤキの大木がある。
樹高17m、幹回り6.79m、推定樹齢は800年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3a/b1daebe52cea15173a944d4440ea0592.jpg)
「新田神社」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/80/1d8a9f92e0a384a76e0ae1a88f93740c.jpg)
「新田神社」のすぐ隣には、「御嶽神社」がある。
”金山城本丸址”の碑が建てられているところを見ると本丸はちょうどこの辺りか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9a/15e5a0ad603c2ccf2e9cf5ab075d6ce1.jpg)
「御嶽神社」の横には、「梅若稲荷神社」が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5e/3d36e39a819c45ca4f14a110bb557ef5.jpg)
三つの神社にお参りして、金山城を後にした。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
大田市の北約2Kmほどの金山に築かれた金山城は、文明元年(1469)から天正18年(1590)まで
難攻不落を誇った名城、と謳われている。
昭和九年(1934)に城跡として国の史跡指定を受けている。
金山城は、一部復元整備が行われ、現在「金山自然公園」として市民に親しまれている。
山頂近くの駐車場から地図に従って進むことにした。
往きは茶色で記された道を進み、白で示された道を戻ることにした。
本丸(新田神社)まで500mほどあるだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/df/7748114b29fbeab81778cc026edfe3c6.jpg)
城の入り口には休憩所のような東屋が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f7/609797d9f4d13b49f5d020f247b385a7.jpg)
東屋の横に、”史跡 金山城跡”の碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a4/8f9401c854b7f310310b18bf54bf72d6.jpg)
道が二俣に分かれているので、左側の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0d/187fc329199e64d1cfb55dc38367b664.jpg)
一段高い場所からの眺望。足利市方面か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/92/8f857cdf31bf3d7e5f5f6a4ac7a9075c.jpg)
”西矢倉台西堀切”
本丸まで4つの堀切があり、一番西に掘られている堀切。
この堀切は、敵の侵入を防ぐとともに、通路としても利用されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/c5/8f6340051cdd7ecfdc4c1ffe63dca6a9.jpg)
西矢倉台西堀切に架かる土橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e1/2899cd351db73216d175d51783a4a635.jpg)
本丸へ向かう二番目の堀切、”西矢倉台下堀切”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/78/d367624c826043d3551513d28c32ed5d.jpg)
”馬場下通路”
物見台下からこの先の竪堀までは石敷になっている。
正面(南側)は奥の通路を隠すとともに、敵を威圧するため石垣土塁になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/99/2c49af64e2cd5ce6ebb60cfd82a2c5fe.jpg)
馬場下通路の先には、物見台へ続く木橋が架けられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a1/11158c6f4b5a02b4cf4fe53b961e62c4.jpg)
”物見台”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/8b/8093840471a991f2a4163a3d5e1ec28e.jpg)
物見台からは、金山城の周辺が見渡せる。
写真右の白い筋のように見える「北関東道」の先(左手)は伊勢崎市方面。
手前に見えるのが、「ぐんまこどもの国」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8f/644824ef6fe9c2380c0e87dca2388201.jpg)
”馬場曲輪”から大手虎口方面を望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/88/097bcab707b87453d32103750c0318b8.jpg)
馬場曲輪の一角に建てられた、休憩所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7e/c819701ca6d933af30cc8d5e02bbc322.jpg)
大手虎口の手前にある”月の池”
上下二段の石垣で囲まれており、平坦な部分から約2m下に別の石垣がある。
池の底は粘土層になっており、水が溜まるようになっている、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e4/e2c1496d1741c894a4fcc1a27b3fbdd0.jpg)
”大手虎口”
金山城の一大防御拠点として、また象徴的な場所として、最も重要な虎口であった。
通路の両側は、水はけが良いように、排水溝が掘られている。
大手通路の両側上段は、各種の曲輪があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/4f/2839afa7760d1e06dce561b03d489c4d.jpg)
反対側から”大手虎口”を見たところ。
下部の石垣は当時の石のまま、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/52/e3cd467bc4d9aa4f4bf1e6a3d97405c9.jpg)
石垣の上部は復元されたもの。
後でわかるように、と間に鉛板を挟んでいるが既に見分けがつかない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/92/c3734c325f934b23782713642d1e18d6.jpg)
南曲輪から見た大手虎口の石垣土塁風景。
関東地方の中世戦国期の城郭は、土手のように土で築くのがほとんどだが、
この金山城の土塁は石垣で造られているのが特徴、と紹介されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/77/38c601da70d7879984853edc8b0cd0a2.jpg)
武器弾薬庫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b8/3e521bb0727c0fc262371d9a50718078.jpg)
台所曲輪の一角には井戸がある。
井戸の深さは20mほどあるそうだ。覗いてみたが、暗くてよく見えなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c8/6abd027663d07ea01ec9a285fcb6c03d.jpg)
かまど(復元)も発見されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/15/888763cb801676b75a8ab617e4348f3b.jpg)
金山城の象徴的な場所の一つである”日の池”
直径15mx16.5mの円形で、まんまるい。
生活用水以外に”戦勝”や”雨乞い”祈願を行った儀式の場所であった。
また、平安時代の遺物も発見されていることから、築城以前から神聖な場所であった、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/66/423eca7d82089e8d9ab4803936b5835b.jpg)
”南曲輪”に建てられた、「日本百名城」の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/67/5393f1ffd488496e3c207af6d0733ded.jpg)
”実城”から本丸へと進むと、これも金山城のシンボル的なケヤキの大木がある。
樹高17m、幹回り6.79m、推定樹齢は800年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3a/b1daebe52cea15173a944d4440ea0592.jpg)
「新田神社」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/80/1d8a9f92e0a384a76e0ae1a88f93740c.jpg)
「新田神社」のすぐ隣には、「御嶽神社」がある。
”金山城本丸址”の碑が建てられているところを見ると本丸はちょうどこの辺りか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9a/15e5a0ad603c2ccf2e9cf5ab075d6ce1.jpg)
「御嶽神社」の横には、「梅若稲荷神社」が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5e/3d36e39a819c45ca4f14a110bb557ef5.jpg)
三つの神社にお参りして、金山城を後にした。
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