THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

小路と風神

2008-11-05 | Weblog
今日は、深夜シフト。朝9時ちょっとすぎに急いで家に帰る。
これから、上野まで行って「フェルメール展」と「大琳派展」を梯子する予定。

ちょっと前に、「美の巨人たち」でフェルメールの「小路」が取り上げられていた。フェルメールの残した2枚の風景画のうちの1枚である。
2枚ある風景画のうちの1枚という事は、もう1枚あるはずで、そのもう1枚がプルーストが「世界でいちばん美しい絵」と言った「デルフトの風景」である。この絵はその絵をまじかで見ないとその真実の美しさがわからない絵なのである。ジュネーブにいる時、 巖谷 國士の「ヨーロッパの不思議な町」の中で語られている話(ココ参照)を読んで、実は「デルフトの風景」を見にデンハーグまでの旅行を何度か計画した。
しかし、物価の高さや、アムステルダムからデンハーグまで電車で行かなければならないなどの事もあり、子連れで行くのは何かと障害も大きく断念してしまった。
「江戸の敵を長崎で討つ」わけでないが、「小路」が来るならば見に行かなければ、と思った。

11時半ごろに上野に着く。「てんや」で軽くお昼を食べ、足早に東京都美術館へ急ぐ。平日というのに上野公園は、結構大勢の人が歩いていた。混んでいるのだろうか?と思いながら行ってみると、どうやら外に列はできていないようだった。しかし、階段を降りて券を買うと、そこから列があって40分待ち。きっとこれは、「すいている」というんだろうなと思いながら並ぶ。
並んでいる人を見まわすといろんな人がいた。平日なので比較的に年齢層が高いが、若い人も結構いる。ボクの前に並んでいたオジサンは、何を考えているのか単行本を読みながら並んでいる。時間がもったいないとかあるのかも知れないけど、せっかくフェルメールを見る列に並んでいるんだから、もっとワクワクドキドキしながら並ぼうよ、と思わないわけでもない。

列に並んでやっと入場。今回の「フェルメール展」には7枚のフェルメールが来ている。真作が30数枚しか確認されていない作家の作品だから7枚というのは、相当な規模なのだそうだが、それだけでは展覧会は開催できないので、前段に当時のデルフト派の絵画が並んでいた。その辺は、飛ばし気味に鑑賞して、いよいよフェルメールの絵のところまでたどり着く。
初めてみるフェルメールは「マルタとマリアの家のキリスト」だった。小さい絵が多いという印象があったためか、意外にも大きいというのが第一印象だった。次は、「ディアナとニンフたち」。この2枚は、宗教画と神話をテーマにした絵ということもあり、他の西洋の絵と比べて特にどうという印象でもなかった。続いてやっと「小路」となる。
小さめのこの絵は、確かに美しい絵だった。特にドアの奥の黒い部分が印象的である。しかし、風景画の難しさか、この絵が特別であるというほどの印象でもなかった。しばし鑑賞したのち、廊下を通って次の部屋へ移る。
次の部屋では、まず「ワイングラスを持つ娘」が飾られている。この絵は、圧倒的に美しい。どうして世界中の人がフェルメールに熱狂するのかもわかるような気がした。印刷物で見ると、娘さんがワイングラスを持って微妙な、どちらかというと変な顔をしているだけだけど、実際に絵を前にしてみるとその微妙な表情、光の感じやステンドグラスの美しさ。理屈はどうあれ、とても美しく深い感銘を与える。それから「リュートを調弦する女」、「手紙を書く婦人と召使い」、「ヴァージナルの前に座る女」と続くいている。
「リュートを調弦する女」、「手紙を書く婦人と召使い」ともにフェルメールらしい絵で、やはり特別な印象を与える絵であった。しかし、「ワイングラスを持つ娘」と比べると、個人的には絵の世界が完結しすぎている印象をもった。「ヴァージナルの前に座る女」に関しては、これが小品であることもあり、他の3つに比べると劣るように思った。
この部屋を3たび巡回して時間をかけて見る。最後にもう一度「ワイングラスを持つ娘」の前に立つ。しばらく眺めた後、去りがたい思いとともに、美術館を後にした。
その後、「大琳派展」を見るために国立博物館まで上野公園を歩く。途中、「小路」をもう少し長く見るべきだったかと思った。「小路」を見た時点では、これほどフェルメールがよいとは思ってなかったので、適当なところで切り上げてしまった。「ワイングラスを持つ娘」と同室に飾られていたなら、何度も見たんだが、さすがにあの廊下を逆行する勇気はなかった。

さて、国立博物館についた。「大琳派展」の券を買って平成館へ行く。ここは混んでるといっても、列ができているわけではなかった。場内はそれなりに混んでいて、大きいものはともかく、小さい巻物のようなものは、がんばって前まで行かないと見えない。
しかし、日本美術は難しい、あまり見ていないってのもあるけど、前提条件に古典の教養が必要な物も多いし。(その辺は、西洋の宗教画と同じ事情でしょうか?)
ぞろぞろと流れているうちに、今回の目玉の、四つの「風神雷神図」にたどり着いた。ここには、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の「風神雷神図」が並べてある。ふすま絵である鈴木其一の物を除けば、全部、屏風絵で構図もほぼ同じである。それもそのはず、光琳は宗達を模写し、抱一は光琳を模写したのだそうだ。
宗達、光琳、抱一を並べてみると、はじめはそっくりに見えたが、単なる模写でなくちゃんと自分の絵として描いている。雲の形なんて全然違うのである。
ちなみに絵の優越なんて、よくわからないんですが、個人的には、宗達>光琳>抱一と思いました。
風神雷神を後にしてどんどん進むと、見たことのある「象」の絵などがあったり、鈴木其一って人は名前も知らなかったけど、以外と現代的で好みだったり、といろいろとあった。
国立博物館では、日本館で「キリシタン-大航海時代のキリシタン遺物-」という、特別展示なども見た。本物の踏み絵が陳列されていた。

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「日本の昔話」 柳田国男 著

俄か入道、小僧と狐、片目の爺、比治山の狐、芝右衛門狸、山伏の狸退治、湊の杙、狐が笑う、夢を買うた三弥大尽、蛸島の虻、だんぶり長者、藁しべ長者