ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.52 観音寺城

2010年12月25日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年12月25日(土)


観音寺城は、標高433mの繖山(きぬがさやま)、別名観音寺山の中腹に位置する。
観音正寺を通り抜けて行くことになる。

繖山の麓から歩くと時間がかかるため、林道繖山線で観音正寺の駐車場まで車で行くことにした。
林道繖山線の途中には料金所があり、通行料500円を払うことになる。
林道は狭く、車1台がやっと通れるほどの道だ。すれ違うのに苦労するほどの狭さである。
四国八十八か所巡りで苦労したことを思い出した。
林道の終点が観音正寺の駐車場になっているが、5台も入れば満車になる。

駐車場の奥に観音正寺の石碑が建てられている。
西国三十二番札所とのことなので、御朱印帳を持参することにした。


ここから階段を300mほど登ると観音正寺に辿り着く。


かなり息が上がる石段である。
麓から歩いて登る人もいるようだが、これは結構きついと思われる。
通行料500円はちょっと高いかな、とは思ったが、納得である。


石段の途中から観えた麓の景色。時折東海道新幹線が走るのが見える。
かなり登って来ていることが分かる。


石段のところどころに説教めいた教えの札が下げられている。
ごもっともな教えである。
上になるほど数字が小さくなっていく。


10分ほどで、観音正寺(かんのんしょうじ)に辿り着いた。
銅製の仁王像が待ち構えているが、仁王門はない。

(右側の仁王像が見えないが、実際の写真は次のように写っている)


お手洗いのひしゃくが凍ってつららが下がっている。寒い。


観音正寺本堂
平成16年3月に再建され、同年5月に落慶されたものでまだ新しい。
本堂内には巡礼者の般若心教が響き渡る。


本堂右手の山側には石が積み上げられている。
本堂の火災で山の土が焼けて崩れやすくなっているので山崩れを防ぐための石積み、だそうで、
特に意味はないそうだ。
中央付近のひと際大きな石に観音像が安置されている。


本堂からの景色
なかなか素晴らしい眺めだ。


納経所(写真中央の大きな屋根)で御朱印帳に記帳してもらい、観音寺城を目指した。


参道左手に濡佛(ぬれぶつ)が建てられている。


その横の細い階段を降りると観音寺城へ通じる道になっている。




案内板に沿って進む。

(右側の案内板が見えないが、実際の写真は次のように写っている)


現在も遺構発掘調査が続けられている。通行は遠慮願うとある。
今は竹藪となっているが、さきほどの案内板によると、この奥には屋敷跡があるのだろう。


本丸へ通じる大手道石段。直線的で幅約4mほど。
中間地点から下を見たところ。


中間地点から上を見たところ。


石段の先の広い場所が観音寺城本丸跡地になっている。
近江国守護佐々木六角氏の居城で、別名”佐々木城”とも言う。


ご覧のように杉や山茶花などの木が生え放題で、自然のたくましさを感じる。


ところどころに石垣が残っており、城跡だったことを偲ばせる。
観音寺城は、繖山全体を城砦とした典型的な山城で、日本五大山城の一つに数えられている。
国の史跡にも指定されている。


太夫井戸へ下る虎口の石垣


本丸跡西側(薬師口・搦め手)の食い違い虎口
手前は、桑実寺に通じる巡礼道になっている。


料金所でもらった地図によると、本丸周辺には、20以上の郭(武将の屋敷)跡があり、
いくつか見所もあったようだが、時間が限られているので、下山することにした。
いったん観音正寺に戻り、本堂で100名城のスタンプを押し、下山。
この後、安土城に向かった。


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