ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.41 駿府城

2010年10月09日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年10月9日(土)


3連休を利用して、東海道沿いにある100名城を巡ることにした。
先ず初日の10月9日、日本100名城のひとつ「駿府城」を訪れた。

この日は朝からどんよりとした曇りだった。
3連休の初日のため、常磐道・首都高・東名道は各地で混雑が続いた。
静岡に着く頃には、雨も本降りとなり、城巡りには最悪の状態となってしまった。

城内中学校辺りから二の丸堀越しに巽櫓を望む。
巽櫓は、二ノ丸南東角に設けられた二重三層隅櫓で、
辰巳の方角に位置することから巽櫓と呼ばれる。
平成元年に復元された。

       巽櫓の後方は東御門。
       
              東御門
              
                     東御門は、二ノ丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、
                     南および西の多聞櫓で構成される桝形門となっている。
                     平成8年に復元された。
                     
                            東御門から紅葉山庭園方面を望む。
                            晴れていれば二の丸堀に白壁が映える筈なのだが・・・
                            

東御門と巽櫓を望む。
後方の高い建物は、静岡県庁。


東御門を内からみたところ。

       櫓門南面(正面)
       
              櫓門北面(内から見たもの)
              内部は資料展示室になっている。
              
                     櫓門北面全体
                     二の丸から見たところ。
                     

櫓門への入口付近から見たところ。

       櫓門の中に入ると、正面に徳川家康公の坐像が構えている。
       
              巽櫓、東御門の復元模型
              
                     駿府城のジオラマ
                     徳川家康は、天正十三年(1585年)から駿府城築城を開始し、
                     天正十七年に現在の二ノ丸以内の部分を完成させた。
                     しかし翌年、関白秀吉の命によって関東に移封され、駿府城は、
                     豊臣系の家臣中村一氏が城主となった。
                     秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、慶長八年(1603年)
                     征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いた。
                     慶長十年(1605年)将軍職を秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を
                     「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきた。
                     天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の
                     治水事業に取りかかり、現在の静岡市市街地の原型が造られた。
                     そして、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は
                     江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心として、その黄金時代を迎えた。
                     
                            慶長十二年(1607年)に駿府城の大改修を実施したが、
                            同年12月に天守閣は焼失してしまった。
                            慶長十五年(1610年)に天守は再び建てられたが、
                            寛永十二年(1635年)に火災で焼失した。
                            その後天守は再建されていない。
                                          

東御門復元工事の際に二の丸堀から出土した、青銅製のシャチ

       家康公が着用した鎧(複製)
       
              巽櫓
              内部は撮影禁止となっている。
              
                     静岡茶ご用達用の籠(撮影禁止対象外)
                     実際に籠で運んだものかは説明が無いため分からない。
                     


北門
両側に石垣が残っている。

       食い違い土手構造による馬場先御門跡
       
              本丸堀
              明治時代に歩兵34連隊の誘致に伴い本丸堀は埋められたが、
              部分的に復元された。
              


白塀に囲まれた紅葉山公園

       晴れていれば中を見たかったが、あいにくの雨のためパスした。
       


常磐道・首都高・東名道の各地で交通渋滞に巻き込まれ、駿府城に着いたときには、閉場時間が迫っていた。
また、キャンピングカー用の駐車場を探すのに苦労した。
結局適当な駐車場が見つからず、北門付近に一時停車して、交代で中を見学することにした。
時間がなくなり、駿府公園の一部しか見ることができなかったのは、悔やまれる。
何とかスタンプは押すことは出来たが、機会があれば、もう一度訪れてみたい城ではある。


ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

       
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 取手宿本陣とビール工場見学 | トップ | 日本100名城巡り No.42... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「日本100名城」巡り」カテゴリの最新記事