THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「窓辺で手紙を読む女」

2008-11-20 | Weblog
「フェルメール全点踏破の旅」 朽木 ゆり子 著

2 ドレスデン ≪取り持ち女≫≪窓辺で手紙を読む女≫

ベルリンよりプラハ行きの電車に乗りドレスデンに到着した。ここでアルテマイスター絵画館に入る。
ここでは、フェルメールの
≪取り持ち女≫と≪窓辺で手紙を読む女≫の2点の絵画を見る。

取り持ち女
この絵は、年代の特定できる3点のフェルメールの絵のうちの一つで1656年に描かれた。取り持ち女とは、売春婦斡旋屋であり、絵の中には売春婦と客、売春婦の斡旋をしている女性、さらにその様子を眺めている男が描かれている。これはフェルメールの絵の世界とは、かけ離れている露骨な絵である。
この絵は、フェルメールのキャリアの初期のものであり、何枚かの宗教画を描いた後、風俗画家に転身しようとしている頃に描かれた。
この、取り持ち女は、「放蕩息子」というキリスト教的な主題の一つのバリエーションであり、教訓と風俗画の境界に位置するものである。また、フェルメールの妻の実家にはディルク・ファン・バビューレンの≪取り持ち女≫が飾られていた。
この絵の特徴は、スタイルが当時の多くの絵と同じようにカラヴァッジオの影響を受けているということである。

窓際で手紙を読む女
この絵も推定で1657-1659年あたりの作品であり、かなり初期の作品である。この絵は、左から光が入ってくるフェルメールの定番の構図を持つものであり、彼の絵の転換点に位置するものである。
この絵は、X線写真から背景にキューピットの絵が書いてあったことが分かっている。キューピットは手紙がラブレターであることを暗示しているが、フェルメールはそれを塗りつぶしてしまった。また、画面の中の果物が皿からこぼれている果物の皿は不倫を暗示し、りんごと桃はイブの神に対する背信を暗示しているという解釈がある。
この絵は、カーテンが描かれているために、鑑賞者は彼女と空間的につながっている印象を受ける。しかし、女性は離れた所にいて、手が届かないという印象も伝わってくる。それは、彼女がもの思いに耽っていて、現実の世界から遠ざかってしまっているからだ。

女性の読んでいる手紙は、残念ながら明るい内容であるようには見うけられない。それどころか、見ているだけで手紙の内容が胸騒ぎのようにこちらに伝わってきて、私たちの人生の過去に起こった出来事、特に不安や失望などが関連した出来事を覚醒させる効果をもっている。
こうして私たちも、この絵の前でしばしば現実から遠ざかってもの思いに耽る。それでも、普段心の奥底にしまってある思いについて考えることで、私たちは前進することができるのだ。フェルメールの偉大な点は、まさにこういった内容を寓意の助けを借りずに表現してしまう点にあるのではないだろうか。