2010年12月25日(土)
安土城は、観音寺城から車で20分ほどのところにあった。
同じ町(滋賀県蒲生郡安土町)に2つも100名城があるとは、何とも羨ましい。
朝方、かみさんが縁石につまづいて足を痛め、歩けない状態だったので、一人で安土城に向かった。
安土城前の駐車場から安土山を望む。
この安土山全体が城となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/bb/05eada23b4b290f68f712d02daea0727.jpg)
入り口の手前には、虎口の石垣が復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d9/60d0363dea273d2627ca03f980ac6b4e.jpg)
正面の道を進んだ先に安土城の入り口がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d4/446db57158db260208e9449b431ffaf2.jpg)
自動券売機で拝観券(500円)を買い、中に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/10/def08aa1a26de0be6304a51063026edd.jpg)
ここから、天主閣跡まで四百五段あり、往復所要時間は40分~1時間とある。
ちょっとしたハイキングである。頑張って行こう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9c/496681e7901aa6d1a2097dda6f0a9bb9.jpg)
大手道の石段が180mほど真直ぐ続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/70/63c9a527a2c0e11d99b7610ea69a1d73.jpg)
大手道を少し上がると、左手に”羽柴秀吉邸跡”(下段)が。
石垣などは昔のままだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0c/9d3b79502f8fc070dbfed63c2e9bc6bb.jpg)
さらに石段を上ると碑が建っているが、こちら(上段)は”伝豊臣秀吉邸址”と記されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1e/a2962bf60ed6cde2b691ae466bec227b.jpg)
秀吉郭の跡地(上下段合せて)はかなり広い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/37/8f54da012dae1cea4dee41f99a8201dd.jpg)
復元図を見ると、大そう立派な郭であり、秀吉の存在の大きさを伺い知ることができる。
大手道を挟んでその反対側は”伝前田利家邸址”となっている。
信長の重鎮が安土城大手道の左右に郭を構えていたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/84/71fb888a43a766595d9df77eda3f01ef.jpg)
大手道の石段は段差が高い。
昔の人は、小柄だったと思われるが、これくらいの段差はものともしなかったということだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/25/5a635288196147738ab45691393eb599.jpg)
大手道は左に折れ、段差が一段ときつくなってきた。
途中で振り返ると、なかなか良い眺めだ。
しかし、登るのに骨が折れる石段だ。休み休み上ることにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9f/ad8ebf5c60a332ced91ce99cc7384df2.jpg)
大手道は途中で右に曲がり、二の丸、本丸、天主閣へと続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6c/124c524a1173498c4acd2625d00e0a72.jpg)
段差は若干緩やかになってきたが、先は長い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1d/ca2d22ee8de0a04a97ade476b99529e3.jpg)
黒金門辺り
桝形門の造りとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3d/28957c81453ed0d5f2d77402f083115a.jpg)
黒金門跡を記す碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e5/f51c0101b04d31481338011e32bdbdbe.jpg)
黒金門は、安土城中枢部への主要な入り口であった。
これまで上ってきた石段や、郭の石垣と比べると、石の大きさが違う。
黒金門も天主閣とともに焼失しているが、400年以上経った今も石垣はそのままの形で残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/32/886a76c6b424bbd6f86df297c4693a31.jpg)
黒金門を過ぎると、正面に一段と高い石垣が迫る。二の丸である。
植えた訳ではないだろうが、杉の木などが生い茂っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cd/61d220c843e246744c0ff1047f2a33c4.jpg)
二の丸の奥に、「織田信長公本廟」を記す碑があった。秀吉建立と言われている。
切り株が並んでいるが、付近の木を伐採したものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/09/6b8de06992c7b4351d5a8da57123c966.jpg)
「織田信長公本廟」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/59848236d960f528eab327374a4049cf.jpg)
それほど手が入っているとは言えないようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/7f/7582f6f087e345266fae695275d10d11.jpg)
寂しく佇んでいる感じだった。合掌!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d0/154bca852c35d917e8ac6f4d6e7c2960.jpg)
二の丸の先に天主閣の石垣がそびえていた。
安土山で一番高い場所(約180m)にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d7/95bf170c12a0091e18faaf33d527dc8a.jpg)
天主閣の右奥に本丸跡があった。
杉の木が生えている。
時々伐採が必要だ。大きくなり過ぎると手に負えなくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d1/b5ad45a743ff2447663d26da4b9fd3ed.jpg)
天主閣への石段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/b4/9499805bea980a00610cd6781d4fb456.jpg)
天主閣跡地
今は基礎石だけが整然と並んでいるだけだ。
かつてこの場所に、地下一階、地上六階の荘厳な天主台がそびえていたのだ、と思うと感慨深い。
いつの日か復元して欲しいものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/0e/63332ff1eda2ba0dfdbb5211b07e33a7.jpg)
天主閣跡地
天守閣から観た遠景
前方は”西の湖”
引き返す途中、織田信雄公四代の奥方の供養塔があった。
ひっそりと佇んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/9b/3f8403f3be1318099391a4617a1ad64c.jpg)
四代以外は、結構長生きしているのではないか。
昔から女性は長生きなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/01/52a732b308c038d125eb2a9e2f1a7b5e.jpg)
下山には別ルートが案内されていたので、行ってみた。
總見寺跡
現在の總見寺は、羽柴秀吉邸(上段)の向かい側にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/05/39cba178766cdd1801742848c0e1c05f.jpg)
總見寺跡の前には、三重塔が。
創建当時のままらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ce/a42458b3c0f02e913b6765dae529408f.jpg)
三重塔の先には、仁王門が構えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/21/45330c1fdcf4276a7c74c612e578d780.jpg)
正面の石段から振り返って見た仁王門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/81/e56bcbd6da0f2bc6ca406921bf271e8c.jpg)
当時のままであり、歴史を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4e/42f76f71d1ff0a19ef48d1ba703ad606.jpg)
林道のような道が料金所辺りまで続く。
この道は、あまり人は通らない。下山中一人も出会わなかった。静かである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3a/9da03ac582454170e4bb353a0c9739b7.jpg)
短時間だったので、安土城の全てを観ることはできなかった。
しかし、歴史上重要な人物の遺構に接することができ、意義あるものとなった。
やはり、TVドラマなどで多少なりとも知っている人物名が出てくるため、興味深く観ることができた。
安土城は、この他にも見所は多い。機会があればまた訪れてみたい。
この後、100名城のスタンプを求めて、「信長の館」へ向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/eb/4a1116224f0db92d29e4b0878a0c9812.jpg)
予定では、この後小谷城に行くことにしていたのだが、寒気団による冷え込みで、予報では滋賀県北部は雪になる恐れがあった。
来る途中、関ヶ原付近での突然の雪が脳裏をよぎり、無理はせず引き返すことにした。
雪になる前に、出来るだけ明るいうちに関ヶ原を通り越してしまいたい、との思いで名神高速へ車を走らせた。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
安土城は、観音寺城から車で20分ほどのところにあった。
同じ町(滋賀県蒲生郡安土町)に2つも100名城があるとは、何とも羨ましい。
朝方、かみさんが縁石につまづいて足を痛め、歩けない状態だったので、一人で安土城に向かった。
安土城前の駐車場から安土山を望む。
この安土山全体が城となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/bb/05eada23b4b290f68f712d02daea0727.jpg)
入り口の手前には、虎口の石垣が復元されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d9/60d0363dea273d2627ca03f980ac6b4e.jpg)
正面の道を進んだ先に安土城の入り口がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d4/446db57158db260208e9449b431ffaf2.jpg)
自動券売機で拝観券(500円)を買い、中に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/10/def08aa1a26de0be6304a51063026edd.jpg)
ここから、天主閣跡まで四百五段あり、往復所要時間は40分~1時間とある。
ちょっとしたハイキングである。頑張って行こう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9c/496681e7901aa6d1a2097dda6f0a9bb9.jpg)
大手道の石段が180mほど真直ぐ続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/70/63c9a527a2c0e11d99b7610ea69a1d73.jpg)
大手道を少し上がると、左手に”羽柴秀吉邸跡”(下段)が。
石垣などは昔のままだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0c/9d3b79502f8fc070dbfed63c2e9bc6bb.jpg)
さらに石段を上ると碑が建っているが、こちら(上段)は”伝豊臣秀吉邸址”と記されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1e/a2962bf60ed6cde2b691ae466bec227b.jpg)
秀吉郭の跡地(上下段合せて)はかなり広い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/37/8f54da012dae1cea4dee41f99a8201dd.jpg)
復元図を見ると、大そう立派な郭であり、秀吉の存在の大きさを伺い知ることができる。
大手道を挟んでその反対側は”伝前田利家邸址”となっている。
信長の重鎮が安土城大手道の左右に郭を構えていたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/84/71fb888a43a766595d9df77eda3f01ef.jpg)
大手道の石段は段差が高い。
昔の人は、小柄だったと思われるが、これくらいの段差はものともしなかったということだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/25/5a635288196147738ab45691393eb599.jpg)
大手道は左に折れ、段差が一段ときつくなってきた。
途中で振り返ると、なかなか良い眺めだ。
しかし、登るのに骨が折れる石段だ。休み休み上ることにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9f/ad8ebf5c60a332ced91ce99cc7384df2.jpg)
大手道は途中で右に曲がり、二の丸、本丸、天主閣へと続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6c/124c524a1173498c4acd2625d00e0a72.jpg)
段差は若干緩やかになってきたが、先は長い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1d/ca2d22ee8de0a04a97ade476b99529e3.jpg)
黒金門辺り
桝形門の造りとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3d/28957c81453ed0d5f2d77402f083115a.jpg)
黒金門跡を記す碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e5/f51c0101b04d31481338011e32bdbdbe.jpg)
黒金門は、安土城中枢部への主要な入り口であった。
これまで上ってきた石段や、郭の石垣と比べると、石の大きさが違う。
黒金門も天主閣とともに焼失しているが、400年以上経った今も石垣はそのままの形で残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/32/886a76c6b424bbd6f86df297c4693a31.jpg)
黒金門を過ぎると、正面に一段と高い石垣が迫る。二の丸である。
植えた訳ではないだろうが、杉の木などが生い茂っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cd/61d220c843e246744c0ff1047f2a33c4.jpg)
二の丸の奥に、「織田信長公本廟」を記す碑があった。秀吉建立と言われている。
切り株が並んでいるが、付近の木を伐採したものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/09/6b8de06992c7b4351d5a8da57123c966.jpg)
「織田信長公本廟」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/59848236d960f528eab327374a4049cf.jpg)
それほど手が入っているとは言えないようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/7f/7582f6f087e345266fae695275d10d11.jpg)
寂しく佇んでいる感じだった。合掌!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d0/154bca852c35d917e8ac6f4d6e7c2960.jpg)
二の丸の先に天主閣の石垣がそびえていた。
安土山で一番高い場所(約180m)にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d7/95bf170c12a0091e18faaf33d527dc8a.jpg)
天主閣の右奥に本丸跡があった。
杉の木が生えている。
時々伐採が必要だ。大きくなり過ぎると手に負えなくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d1/b5ad45a743ff2447663d26da4b9fd3ed.jpg)
天主閣への石段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/b4/9499805bea980a00610cd6781d4fb456.jpg)
天主閣跡地
今は基礎石だけが整然と並んでいるだけだ。
かつてこの場所に、地下一階、地上六階の荘厳な天主台がそびえていたのだ、と思うと感慨深い。
いつの日か復元して欲しいものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/0e/63332ff1eda2ba0dfdbb5211b07e33a7.jpg)
天主閣跡地
天守閣から観た遠景
前方は”西の湖”
引き返す途中、織田信雄公四代の奥方の供養塔があった。
ひっそりと佇んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/9b/3f8403f3be1318099391a4617a1ad64c.jpg)
四代以外は、結構長生きしているのではないか。
昔から女性は長生きなのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/01/52a732b308c038d125eb2a9e2f1a7b5e.jpg)
下山には別ルートが案内されていたので、行ってみた。
總見寺跡
現在の總見寺は、羽柴秀吉邸(上段)の向かい側にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/05/39cba178766cdd1801742848c0e1c05f.jpg)
總見寺跡の前には、三重塔が。
創建当時のままらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ce/a42458b3c0f02e913b6765dae529408f.jpg)
三重塔の先には、仁王門が構えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/21/45330c1fdcf4276a7c74c612e578d780.jpg)
正面の石段から振り返って見た仁王門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/81/e56bcbd6da0f2bc6ca406921bf271e8c.jpg)
当時のままであり、歴史を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4e/42f76f71d1ff0a19ef48d1ba703ad606.jpg)
林道のような道が料金所辺りまで続く。
この道は、あまり人は通らない。下山中一人も出会わなかった。静かである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3a/9da03ac582454170e4bb353a0c9739b7.jpg)
短時間だったので、安土城の全てを観ることはできなかった。
しかし、歴史上重要な人物の遺構に接することができ、意義あるものとなった。
やはり、TVドラマなどで多少なりとも知っている人物名が出てくるため、興味深く観ることができた。
安土城は、この他にも見所は多い。機会があればまた訪れてみたい。
この後、100名城のスタンプを求めて、「信長の館」へ向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/eb/4a1116224f0db92d29e4b0878a0c9812.jpg)
予定では、この後小谷城に行くことにしていたのだが、寒気団による冷え込みで、予報では滋賀県北部は雪になる恐れがあった。
来る途中、関ヶ原付近での突然の雪が脳裏をよぎり、無理はせず引き返すことにした。
雪になる前に、出来るだけ明るいうちに関ヶ原を通り越してしまいたい、との思いで名神高速へ車を走らせた。
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