徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

節分祭

2011-01-31 01:08:35 | Weblog
 今日は私の実家の近所のお寺で行われた節分祭に行ってきました。
 小学生以来の節分祭ですので何年ぶり?と思います。
 歴史ある節分祭ではなく戦後からの行事で私が産まれた頃からの行事です。
 ただ、この行事の主役は地元の厄年となる初老の男がです。
 私の出身地である尾張では厄年の時に初老祝いとして近所の人や親類を振る舞うという伝統があります。
 節分祭もその一環として位置づけられていて地元から離れて久しい私も参加することになりました。
 さて節分祭ですが愛知県と一宮市の文化財となっている十一面観音菩薩像の前で護摩木をくべ厄払いの祈祷を受けた後に豆や菓子等を投げるという単純な物です。
 厄払いを受けたのちに豆まきをするのですが、撒きながら子供の頃に撒かれるお菓子を獲るのに懸命になったことを思い出しました。
 一緒に参加した同級生も同じで子供の頃の豆まきの思い出話で盛り上がりました。
 結構、無茶なことをして大人に怒られたことを思い出します。
 私たちが一番怒られたのは木の枝に引っ掛かったお菓子を木にのぼり揺すって落とそうとして枝を折ったこと....
 でもそんな喧噪は遠い昔で今の子供達は静でした....
 周囲にいた親の世代の方々は「あんたらの子供の頃は賑わしかった・・・」と思い出話をされました。
 確かに午後同級生と集合して口をそろえてに「静になったな~」でした。
 私の住む一宮は統計上では過疎ではありませんが古い集落は山村部と同様に過疎が進んでいます。
 実は私の実家の地域の同級生は実家を離れ生活していてほととど残っていません。
 本来なら地区の初老10名以上を集めることがノルマなのですが集まらず隣の地区の同級生を集め13人となるという事態でした。
 参加すべき同地区の同級生は実は26名いたのですが今日参加したのは8名という結果が物語っています。
 この行事の目的は厄払いが目的であると同時に本厄の人達を初老祝を行うということである一方、地域活動の中心的役割を果たす年代となったことを祝う意味があることを今日知りました。(代替わり)
 ですので今回の行事に出ない=地元を捨てたと見なされるということだということを感じました。
 今日参加して親が出なきゃいけないと言った意味合いがよ~くわかりました。
 あと地元で厄払いを受けた後に国府宮の裸祭りに参加するということが私の住む地区の伝統であるのですが酒が飲めない私は裸祭りは辞退したのでした....(管理人)



                        



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コメント (2)
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