2010年10月9日(土)
3連休を利用して、東海道沿いにある100名城を巡ることにした。
先ず初日の10月9日、日本100名城のひとつ「駿府城」を訪れた。
この日は朝からどんよりとした曇りだった。
3連休の初日のため、常磐道・首都高・東名道は各地で混雑が続いた。
静岡に着く頃には、雨も本降りとなり、城巡りには最悪の状態となってしまった。
城内中学校辺りから二の丸堀越しに巽櫓を望む。
巽櫓は、二ノ丸南東角に設けられた二重三層隅櫓で、
辰巳の方角に位置することから巽櫓と呼ばれる。
平成元年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b2/833ceb69a1635a28f417ddab080d606c.jpg)
巽櫓の後方は東御門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8d/ff02999cc3670a50d8c140ced10cbf9a.jpg)
東御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ed/8be356c6f33d7fbf299940de7e2ad8e7.jpg)
東御門は、二ノ丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、
南および西の多聞櫓で構成される桝形門となっている。
平成8年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/3b/b5511548323174e33ceedafba467e0d1.jpg)
東御門から紅葉山庭園方面を望む。
晴れていれば二の丸堀に白壁が映える筈なのだが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ec/bc99a5e8fab5be6b53279c16fbff8814.jpg)
東御門と巽櫓を望む。
後方の高い建物は、静岡県庁。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f2/abe56cbc52fd29b7668e7098a1b93f3c.jpg)
東御門を内からみたところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/55/2abac0ebe09275fccfe7f7f3d23b0330.jpg)
櫓門南面(正面)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a2/0c803dfa07a6eed4472ea5e5d5167eb2.jpg)
櫓門北面(内から見たもの)
内部は資料展示室になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/71/74802f4ab47f4dd0d2f322acd238012e.jpg)
櫓門北面全体
二の丸から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/48/680762e3d8a2812e4be0618bb2cb3a34.jpg)
櫓門への入口付近から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/bc/db231f8afb17e7389f6b39f8ca162211.jpg)
櫓門の中に入ると、正面に徳川家康公の坐像が構えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/67/678bde3c07efc634508e0d6ad1998146.jpg)
巽櫓、東御門の復元模型
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/69/83500ec348fd3f65657824539af08f85.jpg)
駿府城のジオラマ
徳川家康は、天正十三年(1585年)から駿府城築城を開始し、
天正十七年に現在の二ノ丸以内の部分を完成させた。
しかし翌年、関白秀吉の命によって関東に移封され、駿府城は、
豊臣系の家臣中村一氏が城主となった。
秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、慶長八年(1603年)
征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いた。
慶長十年(1605年)将軍職を秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を
「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきた。
天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の
治水事業に取りかかり、現在の静岡市市街地の原型が造られた。
そして、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は
江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心として、その黄金時代を迎えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/67/126a0b0f17cbac5e9cc25306d6acf0bc.jpg)
慶長十二年(1607年)に駿府城の大改修を実施したが、
同年12月に天守閣は焼失してしまった。
慶長十五年(1610年)に天守は再び建てられたが、
寛永十二年(1635年)に火災で焼失した。
その後天守は再建されていない。
東御門復元工事の際に二の丸堀から出土した、青銅製のシャチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d0/1aca063d8eeb808c9e2969fea2b6eb0c.jpg)
家康公が着用した鎧(複製)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/3d/26c5657f460532dcf5fba6f47931c59b.jpg)
巽櫓
内部は撮影禁止となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/37/0e2bf00f047d1a6c65de65e65b8eecf7.jpg)
静岡茶ご用達用の籠(撮影禁止対象外)
実際に籠で運んだものかは説明が無いため分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/30/a0238a925a4c638f941ddb71deeda658.jpg)
北門
両側に石垣が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/07/3b77f6eedbb2efb4f6bc6b1615fd6466.jpg)
食い違い土手構造による馬場先御門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/d0/41a602e386a2afcbbdd968c2bac458ef.jpg)
本丸堀
明治時代に歩兵34連隊の誘致に伴い本丸堀は埋められたが、
部分的に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/91/8cf11211575445d230e639e85560cdf2.jpg)
白塀に囲まれた紅葉山公園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9c/96521fc18b56583e5222a48ccf5ff10f.jpg)
晴れていれば中を見たかったが、あいにくの雨のためパスした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/80/558696a55765916eab89540ffd916b39.jpg)
常磐道・首都高・東名道の各地で交通渋滞に巻き込まれ、駿府城に着いたときには、閉場時間が迫っていた。
また、キャンピングカー用の駐車場を探すのに苦労した。
結局適当な駐車場が見つからず、北門付近に一時停車して、交代で中を見学することにした。
時間がなくなり、駿府公園の一部しか見ることができなかったのは、悔やまれる。
何とかスタンプは押すことは出来たが、機会があれば、もう一度訪れてみたい城ではある。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
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3連休を利用して、東海道沿いにある100名城を巡ることにした。
先ず初日の10月9日、日本100名城のひとつ「駿府城」を訪れた。
この日は朝からどんよりとした曇りだった。
3連休の初日のため、常磐道・首都高・東名道は各地で混雑が続いた。
静岡に着く頃には、雨も本降りとなり、城巡りには最悪の状態となってしまった。
城内中学校辺りから二の丸堀越しに巽櫓を望む。
巽櫓は、二ノ丸南東角に設けられた二重三層隅櫓で、
辰巳の方角に位置することから巽櫓と呼ばれる。
平成元年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b2/833ceb69a1635a28f417ddab080d606c.jpg)
巽櫓の後方は東御門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8d/ff02999cc3670a50d8c140ced10cbf9a.jpg)
東御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ed/8be356c6f33d7fbf299940de7e2ad8e7.jpg)
東御門は、二ノ丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、
南および西の多聞櫓で構成される桝形門となっている。
平成8年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/3b/b5511548323174e33ceedafba467e0d1.jpg)
東御門から紅葉山庭園方面を望む。
晴れていれば二の丸堀に白壁が映える筈なのだが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ec/bc99a5e8fab5be6b53279c16fbff8814.jpg)
東御門と巽櫓を望む。
後方の高い建物は、静岡県庁。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f2/abe56cbc52fd29b7668e7098a1b93f3c.jpg)
東御門を内からみたところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/55/2abac0ebe09275fccfe7f7f3d23b0330.jpg)
櫓門南面(正面)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a2/0c803dfa07a6eed4472ea5e5d5167eb2.jpg)
櫓門北面(内から見たもの)
内部は資料展示室になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/71/74802f4ab47f4dd0d2f322acd238012e.jpg)
櫓門北面全体
二の丸から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/48/680762e3d8a2812e4be0618bb2cb3a34.jpg)
櫓門への入口付近から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/bc/db231f8afb17e7389f6b39f8ca162211.jpg)
櫓門の中に入ると、正面に徳川家康公の坐像が構えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/67/678bde3c07efc634508e0d6ad1998146.jpg)
巽櫓、東御門の復元模型
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/69/83500ec348fd3f65657824539af08f85.jpg)
駿府城のジオラマ
徳川家康は、天正十三年(1585年)から駿府城築城を開始し、
天正十七年に現在の二ノ丸以内の部分を完成させた。
しかし翌年、関白秀吉の命によって関東に移封され、駿府城は、
豊臣系の家臣中村一氏が城主となった。
秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、慶長八年(1603年)
征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いた。
慶長十年(1605年)将軍職を秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を
「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきた。
天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の
治水事業に取りかかり、現在の静岡市市街地の原型が造られた。
そして、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は
江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心として、その黄金時代を迎えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/67/126a0b0f17cbac5e9cc25306d6acf0bc.jpg)
慶長十二年(1607年)に駿府城の大改修を実施したが、
同年12月に天守閣は焼失してしまった。
慶長十五年(1610年)に天守は再び建てられたが、
寛永十二年(1635年)に火災で焼失した。
その後天守は再建されていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/42/34f64b926e0f9b66732e766d9def861c.jpg)
東御門復元工事の際に二の丸堀から出土した、青銅製のシャチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d0/1aca063d8eeb808c9e2969fea2b6eb0c.jpg)
家康公が着用した鎧(複製)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/3d/26c5657f460532dcf5fba6f47931c59b.jpg)
巽櫓
内部は撮影禁止となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/37/0e2bf00f047d1a6c65de65e65b8eecf7.jpg)
静岡茶ご用達用の籠(撮影禁止対象外)
実際に籠で運んだものかは説明が無いため分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/30/a0238a925a4c638f941ddb71deeda658.jpg)
北門
両側に石垣が残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/07/3b77f6eedbb2efb4f6bc6b1615fd6466.jpg)
食い違い土手構造による馬場先御門跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/d0/41a602e386a2afcbbdd968c2bac458ef.jpg)
本丸堀
明治時代に歩兵34連隊の誘致に伴い本丸堀は埋められたが、
部分的に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/91/8cf11211575445d230e639e85560cdf2.jpg)
白塀に囲まれた紅葉山公園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9c/96521fc18b56583e5222a48ccf5ff10f.jpg)
晴れていれば中を見たかったが、あいにくの雨のためパスした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/80/558696a55765916eab89540ffd916b39.jpg)
常磐道・首都高・東名道の各地で交通渋滞に巻き込まれ、駿府城に着いたときには、閉場時間が迫っていた。
また、キャンピングカー用の駐車場を探すのに苦労した。
結局適当な駐車場が見つからず、北門付近に一時停車して、交代で中を見学することにした。
時間がなくなり、駿府公園の一部しか見ることができなかったのは、悔やまれる。
何とかスタンプは押すことは出来たが、機会があれば、もう一度訪れてみたい城ではある。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
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